2008年05月20日(火)
中学のクラス会・続き [学校]
私の中学時代3年間(つまり全部)、担任していただいた中古賀公隆先生。
先生が私たちの母校・花一中に来られたのは、先生が29歳の時だった。その時が新採で、それまでは講師として街中の中学校におられたそうだ。よく、「前いた中学校は、たいへんやった」と言われていたので、私たち14人は天使に見えたにちがいない。
私たちが卒業後もう3年おられ、その後、街中の大きな中学校をまわられた。それなら、純粋で素朴な(?)私たち14人が、ますます天使に思えたのでは・・・。
じょうだんはほどほどにして。
百井「とり幸」でのクラス会は、いよいよ佳境に。
中古賀先生の近況報告は興味深い。
中でも私が一番聞きたかったのは、いっしょにブルガリアに来てくださった奥さんの存在だった。先生が「ブルガリアに行きたい」と言った時、反対もせず、「一人で行ってき」ともおっしゃらず、当たり前のようにいっしょに来られたそうだ。こりゃ、すごい。
中学のいつだったか忘れたが、「僕は、奥さんが一番大事なんや」と顔を真っ赤にして言われたことがあった。先生得意の空手の「三鎮」の型をやり終わった時より赤かったかも。
そうか、頭の血管切れるくらい大事なんや。へんな中学生だった私は、そんなふうに理解していた。
それが今まで40年、ずっと続いてるんですよね。うらやましい。
それともう一つ、印象に残った話。
日本に一時帰国される時、外猫として世話をされている7ひきは、おとなりに1か月分のえさをあずけ世話をお願いしておられるとのこと。よかった。前から気にはなってたんやけど、よう聞かんかった。よかった。
他にもいっぱい話してくださったが、書ききれないのでまたの機会に。
この後、時計回りに近況報告。
トップバッターは、和佐男ちゃん。
いきなり、ビッグニュース。「今、行政書士の仕事をしてるんやけど、50すぎてから自分の本当にしたいことが見つかり、週に2,3回板前の修行をしてます。」
ななななんて、板前の修行? そうか、ほな、次のクラス会までに店出しやー。猶予は、2年やでー。
ふたごの娘さんは、現在高3。「ふたりとも?」と聞いてた人がいたけど、それどういう意味? おとぼけにもほどがある。
今は、別所の実家に帰っていることが多いらしい。「小谷屋さん」やってへんし、別所で料理屋さん開店したらいいんちゃうん。
「そのヘアースタイルはいつから?」というきつい質問にも、「これは、十数年前から長い年月をかけ・・・」とか笑いながら答えていた。いける。その返しこそ、商売人。ほんまに、店開きや。行くし。
2番手、優子ちゃん。
今日の午前中、優子ちゃんからメールがきた。
「この間はお疲れ様でした。楽しかった! 幸博くんに会えたの、感激! 何か底力のパワーみたいなものを握手した手から感じたわ。ハンク・ジョーンズさんと握手して以来やった!?
さっき、ブログ見たよ。早いね。お願いがあります。→私のことは載せないでね。」
こら困ったな。メール返信やね。
「横顔美人さんへ
メールありがとう。これから、一人一人のことを書こうと思っていたので、ギリギリセーフです。すごくきれいに撮れた優子ちゃんの横顔写真と、さっきボクに送ってくれたメールくらいは載せてもいい? 幸博君が喜ぶと思うんやけど・・・」
その返信。
「お疲れ様です。良かった。じゃ、上手くまとめて、きれいに載せてあげてくださいね。返事ありがとう。これからも頑張ってね。2年後も成功させようね。出来ることがあったらやるからね。」
東京からかけつけてきてくれただけのことはある。心強い言葉をありがとう。今度は、今回来れへんかったメンバーが一人でも二人でも来れるように努力しようや。頼むで。それまで、きれいな横顔にますます磨きをかけて、ねっ!
3番手、琴ちゃん。
ごめん、ぼーっとしてた。話、しっかり聞いてへんかった。琴ちゃんは、なぜか身内のような気がして、気がゆるんでしまう。たぶん、琴ちゃんは私の初恋の人です。
現在、滋賀県草津市在住。子どもが3人。そのうちのどの子か聞き逃したけど、結婚してもうすぐ子どもが生まれるらしい。私の昔のあこがれの姫も、もはやおばあちゃんです。
おととし、別所小・花一中最後の運動会に来てくれて、その後PTAだよりの原稿もお願いした。うちのヨメさんが琴ちゃんを見て、「こうじさんの同級生に、えらいすいな人いるやん」と感心してた。「そうやろ、かっこええやろ。それがな、中学の時はな・・・」 (それは、秘密です。)
現在パートの仕事と、介護の仕事と二つやってるらしい。介護の仕事は、別所に住んでるご両親にいつか役に立つようにと始めたと言ってた。
お開きになってお支払いに行く時、背後に人の気配。誰かと思えば、琴ちゃん。ヒョロヒョロ系頼りな弟を心配して着いてきた、シッカリ姉さん? 「だいじょうぶ?」とか聞かれたりして。 琴ちゃんも末っ子やのに、こっち(私)とはえらいちがい。
4番バッターは、明美ちゃん。
本当に、今日の4番バッター的存在だった。
明美ちゃんからも、昨日の夜メールがきた。
「昨日は迎えに来てもらってありがとうございました。先生にもみんなにも逢えてよかったです。取り急ぎお礼まで。」
すぐ返信。
「指輪女王へ
今、でかい指輪についてブログを書いているところです。 まだ、できあがってないけど、パソコンがあったら見てください。どっちみちプリントアウトして、クラス会の写真、名簿といっしょに送ろうとは思っているのですが。
ちょっとふざけすぎたかな。ヤッチン、おこっとったよな。 明美ちゃんもちょっとおちょくりすぎた? 気、悪せんといてね。
それにしても、みんながあんなにようしゃべるとは思わんかったわ。みんな楽しそうで、よかった。」
その返信。
「さっそくメールいただいてすみません。 パソコンもあるので、見せてもらいます。気になっていないといったら嘘になるけど、まあそれはそれと思ってます。気にかけてもらったのですみません。ご苦労様でした。奥様にもよろしく。」
ごめんね。かまいやすいタイプやから、ちょっと度がすぎたね。 「乙女の姿、しばしとどめん」やったね。
でも、中古賀先生、卒業の「13人」のこと言ってはったけど、私は何が何でも「14人」。明美ちゃんも入れた14人でないと、ダメ。幸博君に「明美ちゃんが来れるように、何べんもさそってや」ってゆってたんやで。
30歳の娘さんと同居、26歳の息子さんは東京の外資系の会社でがんばってる。明美ちゃん自身も、大阪でスチール家具販売の会社を実質経営(一応だんなさんが社長)。体の調子もよくはないが、毎日がんばってます。
やっとまわってきました。5番手は、私。
最初の長いあいさつと、ひとの話の時にちゃちゃを入れすぎ、もう疲れた。
「廉君と真樹ちゃん、かわいいで。いつも年賀状に写真が入ってるやん。」と言ってくれた人がいた。よう見てくれてんにゃ。ありがとう。
「これだけは、ゆうとかなあかん。いま、ボクは、ヨメさんに養ってもらってます。ここでこうしておいしいものが食べられるのも、みんなヨメさんの血と汗と涙の結晶で・・・」
「でもええやん。じぶんの好きなことやらしてもらってるわけやろ。代わってほしいわ。」と和佐男ちゃん。
「それは甘いで。どんなめちゃくちゃ言われても、じっと聞いてられるか。すべてのプライドを捨てて、何でも『ハハー』ゆうてきかなあかんねんで。」
「そうか。火あぶりにじっと耐えるようなもんやな。」と和佐男ちゃん。
「そやでー。ヨメさんに逆らった時が、ボクが地球から消滅する時や。」
「そんなことゆうて、ええ車にものってるやん。あれも、おくさんのおかげ?」と琴ちゃん。
「おかげとちゃうって、ヨメさんの血と汗と涙の結晶が・・・」
6番手、ヤッチン。
JT勤務。京都工場が閉鎖され、現在伊丹まで通勤。朝4時起きで5時家を出る毎日。
子どもは大学生の子と、高2、高1。高1の息子は、洛北高校野球部。「ということは、3類(体育選抜)か?」と聞くと、「3塁ちゃうで、ピッチャーやで」やって。その3塁ちゃうがな。でも、すごい期待してるのが分かった。レギュラーめざして、がんばれ。
ヤッチンの表情が一変し、「これからは、ちょっとつらい話なんやけど・・・、両親の介護が大変で。7年前父親が倒れ、その2年後に母親が倒れ、それからずっとなんや。家の近くにマンション借りて、そこで姉二人と交代で介護してんにゃ。休みなしや。でも、これだけやったんやと言えるように、がんばってる。さっきから、気楽なことばっかりゆうてる話聞いて、しばいたろかーと腹立っててん。なんでおれだけと思てな。でも、そんなことゆうても、しゃーないな。」
ごめん、ヤッチン。ボクの横で、ムカムカきとったんや。一番お気楽なんは、まちがいなく私です。
昔から、ヤッチンの顔が好き。「何でー」と聞かれたら、答えに困るけど、とにかく好き。中学の美術で「クラスメイトの顔を描こう」というのがあった時、迷わずヤッチンにしたもんね。今もええ顔や。しばかんといてな。
7番手、周作ちゃん。
くすりの「菊水」勤務。出張が多いそうだ。一番は富山。ちょっと前までは、台湾も多かったとのこと。バリバリ営業マンなんやね。
大学生の息子さんと中3の娘さん。「子どもは、ふたり?」と聞いたら、「ああ、ちょうどな。」って、何がちょうどやねん! よう、わからん。
ヤッチンと仲良しで、よくいっしょに遊びに行ったりしたらしい。中学時代の先生の動向にもくわしかった。上田先生は、3年ほど前亡くなられたとのこと。独自のアンテナを持ってるんやね。
正直に言うけど、クラス会に行くって言ってくれた時、「ほんまかいな」と思ってた。長いこと会ってへんのにあんまりあっさりとした返事やったから。そやから、待ち合わせ場所で立ってる周作ちゃんを見つけた時は、何かジーンときた。
時々、ボクにもわざと敬語を使ったりして、こんな楽しいヤツとは知らなんだわ。
最後に登場、8番手、幸博君。
大阪で少し働いた後、百井に帰ってきた。
最初は、牛を飼ってたそうな。それが儲けにならないということで、鶏に変更。今は、数千羽の鶏の世話で休むヒマもない。
みんな、いろいろ聞いとった。「黄身二つの卵のなぞ」の説明は、ようわかった。いつから、そんな説明じょうずになったん。
学校もこうゆうとこ行って、話を聞かんとな。生きた勉強できまっせ。鶏のことは知らんことが多いから、聞いていて全然あきない。
今からでも遅ないぞ、嫁さんさがそうぜ。幸博君と結婚したら、絶対長生きできます。私が保証します。時間がゆったり流れてますから。
最後にしめとして、もう一度中古賀先生。
これがまた、しめにならんしめで・・・。終わったのか終わってへんのか分からんような話。
先生、日本語だいぶ忘れてる? まあ、かんにんしたろ。8人の天使(?)の前であがってんにゃな。
すんません、最後の先生の話、全然おぼえてません。なんか、うれしいとかなんとか、・・・もうええか。
「未来に展望が開けること言ってください!」
お支払いは、集金額とぴったり。というより、気使こてそうしてくれはったんやね。
これで、中古賀先生からいただいた金一封を残金扱いにして、石井慧君の応援にまわせる。
何から何まで、うまいこといくなあ。
せっかくやし、時間のある人は、養鶏場見学ツアーに。幸博君のガイド付きでっせー。
「とり幸」さんから、約3km。ヒノコの養鶏場に着くと、番犬2ひきがお出迎え。よう、ほえよった。背中に機械油付いてるのは、なんで? 幸博君、なんかの機械の下もぐりよったゆうとったな。
近くの桜にまだ花が。ここら、めっちゃさぶいゆうことか。
夜は、ここで幸博君一人寝てるんや。こわないんかな。
あっ、そや、ワンちゃんいるし一人とちゃう。それに、鶏かていっぱいいるし。そやけど、朝やかましいやろな。鶏飼うんは、やっぱり、近くに民家のないとこやね。
小屋に、幸博君のお父さん・幸一郎さんがいやはった。「別所の善一の息子です。今日は、お世話になりました。みんな喜んでました。」
幸一郎さんも喜んでくれはったかな。
◎近況報告のところで、聞き違いをしている可能性が高いです。まちがいを見つけられた方は、ご連絡お願いします。
それでは最後に養鶏場と見学者の写真集を。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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