2010年06月04日(金)
「人らしく生きよう・パート2・新たな出発」 [私の好きな人]
国労闘争団の中野勇人さんが3月4日に送ってきてくださったビデオを、今日やっと見た(ヨメさんと二人で)。3ヶ月見ずにほっておいたことになる。
「アンタみたいな人間を不誠実なヤツっていうんや。」
毎度毎度、ヨメさんからのお叱りの言葉。
「まあ、こんなもんや。」
中野さんも、この私にそんなに多くのことを望んでおられるはずもない。
このビデオは、今から6、7年前の国労闘争団の様子を追った内容だった。
その中でも一番多くの時間を割いて紹介されていたのが、北海道北見から四国徳島常駐となった中野勇人さんの姿だった。ビデオの中の中野さんは、まだ41歳。徳島に移られてまだ半年というころだった。北見に残っている奥様や二人の息子さん(高3と中2)の話される姿もおさめられていた。
「離婚を考えたこともありました・・・」
「お父さんはバカだと思う・・・」
その映像からすでに6年がたっている。
中野さんは「54日連続フルマラソン」を完走された人だが、お会いしてみるとごく普通の人だった。それと同じように、ビデオに出てきた奥様や息子さんたちもごく普通の人たちだった。そんなごく普通のご家族を、長年にわたって苦しめている国鉄=JR=政府の責任は重い。
徳島の若者が言っていた。「中野さんに会わなければ、JR不採用問題など一生知らないままで終わったと思う。中野さんに会って、その問題を教えてもらってよかった。」
今の私も同じ気持ちです。教えてもらったからと言って何ができるというわけでもないが、まったく何もできないということもない。今こうして、このブログに国労闘争団を紹介していることだけでも何がしかの役に立っているかもしれない。そう思っています。
ヨメさんが言った。
「私はこんな目にあいたくない。」
「そら、だれかってあいたくないって。中野さんかて、自分がそんな目にあうとは夢にも思ってはらへんかったって。」
「もし私がこんな目にあったら、すぐあきらめてほかの仕事探すわ。」
「でもな、やっと自分のしたい仕事に就けたと思ったら、なんの理由もなくクビやで。それで、はい分かりましたってやめられるかー。」
「私はやめるかもしれん。いくら正しいことでも、そんな長い間耐えられへん。」
「それでは向こうの思うつぼや。なんの負い目もない人間がクビにされたら、普通は『おかしい』と思ってがんばるやろう。そういう思いで中野さんもがんばってきやはったんやと思うで。」
話は堂々巡り・・・。
ビデオの最後のほうで、中野さんが自分の好きな言葉を言っておられた。
「道険笑歩」・・・どうせ通らなければならない道なら、どんな険しい道でも笑って歩こう。(これは、元ボクシング世界チャンピオンの徳山選手の言葉だそうだ。)
私は険しい道を通った経験がないが、どんなしんどい時でも笑えるという特技(?)がある。人が怒ったり泣いたりしているときでも、何か笑かすネタがないかと探しているようなところがある。(不謹慎!)
元気のなくなった人は、それで元気を取り戻してくれることもある。もちろん、反対に私の不謹慎な態度に逆上される方もある。そんな私ですが、これからも勝手に国労を応援させてもらいます。
今月末、「サロマ湖ウルトラ」で中野さんに会える。中野さんは、17年前、フルも走ったこともないのにサロマを初挑戦で完走された。そのあとも連続完走されているらしい。
私も同じ年、ヨメさんと1歳の廉についてきてもらいサロマに初挑戦。雨に体温を奪われ、80km地点でバスに収容。翌年再挑戦。またもやヨメさん廉付き、ヨメさんのおなかには生まれる前の真樹。その年は余裕たっぷりのつもりが、70km地点でバスに収容。今年はそれ以来16年ぶりの挑戦になる。
私の宿泊先は中野さんの地元・北見市。レース当日はむずかしいが、その前後には中野さんと会えそうだ。
中野さんに会ったら、いっぱいしゃべろうっと。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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