2013年06月24日(月)
一人沖縄平和ラン・続き [ランニング]
ホテルチュラ琉球を出ると、真ん前が沖縄県庁。
予定通りの8時出発のつもりが、のぼりを背中にセットするのに手間どった。
それに人通りがなく、スタートの写真が頼める人がいない。
やっと坂を上がってこられた方があった。写真をお願いするとこころよく引き受けてくださった。
「すいません、写真お願いできますか。」
「9の会の方ですか。私も福岡9の会に入っています。毎月9の日には、駅前などで平和をアピールする活動を続けています。」
「えー、そうなんですか。それはいい人にお会いできました。私も、毎月9の日には9km走ってアピールしています。」
福岡から慰霊式に参加された方たちだった。
がっちり握手をかわし、8時12分、県庁前をスタート。
58号線に出ると、いきなり観光バスのドライバーさんがクラクション。窓を開け、こちらに向かって手を振ってくださっている。
「(えー、沖縄では見ず知らずの私にもこんなに歓迎してくださるのか)」とうれしくなった。がぜん走る気がわいてきた。
今回初めて会ったワンちゃん。暑いのに笑ってます。
飼い主さんから、「がんばってください!」
この地名は写真に撮っておかなくては。
「じっちゃく」、絶対読めません。
8時40分、キャンプ・キンザー前通過。
この辺りにあった教会前で呼び止められた。
「あなたは、どうゆうつもりでそんなことをしてるんですか。」
「憲法九条をまもって、平和な世の中にしたいと思ってます。」
「私は元自衛官なんすが・・・」
このあと長々と続いたお話は、どこでもよく聞く「攻めてきたらどうするんですか」から始まるもの。特に反論はしなかった。
「大事なことは、一方的な考えを押し付けるのではなく、私も含めてみんなが憲法のことをしっかり勉強することだと思います。そしてじっくりじっくり話し合うことですね。それでも憲法を変えたいという人が圧倒的に多いのなら仕方ないと思います」とだけ言っておいた。
私は涼しい内に少しでも進んでおきたかったのに、まだまだ食い下がる元自衛官クリスチャン。あなたが手に持っている聖書には、「戦争」についてどう書いてあるんでしょうね。
「攻められたら死ぬんです」、これが私の結論だが、そんなことを言うともっともっと話が長くなったでしょうね。
走りながらならいくらでもお話しさせていただくが、私は先を急ぐんです。ここで長話をしたため、調子よかった走りのリズムまで狂ってしまったような気がした。
嘉数高台を目指すのは三度目。いつも迷うのだが、今回はだいじょうぶ。
しかし、このちょっと手前でGPS腕時計が早くもバッテリー切れ。充電がしっかりできていなかったようだ。これではただの重たい腕時計。あーあ。(よって、以後の距離は推定です。)
私の父のいとこで、うちの本家の跡継ぎだった藤井勘六さんは、ここで戦死したとされている。父と勘六さんの出征先が入れ替わっていたら、私はこの世に存在しない。
9時40分、嘉数高台到着。(スタートから11.5kmくらい。)
予定より30分遅れ。
「京都の塔」の前でお祈り。
この日はたくさんの人が来られるのかと思ったら、ひっそりしていた。
嘉数高台から見る普天間米軍基地。
さすがに今日は静かだった。
2頭立てでお散歩。
白いチャーリーと、きくそっくりのきゅうたろう。きゅうたろうは怖がりで、ほえてほえて。
飼い主さんが私の体をすごく心配してくださった。気温はそう変わらなくても日差しのきつさが全然ちがうとのこと。
「明日、熱を持って大変なことになりますよ。」
この飼い主さんに58号線への近道を教えてもらった。
10時5分、嘉数高台をスタート。
坂道を降りる途中、「ワンワンワン」の大合唱。
いっぱいワンちゃんを飼ってられるお家だった。
「おお、ここがあの有名なアクターズスクール!」
えーっと、この基地は・・・。たくさんあって、なかなか名前を覚えられない。
ここも基地。
ここは6年前、真樹とヨメさんとで泊まった「ビーチタワー沖縄」。いいホテルだった。
このあたりで、南行き車線の車から声をかけながら手を振る女性あり。
「パオパオさ〜ん!」
えっ、まさか。どなた?
この先のマグドナルド前で、その女性が水を持って待機してくださっていた。その車の運転席にはご主人が。
「ご苦労様です。いつもブログを見させてもらってます。今日走られると書いてあったので、少しでもサポートできればと思って来ました。」
「いやー・・・。それはそれは・・・。」
「うちはパオパオさんのところと反対で、娘が京都の大学に通ってるんです。その娘からも応援に行くように言われていて・・・。」
「わざわざ来てくだっさったんですね。こんなうれしいことがあるとは・・・。」
読谷村のTさんご夫妻。この後もずっと気づかってくださり、先回りして私を励ましてくださった。
58号線の東側はずっと基地。そのため民家はなく、ジュースの自動販売機もない。でも、私は意地で基地側ばかり走っていた。
Tさんから頂いた水のおいしかったこと。嘉数高台でジュースを飲んだ後は何も飲んでいなかったので、本当においしかった。
遠くから「アイス」の看板が見えた。
オジイなら買うのはやめ、オバアなら買おうと決めて近づいていていった。そしたらなんと、若いおねえちゃん。
「買う買う、絶対買う。」
でも、その若いおねえちゃんは完全にビビッていた。そら、車しか通らんとこに落武者みたいなんが現れたらビビるわな。
値段聞いてんのに、返事が聞こえへん。そんなこわかったんかなあ。(200円でした。)
おねえちゃんに写真を頼もうと思ったが、これ以上ビビらすのはかわいそう。何とか自分撮り。
「あー、のぼりが・・・。」
2回目で成功。
でも写真を見てうなずく。おねえちゃんがビビるのも無理もない。こりゃ、現代の落武者そのもの。
またまた、何もない道路が続く。
ここは、カデナマリーン・シーサイドレストラン。
ここは、嘉手納米軍基地。
このスポーツ用品店は、嘉手納小学校にも入っておられるようだ。古我知先生は、まだ嘉手納小学校におられるのかな。
嘉手納町と読谷村の境、比謝川。(スタートから26kmくらいか。)
この川の河口あたりが、1945年4月1日に米軍が上陸した場所。
行ってみたかったが、この時点で12時10分。予定より30分も遅れているのでスルーすることに。
読谷村は、紅いもが有名らしい。
ずっとついてくださっていたTさんご夫妻に、「米軍上陸の地」スルーを告げると、「この先にファミリーマートがありますから、そこで休まれたらいいですよ」と教えていただいた。
しかし、ここらあたりから地獄。
足が急におかしくなってきた。「来るぞ来るぞ」と思っていたら、やっぱり来ましたコブラがえり。すぐ治まるかと思ったら、なんのなんの。立ってもいられない、座ることもできない。中途半端な格好で、「ウー、ウー」と唸るのみ。
ここで笑うに笑えん話。
私が痛みに耐え忍んでいるとき、その少し前にあるバス停にいた若いおねえさんがスタスタと。「おー、これは心配して来てくれたんや。」よかったー。
ところが、そのおねえさんから発せられた言葉。「リュウキュウムラハ、ドッチ。コッチ?コッチ?」
ずっこけたかったけど、笑いたかったけど、どっちもでけんかった。もちろん、そのアジア系のおねえさんには「リュウキュウムラ」を教えてあげましたよ、ひきつった顔で。
そして、前半のハイライト(?)
いったん治まったコブラがえりは何度もぶり返す。
やっと目標のファミマが見えてきたのに、本当にもう1mmも動けなくなってしまった。両足が変な形に固まって、すごい痛み。そして、カッチンカッチンに。
その時、その坂を下って来る青年。さっきのことがあるので期待はしていなかった。というより、もうなんの余裕もなかった。
「水を飲んでください。脱水症状になってませんか。」
「これを首に巻いてください。ひんやりして、気持ちいいですよ。」
「こむらがえりですか。塩分不足ですね。ちょっと待っててください。」
痛さ辛さでまともな返事ができなかった。しかし、その青年はファミマに走っていきすぐに戻ってきてくださった。
「これをどうぞ。」
手渡されたのは「塩分チャージタブレット」。
ああ、この方はいったい・・・。
「今日走られるとブログに書かれてたので応援に来ました。」
ああ、こんな私のために・・・。
うるま市の小橋川さん。
「一度パオパオさんに会いたかったんで」と言われたときは、ちょっと泣きかけました。本当にありがとうございました。
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ファミマまでの1kmに30分以上かかってしまった。ここで、Tさんご夫妻とはぐれてしまった。無理もない。1kmに30分もかかってしまったのだから。
ファミマで休けいしながらいろいろなことを考えた。
この足の具合では、絶対にコブラがえりがぶり返す。大事に至る前にバスに乗ったほうがいい。しかし、ずっと声をかけ続けてくださったTさんご夫妻にお礼も言えていない。それに、今まで応援してくださった方と同じようにこの先で私を待ってくださっている方があるかもしれない。
結論→ちょっとずつでも前に進む。
ファミマで休けいしたのは1時間以上。
午後2時6分、やっと重い腰を上げた。
ファミマでおにぎりを買い、お茶やジュースもいっぱい飲みお腹ポンポン。
首には小橋川さんにいただいたクールタイをまいて。
それからは、ちょっと走ってはぎょうさん歩き、ちょっと走ってはぎょうさん歩きのくりかえし。とにかく、「恐怖の足固め」に陥ってしまわないように気をつけて。
沖ハムのかわいいブーちゃんに力をもらい・・・。
名護まで37km。
ということは、なんやかんやで35kmくらいは来たんかな。
足の具合はよくならず、20%走り、80%歩きという状態。
さっき追い抜いて行ったバイクの女の子が、少し先で停まっている。ミラーで私を見ている。追いついた私に話しかけてきた。
「写真、撮らせてもらっていいですか。」
「ああ、どうぞどうぞ。」
「どうしてそんなことをされてるんですか。」
「憲法九条をまもって、平和をまもりたいねん。」
「あっ、今日は終戦記念日だから?」
「そうそう。沖縄県庁から名護市役所まで行くつもりやねん。名護に娘がいるし。名桜大学行っとるんやわ。」
「えっ、私も名桜大学なんです。」
「そっかー、それはそれは。何年?」
「2年です。」
「実家がこっちのほうなん?」
「いえ、今日は北谷まで買い物に。実家は広島です。」
「そっかー、こっちも写真撮らせてもらってええか。お名前は?」
「○○まこです。」
ちょっと真樹に似たまこちゃんとしゃべって、またちょっと元気が出てきた。
しかし、ずっと同じような景色が続く。
海が見えるとほっとする。
この写真なんか、まるで絵のよう。
「おんなの駅」におとこは入りにくい、というわけでもないが休けいなし。とにかくのぼりを外すのがめんどくさくて。
さっきからスピードが落ちているため、なかなか名護までの距離が減っていかない。そのため、休けいはなしでひたすら進む。
私の「猫センサー」がピピッと反応。
いやま、かえらしいネコちゃんじゃありませんか。
あんも、あんもか。
オッサンは、がんばって走っとるどー。応援してくれよー。
バイパスを通ったら、歩道部分はまだ工事中で立ち入り禁止。お構いなしで入ったら、風がきつくて下に落ちそうだった。こわかった。
ここらで、宅配便のドライバーさんから電話。
「荷物、お届けに行ってよろしいですか。」
「えー、今日の朝に出したのに、もう届くんですか。娘に連絡しときます。」
4時5分、ムーンビーチ前到着。(スタートから40kmくらい?)
当初の予定では1時半到着だったので、なんと2時間半遅れ。もし待っていてくださった方がありましたら、本当にごめんなさい。
私がずっと心がけたこと。
足が固まってしまった時以外は絶対に笑顔。
走ったり歩いたりして進んでいるときは必ず顔を上げる。
これがよかったのか、多くの方がクラクションで応援してくださった。また、信号待ちの車からは何人もの方から「がんばってください」と声をかけていただいた。
慰霊式からの帰りと思われるご婦人からは、ジュースの差し入れもいただいた。
これではそう簡単にやめるわけにはいかん。今まで長年走ってきたのは、こうゆうときにくじけないためだ。
「ベテランランナーの意地見せたろかい!」
恩納村のパラセーリングのお店。
真樹とパラセーリングしたのは何年前やったっけ。
ここは米軍基地ではなく自衛隊基地。
民家が全然ないところで、水を持った方がひょっこり。
「水を飲んでください。」
その時頭がだいぶボーっとしていたので、すぐには状況が飲み込めなかった。
「朝宜野湾あたりの58号線で見かけて、さっき家に帰ってきたらまた走ってるのを見たんで水を持ってきました。」
一日に二回私を見られて、急いで水を取りに帰ってくださったようだ。
よかったー。バスで中抜きせんでよかったー。
キンキンに冷えたお水のおいしかったこと。
平良さんとおっしゃるその方は、午前中に慰霊式に出かけられ私と出会い、帰りの車からまた私を見られたそうだ。少しお話もさせていただき、心も体もだいぶほぐれました。
この仮ガードレール、ええやん、笑うやん。
恩納村万座毛のあたりは58号線のバイパスが通っている。こっちに入ったほうが距離的には短縮されるのだが、何もなく殺風景。
このバイパスに入ったところで、コブラがえりのぶり返し。
「いざとなったらバスに・・・。」
ひっひっひー。
バスはバイパスは通らない。
これはなんとしても旧道との合流点まで行くしかない。
まっすぐなバイパスは退屈だった。それでも多くの方がクラクションで応援してくださった。
フーフー言いながらも、やっと合流点へ。
夕方近くになると、多少は気温も下がったようだ。
あんまり海がきれいなので、一枚パチリ。
そしたら、こちらに向かって「ワンワン!」
右下隅に写っていた黒ラプちゃん。
きくも海に連れてきてやりたいなあ。
やっと目の前にバス停発見。
「よっしゃ、こっからバスに乗ろうっと、もう6時20分やし。」
ところが無情にも、その横をバスが・・・。
バス停にいったん停まってくれたら何とかなったが、客がいないと判断しビューンと。
「次は30分後か。しゃーないな。ちょっとでも先に行くか。」
6時35分、真樹からメール。
「今日、晩ごはん 作ったほうがいいですか?
あとなん時くらいに どこに迎えにいったらいいのー?」
すぐに電話。
「晩ごはんは、いっしょにどっか食べに行こう。7時に市役所は無理やし、もうすぐバスに乗る。バスは7時20分くらいに市役所に着くと思うし、そこに迎えに来てくれる?」
みゆきビーチ前のバス停、6時52分というのがあったのでそれに乗ることにした。
もうバスが来るという頃、比嘉増美さんから電話。
「迎えに行きます。」
ぼちぼち歩いていると、小学校の塀に立派な絵がかいてあった。
そのちょっと先で、比嘉さんに拾ってもらう。
助手席にはダンナさんも乗っておられた。
「最後だけでもいっしょに走らせてもらおうと思って・・・。」
待ってくださっていたのに申し訳ありません。できることなら、来年再チャレンジということで・・・。
いつもいつもすいません。
比嘉さんは、普段から真樹のことも気にかけてくださって。
比嘉さんのお迎えがあったので、名護市役所前の真樹のお出迎えはカット。また、次のお楽しみやね。
でも部屋で迎えてくれた真樹は、ニコニコしてすごくかわいかった。きっと、このごろ充実してるんやろうね。
晩ごはんは別のところを予定していたのだが、真樹の友だちがバイトしているということで「和風亭」へ。
友達のH・Aちゃんは、小顔でスマート。「真樹の正反対やなあ」と言ったら真樹はちょっとおこっていた。
9時でH・Aちゃんのバイトが終わり、私たちの席に来てくれた。すごくかわいくて楽しいH・Aちゃん。私が今日沖縄県庁から走ってきた話も、しっかり聞いてくれていた。いい友だちができて、本当によかったね。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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