2009年04月01日(水)
4月1日は、ナリケン記念日 [私の好きな人]
ナリケン、元気かい?
静岡に引越しちゃったけど、友だちはできた?
4月1日はエイプリルフールやけど、去年のこの日にナリケンのことをブログに書いたので、私にとってこの日は「ナリケン記念日」。
転校先の中学でも野球部に入ったってメールをくれたけど、今年は試合に出られそう? 見には行けへんけど、本気で応援してるし。
2月の沖縄旅行みやげ、まだ送ってへんかった。ごめんね。(絶対、明日送る!)
うちのヨメさんから、「ブログに家族のことを書くな」ときつく言われているので、残念ながら真樹のことは書けません。
でも、私が時々「ナリケンは・・・」と話題にすると、笑って聞いている。
また、どこかで会えたらいいね。
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2009年03月24日(火)
三宅愛子さんからのお手紙 [私の好きな人]
昨日、三宅誠孝さんの奥様・愛子さんからお手紙をいただいた。
2月7日のお別れ会のビデオと、印刷された「ご挨拶」、それに手書きのお手紙が添えられていた。私信は公表しないのがルール。分かってはいますが、1行だけ紹介させてください。
「・・・これ以上書くと涙が出ますのでこれで失礼します・・・」
この1行で、こちらが泣けてきました。
うちのヨメさんがその部分を見て言った。「愛子さん、本当に愛してはったんやなあ。」
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印刷された「ご挨拶」の中には、三宅誠孝さんが肌身離さず持ち歩いておられた紙片の内容が披露されていた。(これは、公開させていただいてもよろしいでしょうね。)
「忠怒の精神」 (まごころをつくし他人を思いやる)
人至愚といえども人を責むるときはすなわち明らかに
聡明有りといえども己れを怒するときはすなわち昏(くら)し
ただ常に人を責むるの心もて己れを責め
己れを怒するの心もて人を怒せば聖賢の地位に到らざるを患(うれ)えず
(訳)どんなにバカな人間でも他人を批判する時は頭の回転がよくなり どんな利巧な人でも自分のいたらなさに対して寛大になる(范純仁「言行録」)
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たぶん、どなたもご存じないであろうエピソードを・・・。
もう7、8年前になるでしょうか。三宅誠孝さんがまだ市会議員さんだったときの話。
京都ロードレースに「京都キャロット」が出店しており、夫婦そろって5kmレースに出ることになった。店番は、まだ小さい廉と真樹。「困ったなあ」とあたりを見渡すと、三宅誠孝さんと目が合った。
この際、頼むだけ頼んでみよう。「20分ほどしたら帰ってきますので、店番を・・・」
三宅誠孝さんは、ニコッとしてすぐに引き受けてくださった。
本当に5kmを20分ほどで走り、「ハアハア」言いながらうちのテントに戻ってきた。
「藤井さん、ソックスとグローブ、売っときました。」
あの人懐っこい照れくさそうな笑顔で、そうおっしゃった。(私は、あの笑顔が大好きです。)
「シューズのことで質問されてた方があったんですが、『私では分からないので、またあとでもう一度来てください』と言っておきました。」
あの時は、さすがのあつかましい私も、「あー、現役市会議員さんにただ働きさせてしもうたばい!」と思った。
2時間近くあるビデオは、まだ最後まで見られていない。 三宅誠孝さんは元市会議員さんであるので、当然、所属の共産党関係の方のごあいさつが多かった。
しかし、ちょうど真ん中あたりに親友・高石ともやさんが登場。「陽気にいこう」のモットーのとおり、このような場でも終始笑顔を絶やされなかった。これぞ、大人です。
ただ、思い出話を語られるとき、何回も何回もあごに手をやっておられた。あんな高石ともやさんを見るのは初めてだった。まるで、「こみ上げてくる涙、ここらでとどまってくれ」と念じておられているかのように。
前にも書いたが、三宅誠孝さんを嫌う人はいないと思う。そんな人は信じられない。せのお直樹さん(市会議員)がおっしゃっていたように、三宅誠孝さんは、初対面で「強烈な好感」を感じる人です。
あとにも先にも、私が尊敬できる人は、三宅誠孝さんただ一人。これから先も、ずっと勝手に尊敬させていただきます。
私が一番覚えている三宅誠孝さんは、走っておられるときの笑顔。
私は、「死んだらすべておしまい」だと思っています。だから、天国から三宅誠孝さんが見てくれているとは思わないようにします。
ただ、万一見てくださることがあっても恥ずかしくないように、一番の教え「平和を守る」ことだけは忘れないでいたい。
これからも、走っているとき、時々空を見上げます。
「空の雲が、三宅誠孝さんに見えたらいいのになあ。」
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2009年02月05日(木)
大塚正美さん [私の好きな人]
前にも書いたが、私が歴代のランナーで一番好きなのは小鴨由水さんである。しかし、それより前に初めて「かっこいい」と思ったランナーが大塚正美さんだ。
この人を知っている人は、「つう」。そして、この人のランニングフォームがほれぼれするほどかっこいいのを知っている人は、「つう中のつう」。
大塚正美選手は、日体大時代、1980年から4年連続で箱根駅伝の区間賞を取った(8区、5区、2区、2区)。この間、チームも1、2、2、1位。彼は、80年代前半を代表するランナーと言っても過言ではない。
大学当時のレース中の写真がないかと探してみたが、残念ながら見つけられなかった。
「かっこいい」だけではよく分からないとは思うが、とにかくかっこよかった。
まず、ダイナミック。そして、そのフォームが決してくずれない。私の覚えているイメージでは、つま先が前に素早くきれいに出ているという印象だ。
当時は、「こんな走りがしたい」と思いながら走っていたことを思い出す。
いまごろ、なんでこんな話題を出してきたかと言うと・・・。
最近、「とかしき島マラソン」対策として坂道をよく走っている。
平坦地は小鴨さんのゆったりしたフォーム、上り坂は中村彦四郎さん(京都走ろう会)からアドバイスを受けた「ストライドをよくばらない」フォームを意識して走っていた。ところが下り坂にいいイメージがわいてこない。そんなことを考えながら走っている時に思い出したのが、大塚正美さんの華麗なフォームである。
走りながら自分のつま先が見えるくらいに・・・。
今度の「とかしき島マラソン」は、小鴨由水さん、中村彦四郎さん、大塚正美さんをイメージしながら走ろうっと。まあ似ても似つかんやろうけど、気持ちだけは・・・。
大塚正美さんは、日体大卒業後はあまり活躍できなかった。
しかし、現在、城西国際大学の女子駅伝部監督を務められている。もしどこかでお会いできたら、「ファンです」と告白しよう。
☆「ロード・トゥ・トカシキ」20日目
今日は、最後のスタンダード。
きくとの2kmスロージョグ。
このごろゆっくり散歩が続いていたので、きくはアホポン犬に戻ってしまっていた。シッコ、立ち止まり、においかぎの連続。おまけに、スタートして300mほどでウンコ。このあと1.7km、ウンコ持ってラン。
鉄アレイを持って走っている人は時々見るが、こんな負荷をかけて走っている人はめずらしいのでは。
けっきょく、15分49秒もかかってしまった。
でも、きくちゃん、今までようつきあってくれた。明日から4日間パオパオはおらんけど、忘れんといてや。
そのあと、いつもの3kmペース走。
雨がきつくなって、ペースが乱れそうだったが、「神経足音に集中の術」でまずまず走れた。
家に着き、時計を見ると、16分33秒。3秒差。「これって、優勝?」
3km申告タイムレース、優勝。
10km50代、優勝。
「パオパオ、かっこよかったで。走るって、気持ちいいことやなー」と、真樹がニッコリ。
お気楽ランナーの幻想はまだまだ続く。
今日は、2km+3kmで5km。
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2009年01月26日(月)
真柴先生から牡蠣が・・・ [私の好きな人]
「もしもし、おいそがしいところ恐れ入ります、京都の藤井と申します。そちらにみよ子さんいらっしゃいますでしょうか。」
「ああ、こうじくん。」
「あっ、先生、ご無沙汰しています。今日、牡蠣届きました。すいません、気を使ってもらったみたいで。しょうもないもんしか送ってないのに、いいものいただいて・・・。」
真柴みよ子先生。
私が小学校中学年の時(9〜10歳)、低学年の担任の先生だった。小学生の私から見ても、とてもかわいい先生だった。
京都から長崎のお寺に嫁がれ、しばらく教師を続けられたが、しばらくしてお寺のお仕事をされるようになった。
2年前、私の母校(真柴先生の新採での赴任校)が閉校になることが決まり、その時にお電話させていただいた。話をするのは40数年ぶり。それでも、昔とまったく変わらず明るく元気なお声だった。うれしかった。何年たっても、好きだった先生は今も好き。担任じゃなくても、いい思い出は大事にしまってあります。
2年前にお電話させていただいて以来、真柴先生が出しておられるお寺だよりを送ってもらっている。そのお礼の意味をこめて、私が出張販売の時に買ってきたおみやげなどをまとめて送らせてもらった。そのお返しが、この牡蠣である。
先生は、「ほんとに、おいしいよ」とおっしゃっていた。「つまらないものですが・・・」と言われるよりずっとうれしい。
家族四人、おなかいっぱいになるくらいいただいた。おいしかった。
うちはみんな、牡蠣が大好き。どうして、先生、それが分かったのかな。
電話では、お礼を言うついでに、うちの悩み事も聞いてもらった。
さすが元先生、アドバイスが幅広い。「こんなことも考えられるし、こんなこともできると思う」というふうにいろいろな面から分析してくださる。これもうれしく、心強かった。
40年以上一度もお会いしていない先生でも、慕って相談させてもらったら親身になって聞いてくださる。こんな先生、今おられるのでしょうか。
真柴先生、ありがとうございました。先生と話させていただいて、ちょっと展望が見えてきました。
「あわてなくてもいいよ。じっくりかまえて見守ってあげればいいよ」というお言葉、肝に銘じてこの先やっていこうと思います。
また、お話させてくださいね。
(真柴先生は、今は中山さんというお名前になっておられますが、旧姓のままで書かせていただきました。うちの子どもたちに真柴先生のことを説明する時は、『まあ、今でゆうたら長澤まさみのイメージかなあ』と言っています。ほんとにチャーミングな先生でした。)
☆「ロード・トゥ・トカシキ」10日目
今日も夕食後、きくと2kmスロージョグ。16分42秒。
牡蠣をおなかいっぱい食べ、まだ30分ほどしかたっていなかったので、走るのはつらかった。
きくは、割と立ち止まりが少なく、そういう意味では走りやすかった。きくも、日によって全然ちがう。けっこう気まぐれ犬です。
やっぱり、またウンコをしました。これを持って走るのはつらい。
家にきくとウンコを置いて、3kmコースへ。
やっぱり、今日は体が重い。それでも、16分55秒やからいいか。キロ5分半ペースが身についてきたね。
「とかしき島マラソン」で、3km申告タイムレースと10km50歳代の部のダブル優勝もあるかも。(って、あまりにもお幸せもん?)
けっきょく今日も合計5km。
今日、思ったんやけど・・・。
犬は、キロ何分ペースくらいからランになるんやろう。
今私と走っている限りでは、どう見ても速歩き。全部の足がも空中に浮くのは、キロ5分を切るくらいからかな。
きくの写真を撮り、きくの観察をしながら、毎日楽しく走っています。
今日、真樹と二人きりになった時間があったので、ちょっとしゃべってみようと思った。
「真樹、パオパオと母ちゃんと相談してたんやけどなあ・・・」
そこまで言うと、真樹の顔がスーとあおざめていった。あっ、この顔、どこかで見たことがある。そう、子どもが大人に対して警戒する時に見せる表情。もう、この話はやめ。
話題を変えてっと。
「真樹、パオパオかていつ死ぬかも分からんし、親孝行しとかなあかんで。親孝行やと思って、沖縄いっしょに行こうか。」
「絶対、行かへんし・・・。」
「まあ、そう言わんと・・・。」
とかしき島への道は、まだまだ遠い。
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2009年01月23日(金)
三宅誠孝さんが・・・ [私の好きな人]
ついさっき知りました、三宅誠孝さんがお亡くなりになったことを・・・。
数日前から、私のブログのリンク元を見てみると、「三宅誠孝」で検索している人が異常に増えていました。まさかとは思っていたのですが・・・。
検索して一番に出るのが、パオパオだより「三宅誠孝さんは元気です!」の記事。見ていただいたみなさん、本当に申し訳ありません。三宅誠孝さんは、1月17日の夜、ご自宅で息をひきとられました。
私がこのことを知ったのも、リンク元をたどっていき、共産党の議員さんの活動日誌を見て初めてという状態でした。
(その記事を転載させていただこうと思って、現在連絡中です。許可が出れば、ここに紹介させていただきます。・・・ご本人の了解が取れました。)
◎せのお直樹さん(日本共産党 京都市会議員・西京区)の「活動日誌」より
2009年01月19日
さよなら、三宅誠孝さん
三宅誠孝さんの訃報が届いた。昨日17日、午後8時過ぎに72歳で逝去された。三宅さんは、1983年から2003年まで5期20年市会議員を務められ、私は12年間、ごいっしょさせて頂いた。
三宅さんとのおつき合いは古く、私が京都市聴覚言語障害センターに務めていた際、左京の手話サークルに三宅さんが通っておられた時から。25年以上になる。三宅さんが市会議員になられた当時からということになる。お目にかかった際も、三宅さんは決して出しゃばることなく、極自然に周囲にとけ込んでおられ、おかしな表現かも知れないが、その姿に「強烈な好感」を覚えたものだ。3日前の私の活動日誌で宣伝の仕方に触れ、「『人は大きな音には耳をそむけるが、小さな音には耳を傾ける』とは先輩議員だった三宅誠孝さんの名言。心がけるようにしている。」と述べたが、三宅さんの言葉には、含蓄があった。
仲間に対する底知れぬ優しさを持った不屈の人、三宅誠孝さん。心からご冥福をお祈りします。
私がジョギングを始めたいと話した時、イラストまで描いて、どんな靴がいいのか教えてくれた。その知識をもとに買った靴を、今も大切に使っている。その靴で、今年はハーフマラソンくらいに挑戦してみようかナ
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私のこのブログにも、三宅誠孝さんは何度も登場していただきました。
「京都ランナーズ例会+定期総会」 2008.4.13
「勝手にエール、高石てるえさん、三宅誠孝さん」 6.6
「第16回みかた残酷マラソン」 6.8
「高石ともやさん」 6.10
「高石ともやさんと家族」 11.20
「三宅誠孝さんは元気です!」 11.21
「福知山マラソンツアー・懇親会」 11.26
もしよろしければ、見てください。
私は、三宅誠孝さんと深いお付き合いをさせていただいていたわけではありません。私より先に京都ランナーズに入っておられた奥様の愛子さんを通じてお知り合いにならせていただきました。(会員番号でいうと、14・三宅愛子さん、20・私、23・三宅誠孝さんです。)
当時、三宅誠孝さんは左京区選出の市会議員さんでした。いい意味でものすごく普通ぽく、「ほんとに議員さん?」と思ってしまうくらい私たちのなかに溶け込んでおられました。でも、とても話がおもしろくて分かりやすく、手話ができる議員さんというのにはびっくりしました。
「何事にもまじめに取り組み、決しておごらない」
私が持つ三宅誠孝さんのイメージは、これです。
日本共産党に対して偏見を持っている人がまだまだ多いようですが、そんな人は三宅誠孝さんに会って話してみてほしかった。話せば、きっと考えが変わったと思います。
私は、「ご冥福をお祈りします」とはなかなか言えないです。人間、死んだらおしまいだと思っているから。
三宅誠孝さんも、それに近い考えだったかもしれません。だからこそ、2007年8月までの命と宣告されたのに、1年半近くも命を延ばされたんでしょう。強靭な生命力には敬服します。見習いたいです。
みかた残酷マラソンで、三宅誠孝さんと高石てるえさんへの応援メッセージをのぼりにしてつけて走ったら、「選挙の応援みたいやねえ」とてれておられましたね。
11月、ご自宅にお電話をさせていただいた時、最後に言われたのは「早く元気になって、高石ともやさんのマネージャーの仕事に復帰せんならんと思ってるんです」。
私は、本当に復帰されるものと思い込んでいました。残念でなりません。
前にも書きましたが、私が唯一「尊敬できる人」。それが、三宅誠孝さんです。でも、もうおられません。
お亡くなりになる前に、私が「憲法九条の会」に入ったことをご報告できたこと。それだけでもよかったです。
三宅誠孝さんが歩んでこられたことに比べたらそれはほんの豆粒みたいな小さなことでしょうが、「微力ではあるが無力ではない」と自分に言い聞かせ、平和を脅かす勢力に対しいつまでも敏感でありたいと思っています。
三宅誠孝さん、どうか私たちを見守ってください。
☆「ロード・トゥ・トカシキ」7日目
今日は、廉がいっしょに走ると言っていたので期待していたが、けっきょく来なかった。
きくと、2kmスロージョグ。昨日はかしこなったと思っていたのに、うそでしたー。シッコ、立ち止まりの繰り返し。おまけに大ウンコこいてくれはりました。
スーパーのビニール袋にウンコを入れ、2km走りきった。腰のベルトにくくりつけたウンコ袋が、体にポンポン当たり・・・。
くっそー。昨日きくが立ち止まらんと走ったんは、雨にぬれるのがいややっただけのことか。だまされたばい。
北稜高校前で思い切り引っ張ったら、また首輪がスポッ。今日はハーネスにすんのん忘れてたー。逃げんで、よかったー。
15分36秒。ウンコぶらさげランは、きつかった。
また、きくを置いて3kmコースへ。
昨日、雨の中速く走りすぎたので、今日は慎重に修正。折り返し1.5kmが8分11秒。いいんじゃないの。
走りながら、三宅誠孝さんのことを考えていた。
私が一番に思い出すのは、以前宝ヶ池行われていた6時間走の時の姿だ。初めから終わりまで、変わらぬ笑顔で走り続けておられた。
私は、三宅誠孝さんのしんどそうな顔を見たことがない。ふしぎな人だった。最後もしんどくなかったらよかったんやけど、どうやったんやろう。
最近の話だが、三宅誠孝さんとちょっと話す機会があった。
話題はどうしても京都市のトップのK氏のことになった。 「彼のお父さんは宗教者として立派な方で、いつも我々が推す知事や市長を応援してくださっていた。民主的な考えの持ち主でした。
ところが、その子が我々と正反対のところから担ぎ出され、今トップにいるとはねえ。」
三宅誠孝さんは、いろいろなことを知っておられる。嘆きの部分だけでなく、もっともっと聞き出しておけばよかった。心残りです。
今日の午後ブログを書いている時もそうだったが、走りながらも思い出すのは三宅誠孝さんの笑顔ばかりなのに、涙が止まらない。それは、絶対に絶対にもう会えないからですね。
ほんまに死んだらしまい。生きているうちに出来ることは、なんでもしよう。そう思う。
家に着いたら、16分37秒。目標タイムと7秒差。
今日は、これで十分です。
2km+3kmで、5km。
当分の間、三宅誠孝さんのことが頭から離れそうにない。
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2008年12月26日(金)
再見、ナリケン! [私の好きな人]
「 再見(ツァイチェン)、ナリケン! 」
4/1のブログで紹介した、私の大好きなナリケン。そのナリケンが引っ越ししてしまう。
今日、去年の担任のT先生が真樹を心配して家に来てくださった。その時、去年真樹と同クラスだったナリケンが引っ越すことを知らされた。
「えー」
学校行事のたびに、ナリケンに会えるのが楽しみだったのに・・・。生まれながらのエンターティナー、ナリケン。授業参観も、真樹のクラスではなくナリケンのクラスを見たろかいなと思ってたくらいやのに。
T先生の話によると、もう今日が最後とか。
えらいこっちゃ、会いに行かんと。
晩ごはんを食べたあと(8時過ぎ)、ナリケンちへGO!
地下鉄「国際会館前」駅付近をウロウロ。
たぶんここやろと思われるマンションに入ると、○○の表札。「あったー!」
「(ピンポーン) 遅くからすいません、○○さんのお宅ですよね。」
「はい。(やや不安げな声)」
「○○中学校2年の藤井真樹の父です。○○君が引越しされると聞いて、お話したくて・・・。」
「はい。ちょっとお待ちください。」
しばらくして、玄関のドアを開けて出てきてくれたのはご当人・ナリケンだった。
「こんばんわ。」
「あっ、今日、T先生からナリケンが引越しするって聞いて。あわてて、来たんや。ジョーシンで阪神のユニフォームガラのカバンもらって、前から真樹にナリケンにあげってゆってたんやけど、そのままになってて。これ、もらってくれる? (ナリケンは、阪神ファンです。)」
「ありがとうございます。」
「それから、これな・・・」
話している途中、お母さんも出てこられた。
「すいません、おじゃましてます。今うちの子、ちょっと学校休んでまして、心配して去年の担任のT先生が家に来てくれはったんです。その時に、ナリケンが引っ越しするって教えてくれはって。いやー、これは会いに行かなあかんと思って・・・。」
「ありがとうございます。よくいっしょに遊ばせてもらったみたいで・・・。」
「いえいえ、こちらこそ。うちの子、小さな小学校から一人で大きな中学校に入って、不安な時にナリケンによくかまってもらったみたいで。去年の4月5月ころは、毎日ナリケンの話してたんですよ。」
「そうなんですか・・・。」
「うちの子、クラスでも一番小さいくらいで、ナリケンと並んだら親子みたいやったんですよ。今年のクラスも女子では一番低いんですけど、男子にちっちゃい子がいて。野球部の・・・」
「アサちゃん・・・」
ナリケンがニコッとして言った。それまで、まるで先生に叱られている生徒のようやったのに。
「お母さんに怒られるかも知れんのですけど・・・。
ナリケンのこと、私のブログに勝手に書かせてもらったんです。
4月1日『ナリケン』、7月12日『洛北中野球部、悲運のボールデッド』、10月2日『中学校体育祭』と3回も。プリントアウトしたのを持ってきたので、また読んでください。」
「その体育祭の写真は見ました。主人がパソコンで、『ナリケン』で検索していたら当たったみたいで。」(わが子の写真にことごとく失敗したのに、なぜかナリケンのガッツポーズのゴールはうまく撮れていた。)
「そうなんですかー。(ふむふむ)」
私のブログに、「ナリケン」でアクセスしていたのは、お父さんやったのか。納得。
「引っ越さはっても、ぜひ京都に遊びに来てくださいね。」
「ありがとうございます。娘さん、お大事にしてあげてくださいね。」
「すんません、心配していただいて。体はピンピンしてるんですれど、クラブが続けられんようになったショックが大きかったみたいで・・・。心のほうが・・・。」
「分かります。はげましてあげてください。」
「ほなな、ナリケン、またどこかで。名刺渡しとくし、メールしてな。」
「ありがとうございました。」
阪神ユニフォームがらのカバンと、なぜか「のとじま水族館」みやげのグネグネ鉛筆(これも、ずっとあげようと思って渡せていなかった)、北京オリンピックみやげの黄色のシャーペン(ナリケンは今年の体育祭で黄組だった)、そしてなぜかチェルシーのアメ一袋(おばはんくっさ)を渡して別れを告げてきた。
家に帰ると、早速ナリケンから携帯にメール。私が会いに行ったことをよろこんでくれたようだ。うれしいなあ。すぐに返事。
「藤井パオパオです。今日は突然おじゃまして、すみません。お母さんもびっくりされていたでしょう。
ひとつだけ残念なのは、ナリケンの野球の試合が見れなかったこと。今度の中学校では部活どうすんの? 野球やってほしいなあ・・・。
それから、今日のことをブログに書こうと思っています。イケメン・ナリケンの似顔絵つきでね。」
ブログを途中まで書き、寝ようとした時、真樹が話しかけてきた。
「パオパオのブログ、見ていい?」
わりとしっかり読んでいた。やっぱり、ちょっとは気にしてたんやな。パオパオについてきたらよかったのに。
「パオパオ、『ツァイチェン』って、なに?」
「ああ、それな。中国ではな、お別れの時『さよなら』って言わへんねん。『また、会いましょう』って言ってお別れすんねん。それが、『ツァイチェン』や。いいやろ。」
真樹も心の中で言ってほしいな。
「再見、ナリケン!」
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