2008年03月12日(水)
おかえり、マーライオン [家族]
廉が、シンガポール研修旅行から帰ってきた。
深夜1時過ぎの空港発、早朝関空着の便で帰ってきたので、すこししんどそうだった。
私が廉に最初にかけた言葉。
「マーライオンまんじゅう、売ってた?」
「売ってへんかったわ。」
旅行に行く前、おみやげのことが話題になった。
「やっぱり、おじいさんには、まんじゅう系やなあ。」
「なんかな、シンガポールにも、もみじまんじゅうみたいなもん売ってるらしいわ。」と廉。
「そらええなー。マーライオンまんじゅうやな。そやけどそれ、絶対日本の業者が作らしとんにゃろな。」
マーライオンの中にあんこって、なんかおいしそう。楽しみ。
でも残念ながら、それはガセねただった。
仕方なく、おじいさんのおみやげは、マーライオンチョコとマーライオン置物(かなり小さい)に変更。さっそく、私がいなかのおじいさんに持っていった。
「おじいさん、廉が学校からシンガポールに旅行に行って来てなあ、これおみやげやて。チョコレートとマーライオンとかゆうやつの置物。なんかな、シンガポールの神さんらしい。」
「これ、おばあさんにチンチンしてくるわ。廉が外国行って来ましたゆうて、報告しとくわ。」
「ほー、ちょっと見してくれ。」
おじいさんが興味を持ったのは、チョコではなく置物のほうだった。かなり、しげしげと見ていた。(よかったやん、廉。おじいさん喜んどんで。)
その後、置物を仏壇へ。
「おばあさん、廉がシンガポール行ってきました。」チーン。
廉ゆうても、よう考えたらおばあさんは知らんにゃ。生まれる半年前に死んでしもたんやから。
死んでしまうちょっと前、ヨメさんが「あかちゃんできました」って、報告しとった子や。もう、高1や。早いもんやなあ。
「おじいさん、前ゆうとった中国旅行やけど、どう?」
1ヶ月ほど前、たまたま新聞で中国旅行の広告を見た。
そのコースは、杭州から景徳鎮、廬山、九江から長江(揚子江)沿岸を下り、南京、上海へ。おじいさんが戦争で行った場所ばかりらしい。こんなコースの旅行の企画は、初めて見た。
1ヶ月前に話した時は、かなり乗り気だったが・・・。
「うーん、やっぱり、よう行かんなあ。もうちょっと若かったらなあ。」
残念!
1週間の外国旅行は、なんぼ中国ゆうてもちょっと長すぎるわなあ。おじいさん、もう86やし。もうちょっとショートカットで、3泊4日くらいのが企画されへんかなあ。おじいさんが元気なうちに。
ほんまに、残念! (最初で最後の親孝行ができるかなと思ってたのに・・・。)
話はもとに戻り・・・
廉の旅行は楽しかったらしい。
心配していた厳しいきまりも、それほどでもなかったとのこと。あちこちでビルなどの建設ラッシュで、外国人労働者が多数入りこんでおり、それどころではないとか。インド人の出稼ぎが多いらしい。
初日のばんごはんの野菜に、でかいあおむしが2、3びきいたこと。夜遅く、ホテルの友達の部屋でしゃべっていて、自分の部屋に戻ろうとした時に先生に見つかり注意されたこと。現地ガイドに、当たり外れがあったこと。見学場所でインドネシアの修学旅行生といっしょになり、そのオーバーなリアクションがおもしろかつたこと。などなど。
なかでも、動物園が一番おもしろかったようだ。昼と夜、2回も行けたと喜んでいた。
また、放し飼いのサルがいたらしく(野良ザル)、
「パオパオ、サル好きやから、いっぱい撮ってきたった。」とのこと。なんて親孝行な(!?)息子なんでしょう。
「そやけど、このサルに勝手にえさやったら、罰金4万円!」
「4万円て、そんなんはらえる人おんのかいな。どこまで罰金の国やねん。イメージ、あんまりよくないなあ。」
とにかく、旅行は行って終い、はもったいない。
帰ってきた後も、じわじわ楽しんでほしい。なんか調べてみたいこととかなかったんかなあ。
なにせ、大金使っとるんやから。なあ。
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2008年03月09日(日)
2008名古屋国際女子マラソン [マラソン評論]
「あきらめなければ夢はかなう、ということを伝えられるレースにしたい」
「メッセージを伝えられるのは優勝者」
「名古屋」の前の数日、テレビや新聞で、この高橋尚子のコメントが何度も繰り返し流されていた。
「あれっ、高橋尚子って、こんなこと言う人やったっけ。」
私は、その言葉を聞いてすぐそう思った。決意を胸に秘め、ひょうひょうと実現していくタイプやなかったっけ。
「大阪」の後の私とヨメさんの会話。
「名古屋、どうなると思う?」
「2時間25分で優勝やったら、Qちゃん楽勝やな。選考ラインが下がってよかったなあ。実力通り走ったら、ほかの選手はついてこれんやろ。」
私もまったく同意見だった。あのコメントを聞くまでは。
「夢はかなう」の夢って何。
オリンピックで金メダルは取ったし、世界記録も出したし。北京オリンピックに出ることをさしているなら、ちょっとピントはずれちゃうかな。
「私の執念見てください」
「プロの厳しさをすべてレースにぶつけます」
「優勝しないと明日はないんです」
これくらいのこと、言ってほしかったなあ、プロなんやから。
私がレース前にあんまり言うもんやから、ヨメさんの予想も変わっていった。
「全然名前知らん若い子が、来るかもね。」
当たってしもたがな。
福士の時はすごくレース経過が気になったが、今回は途中もまったく見ず、5時ごろ携帯のニュースで結果を知った。
「27位やって、Qちゃん。」
「27位? またえらいこと落ち込んだもんやなー。」(2位〜4位くらいを想定してました。)
レース後、高橋本人は、足の手術の影響かという会見。(あれは、いまさら言わんほうがよかったんちゃう?)
もう一つ、走る直前に違和感があり、走り始めた時、体が全然動かないのに気づいたとも言っていた。
これ、二流市民ランナーでもあるんですよね。
私の場合、走り出さないとわからない。特に疲れてるわけでもないのに、全然走れないことがある。またその逆で、なんの準備もできず、菓子パンかじりながらスタートしたような時にすごいいいタイムが出たりする。
いやいや、ちょっとレベルがちがいすぎて、比べるのは失礼でしたね。
結果報道で不思議だったこと。
高橋尚子と優勝した中村友梨香の記事は別として、大会前高橋尚子の対抗馬にあげられていた選手の分析がほとんどなかった。
原(4位)、弘山(9位)、坂本(10位)、大南(18位)、・・・どうしたんでしょう?
25kmまでの5kmごとのラップが、すべて17分台。最初の5kmにいたっては、17分55秒。ベテラン、どうした!
中村選手が優勝できた最大の要因は、この前半のスローペースにあると思う。どうしてベテラン勢は、初めから飛ばしてライバル(特に新人)を振り落としていかなかったのか。集団で行って、最後は自分だけが抜け出せるとでも思っていたのだろうか。
このレースを見る限りでは、オリンピックで同じ展開にでもならない限り中村選手の入賞はない。ましてや、中村選手以外の選手が「名古屋」で優勝して選ばれていたとしても、その選手の入賞も考えにくい。
私にとっては、高橋選手の惨敗というより、ベテラン勢の惨敗という印象が強い。(かと言って、新人の台頭とも思えない。)
このレースで、個人的に応援していたのは3位だった加納さんだ。1位とは、48秒差。惜しかった。
加納さんは、京都の立命館大学の出身で、当時の監督・古村さんは私の昔からの知り合いである。加納さんも、大学生時代、うちの店のお客様だった。まあ、加納さんにはまだ次がありますよね。
◎「名古屋」の翌日、オリンピック代表の発表があった。
このへんから、おっさんランナーのたわごとを・・・
私が選ぶ北京オリンピック女子マラソン代表。
?福士・・・北京で、もう一回飛び出してほしい。 金メダル!
?渋井・・・あの強烈なキャラは捨てがたい。帰ってきてくれー。 銀メダル!
?高橋・・・今なら執念復活してるかも。 銅メダル!
(補)坂本・・・個人的に好きなだけ。でも、選べば入賞しそう。
私が予想するオリンピック女子マラソン結果。(現時点で)
野口・・・2位か3位。優勝したら、こわい。
土佐・・・いつも通りの入賞。
中村・・・入賞圏外。 (ごめんね)
森本・・・中村の代わりに出したってほいなあ。
さて、結果は夏のお楽み。
(注) 写真は、中日新聞HPから取らせていただきました。
◎後日気づいたこと。
「名古屋」14位に、平良茜さんの名が。2時間33分12秒。たぶん、初マラソンであったと思う。
彼女は、2000年高校女子駅伝沖縄代表・豊見城南高校出身。1区を走ったエースである。そして、その時2区を走ったのが、入波平先生。(入波平先生については、1月7日の記事参照)
お二人とも福岡大学に進学され、その後、平良茜さんはOKIからパナソニックへと競技者の道に進み、入波平みさ乃さんは教師になり鳩間の運動会で私と対決!?
平良茜さんは、大学時代、うちの通販を利用していただいていた。
昨年は、北京オリンピック標準記録Bを突破(10000m・32.18.28)。
これからも、応援していきたい。
(ちなみに、2000年高校女子駅伝は、阪田直子を擁する立命館宇治が優勝。)
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第21回なかじま万葉の里マラソン [ランニング・出張販売]
「なかじま」と言うと、雪というイメージが強い。
うちが来るようになって今年で15回目だが、その3分の2の10回くらい雪か雨ではないだろうか。
今年度から子どもたちがクラブをがんばっているため、出張販売にはついてきてくれない。
しかし今回は、廉が海外研修旅行のため、家が真樹と頼りない番犬きくだけになってしまう。 クラブは極力休みたくない真樹だったが、しぶしぶついてきた。(去年の5月の小豆島オリーブマラソン以来。)
天気が一番心配だったが、まれにみる良い天気。そんなに寒くもない。風もまし。
能登演劇堂前のイベント会場が出店場所だ。
この大会も一時は5店舗まで増えたが、今は淘汰されうちともう一軒だけになった。
朝の準備も、真樹がいてくれるおかげでずいぶん楽だ。一人増えると、物理的というより精神的な余裕がうまれる。準備中には、ヨメさんにぼろくそに怒られることもよくあるのだが、今回はそれもなかった。よかった、よかった。
「なかじま」と言えば、私の親子レース最後の舞台となった所である。
昨年3月、1週間前からの嚥下(えんげ)障害で体調最悪だったが、本当に最後の最後の親子レースだったので走ることにした。
「嚥下障害」という病気は聞きなれないと思う。
私も自分がなるまで聞いたことがなかった。
簡単にいえば、ものが飲み込めなくなる障害である。お医者さんの話によると、お年寄りに多く見られる病気で、私のようなぴんぴんした人間が診察に訪れたのは初めてだとおっしゃっていた。(日赤病院で、京都唯一の嚥下外来を担当されているO医師のお話。)
そこで、ありとあらゆる検査をしてもらったが原因がわからず、薬も出ず、1週間で6kgも体重が減ってしまった。自分のつばも飲み込めないため夜も安眠できず、ついには声もかすれてしまって本当にまいってしまった。
O医師の話では、後は精神的な原因しか考えられないとのこと。それをヨメさんに言うと、「あんたみたいに気楽に生きてる人間が、何が精神的やてー・・・、あほらしもない。」と言われてしまった。心配して様子を聞いてくださる方には、「鬼嫁アレルギーということで・・・。」と言うと、ほとんどの人が「フム、フム、フム。」と小さくうなずかれた。
その親子レーススタート後も、息苦しく、いつもよりかなり遅かったように思う。長い長い1.3kmだった。
結果は、13位。(女子の中では2位。) 入賞には届かなかったが、一生心に残るレースになった。
あれから、もう一年もたったのか。
今日は、単独の10kmレース。先週のフルが、どう影響するのかな。
スタートは、10時50分。京都では9時スタートのシティハーフペースランナー外峯さんが、そろそろゴールするころやなあ。
「なかじま」にしては暖かい。先週の疲れからか足は痛いが、呼吸は楽。キロ4分30秒くらいのペース。まずまずやなあ。
3km付近のお寺で、お葬式があったらしい。次々と出てくる車。けっこうじゃまやけど、よう考えたらこんなとこ走ってる私らの方がじゃまやな。勘違いしたらあかん。私ら、走らせていただいてるということを。お葬式のじゃまににならんように走らにゃー。
折り返したら、ゆるい下りになっていて、行きより調子がよくなってきた。キロ4分20秒くらい。
結局、5km地点で22分40秒。ゴールは44分21秒。これなら来年は42分台もねらえるなあ、と相変わらず取らぬたぬきの皮算用。
戻って大会パンフレット見て、びっくり。
来年この大会が、リニューアル。会場が和倉温泉に。ハーフがなくなり、フルに。(たぶん、石川県初の公認フル。)親子レースもなくなりそう。
フルは、和倉温泉から時計回りに中島に向かい、ツインブリッジを渡り能登島へ。島から今度は能登島大橋を渡り、和倉温泉ゴール。
景色はいいけどかなりハードなコース。このあたりほとんど民家がない。応援は期待できない。
決め手は参加者数。
応援がなくても、自分の前後にランナーがたくさんいると、それだけで心強い。ワンウェイコースであることも考慮に入れると、フルだけで最低1000人はほしい。できれば、2000人を目標にするくらいのつもりで募集をかけてほしい。ただ、今回のハーフ申込者が419人ではちょっとむずかしいかな。
来年のリニューアル初フルには、ぜひ出てみたい。ただ、篠山とのフル2連チャンになってしまう。若いころには経験したが、この歳でだいじょうぶかな。
後片付けが終わったあと、久しぶりに「能登島水族館」に行った。子どもが小さい時、大急ぎで片付けて行っても少ししか見る時間が残っていなかったのに、今年はゆっくり見ることができた。後片付けがじょうずになったのかな。
「廉が、この水槽の段から落ちて大けがしたこともあったなあ。(14年前)」とか言いながら、人の少なそうな所をえらんで見てまわった。
楽しみにしていたパンダイルカ (イロワケイルカ)は、水槽が板でおおわれていた。死んでしまったんや。かわいそうに。
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2008年03月08日(土)
さたみや旅館 [宿情報]
石川県七尾市の駅のすぐ南。
「さたみや旅館」さんは、うちの子が生まれる前からお世話になっている。
3月第2日曜は、地元京都でハーフマラソンが開催されている。(7000人参加)
本当はこちらで出店させてもらえれば楽なのだが、いろいろ事情があって入れてもらえない。
この日は、石川県能登半島・旧中島町(現在七尾市)で「なかじま万葉の里マラソン」が行われている。そこには、もう14年前から出店させてもらっている。
昔は、本当によく売れた。近くにランニング用品専門店がないせいか、この大会のうちの出店テントで一年分の調達をするというお客さんも多かった。
ただ最近はかなり売り上げが落ち込み、遠くてしんどい割りに合わんなという感じになってきていた。
それでも行き続けているのには、わけがある。
「さたみや」さんに泊まるのが、とても楽しみなのである。
20年近く前、まだ私たち夫婦には子どもがおらず、子どもがほしいという気もちもあまりなかった。その時、偶然泊まったのがこの「さたみや」さんである。当時は、ねこちゃんがいっぱい、ワンちゃんもいて、こっこちゃん(にわとり)までいた。
そして、かわいいかわいいちっちゃい子が3人。たぶん、6、4、2歳くらいだったのかな(女、男、女)。うちのヨメさんは、この子らといっしょにおふろに入り、その時初めて自分も子どもを産んでもいいかなと思ったらしい。初対面のお客さんに体を洗ってもらっている子どもたちが、かわいくてかわいくて。
3人の子たちとヨメさんがいっしょに写った写真は、今も大事にとってある。写真の日付は90年9月。昔あった七尾城山マラソンか、それとも珠洲トライアスロンの帰りに泊まったのか。
とにかくこのかわいい3人は、私たち夫婦にとって「運命の天使?」。
毎年、ここのお料理はすごい。いつも食べきれない。
特に去年は、私が原因不明の嚥下障害になってしまい、ものが飲み込めなくなって困った。超レアものの「しらうお」が出てきて、これにはまいった。ピチピチの元気な魚が、私ののどの前でのたうちまわっていた。「はよ、飲み込んでくれー」 「むちゃゆうなー」
今年は、いきなり蟹が一人一匹ずつ。お鍋はあるわ、お刺身はあるわ、牡蠣が出てくるわ、焼き魚もあるわ、・・・ここは竜宮城?
奥さんが、「ブログ見てます」って言ってはったけど、変なこと書かれたら困ると気を使わはったのかな。いや、それはないな。毎年毎年、竜宮城やもんな。
とにかく、動けへんくらいお腹いっぱいにさせてもらった。全部、すごくおいしかったです。どうもごちそうさまでした。
あっ、ひとつものすごく大事なことを書き忘れていた。
ここの奥さん、私らが知ってる旅館のおかみさんの中で、一二を争う美人です。美人でもあり、かわいい感じの人でもあります。
写真を撮らせてください、とお願いしたのですが、「お化粧もしてないし・・・」と断られてしまいました。残念!
能登半島方面へご旅行されるみなさん、ぜひご宿泊は七尾市の「さたみや」さんへ。
(お話をお聞きしていると、どうもうちの夫婦とさたみやさん夫婦はそれぞれ同い年に近いようです。)
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「シンガポール?」 [家族]
今朝、廉が旅立った。
と言っても、高1全員が参加する研修旅行である。
4泊5日のシンガポール行き。
朝6時半学校集合だったので、家を出たのは5時50分ごろだった。私ときくに見送られ、母親の車で学校に向かった。
学校に着くと、みんな海外旅行用の大きなバッグをガラガラと引いていたそうだ。「合宿用のバッグで来てる子がいるかなと思ったけど、それは見かけんかったなあ。」と妻の言葉。「私が見た限りでは、全員サムソナイト系。みんな買い揃えてはんにゃなあ。高1の旅行で、あれはどうかな。」(うちの廉は、アシックスのバッグです。)
また、学校側から任意保険の加入を強調されていたことも、妻の不安(不満)をあおっていた。「そんな危険なとこの旅行、設定自体がおかしいんちゃうん?」
ぐっと話がとんで・・・、その日の夜。
毎年泊めていただいている、石川県七尾市「さたみや旅館」の奥さんとの会話。
「今年は、息子さんは?」
「今日から、シンガポール行ってますねん。」
「シンガポール?」
「なんかね、研修旅行とかゆうことで、高1全員が行くみたいです。」
「そうなんですか。でも、どうしてシンガポールなんでしょうね。」
「京都の高校は、シンガポールとかマレーシアとかその辺行くのがはやってるみたいです。ほんま、何しに行くんか、親のほうもようわかってへんのですけど・・・。」
「シンガポールだったら、費用もかなりかかるでしょう? 積み立てとか・・・。」
「そうなんですよ。そんなに無理してまで行かなあかんとこかなとも思うんですけどね。」
「たいへんですね。」
確かに、この旅行に費やす金額はたいへんなものである。
子どもが目的意識を持って、「どうしても行きたい」と言い出した所なら、惜しくもない。しかし、学校の決まりに従って行く旅行って、高校生に必要? それも、行き先がシンガポール? どうも、合点がいかん。
「シンガポールって言われても、全然思いつくもんがないんやけど・・・。」と廉に言うと、
「とにかくいろいろ決まりがあって、それを守らへんかったらめちゃくちゃ罰金取られるらしいわ。」
そんな国、行ってみたいかい?
そんな国になってしもたんは、何が理由? せめてそれくらいはさぐってこいよな。
とかなんとか言いながら冷静に考えてみると、シンガポールが気に食わん理由がちょっとわかってきた。その理由は、私の出る幕が全然ないことだった。他のアジアの国なら多少とも「その国はなあ、どうたらこうたら・・・」と言えたのに。シンガポールではなあ、全然さっぱり。まいりました。
でもひとつだけ、言っときゃよかったなあと後悔してることがある。「シンガポールの人の顔をしっかり見てこい。」と。
私自身は、人の表情を観察することほどおもしろいことはない、と思っている。だまって人の顔をじっと見ていても、全然あきない。相手が日本人なら、そこから会話が生まれてくる。シンガポールの人ならどうだろう。失礼な、と言って怒られるのかな。
とにかく、4日後、「楽しかったわー」と言って元気に帰って来てくれたら、それ以上ゆうことはない。
(廉が、私のデジカメをシンガポールに持って行ってしまいました。写真は旧作か、ヨメさんの携帯の写真になります。)
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2008年03月07日(金)
「ぽち」 〜シリーズ・ご近所犬2〜 [わんこ・にゃんこ]
去年の5月ころから、きくの散歩は長代川沿いを往復している。
しかし、去年の12月、この川の右岸に広い道路を付ける工事が始まった。
私ときくが大好きだった、ニレの大木も切り倒されてしまった。いっぱいあった柿の木も、全部切り倒されてしまった。楽しい散歩道が、殺風景な平坦な土地に変わってしまった。
でも、新しい発見もあった。
長代川沿いが通れないため、少しコースを変えると、新しいワンちゃんに出会えた。そのワンちゃんは、柴犬で、広い庭に長いロープでつながれている。
「おはようさん。」
家が道のちょっと上なので、きくをだっこして毎朝あいさつしている。前はほとんど反応がなかったが、このごろは「ワワン」とあいさつを返してくれる。
ある日、いつものように、「おはようさん」と言っていると、「中入って、かもたって」の声。私より少し年上の男の人(たぶん、そのお家のおじいちゃん?)。
「ワンちゃんのお名前は?」
「ぽち、です。」
(ぽち! なんて、なつかしい名前。)
ここらへんでも大雪が降った2月13日、「おはようさん」と何回も言ったのにワンちゃんが出てこない。「おかしいなあ」ときくちゃんに言いながら歩いていると、発見!
あのワンちゃんと、若いお父さんと3歳くらいの男の子。3人が、雪の上を楽しそうに歩いている。お父さんの手には、ソリが。
きっと、こんなこと言ってたんやろなあ。
父「○○、雪いっぱい積もってんで。ソリしょっか。」
子「うん!」
父「ぽち、おまえも行くか?」
ぽち「ワワワワン! (うれしてたまらん。)」
その時は、いい感じの親子やなあ、と遠目で見ていました。
そして、今日。
今日もぽちは留守。
「散歩かな」と思ってたら、ぽちらしきワンちゃん発見。でも、乳母車を押している女の人がいっしょ。
そばまで行くと、ふせのポーズ。ぽちに、まちがいない。
「ぽち、ですよね。あそこの家に、いつもつないである・・・。」
「はい、そうです。」
その方のお顔を見て、はっとした。なんて、おきれいな。あなたは、ミス岩倉? は言いすぎとしても、ミス幡枝と言っていいぐらいの上品なお方。
さすがに、「写真撮らせてもらっていいですか?」は、よう言わんかった。
仲が良さそうなご夫婦に飼われている、ぽち君。本当に幸せそうやね。あの二人のちっちゃい子も、きっと動物を大事にする子に育ってくれるよね。
ぽち君、うちのきくもよろしくね。
( ぽちの飼い主さんは、?さん。レストランを経営されているようです。)
◎後日わかったこと。
ぽちの飼い主さん(若い奥様)のことを、ミス幡枝と表現しましたが、たいへん失礼しました。
お子さんを幼稚園バスに乗せられる時にお見かけしたのですが、元ミス京都と言っていいくらいの美人なお母さんでした。(散歩の時はめがねをかけられていて、そこまで気づきませんでした。)
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2008年03月05日(水)
ある学校の「校長先生のお話」 [学校]
もう20年以上も前の話になるが、「まるむし商店」という漫才コンビが一世を風靡した時があった。磯辺校長・東村体育教師がかけあう「校長先生のお話」は、ワンパターンなのに何べん見ても涙が出るくらいおかしかった。
「注目! 磯辺校長先生に注目! 我が校では、このたび○○○○することになりました。つきましては、校長先生よりお話があります。みんな心して聞くように。では、校長先生よろしく。」
「えー、皆さん」
「ほらそこ! 話すな! 今、校長先生が話してるやろ! 静かにしとけ! では、校長先生よろしく。」
「えー」
「ほらそこ! よそ見すんな! 今、校長先生が話してるやろ! ちゃんと聞いとけ! では、校長先生よろしく。」
「えー」
「ほらそこ! 何しとる! ○○! ○○! かんばやし! 」
「えー」
「コラッ!」
「うるさいなあ君、私がしゃべれないでしょうが。えー、皆さん、我が校では、このたび○○○○することになりました。これも皆さんの応援があってのことだということを、先生、知っています。」
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2008年03月02日(日)
第28回篠山ABCマラソン [ランニング・出張販売]
私の初フルマラソンは、1982年2月の勝田マラソン(茨城)。
当時26歳。大原小学校百井分校で、1年生1人・2年生1人の複式学級の担任をしていた。
そのころ、テレビで脚光をあびていたのが増田明美さんだった。あの人のインパクトは、強烈だった。小さい体で日本新を連発。そして、顔はブツブツだらけ。何か神がかりのような、もののけにつかれているような独特のふんいきがあった。
あの子があんな楽々と走ってるんやったら、自分も絶対走れるはず。そういう思いがきっかけで、その年の正月から走り始めた。 ( このころ走り始めた人は、絶対増田明美さんの影響やと思っていたが、周りの人に聞いてみたら、そんな人は全然いなかった。)
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