パオパオだより

2008年04月01日(火)

ナリケン [私の好きな人]

 今日は、エイプリル・フール。
 この日のブログはみなさん苦労されるのでは。何を書いても嘘っぽくて。
 それなら私は逆手を取って、嘘のような本当の話を書きます。

 ずっと前から、ブログに書きたくてたまらない人がいます。
 その人の名は、「ナリケン」。今、中1、13歳です。(あまりくわしく書くと、個人情報保護法にひっかかりそうで心配です。)

 その彼に、去年12月18日、手紙を書きました。
 「ん? 52のおっさんが、13歳の少年に手紙?」
 (読みたくなりません?)

 

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○○○○君
   いろいろとありがとう。

―私が考えた10年後の話―

私「きょう、タイガースの新人入団発表あったやろ。あの中で、めちゃくちゃ堂々としてたやつおったやろ。見た?」
 「あーあーあー、おったおった。何かでかいやつやろ、体も態度も。」
私「そそそ、あいつなあ、うちの娘の中学校の時の同級生やねん。」
 「そうかー。あんたとこの娘さん、もうそんな大きなってはんの?」
私「そやねん。体はチビやけど、もう23歳やねん。わらうやろ。」
 「ほな、あの○○ちゅうやつ、京都出身か?」
私「京都も京都、家は国際会館駅から歩いて三歩、ゆうとったで。」
 「歩いて三歩?って・・・、どやねん。」
私「そうゆう人くったようなこと言うのん好きなやつやったみたいやで。入団発表の記者会見で、ゆうとったやん。『大リーグのタイガースに入団が決まったと思ってました。へたこいたー。』やて、10年前の小島よしおのギャグやん。」
 「え、だれ、それ?」
私「ままま・・・。
 でもな、あいつ意外とかわいいとこあんねんで。10年前のおれの誕生日にな、プレゼントくれてん。娘の同級生やけど、一回もしゃべったこともないのにやで。
 なんかな、あいつの誕生日に娘がプレゼントあげたんやけど、ちょっとはずかしかったみたいで、『うちのおとうさんからのプレゼントやし』とかゆうたみたい。
 それをちゃんとおぼえてくれてて、おれの誕生日にお返ししてくれたんやな。
 律儀なやっちゃ。
 12月のめっちゃ寒い時やったんやけど、何くれたと思う?
 すずしげな半ソデのポロシャツですわ。さわやかな真夏にはえるライトグリーンのね。
 おれのちっちゃい時、あの色はうぐいす色ゆうてな、唯一のよそ行きのセーターがあの色やってなー。運命やなー。」
 「運命って、何が?」
私「あのころようゆうとってん。○○君はぜったい大物になるでって。顔が大物の顔やもん。てゆうても、娘やヨメはん『意味わからんし』の連発やったなあ。」
 「確かに意味わからんし。まあ、でも、先見の明あったやん。」
私「初めて中学入学後のクラス写真見た時、ガーンとショック受けたんや。えっ、こいつほんまについこないだまで小学生? うそぴょん? 先生より風格あるし。」
 「えっ、中1からあの顔かいな。」
私「そやねん、全然かわってへん。
 一回、中学の野球部の練習見たんやけどな・・・。
 テニスコートくらいの広さの所で四角になって、各コーナーに3人ずつくらいいてキャッチボールしとんねん。場所はせまいわ、順番なかなかまわってこーへんわでかわいそうやったで。
 あのころ、どこの中学も人数へってたのに、岩倉の洛北中はどんどん人数がふえて、クラブ活動もたいへんやったと思うで。
 よう、あっからプロ野球選手が生まれたもんや。」
 「ほんまやねー。岩倉初のプロ野球選手かもね。」

私「そうそう、そのころうちの娘なあ、あいつになんて呼ばれてたと思う。藤井さんとちゃうねん。『ベップ』やで。」
 「ベッ、ベップって?」
私「うちの娘なあ、小学校は花背の別所小学校で、今はもう統合でなくなってしもて最後の卒業生なんや。たった一人のな。
 それで、卒業の後ひっこして、岩倉の洛北中学校に入ったんや。
 京都の小学生はたいてい小4で花背山の家学習ゆうのんで別所に来とんにゃけど、あいつは小4から小6まで西宮におったらしい。そやし別所にはなじみがなくて、自分が知ってる別所に似た地名『別府』から『ベップ』と呼ぶようになったみたい。」
 「めちゃくちゃやん。」
私「そやろー。
 そやけどな、うちの娘、学年1人から250人の学校に入って不安だらけやったと思うねん。そんな中で、何やかやとあの○○君がかまってくれたみたいで・・・。自分が西宮の小学校に転校した時の不安な気持ちを思い出して、真樹に気を使ってくれたんかなあ。とにかく、みんなを楽しませてやろうという気持ちはマンマンやったみたい。
 『今日、○○がなあ・・・』っていう話、よう娘から聞かされたわ。それ聞いて、ちょっとほっとしててん。あー、ちょっとずつみんなの中に入れてんにゃと思えて。
 ○○君には感謝してんねん。ほんまに。」
 「ふーん、そんなことがあったんや。」
私「それにな、そのクラスで学校にこれてへん子がいたんやけど、みんないろいろと働きかけはしてたみたいや。先生からはよう注意されてたみたいやけど、みんなが一人一人のことを考えるええクラスやったみたいやで。真樹は毎日ニコニコしとったしね。」
 「そうか。そういうクラスから逸材が生まれるんやなー。」
私「何とか活躍してほしいな。
 おれな、ちっちゃい時からヤクルトファンやったんやけど、○○君がタイガースで活躍している間は阪神ファンになったるかー。甲子園で、ナリケンコール。ええなー。
 そやけどねあのポロシャツにサインしといてもろたらよかったなあ。新人王でも取ったら、中学生時代のサイン入りポロシャツ、1万円くらいで売れるんちゃうん。」
 「何考えとんねん、このオッサン!」

―チャンチャン! (おしまい)―

 2007.12.18

                         猿山洪水こと 藤井廣司

◎10年後の話は想像だが、10年後に10年前を思い出している所(つまり現在、ややこしやー)は、すべて事実です。
 さらに驚くことに、1月中旬、この手紙の返事が返ってきた。それは、忍者の巻物のような手紙だった。
 これは私の宝物なので、中味は教えられません。題と、中味のごく一部だけ紹介しましょう。

 題は、「いえいえ こちらこそ」
 中味の一部、「・・・けどやね そないふけとりますか? ちょっとショック。けど大丈夫、今はこんな平凡な中学生やけど絶対有名人になったりますがな。・・・」

 もうすぐ新学年のクラス替え。たぶん、うちの娘と「ナリケン」も別々のクラスになるやろね。7分の1の確率やから。
 でも、娘を通して、君と知り合えてよかったよ。これからも人を楽しませ、自分も楽しもう。応援してるよ。

 (今日、このことを書く決心がついたわけ。
  真樹がバスケ部の友だち3人と「ひらパー」に行って、おみやげを買ってきてくれた。それは、○○山の交通安全のお守りだった。それを見てナリケンを思い出し、私が喜ぶと思って・・・。真樹は、本当にいい子です。)

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2008年03月18日(火)

エール! 高石てるえさん [私の好きな人]

 今日、月刊「ランナーズ」5月号が届いた。
 このごろ、必ず一番に読むのが「てるえさんへの手紙」である。
 高石ともやさんが、ガンに立ち向かっておられる奥様に送る言葉を連載されている。(ともやさんもいっしょにガンに立ち向かっておられるので、<送る言葉>という表現は適切でないかもしれない。)
 今回が最終回とあったので、ちょっとびびってしまった。もしや、悪いことが起こったのでは・・・。
 読み進めて、ほっとした。

 「よい日もある、悪い日もある、それが人生だって。良い日は誰だって喜べる、運の悪い日とか、つらい事が重なった時に、どうやって明るく生きるか、それが人生の面白さだよ。

   喜びの朝もある 涙の夜もある
   ながい人生なら
   さあ、陽気にゆこう

 身体は癌になっても心まで病んでいるわけじやないもんね、と笑いながら話すあなたの静かなファイティング・スピリッツが好きです。これからも与えられた命を一日一日大切に生き切りましょう。この春を、次に来る夏を、秋を一緒に充実させましょう。僕は最良のサポーターになるのです。」(一部抜粋)

 本当に不思議なご夫婦です。
 ながいながい闘病生活のなかでも、「陽気にゆこう」と言い合えるご夫婦。ガンと闘いながらも笑顔を忘れない奥様。自分を、最良のサポーターと胸を張る夫。
 なかなか真似できないけれど、目標にはしたい。この文を読んで、そう思った人は多いだろう。

 私自身は、フォーク歌手・高石ともやさんはだいぶ前から知っていた。だが、ランナー・高石ともやさんを知ったのはいつごろだろう。
 皆生トライアスロン優勝? オーストラリア大陸横断ラン?

 私の上賀茂小学校教師時代、京都新聞に高石ともやさんのコメントが載ったことがあった。それは、「がんばれ」という応援についての考えを述べたものだった。
 日本では、応援はすべて「がんばれ」。外国では、応援にもさまざまな表現があるのに。本当にがんばっている人に、まだその上「がんばれ」というのは酷だ。もっといろいろな応援の仕方がないものだろうか。
 そういう内容だった。
 それを読んで、すごいと思った。今までなんの気なしに「がんばれ」と言っていた自分がはずかしかった。
 「勉強せー、勉強せー」と言い続けておられるお母さん方にも、ぜひ考え直してほしいと思い、次の学級懇談でその記事をコピーしたものを話し合いの資料に使った。結果は・・・、若すぎた私の説明不足だったのだろう。お母さん方は、ちんぷんかんぷんという表情だった。せっかくいい内容だったのに、私の空回りで終わってしまった。

 初めて生の高石さんを見たのは、びわ湖ジョギングコンサートかな。
 奥様に初めてお会いしたのは、たぶんスイス村リゾートマラソン(京都府弥栄町・現在京丹後市)。第1回大会であったと思う。
 20kmか10kmの部で高石さんの奥様が優勝。そして、うちのヨメさんが5kmの部で優勝。・・・と思ったら、表彰式も終わった後に2位であることが判明。優勝剥奪。(わたしゃ、ドーピング違反か! プンプン。)だから、よくおぼえています。もう、21年も前のことです。
 それからいろいろな大会でお目にかかり、うちの出店テントでもちょくちょくお買い上げいただくようになった。そのころ、うちのヨメさんがよく言ってた。「ともやさんの奥さんて、ほんまにふつうの人やなあ。」 (この「ふつう」は、すごくいい意味で使っています。)
 ともやさんは、うちの廉と真樹のこともよくかまってくれはって、そのおかげで二人とも写真を見せればすぐ「あのおっちゃん」とわかります。高石ともやさんを知っている中高生は、そうはおらんぞ。

 「てるえさんへの手紙」は、もっともっと続けてほしかった。ガンが完治したという日が来るまで。
 しかし、高石さんのおかげで、人はなぜ走るのかを真剣に考えた人は増えただろう。
 私も後に続く人たちに伝えてゆきたい。そんなにがんばらなくていいよ。「陽気にゆこう」とね。

画像(51x180)・拡大画像(120x418)

◎ 2003年8月、 「京都キャロットお客様紹介コーナー」 に寄稿していただ文を再掲載します。

いろいろな場所で開催されるマラソン大会に参加しているうちに、どこの会場でもキャロットさんの出張販売を見つける機会が増えました。

キャロットさんは、多くのマラソン大会で見かけるスポーツ店の印象と違っていて、私の様にランニングを楽しむ為に大会に参加している女性の市民ランナー向きの“ホッコリ”した感じのお店の名前が可愛らしくて気に入りました。
お店の名前だけでなく、可愛らしくて愛想の良い眞寿美さんの親切な接客の下で豊富な商品をより楽しく探せて、大会に参加して走る事以外の楽しみでもあります。

出張販売をされた当初は、まだ幼いお子さんを抱えての接客で、とても大変そうに思えて心配していたのですが、今ではお子さんもしっかり成長されて、お店を手伝っていて御家族でお店をされている姿が、とても微笑ましいです。

これからも、眞寿美サンの素敵な笑顔と接客でマラソン大会に参加している私達に元気を与え続けて下さい。

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