2013年06月28日(金)
ロックされている [雑感]
「コブラがえりでたいへんでした。もう1mmも動けんようになって・・・。」
「ロックされている状態ですね」と、あいおわ治療院の高橋大輔似の先生。
「そう、それそれ。まさに、ロックでした。」
高橋大輔似の先生にマッサージをしていただき、テーピングテープをはってもらった。これで痛みがましになったような気もする。
「当分、無理はしないように」と言われた。
月曜から今日金曜まで5日も休んだ。そろそろ、ちょろちょろと走ってもいいかな。
今日も、夕方のきくの散歩中に元バイト仲間の73歳のUさんに会った。しっかり走っておられた。負けてられんなあ。明日は走りたいなあ。
今日はいつもとちょっとお散歩コースを変えてみた。そしたら、幡枝のポチ君の飼い主さんご夫婦がちょうど帰ってこられるところだった。
「お久しぶりです。こないだから、きくちゃん元気にしてるかなあって言ってたんですよ。」
「ありがとうございます。夏バテもせんと元気にしてます。ちょっと元気すぎて大暴れして、よくオスとまちがわれます。」
「こんなかわいい顔やのにねえ。」
「いやいやこの顔にだまされて、犬好きな人がよく近づいてこられるんですよ。そしたら、急にガブリですもん。犬好きな人ほど被害にあっているという・・・。」
「かわいいからかまいたくなるわねえ。」
ポチ君の飼い主さんの奥様は、ビックリするくらいの美人。その方から「かわいい」と言ってもらえたら、本当にうれしくなる。
私は飼い主側だから。きくのことを世界一かわいい犬だと思っている。しかし、はたから見てもきくはほんまにかわいいんかしらん。
まあ、私の頭が「ロックされている」のはまちがいはないと思うが・・・。
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2013年06月27日(木)
お笑い米軍基地 [沖縄]
◎琉球新報6月26日朝刊
戦争の傷と向き合う
お笑い米軍基地 小波津正光に聞く
演芸集団FEC(山城智二代表)の「お笑い米軍基地9」本島縦断ツアーが29日、名護市民会館で最終日を迎える。基地問題や戦争を題材にコントや喜劇を披露してきたが、今回は沖縄戦による心的外傷後ストレス(PTSD)に苦しむお年寄りを描いている。企画・脚本・演出の小波津正光に、作品に込めた思いを聞いた。
―沖縄戦によるPTSDを取り上げた。
「昨年の夏、テレビでこの問題を知った。僕らは、つらいことが有っても乗り越えて生きている沖縄のおじい、おばあの強さを描いてきた。だが、根底を覆された。戦争はいつまでもその人の中に取りついている。劇中の『笑いは戦に勝てないさ』というおばあのせりふに集約される」
―おばあを元気づけようと家族が「お笑い慰霊の日」を企画するが。
「『笑いは戦に勝てない』となったけど、人から笑いを取ると生きていけない。勝てるか分からない。でも、そうやってしか生きていけないんじゃないか。今までおばあがみんなを明るくするのを描いていた。今度は周りが、戦争体験を聞くのもそうだが、おばあを喜ばせることでPTSDを癒やせれば、もしかしたら進めるのではないかという物語だ。」
「戦争体験者が亡くなって戦争の記憶が薄れていく。劇中では、亡くなったおばあの子どもたちを身近に感じながら一緒に楽しむ。清明やお盆のようにご先祖様と語り合う沖縄の文化を、慰霊の日に当てはめたらどうなるかな、という一つの提案だ。お盆のように継承していけば、戦争を忘れないことができるんじゃないか」
―戦争体験の継承に重要なことは。
「いつも慰霊の日は平和の礎に行くが、おじい、おばあが礎に刻まれた名前に、あたかも人がいるようにずっと話し掛けている。今その姿をまず見ておくべきだ。僕たちが舞台をやるより一発で伝わる。あと50年後に(戦争体験者が)誰もいなくなったとき、清明やお盆のように親戚同士が(慰霊の日に)集まれば、おじい、おばあがどうだったよと話して(継承の)きっかけになると思う」
「でも、一方で歴史は繰り返すと思っている。じゃあ、繰り返さないためにどうするか。何かを表現する人は、体験していない人の心にインパクトを与えることはできる。僕らは原爆を体験していないが『はだしのゲン』を読めば、原爆はすさまじいと分かる。なぜ『お笑い米軍基地』をやるのかというと、今笑ってるだけでいいが、若い子が5年後、10年後に『何であの人たちはこんなことをやっていたんだろう』と思うだけでもいい。それが僕たちにできることの一つだ。」
(聞き手 伊佐尚記)
名護公演は29日午後7時開演。当日券は2500円。午後3時から会場で若干販売する。問い合わせはFECオフィス☎095(869)9505。
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ああ、残念。行きたかったなあー。
来年は、「一人沖縄平和ラン(リベンジ編)」と「お笑い米軍基地」を勝手にコラボしよう。両者「お笑い」という点で通じるものがあるような・・・。
お近くの方は、あさってぜひ!
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2013年06月26日(水)
宮里から左京へ [沖縄]
今日は、真樹は1限から。8時45分始まりなので早くに出て行った。真樹はもうバイクを乗りこなしているので、朝早くてもだいじょうぶ。
8時20分ころ真樹とはお別れ。私はまずイオンに空き缶やペットボトルを出しに行く。
10時過ぎには、「名護449」へレンタカーを返しに行かなくてはならない。
イオンの帰り、犬屋敷の島袋さん発見。
今回は初めから犬屋敷に行く予定はなかったが、目に入ったら声をかけんわけにはいかん。
また、ワンちゃんたちの楽しい話をいっぱい聞かせてもらった。時間があればもっとゆっくりできたのだが、もうレンタカーを返す時間。また今度。
急いで真樹のアパートへ。
白銀橋で、21世紀の森ランクラブの渡久地さんに遭遇。渡久地さんは、真樹のアパートのすぐ近くにお住まいらしい。
さて、沖縄県名護市宮里から京都市左京区まで。いったいどれくらいの距離になるのだろう。今回は行きも帰りもピーチの3900円が取れたからよかったものの、最悪のパターンだといくらかかるか分からない。
レンタカーを返しに行き、レンタカー屋さんにバスターミナルまで送ってもらう。時間の関係で、格安「やんばる急行バス」ではなく沖縄バス(2130円)。
10時45分発で、那覇空港12時30分着予定。名護からの乗客は私を含めて3名のみ。
那覇空港で昼食。
このミニ丼とミニ沖縄そばセットで1180円。おいしかったけど、ちょっと高すぎる。
LCCのターミナルは殺風景。これから飛行機に乗るワクワク感が沸きそうにない。
しかし、うれしいことがあった。
売店で大暴れしていた小さな男の子の兄弟。下の子は2歳くらいだろうか。コーヒーを注文して待っていた私にぶつかってきた。
両手を上にあげて、「タッチ、タッチ」とせがむ。
えっ、この私に「たかたか」を要求しとんのんかいな。まあええわ、したれー。
「たかたかー。」
おろしたら、また「タッチ、タッチ。」
「よっしゃー、たかたかー。」
「タッチ、タッチ。」
「サービスサービス、たかたかー。」
すぐ近くに若いご両親がおられたのだが、黙って見ておられた。あの子が大喜びしてたから、まあいいということにしときましょう。
今日もピーチは20分ほどの遅れ。
まあ、LCCは時間通りに飛ばないと思っておいたほういい。
関空に4時過ぎ着。
また、京都アクセスきっぷ。直近の南海電車は特急だったので300円プラスしてラピートに乗った。それでも阪急烏丸まで乗り継いで1500円で行ける。速くて安くて快適。
ラピートでは、テキパキとした女性乗務員さんが印象的だった。
烏丸から地下鉄、国際会館からバスで左京区市原の自宅へ。
10時過ぎに真樹のところを出て、家についたのがちょうど7時。9時間くらいかかったことになる。
玄関をあけると、きくがしっぽブンブンで「キューンキューン」。
「廉ちゃんとオバサンは、どっか行ってもたー。」
今日は二人で外食に。
「しゃーないなあ。ラーメンでも買いに行くか。」
きくは大喜び。
大ウ○○と長シ○○。だいぶしんぼうしていたみたい。
コンビニ前で待っているときのきくの姿は、いつ見てもほれぼれ。
「きくちゃん、もう日が暮れちゃったね。」
最近完成した、真樹の知らない道を通る。
真樹が8月に帰ってくる時が楽しみ。きくは覚えているかしらん。
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2013年06月25日(火)
名護でまったり [沖縄]
昨日今日の2日間、真樹のアパートでまったりと過ごさせてもらった。
真樹は、一週間前くらいからH・Aちゃんの指導(?)のおかげでバイクに乗れるようになった。
もう、毎日バイクで大学に通っている。
私が沖縄に来た時は真樹を送ったらんなんと思っていたのだが、これでまた私の仕事が一つなくなってしまった。でも、これはうれしいこと。事故にさえ気をつけてくれれば、行動範囲が広がることはいいことだ。
日曜の晩、薬局で「のびのびサロンシップ」を買い貼って寝た。体はいたって元気だったが、ふくらはぎの痛みだけが強烈だった。
それと、くるぶし下の水ぶくれ。今回GT2000のスーパーワイドで走ったのだが、やはり私の足はスーパーワイドまでは広くないようだ。
心配していた「夜中のコブラがえり」もなかった。奇跡的!
つくづく思ったのは、「沖縄では普通の人が普通に平和について考えている」ということ。私のような一見変なオッサンに、あんなに多くの応援があるとは。
私が若い時の京都も、今の沖縄に負けないくらい「普通の人が普通に」平和について考えていた。京都府庁に「憲法を暮しの中に生かそう」という垂れ幕が掲げられていたくらいですから。
今さら沖縄をうらやましがっても仕方ない。京都も負けへんで―。これから、ちょっとでもよくして行くでー。あらためてそう思えただけでも、今回の「一人沖縄平和ラン」の値打ちはある。
昨日はふくらはぎと水ぶくれが痛く、お昼前にコンビニに買い物に行ったあとはおとなしくしていた。
お昼の「お手軽冷やし中華」は330円。
昨日もいました、お向かいのネコちゃん。
ピンクの首輪がかわいい。
おっと、前はこんな首輪してたっけ。
夕方、真樹の初給油。
もちろん、指導役のH・Aちゃん付きで。
「何にもわかりません」と言って、全部やってもらったそうだ。
このあと、3人でちょっと早い晩ごはん。
名桜大学の近くの「石川さん家」へ。
私は「タン塩定食」(650円)、若者2人は「タコライス」(400円)。
ボリュームたっぷりで、私と真樹は残してしまった。なんと、真樹は残りを持ち帰り。次の日のお弁当にするという。かしこい子になったねえ。
安くておいしかったので、また行きたい。
赤ちゃんがお店にいたのもほほえましかった。
6月24日は、これで一日が終わってしまった。
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今日は、真樹のバイクをバイク屋さんへ。買ってから一度も点検してもらっていないので初の点検。とは言っても、ちゃんと乗り出したのは1週間前から。よって、走行距離は99.9km。バイク屋さんが、少なくてびっくりされていた。
そのあと真樹を大学まで。
火曜日は、2,4,5限なので、迎えに行くのは6時過ぎでいい。
さて、私はどこへ行きますやら。
斜め向かいに、また別のネコちゃん。
私は、犬猫に関しては動体視力ならぬ静体視力が働く。こんな遠くのネコちゃんでも見つける能力がある。
今日の昼もコンビニ。
「月見とろろそば」(435円)。
気温は上がっているのだが、風がビュンビュン。
体感的にはそんなに暑く感じられないかもしれない。
まずは、比嘉さんにお礼を言いに。
「部間タイヤ」さんには、比嘉さんご夫婦と長男の雄也さんもいらっしゃった。
私が到着したとき、「今、パオパオだよりを見てる最中です。」
画面の小さいケイタイで、この長い長いパオパオだよりを見るのはしんどいぞー。
でも、ご家族そろって私を応援してくださり、本当にありがたく思っています。
次は、今帰仁城跡へ。
入口で、「ネコちゃんだけ見に来ました。」
入口係のおねえさんは笑っておられた。
でも、ネコちゃんは「カー!」
これ通訳すると、「私らこれが仕事ですねん。お金払ってもらわんことには・・・、カー!」
売店で、アイス買わせてもらいました。これでかんにん。
つぎは、今帰仁の初子オバア。
真樹が大学合格してから、報告とお礼に行っていない。
しかし、お家はお留守。仕方なく2軒隣の息子さんのお家へ。お孫さんが出てこられ、京都からのおみやげをことづけさせてもらった。また今度、真樹も連れてきますね。
ここまで来たら「ベルパライソ」に寄らなければ。
途中、夕立できれいな虹。
「古宇利島にかかる虹」、サイコ―。
「ベルパライソ」のお目当ては、もちろん看板犬のごんちゃん。
★の砂さんとも少しお話しできた。
★の砂さんは、何度も真樹を目撃されているらしい。それもそのはず、ご自宅がご近所でした。
「真樹さんのことは、安心して私に任せてください。」
「ありがとうございます。」
さて、ここからはおなじみ「ごんちゃん写真集」。
最後に私との「無理やりツーショット」。
「すまんなあ。」
「いえ、これも仕事ですから。」
「プロやねえ、えらい!」
今日の晩ごはんは、沖縄そばナンバーワンと言われる「王家」さんに行く予定だった。ところがどうも定休日のよう。
代わりに「ガスト」へ。二人ともガッツリ食べた。
あー、明日もう帰らんなん。あーあ。
比嘉さんが、「奥さんに」と夕方持ってきてくださったおみやげ。
夜の「カッカビール」の時に、ちょっといただきました。
23日夜の体重、59.9kg。
24日夜の体重、60.4kg。
25日夜の体重。62.0kg。
「そら、あかんやろ!」
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2013年06月24日(月)
一人沖縄平和ラン・続き [ランニング]
ホテルチュラ琉球を出ると、真ん前が沖縄県庁。
予定通りの8時出発のつもりが、のぼりを背中にセットするのに手間どった。
それに人通りがなく、スタートの写真が頼める人がいない。
やっと坂を上がってこられた方があった。写真をお願いするとこころよく引き受けてくださった。
「すいません、写真お願いできますか。」
「9の会の方ですか。私も福岡9の会に入っています。毎月9の日には、駅前などで平和をアピールする活動を続けています。」
「えー、そうなんですか。それはいい人にお会いできました。私も、毎月9の日には9km走ってアピールしています。」
福岡から慰霊式に参加された方たちだった。
がっちり握手をかわし、8時12分、県庁前をスタート。
58号線に出ると、いきなり観光バスのドライバーさんがクラクション。窓を開け、こちらに向かって手を振ってくださっている。
「(えー、沖縄では見ず知らずの私にもこんなに歓迎してくださるのか)」とうれしくなった。がぜん走る気がわいてきた。
今回初めて会ったワンちゃん。暑いのに笑ってます。
飼い主さんから、「がんばってください!」
この地名は写真に撮っておかなくては。
「じっちゃく」、絶対読めません。
8時40分、キャンプ・キンザー前通過。
この辺りにあった教会前で呼び止められた。
「あなたは、どうゆうつもりでそんなことをしてるんですか。」
「憲法九条をまもって、平和な世の中にしたいと思ってます。」
「私は元自衛官なんすが・・・」
このあと長々と続いたお話は、どこでもよく聞く「攻めてきたらどうするんですか」から始まるもの。特に反論はしなかった。
「大事なことは、一方的な考えを押し付けるのではなく、私も含めてみんなが憲法のことをしっかり勉強することだと思います。そしてじっくりじっくり話し合うことですね。それでも憲法を変えたいという人が圧倒的に多いのなら仕方ないと思います」とだけ言っておいた。
私は涼しい内に少しでも進んでおきたかったのに、まだまだ食い下がる元自衛官クリスチャン。あなたが手に持っている聖書には、「戦争」についてどう書いてあるんでしょうね。
「攻められたら死ぬんです」、これが私の結論だが、そんなことを言うともっともっと話が長くなったでしょうね。
走りながらならいくらでもお話しさせていただくが、私は先を急ぐんです。ここで長話をしたため、調子よかった走りのリズムまで狂ってしまったような気がした。
嘉数高台を目指すのは三度目。いつも迷うのだが、今回はだいじょうぶ。
しかし、このちょっと手前でGPS腕時計が早くもバッテリー切れ。充電がしっかりできていなかったようだ。これではただの重たい腕時計。あーあ。(よって、以後の距離は推定です。)
私の父のいとこで、うちの本家の跡継ぎだった藤井勘六さんは、ここで戦死したとされている。父と勘六さんの出征先が入れ替わっていたら、私はこの世に存在しない。
9時40分、嘉数高台到着。(スタートから11.5kmくらい。)
予定より30分遅れ。
「京都の塔」の前でお祈り。
この日はたくさんの人が来られるのかと思ったら、ひっそりしていた。
嘉数高台から見る普天間米軍基地。
さすがに今日は静かだった。
2頭立てでお散歩。
白いチャーリーと、きくそっくりのきゅうたろう。きゅうたろうは怖がりで、ほえてほえて。
飼い主さんが私の体をすごく心配してくださった。気温はそう変わらなくても日差しのきつさが全然ちがうとのこと。
「明日、熱を持って大変なことになりますよ。」
この飼い主さんに58号線への近道を教えてもらった。
10時5分、嘉数高台をスタート。
坂道を降りる途中、「ワンワンワン」の大合唱。
いっぱいワンちゃんを飼ってられるお家だった。
「おお、ここがあの有名なアクターズスクール!」
えーっと、この基地は・・・。たくさんあって、なかなか名前を覚えられない。
ここも基地。
ここは6年前、真樹とヨメさんとで泊まった「ビーチタワー沖縄」。いいホテルだった。
このあたりで、南行き車線の車から声をかけながら手を振る女性あり。
「パオパオさ〜ん!」
えっ、まさか。どなた?
この先のマグドナルド前で、その女性が水を持って待機してくださっていた。その車の運転席にはご主人が。
「ご苦労様です。いつもブログを見させてもらってます。今日走られると書いてあったので、少しでもサポートできればと思って来ました。」
「いやー・・・。それはそれは・・・。」
「うちはパオパオさんのところと反対で、娘が京都の大学に通ってるんです。その娘からも応援に行くように言われていて・・・。」
「わざわざ来てくだっさったんですね。こんなうれしいことがあるとは・・・。」
読谷村のTさんご夫妻。この後もずっと気づかってくださり、先回りして私を励ましてくださった。
58号線の東側はずっと基地。そのため民家はなく、ジュースの自動販売機もない。でも、私は意地で基地側ばかり走っていた。
Tさんから頂いた水のおいしかったこと。嘉数高台でジュースを飲んだ後は何も飲んでいなかったので、本当においしかった。
遠くから「アイス」の看板が見えた。
オジイなら買うのはやめ、オバアなら買おうと決めて近づいていていった。そしたらなんと、若いおねえちゃん。
「買う買う、絶対買う。」
でも、その若いおねえちゃんは完全にビビッていた。そら、車しか通らんとこに落武者みたいなんが現れたらビビるわな。
値段聞いてんのに、返事が聞こえへん。そんなこわかったんかなあ。(200円でした。)
おねえちゃんに写真を頼もうと思ったが、これ以上ビビらすのはかわいそう。何とか自分撮り。
「あー、のぼりが・・・。」
2回目で成功。
でも写真を見てうなずく。おねえちゃんがビビるのも無理もない。こりゃ、現代の落武者そのもの。
またまた、何もない道路が続く。
ここは、カデナマリーン・シーサイドレストラン。
ここは、嘉手納米軍基地。
このスポーツ用品店は、嘉手納小学校にも入っておられるようだ。古我知先生は、まだ嘉手納小学校におられるのかな。
嘉手納町と読谷村の境、比謝川。(スタートから26kmくらいか。)
この川の河口あたりが、1945年4月1日に米軍が上陸した場所。
行ってみたかったが、この時点で12時10分。予定より30分も遅れているのでスルーすることに。
読谷村は、紅いもが有名らしい。
ずっとついてくださっていたTさんご夫妻に、「米軍上陸の地」スルーを告げると、「この先にファミリーマートがありますから、そこで休まれたらいいですよ」と教えていただいた。
しかし、ここらあたりから地獄。
足が急におかしくなってきた。「来るぞ来るぞ」と思っていたら、やっぱり来ましたコブラがえり。すぐ治まるかと思ったら、なんのなんの。立ってもいられない、座ることもできない。中途半端な格好で、「ウー、ウー」と唸るのみ。
ここで笑うに笑えん話。
私が痛みに耐え忍んでいるとき、その少し前にあるバス停にいた若いおねえさんがスタスタと。「おー、これは心配して来てくれたんや。」よかったー。
ところが、そのおねえさんから発せられた言葉。「リュウキュウムラハ、ドッチ。コッチ?コッチ?」
ずっこけたかったけど、笑いたかったけど、どっちもでけんかった。もちろん、そのアジア系のおねえさんには「リュウキュウムラ」を教えてあげましたよ、ひきつった顔で。
そして、前半のハイライト(?)
いったん治まったコブラがえりは何度もぶり返す。
やっと目標のファミマが見えてきたのに、本当にもう1mmも動けなくなってしまった。両足が変な形に固まって、すごい痛み。そして、カッチンカッチンに。
その時、その坂を下って来る青年。さっきのことがあるので期待はしていなかった。というより、もうなんの余裕もなかった。
「水を飲んでください。脱水症状になってませんか。」
「これを首に巻いてください。ひんやりして、気持ちいいですよ。」
「こむらがえりですか。塩分不足ですね。ちょっと待っててください。」
痛さ辛さでまともな返事ができなかった。しかし、その青年はファミマに走っていきすぐに戻ってきてくださった。
「これをどうぞ。」
手渡されたのは「塩分チャージタブレット」。
ああ、この方はいったい・・・。
「今日走られるとブログに書かれてたので応援に来ました。」
ああ、こんな私のために・・・。
うるま市の小橋川さん。
「一度パオパオさんに会いたかったんで」と言われたときは、ちょっと泣きかけました。本当にありがとうございました。
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ファミマまでの1kmに30分以上かかってしまった。ここで、Tさんご夫妻とはぐれてしまった。無理もない。1kmに30分もかかってしまったのだから。
ファミマで休けいしながらいろいろなことを考えた。
この足の具合では、絶対にコブラがえりがぶり返す。大事に至る前にバスに乗ったほうがいい。しかし、ずっと声をかけ続けてくださったTさんご夫妻にお礼も言えていない。それに、今まで応援してくださった方と同じようにこの先で私を待ってくださっている方があるかもしれない。
結論→ちょっとずつでも前に進む。
ファミマで休けいしたのは1時間以上。
午後2時6分、やっと重い腰を上げた。
ファミマでおにぎりを買い、お茶やジュースもいっぱい飲みお腹ポンポン。
首には小橋川さんにいただいたクールタイをまいて。
それからは、ちょっと走ってはぎょうさん歩き、ちょっと走ってはぎょうさん歩きのくりかえし。とにかく、「恐怖の足固め」に陥ってしまわないように気をつけて。
沖ハムのかわいいブーちゃんに力をもらい・・・。
名護まで37km。
ということは、なんやかんやで35kmくらいは来たんかな。
足の具合はよくならず、20%走り、80%歩きという状態。
さっき追い抜いて行ったバイクの女の子が、少し先で停まっている。ミラーで私を見ている。追いついた私に話しかけてきた。
「写真、撮らせてもらっていいですか。」
「ああ、どうぞどうぞ。」
「どうしてそんなことをされてるんですか。」
「憲法九条をまもって、平和をまもりたいねん。」
「あっ、今日は終戦記念日だから?」
「そうそう。沖縄県庁から名護市役所まで行くつもりやねん。名護に娘がいるし。名桜大学行っとるんやわ。」
「えっ、私も名桜大学なんです。」
「そっかー、それはそれは。何年?」
「2年です。」
「実家がこっちのほうなん?」
「いえ、今日は北谷まで買い物に。実家は広島です。」
「そっかー、こっちも写真撮らせてもらってええか。お名前は?」
「○○まこです。」
ちょっと真樹に似たまこちゃんとしゃべって、またちょっと元気が出てきた。
しかし、ずっと同じような景色が続く。
海が見えるとほっとする。
この写真なんか、まるで絵のよう。
「おんなの駅」におとこは入りにくい、というわけでもないが休けいなし。とにかくのぼりを外すのがめんどくさくて。
さっきからスピードが落ちているため、なかなか名護までの距離が減っていかない。そのため、休けいはなしでひたすら進む。
私の「猫センサー」がピピッと反応。
いやま、かえらしいネコちゃんじゃありませんか。
あんも、あんもか。
オッサンは、がんばって走っとるどー。応援してくれよー。
バイパスを通ったら、歩道部分はまだ工事中で立ち入り禁止。お構いなしで入ったら、風がきつくて下に落ちそうだった。こわかった。
ここらで、宅配便のドライバーさんから電話。
「荷物、お届けに行ってよろしいですか。」
「えー、今日の朝に出したのに、もう届くんですか。娘に連絡しときます。」
4時5分、ムーンビーチ前到着。(スタートから40kmくらい?)
当初の予定では1時半到着だったので、なんと2時間半遅れ。もし待っていてくださった方がありましたら、本当にごめんなさい。
私がずっと心がけたこと。
足が固まってしまった時以外は絶対に笑顔。
走ったり歩いたりして進んでいるときは必ず顔を上げる。
これがよかったのか、多くの方がクラクションで応援してくださった。また、信号待ちの車からは何人もの方から「がんばってください」と声をかけていただいた。
慰霊式からの帰りと思われるご婦人からは、ジュースの差し入れもいただいた。
これではそう簡単にやめるわけにはいかん。今まで長年走ってきたのは、こうゆうときにくじけないためだ。
「ベテランランナーの意地見せたろかい!」
恩納村のパラセーリングのお店。
真樹とパラセーリングしたのは何年前やったっけ。
ここは米軍基地ではなく自衛隊基地。
民家が全然ないところで、水を持った方がひょっこり。
「水を飲んでください。」
その時頭がだいぶボーっとしていたので、すぐには状況が飲み込めなかった。
「朝宜野湾あたりの58号線で見かけて、さっき家に帰ってきたらまた走ってるのを見たんで水を持ってきました。」
一日に二回私を見られて、急いで水を取りに帰ってくださったようだ。
よかったー。バスで中抜きせんでよかったー。
キンキンに冷えたお水のおいしかったこと。
平良さんとおっしゃるその方は、午前中に慰霊式に出かけられ私と出会い、帰りの車からまた私を見られたそうだ。少しお話もさせていただき、心も体もだいぶほぐれました。
この仮ガードレール、ええやん、笑うやん。
恩納村万座毛のあたりは58号線のバイパスが通っている。こっちに入ったほうが距離的には短縮されるのだが、何もなく殺風景。
このバイパスに入ったところで、コブラがえりのぶり返し。
「いざとなったらバスに・・・。」
ひっひっひー。
バスはバイパスは通らない。
これはなんとしても旧道との合流点まで行くしかない。
まっすぐなバイパスは退屈だった。それでも多くの方がクラクションで応援してくださった。
フーフー言いながらも、やっと合流点へ。
夕方近くになると、多少は気温も下がったようだ。
あんまり海がきれいなので、一枚パチリ。
そしたら、こちらに向かって「ワンワン!」
右下隅に写っていた黒ラプちゃん。
きくも海に連れてきてやりたいなあ。
やっと目の前にバス停発見。
「よっしゃ、こっからバスに乗ろうっと、もう6時20分やし。」
ところが無情にも、その横をバスが・・・。
バス停にいったん停まってくれたら何とかなったが、客がいないと判断しビューンと。
「次は30分後か。しゃーないな。ちょっとでも先に行くか。」
6時35分、真樹からメール。
「今日、晩ごはん 作ったほうがいいですか?
あとなん時くらいに どこに迎えにいったらいいのー?」
すぐに電話。
「晩ごはんは、いっしょにどっか食べに行こう。7時に市役所は無理やし、もうすぐバスに乗る。バスは7時20分くらいに市役所に着くと思うし、そこに迎えに来てくれる?」
みゆきビーチ前のバス停、6時52分というのがあったのでそれに乗ることにした。
もうバスが来るという頃、比嘉増美さんから電話。
「迎えに行きます。」
ぼちぼち歩いていると、小学校の塀に立派な絵がかいてあった。
そのちょっと先で、比嘉さんに拾ってもらう。
助手席にはダンナさんも乗っておられた。
「最後だけでもいっしょに走らせてもらおうと思って・・・。」
待ってくださっていたのに申し訳ありません。できることなら、来年再チャレンジということで・・・。
いつもいつもすいません。
比嘉さんは、普段から真樹のことも気にかけてくださって。
比嘉さんのお迎えがあったので、名護市役所前の真樹のお出迎えはカット。また、次のお楽しみやね。
でも部屋で迎えてくれた真樹は、ニコニコしてすごくかわいかった。きっと、このごろ充実してるんやろうね。
晩ごはんは別のところを予定していたのだが、真樹の友だちがバイトしているということで「和風亭」へ。
友達のH・Aちゃんは、小顔でスマート。「真樹の正反対やなあ」と言ったら真樹はちょっとおこっていた。
9時でH・Aちゃんのバイトが終わり、私たちの席に来てくれた。すごくかわいくて楽しいH・Aちゃん。私が今日沖縄県庁から走ってきた話も、しっかり聞いてくれていた。いい友だちができて、本当によかったね。
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2013年06月23日(日)
一人沖縄平和ラン [ランニング]
6時半を過ぎ、7時の終了予定時刻が迫ってきた。名護市役所まであと17km。もうバスに乗るしかない。真樹は市役所前まで迎えに来てくれるという。
もうバスが来るというとき、私の携帯に着信。
「藤井さん、今どこ?」
「あっ、比嘉さん。いつもありがとうございます。足のほうが限界で、今まだみゆきビーチの前なんです。名護市役所まで、まだ17kmくらいあるみたいです。もう時間もないので、ここからバスで帰ろうと思ってます。」
「あら、そうだったの。もう市役所に着くころだと思って、そっちに向かってるの。バスに乗らなくていいよ。むかえに行くから。」
「ありがとうございます。そしたら、ぼちぼち歩きます。」
ということで、こむらがえり(私は「コブラがえり」と言ってますが)しまくりの「一人沖縄平和ラン」は約55kmくらいで幕を閉じた。
読谷村あたりであまりに足の状態が悪く、バスで中抜けワープをしようかと思ったがやめておいた。今日応援に来ていただいた多くの方と同じように、その先にもこの私を待ってくださっている方があるかもしれない。その思いで一歩一歩最後まで進むことができた。
目標には届かなかったが、ここまで来れたのは応援してくださったみなさんおかげです。ほんとうにありがとうございました。
(注) くわしくは明日。今日の夜は「コブラがえり」で寝られへんかもしれん。
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