2017年05月03日(水)
5月3日は [平和]
今日5月3日は憲法記念日。施行70年だそうだ。(うちのねえちゃんの一つ上かー。)
私にとっての5月3日は、6年前までは「普通の車イスランナー・下山さんに金沢で会える日」だった。
3年前からは、走友・松村夫妻の結婚記念日。
そして去年からは、「ユリカモメウルトラ70km」への出張販売日となった。
ほんとうなら今年も武庫川河川敷に行かせてもらう予定でいたのだが、なんせ首がこれなもんで・・・。
病室には時計もカレンダーもない。毎日単調なくり返しで、頭もボーっとしている。今日が何日で何曜日でとかはだんだん分からなくなくる。
上の写真は、朝食のお盆にのせられていたもの。
「そうそう、今日は5月3日、憲法記念日やった。ブログもちょっとは真面目なこと書かんとなあ・・・。」
以前私のブログのファンとおっしゃる女性が、「おもしろそうなところはじっくり読みますけど、難しそうなところはスルーします」と言っておられた。正直やわ。
ただ、「難しそうな」ことなんか書いた覚えがない。たぶんこれは「おもしろそうじゃないところ」というのを、私に気を使ってそう言われたのだろう。
思い当たるのは、「時事」とか「平和」とか「沖縄」のカテゴリーとして書いた記事。一から問題提議する力もないので、たいていは新聞記事をコピーして、その感想ぽいことをちょこっと付け加えているような記事。たしかに「おもしろそうじゃない」。それどころか、「この新聞記事を読め」みたいな上から目線が感じられ不愉快なんでしょうね。
何日か前から、やっと新聞を読んでいても頭が痛くならないようになった。たまっていた分も全部読めて、気になる記事もいくつか切り抜いた。
でも今日は、記事のコピーはやめ、できるだけ自分の言葉で書いて行こうと思う。
幸い(?)、時間はいくらでもある。
だから、「スルー」と言わず、この先も読んでくださいね。
入院した26日の一番のニュースは、「今村復興相辞任」。袋叩き状態だった。
でも、その時にパッとひらめいたのが「私もあなたも第2の今村さんちゃうの?」ということ。さすがに「東北でよかった」とまでは言わんやろうけど、「京都じゃなくてよかった」と思う自分がいる。それは、「阪神・淡路大震災」の時も同じ。心の中で思っていても、絶対に口に出してゆうたらあかんこと。
前回の「自己責任、裁判せよ」発言は、そんなこと本気で思ってる人はおらんでー、興奮しすぎたなということで案外大目に見られたのかもしれない。それに比べて今回の発言は、「あかんあかん、それは首相も閣僚もみんな思ってることやがなー」という感じで大あわてで口封じに走られたように思う。
この発言のあと、これを逆手にとって「東北でよかった」がハッシュタグになり、東北自慢する投稿が相次いでいるそうだ。負けてへんね。腐ってへんね。
去年の沖縄での「土人発言」を逆手にとって「つちんちゅ」という投稿が相次いだことを思い出した。「つちんちゅトートバッグ」まで販売されているそうな。
自分が一番と勘違いしている権力者やその手下が、上から押さえつけようとしてもそう簡単にはひるまない。「拳を振り上げるだけではない反基地運動」とはよく言ったものだ。楽しさがなければ続けていけんもんね。
この先自分が福島や沖縄に対してどんなことができるか分からないが、基本は「自分が楽しく」また「他人を不快にしない」こと。今まで一度も行ったことのない福島に、生きているうちに一度は行きたい。
ずっとずっと気になっていたこと。
それは、昨年4月28日に沖縄県うるま市の女性(当時20歳)が元米海兵隊員に殺害された事件。
その女性は現在真樹が住んでいる名護市の出身で、真樹の1歳下だった。当時真樹はバイト先までトレーニングのつもりで歩いて行っていたが、この事件のあとは車に切り替えた。被害者の女性がウォーキング中に連れ去られたから。
「被害者は私だったもしれない」というのは、うちの娘も同じこと。沖縄の持つ独特の空気が大好きで、ずっと沖縄に住みたいと言っている真樹だが、そこには「米軍基地」という大きな壁があることを忘れてはならない。
殺害から1年、新聞には当然その関連記事があるものと思っていた。しかし、京都新聞はまったくなし。
毎日新聞は4月29日、「地位協定 抜本的改定を 特権が犯罪生む」というタイトルで記事になっていた。その最後にはこう書かれていた。
◇ ◇ ◇
小学校時代に同じクラスだった名護市の主婦(22)は「身近に事件が起きて米軍を見ると怖いと思うようになった」と話す。
◇ ◇ ◇
この事件も、沖縄以外の人たちにとっては最初の「東北でよかった」という発想に近いのかもしれない。ただ地震からくる被害と米軍基地に関連する被害とを一緒くたにしてほしくない。「罪を犯しても逃げればいい」という日米地位協定を改定し、沖縄に集中しすぎている米軍基地を閉鎖・移転して行かない限り、こういった事件は減少しない。
毎年6月23日「沖縄慰霊の日」に行っている「一人沖縄平和ラン」。それまでは西海岸経由で那覇〜名護間を走ったが、去年はこの事件を受けてうるま市経由にコース変更した。それが、私にできるせめてもの弔いです。
今年もうるま市経由で実施する予定。それまでに炎天下をしっかり走れる体を作らねば。病気からの復活も、しっかりとした具体的な目標あってこそ。そう肝に銘じて精進して行こう。
さてさて、日本国憲法。
4月29日実施の、共同通信社による世論調査の結果は上の通り。
めっちゃ分裂してますね。
「憲法は変えた方がいいけど、9条のおかげで戦争に加担しなかったし・・・、でも9条も変えてもいいか・・・。」
なに考えとんねん!
いやいや、なにも考えてへん結果がこれか。
ここから私独自の分析。
最近マラソンブームが下火になってきているそうだ。東京マラソンの競争率が、毎年10倍を超えているというのにね。
以前のマラソンブームは、健康志向から入ってきたものが多かったらしい。26歳から35年以上走りづけている私も、広い意味ではその中に入る。
ところが最近マラソンを目指す人は、人生の中の一つのイベントとしてとらえている人が多いらしい。だから、東京マラソンのような派手なシティフルマラソンが一度完走できれば、それで満足してしまいマラソンから遠ざかる人も多いらしい。
「憲法改正」もこれと同じような気がする。
「憲法改正」は、だれかの人生の一つのイベントに過ぎない。中身はどうでもよく、「変えることに意味がある」と思っているように思えてしょうがない。そしてそれが実現できたとして、そのあとのことにはまったく興味がなくなる。
私にとってはそれは、「フルマラソンを完走してみたかった」と同じではなく、「一度人を殺してみたかった」というのと同じように思える。
だいたい「憲法改正」という言葉自体がおかしい。現憲法に支障があり、とてもこの先を生きていけないと思っている人ならまだしも、私にとっては「憲法改悪」、まあその中間を取って「憲法改変」と表現するのが公平な見方だと思いますが。
いやいやいや・・・、それよりももっと根本的なことを忘れていた。
憲法改正を問う前に、日本国憲法への理解がどれほどあるのか。
かく言う私も、5年ほど前までは「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の三大原則しか知らなかった。まあこれくらいの知識で十分という考え方もあるが、「ほんなら、どこをどう変えたいねん?」と問われて答えられますか。
「憲法改正」の前にまず「浸透」。
私の妙案、「憲法検定試験」ってどうです。
1級から5級まで作って、憲法順守義務(第99条)がある「天皇・摂政、国務大臣・国会議員・裁判官その他の公務員」は1級試験落ちたら免職とか(天皇が免職?)。一般国民はそこまで縛られていないが、5級も取れへん者は国民投票権はく奪とか。いやいやいや、これは問題やな。
各級合格者には、今はやりのふるさと納税「返礼品」みたいなんを送るとか。そんなんしたらがんばる人続出やでー。
これで憲法の国民的理解を経てからの国民投票でいいような気がするんですが・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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