2010年11月12日(金)
門川市長証人尋問・続き [時事]
◎京都新聞11月12日朝刊
「京都市長『不適切でない』 選挙前本配布で証言」
京都市教育委員会が2008年2月の市長選前、門川大作市長の教育長時代のインタビュー記事などが載った市販本を購入して学校関係者らに配ったことをめぐる公費返還住民訴訟で、門川市長の証人尋問が11日、京都地裁(瀧華聡之裁判長)であった。市長は選挙前の購入や配布の経緯について「一切知らない」とした上で「市教委が政策を多くの人に理解してもらうためにしたもので不適切とは思わない」と述べた。
門川市長は終始、緊張した表情で証言した。原告代理人から「書籍は選挙のアピールか」と問われ「そのような認識はない」と答えた。1400冊の購入報告については「記憶にない」と述べた。インタビュー取材がなかったことを認めた上でインタビュー形式に構成した原稿を点検したことを明らかにした。
発行元のPHP研究所元社長の江口克彦参院議員(みんなの党)に対する証人尋問もあり、発刊を持ち掛けた理由について「市長選なんて頭にない。京都の教育改革を全国に知らしめたかった」と証言した。
発刊が遅れたのは著者予定だった門川市長が多忙で原稿が出てこなかったためと説明した。PHP社が市教委から資料提供を受けて制作する方針に変更したという。「PHP研究所編」としたことは「門川さんが書いていないから」と述べた。
この日の証人尋問でも執筆者は明らかにならなかった。原告弁護団の一人として市長選の候補で951票差で敗れた中村和雄弁護士が参加し、門川市長に「お久しぶりです」とあいさつして質問を始める場面があった。
◎毎日新聞11月12日朝刊
「売れ筋上位へ書店で定価購入 京都市教委・割引利用せず 現市長の業績紹介本」
京都市教委が08年2月の市長選直前、立候補表明していた当時教育長の門川大作市長の業績を紹介した本を大量に配布したことを巡る住民訴訟で、市教委が通常は出版社から2割引きで買える本を書店から定価で買っていたことが分かった。この訴訟の証人尋問が11日、京都地裁であり、元出版社社長の江口克彦・みんなの党参院議員が明らかにした。
訴状などによると、市教委は定価1365円の本を10店から1400冊購入した。江口議員は「京都府内の行政は関連書籍を自社から2割引きで買っていたが、市教委には売り上げランキングに載れば宣伝になるからと書店での購入を勧めた。よくあることだ」という趣旨の証言をした。市教委は定価購入で38万円余り多く支出していた。
住民らは訴訟で「税金を使った選挙応援だ」として門川市長ら市幹部4人に約210万円の損害賠償を請求するよう市に求めている。【古屋敷尚子】
◎毎日新聞11月12日朝刊・京都欄
「08年の京都市長選再び!? 現職と次点法廷で“対決”」
住民訴訟 攻める中村氏、かわす市長
08年2月の京都市長選直前、門川大作市長の教育長時代の業績を紹介した書籍を市教委が購入・配布した問題を巡る住民訴訟で、門川市長本人が11日、証人として京都地裁の法廷に立った。住民側代理人の一人はその市長選で門川市長に951票差まで迫った中村和雄弁護士。約15分間だったが、直接“旧敵"が相まみえた。
大きな争点は、書籍が選挙での宣伝目的か否かや、実際にはインタビューを受けていないとされる門川市長の記事を誰が執筆したのか。尋問の冒頭、中村弁護士は「お久しぶりです」とあいさつしたが、門川市長は無表情で応じた。
その後、「自身が編集したのでは」「載っている写真はいつ撮影したのか」といった追及に対し、門川市長はそれぞれ「そんなことない」「知らない」と答えた。他の弁護士の尋問には「本は市の教育を広報するためで、担当課に任せていたので詳細は知らない」と述べた。
門川市長は尋問後、「(中村弁護士は)元気そうでしたね。記憶をたどりながら誠実に真実をお話しした」と語った。【古屋敷尚子】
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今日(11/12)、昨日の証人尋問に関するブログの検索をしていると、「傍聴希望者が多くて法廷には入れなかった」という記事を見つけた。やっぱりそんな人もいたのだ。早めに裁判所に行き並んでよかった。
101法廷に入れた傍聴人は75人。それぞれどのような理由で来られたかは分からないが、この75人には75通りの理由があるはずである。
さてこの私は・・・。
先の市長選前の「談話本配布」については、実はあまり興味はなかった。立候補した候補者が、それまでの自分の立場を選挙に利用するのはよくあること。選挙違反スレスレの綱渡りのようなこともよく聞く。秘書や部下が勝手にやったことにして、自分だけはのうのうと生き延びるということも過去にはめずらしくなかった。最近は「連座制」とか言って厳しくなったそうだが、抜け道はたくさんありそうな気がする。
私が一番見たかったのは、門川大作氏の表情である。
140万人の京都市の長にまで上りつめた人が、損害賠償請求裁判の被告側証人として尋問されるとき、どう対処されるのか。それが見たかった。
私が門川氏に直接お会いしたのは、私が京都市のへき地の小学校教師をしていた30年前。その時、組合対策の先頭に立っていたのが門川氏であった。その堂々たる姿は、「ああいえばこういう」タイプの人間というのがぴったりの人だった。
ところがこの日の門川氏はまるで元気がなく、私が長年持ち続けていたイメージとはかけ離れていた。「記憶にございません」「知りません」の連発は、いつか見た国会証人喚問とそっくりだった。
新聞報道には詳くわしく書いてないので、証人の証言をまとめてみると・・・。
「京都の教育改革」をまとめた本を出版する話をPHP研究所から持ちかけられた。しかし、超多忙なためまったく手付かずだった。そこに、今までの自分の業績をまとめたものをインタビュー形式で掲載すると言われた。そのゲラには目を通した。ただ、そのあとその本が誰の手によってどのようにまとめられたかは知らない。市教委の1400冊定価購入、無償配布についても、当時は報告があったはずだが現時点では記憶がない。
その本については、平成19年の12月ころ、誰からか分からないが自宅に送られてきた。その時はほとんど目を通していない。市長選が終わり落ち着いた4月ころ、やっと目を通したという程度。初めから終わりまでくわしく読んだということはない。今回の証人尋問前も、超多忙なため、その本には目を通してきていない。
ここで法廷内の傍聴人から失笑のうず。お上品で控えめなヤジもとんだ。それに対して、裁判長から傍聴席に向かって注意があるかと思ったがまったくなかった。普通、裁判の被告側の証人として呼ばれていたら、その問題になっている本を見直してくるでしょう。弁護士さんとの打ち合わせもあるだろうし。これも「何もかも自分の知らないところでことは進んで行った」という証人の作戦だったんでしょうか。
傍聴席のどよめきに対して裁判長が注意しなかったことで、この裁判長には一般人の感覚があると思え、ちょっとほっとした。その時の裁判長さんの顔は、「ほんまに読んできてへんのかいなー」という表情にも見えた。
それともう一つ。
原告代理人(中村和雄弁護士)から、その本の証人のインタビュー形式の記事についての質問があった。
「その記事の最後に、平成19年10月29日の記載があり、教育長室で撮られた証人の写真も掲載されている。これを見た人は、この日に教育長室で実際にインタビューされたものと思い込まれないでしょうか。」
「知りません。」
「えっ?」
「知りません。」
これは答えとしてはおかしいと思う。答えは、「そう思います」か「そうは思いません」のどちらか。「知りません」って・・・。こんなにご自身が関与されていると思われても仕方ない記事も、ひと言「知りません」で済ませていいんかなあ。ここは他のときとちがって、間髪いれずの返答だったのでよけいにびっくりした。当時の教育長、現京都市長として、そんな無責任な発言はないでしょう。
「記憶にございません」「知りません」を押し通せば、何の証拠も出て来ないし、裁判自体の意味もなくなってしまうような気がした。。
ちょっと話がそれるかもしれないが・・・。
1986年1月、京都市中の小中学校の卒業式案に突然日の丸・君が代が入ってきた。確か当時京都市の小中学校は250校ほどだったと思うが、すべての校長さんが遠隔操作をされているロボットのように同じ言葉をしゃべり出したのだ。「私はずっと前から卒業式での日の丸・君が代は必要だと思っていました。市教委からの指導もありましたが、私自身の判断で卒業式に国旗・国歌(日の丸・君が代)を入れます」などなど。
これが私の人生における最大の謎。そして、私の人生における最大の恐怖。
校長さんにも一人一人個性があるはずなのに、ある日突然一斉にロボット化してしまっていた。こんな不思議でなおかつこわいことはない。結局、私はこの恐怖から逃れたくて(と言うより、自分の信念よりも自分の生活を守るほうを優先する「教師の成れの果て」のような姿を見てしまって)その数年後に教職を離れてしまった。そしてこのときの謎と恐怖は、25年近くたった今も残ったままである。
当時この問題で大活躍されていたのが高石文部次官。彼は学習指導要領に国旗国歌の指導項目を入れた実績を手土産に、自民党の衆議院選候補となるはずであった。しかし、リクルートから賄賂をもらったことが発覚、逮捕起訴され失脚。
その時私は、政治家をめざす者は何か目に見える実績を手土産に自分を売り込むものなのかと思った。
京都の教育「改革」を語るとき、ここ10年ほどの変化だけを見ていても分からない。私は、1986年に京都市中の小中学校の校長さんを震え上がらせ、卒業式での日の丸・君が代を強行させた人物が大きなキーワードになっていると思う。
それがいったい誰であるかは分からない。当時の校長さんたちがその間の事情を正直に話してくださるとも思えない。でも、私は・・・。(これ以上書くと、名誉毀損で訴えられる可能性があります。)
以上。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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