パオパオだより

2012年12月07日(金)

真樹の写真が新聞に [家族]

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投票先を選ぶため、モデルの制服を見比べる生徒たち。手前の紺のブレザーが採用されることに決まった(京都市上京区・鴨沂高)

◎京都新聞12月7日朝刊

   鴨沂高、制服導入へ 
         来春から、校舎建て替え節目に

 私服通学を続けていた鴨沂高(京都市上京区)が、来春入学の1年生から制服の導入を決めた。かつて京都の公立高の「自由な校風」を象徴した私服通学が、また一つ姿を消し、卒業生からは惜しむ声も上がる。

■「自由な校風」私服通学よ、さらば・・・   
         今日の公立残るは3校 卒業生惜しむ声

 新制服は男女とも紺のブレザーで、スカートは鴨川の流れのイメージも取り込んだ青色のチェック柄。3案から在校生や進学希望の中学生の投票結果を踏まえ、教職員の検討会議で協議し、6日までに決めた。

 京都市内の公立高の私服通学は、戦後の学制改革や60年代後半の学生運動を反映し、自主性を重んじる生徒自治として広がった。ピークは70年代で、半数近くが私服だった。しかし80年代から山城や塔南、嵯峨野や堀川、桂の各校が相次いで制服化、公立21校のうち私服は鴨沂高を含め4校のみだった。

 同高は昭和の近代建築だった校舎の建て替えを節目に、入試制度改革を見据えた学校改革の一環として制服導入を決めた。嵯峨野高や堀川高も、新校舎建設や学科新設に合わせて制服化している。

 残る私服通学は、朱雀、紫野、銅駝美術工芸の3高校。

 山岸忠校長は「制服化で学校改革への姿勢をアピールしたい」と説明する。市内の公立高入試制度が2016年春にも、受験生が志願先を選べる単独選抜入試に全面移行するため、学校の存在感づくりに力を入れる。

 90年代後半に制服化した嵯峨野高や桂高では反対運動があった。今回は表立った反対はないが、生徒会が独自に制服の希望や意見を求めるアンケートを行い、自分のことは自分たちで決める生徒自治の一端は発揮した。

 同窓会長で京都大名誉教授の上野民夫さん(74)は「時代が変わり、やむを得ない」と惜しみつつ、「自由な校風が、多分野で秀でた人を生んできた。その土台は貫いてほしい」と話している。   (松田ゆい)
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 一番手前の横顔が真樹です。
 たまたま、Yちゃんといっしょに見に行っていたところを撮られたそうです。ほかにもいっぱい撮ってられたので、まさか自分の写った写真が採用されるとは思ってもみなかったとのこと。

 「写真は笑ってるけど、制服化には反対やからなー」と言っていました。

 ちなみに、私の兄弟(姉・兄。姉・私)は「鴨沂・紫野・洛北・洛北」で4人とも私服通学でした。
 当時、高校の生徒会執行部は高校の生徒部のこっわい先生方と対等に張り合っていました。(私もその一員でした。)
 こんなこと、他府県の人にはなかなか信じてもらえませんが・・・。

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