2025年02月10日(月)
8か月ぶりの名護 [沖縄]
私の沖縄行きは、8月以外の偶数月。
最近では、2月「やまねこ」、4月「伊江島」、6月「慰霊の日」、10月「久米島」、12月「沖縄100K」というパターンだった。
2か月おきに行くと、ちょうど散髪のサイクルに合って都合がいい。
「ちょっと沖縄まで散髪しに行ってくるわ」って、なんてかっこいいんでしょう???
「年に5回も沖縄に?」と思われる方が多いかも。
これはひとえにLCC様様。最近ちょっと高くなってきたが、少し前まで往復1万円以下で抑えられていた。家から空港+空港から真樹のところ往復の方が高かったくらい。
それに、いつも真樹のところに3泊。ホテルに泊まってたら、めっちゃ安いところでも3泊で2万円以上はかかる。
去年も2、4、6月は同じ。しかし8月に真樹が京都に帰ってきたので、後半は一度も行けず。タダで泊めてもらえるところがなくなったのが一番の理由。
真樹が住んでいた名護に行き、「理容きゃん」さんで散髪。そのあと「きっと屋キッチン」さんでランチ。最後に私をいつも応援してくださる「玉城さん」とおしゃべりして京都に帰る。
きゃんさん→きっと屋→玉城さんの職場が、白銀橋から市役所に行く通りのほぼ一直線上にある。まあ、「名護お楽しみ通り」とでも言いますか・・・。
真樹が前の職場の友だちと会っている間に、私は散髪。
きゃんさんは、腕利き。文句なしにうまい。
真樹が沖縄に来た年からお世話になっているので、もう11年以上。40回くらいは散髪してもらってますね。
先客がおられたのだが、その方に私のことを詳しく説明してくださっていた。
「娘さんが京都から名桜大学に入られて、卒業した後も『名護が好き』って言って、ずっとこっちにおられるんですよ。」
うれしいねえ、こんなふうに言ってもらって。その場では「もう京都に帰ってきました」とは言えなかった。
先客さんが帰られてから、真樹のことを話した。
私はいつも、「娘はずっと沖縄に住んで、沖縄で結婚して京都には帰ってこないと思います」と言っていた。だから帰ってきたと言ったとき、きゃんさんはすごくびっくりされていた。
「タダで泊めてもらうところがなくなったんで、今までほどこちらには来れないかもしれません。でも、6月の慰霊の日に『平和』ののぼりを背負って走るのは続けます。そのときは、また散髪お願いします。」
お身内を沖縄戦で亡くされているきゃんさんは、私のこの言葉も喜んでくださった。
私は高校の時から50年以上、真樹も小6から18年以上の「沖縄好き」。そんじょそこらの「にわか沖縄好き」とはちょっとちがう。そのあたりを、きゃんさんもよく分かってくださっているのがうれしい。
私は歩いて、真樹は車で「きっと屋キッチン」合流。
なんと、今年も去年と同じ「カインチュア」。
安定のおいしさ。
店長テンコさんのお話の中で一番おもしろかったこと。
学生時代に新聞配達をしていて、冬寒い時はすぐに自転車に乗らず、そのあたりを走って体を温めてから乗っていたとのこと。テンコさんは苦労人。
レンタカーを返す時間が迫ったていたので、あまりゆっくりとは食べられなかった。それがちょっと残念。
「また4月の伊江島の時に来ますねー」と言ってお店を出た。
ほんとうなら次に玉城さんのお勤め先におじゃまするのだが、去年末にやめられてしまった。名護の3つの楽しみのうちの1つがなくなってしまった。
玉城さんがお世話をしておられた地域猫も、今どうしてるんかなあ。心配。
玉城さんとは、またマラソン大会とかでお会いできるといいですね。
西原ICで出て、那覇市内が渋滞しないか心配だった。ところがお昼過ぎという時間帯だったせいか、スイスイとレンタカー屋さんまで行けた。
余裕たっぷりで、那覇空港からのピーチに乗れた。
関空は7℃だったが、沖縄が12℃(強風)だったのでそんなに寒くは感じなかった。
16時30分着予定が20分ほど遅れ。それでも17時17分発の関空リムジンバスに乗れた。京都駅八条口に19時着。そこからJRで大阪の島本駅へ。
廉彩家に第2子誕生。6日前に生まれたばかり。
ますみさんにも来てもらって、家族そろっての写真をパチリ。
「廉」も書けそうでなかなか書けない名前だが、上の子も下の子もその伝統を引き継いで(?)、書けそうでなかなか書けない名前だった。
いつかは全員で走りましょうねえ。
私があと3年は生きないと、それは実現しませんね。
家に帰ったのは夜遅く。
みーちゃんが久しぶりなので逃げ回るかと心配したが、普通通り。
みーちゃんはかしこかった。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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