2016年07月21日(木)
大原記念病院ラン [ランニング]
今日木曜は、一応私の休養日。
いつもダラダラしているうちに一日が終わってしまう。だから、今日は朝から走りに行くことに。
大原記念病院に、我が社のガードマンが行っている。そこのM隊長は、去年私が新○ホテルでお世話になった方。最後に「お疲れさん会」をしていただいたのだが、きちんとお礼を言えずまま。これは走って行ってお礼を言わねば。
我が家から左回りで大原に行き、走りなれた江文峠越えで家に帰ってくる。これで20kmちょっとになるのかな。
いつもの叡電沿いの道を西から東へ。
鞍馬行きと出町柳行きが交錯。
同志社横の散歩道は、木陰になっていて気持ちいい。
花園橋から国道367号へ。
少し北上したところにこんな立派な神社が。今まで知りませんでした。
「崇導神社」・・・奈良後期、光仁天皇の皇子早良親王を祭る。早良親王は反桓武帝の中心勢力で、のち 捕われ自殺。当時都に悪疫が流行したのは親王の祟りとされ、その霊をなぐさめるため 崇道天皇の追号を贈り、同地に祭られたのが始まりという。
比叡山ケーブル乗り場を通過。
九頭竜大社通過。
「九頭竜大社」・・・昭和29年11月24日に、九頭竜弁財天大神が大西正治朗の夢枕に立ち「汝の身を社にする。無限に人を救う。奇蹟を以て即座に守護を与える。神は人を救って神界に上る。」との御神託を授け京都八瀬の地に降臨したとされる。 この昭和29年11月24日が九頭竜大社発祥の時とされ、御神託を授かった大西正治朗が開祖である。 この発祥間もない頃から参拝者が自然と本殿を9回まわるお千度をはじめたといわれている。 なぜ9回だったかは祭神名に因んだとも、「9」が一桁の最大の数字で祭神の大きな加護をいただけると考えられたからだともいわれている。
うちの息子とおんなじ名前のお店「REN」。
3年前に完成した八瀬小学校新校舎。
途中で山に入っていく道発見。
こっちに行けばトレイルランですね。
土井のしば漬け。
ここで10km弱、約1時間。
この先の分かれ道を左に。
300mちょっとで大原記念病院。
我が社の軽自動車発見。運転席で休けい中なのは、M隊長にまちがいない。
「Mさん、お久しぶりです。」
「えー、誰かと思うたわ。藤井君かー。」
「去年はお世話になりました。この現場に来てはるって聞いて、走って見に来ました。」
「そうかー。藤井君は家はどこやった。」
「この山を越えた向こうの市原です。ここまで10kmちょっとありました。」
「市原かー。それで南の方の現場に来んようになったんやな。」
「そうなんですよ。最近は○ナートばっかりです。」
「この現場も今日で終わりでな。」
「そうやったんですか。今日来といてよかった。1回くらいはここにも立たせてもらいたかったんですけど・・・。」
私の大好きなM隊長の口癖「また来いよ」はなかった。そら、この現場は今日で終わりですもんね。その代わり、「また頼むで!」
真夏の仕事の時、立哨を30分交代にしてくださったやさしいM隊長。またどこかでいっしょさせてもらえればうれしい。
大原記念病院をあとにし、帰りは江文峠越えへ。
すぐ、東海自然歩道へ。
この辺はなんぼでも走るとこがあります。
しば漬けの原料になる「しそ」。
江文峠到着、2.5km。
ということは、家まであと7.4kmくらいなので9.9kmか。
時計をとめて、いつもの「夫婦円満、家内安全、廉真樹の健康、下山さんフルマラソン参加」のお願い。それに加えて「父の笑顔」。欲張りすぎですか。
京都両洋高校グランド。たぶん、女子野球部が練習している。ヨメさんの鍼灸専門学校のお友だちがコーチをしているらしい。
御旅神社でも「夫婦円満・・・。」
このコースでランナーを見たことがなかったが、今日はこの方のほかにももう1名走っておられた。
我が家到着、9.82km、58分13秒。
前半も後半もキロ6分ペースで走れた。
全体で20.2km、休けい4分をのぞくとちょうど2時間ほど。ええ練習になりました。
走れる日が少ないので、走れるときは今までよりちょっと多めに。そうでないとすぐに体重が増えてしまう。
「追い込む練習ではなく、長めをゆっくり」、当分これですね。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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