パオパオだより

2008年04月09日(水)

やっと八重山シリーズ総括 [沖縄]

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 夢の八重山旅行から、もう2ヶ月がたった。
 4泊5日(実質4泊4日)の、仕事がらみでない旅行は本当に楽しかった。

 「クーの毎日」のクーちゃんに会えただけで、今回の旅行の目的はほぼ達成と言っても過言ではない。マラソンの日と翌日のエコツアーと、2回も会えた。もうそれが、うれしくてうれしくて・・・。テレビや映画でしか見られなかったスターに会えたような、そんな感覚。
 クーちゃんは、世界で2番目にかわいいワンちゃんです。(もちろん1位は、うちの「きく」)

 それ以外の目的も、だいたい思い通り。
 「やまねこマラソン」は雨の中をしっかり走ったし、「船浮小中学習発表会」もしっかり見れた。
 「鳩間」には行けなかったけれど、マラソン会場で古我知先生や小山校長先生に会えた。
 「大浜中」のユニフォームの子を何人も見たので、入波平先生も来ておられたのかも。そうだとしたら、会えなくてちょっと残念。
 「一希君」にお別れが言えなかったれけど、後で手紙を出したら返事が返ってきた。希望の高校に合格し、沖縄本島で元気に暮らしているようだ。
 「宮良校長先生」の笑顔も見られたし、想定外の三崎先生にも会えた。
 真樹がおすすめの「由布島」の水牛車も、ゆっくりと乗れた。めったに撮れないヨメさんとのツーショット写真も撮れたし。

 私の「パラグライダー体験」とヨメさんの「豪華エステ」は、両方アウトやったけど、これはもともとおまけみたいなもんやったから、まあいいか。次のお楽しみに取っとこ。

 旅行前のうちのヨメさんの鬼嫁度を10とすると、旅行中は1、帰ってきた直後が2か3、そして現在は・・・残念ながら8か9です。(だいぶ戻ってしもた。)

 「来年も、また行こな。」と言っても、「だれが、行くかー。」とか言っていたが、最近は、「暖かかったら、行ってもええかな。」と微妙に変わってきた。
 まだ10ヶ月もある。ねばり強く、ヨメさんを説得しよう。

★羽根田治さんの「極私的鳩間日記」4月5日の記事より。

 家に帰って古我知先生から留守電が入っていることに気付く。折り返し電話してみると、セイジとケーコ先生が引っ越したばかりの新居にやってきて4人で飲んでいるところだった。みんなけっこう酔っ払っているようで、楽しそうな雰囲気が受話器を通して伝わってくる。昨夜、先生からは「入籍しました」という連絡を受けたばかり。末永くお幸せに。

◎やまねこマラソンで古我知先生にお会いした時、「4月に本島の学校に異動になります。」と教えてくださった。その時、ちょっと口元がゆるんでいたので、「結婚しやはんのんちゃう?」とヨメさんと言ってたのだが、本当にそうだった。おめでとうございます。古我知先生らしい楽しい家庭を築いて行ってください。

 今度の学校にも、おじゃましてもいいですか?
 また、沖縄に行く理由が一つ増えた。私もヨメさんも、古我知先生の大ファンですから。
 

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2008年04月08日(火)

平久保小学校-やっと八重山5-(2月12日分) [沖縄・学校]

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石垣島ツアーランドHPより

 朝起きると、外は強風。
 一応、「スカイアドベンチャーうーまくぅ」さんに電話してみた。
 「今日は、ダメですよね。」
 「はい。風が強くて。」
 残念。ちょうど、平久保小学校の帰りに寄るのにぴったりだと思っていたのに。

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フサキリゾートヴィレッジ

 ゆっくりゆっくり朝ごはんを食べた。
 パラグライダー体験がボツになってしまったので、今日の予定は平久保小学校訪問だけになってしまった。
 でもよく考えてみると、この旅行を平日まで延ばしたのは、平久保小学校を訪問し宮良校長先生に会いたかったからだ。本来の目的を忘れてはいけません。

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唐人墓

 フサキリゾートヴィレッジのすぐそばに、唐人墓があったので行ってみた。そこには、こんな説明が・・・

  唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祀られている。
  1852年2月、400人余りの苦力(クーリー)が、厦門(アモイ)港から米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途上、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行に堪えかねて蜂起し、船長ら7人を打ち殺した。
  船は、石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。石垣の人々は、仮小屋を建て、彼らに住まいを提供した。  

 しかし米国と英国の海軍が三回にわたり来島し、島に砲撃を加え、上陸してきびしい捜索を行った。中国人労働者は山中に逃亡したが、百名以上が銃殺され、逮捕され、自殺者、病没者が続出した。島民は深く同情し、密かに食糧や水を運び、中国人側の被害が少なくするよう配慮した。

 そして事件処理に関する国際交渉に取り組んだ結果、翌1853年9月、琉球側が船二隻を仕立て、生存者172人を福州に送還した。
 中国ではこの事件が契機となって大規模な苦力貿易反対の機運が盛り上がった・・・

 (この歴史的事件については、まったく知りませんでした。)

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平久保小正門

 平久保小学校は、石垣島の最北端に近い所にある。
 宮良校長先生のご自宅は離島桟橋の近くだから、石垣島最南端。毎日、南北に長い石垣島を往復されている。船浮から石垣島に戻ったと思ったら、今度は毎日往復2時間のドライブらしい。

 私たちが学校に着いたのは、10時半くらいだった。

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芝生の運動場と丸屋根体育館

 すぐに校長室に通していただいた。先生方に「私のお友達の藤井さんです。」と紹介してしてくださった。
 あいさつの後、宮良先生が最初に言われた言葉。
 「奥さんのお疲れは、取れましたでしょうか?」
 今回の旅行は、うちのヨメさんの疲れをやわらげるが目的ですと言っていたのをよく覚えていてくださったのだ。(さすが、です。)

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平久保幼稚園

 その後、各教室を案内していただき、併設されている幼稚園も見せていただいた。
 それぞれの学級は複式でも5名以下、幼稚園も2学年合わせて5名。学校の存続が危ぶまれているとのこと。
 近くにたくさん牧場があるのどかな環境にある学校なのに、なくすのはもったいない。

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B,zのプロモに使われた絵の前で

 4・5年複式学級の三崎先生とお話させてもらって、びっくりした。
 三崎先生は京都出身ということで、詳しく聞いてみると・・・
 私の教師生活のスタートが、大原小学校百井分校。その時、本校にいたのが三崎先生(三崎君!)。サッカーをすごくがんばってやっていたので、私は覚えていた。

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宮良先生にカメラをお願いして

 当時、大原はサッカーが盛んで、スポーツ少年団の指導も学校の先生がすべて行っていた。私は、時々お手伝いに行っていた程度なので、残念ながら三崎先生の記憶にはなかったようだ。
 それでも、指導しておられた安田先生、義井先生、同級生のチョウ君のことなど、ローカルな話題で盛り上がった。

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スカートめくれる強風

 こんな所で大原の話ができるとは、思ってもみなかった。

 宮良校長先生もお元気そうで、私の好きな歯切れのいい話し方も健在だった。宮良先生は、沖縄独特の「・・・しましょうね」がない。話し方は、江戸っ子ぽい。沖縄ではめずらしい人だと思う。 

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平久保灯台

 午後から校長会があるとのことだったので、お昼前に先生とはお別れした。
 
 正味4日間の旅行で、3人の校長先生とお会いした。鳩間小中の小山校長先生、船浮小中の崎濱校長先生、平久保小の宮良校長先生。
 もし、私が今も現役の教師だったとして、このお三方の下で働くとしたら・・・
 人間的に一番おもしろそうなのは、小山先生。一番しっかり働けそうなのが、宮良先生。何でも相談にのってもらえそうなのが、崎濱先生。
 とにかく、三人とも尊敬できるすばらしい先生です。

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平久保崎

 (なんか、校長さんめぐりみたいになってしもたなあ。私何様? 教育委員会の視察でもあるまいに・・・。)

 平久保小学校を出た後、せっかくなんで最北端の平久保崎へ行った。そこはとにかく、風がビュンビュンでこわかった。

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食事処「はまゆう」

 ガイドブックにも載っている「明石食堂」さんが休みだったので、宮良先生ご推薦の「はまゆう」に食べに行った。
 メニューは少なかったが、当店自慢のという「タコライス」を注文した。これが、意外とおいしかった。ぜひ、食べてみてください。
 店の厨房のあたりを、小さな子が動きまわっていた。

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絶品「タコライス」

 あれっ、あの子、さっき平久保幼稚園にいた子とちがう? お昼やし、帰ってきたんかな。それとも、人ちがい?
 どっちにしても、小さな子がいるだけで、その場がなごむ。大人だけ、年寄りだけの集落に未来はない。
 どんなことがあっても、無理をしてでも学校は守ってほしい。それが、学校がなくなってしまった地区に住んでいた者の願いです。

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川平湾

 効率ばかりが優先されて、ひとりひとりをしっかり見つめるという教育の基本が忘れられていく。
 今まで小学校が担ってきた地域の文化センター的な役割も、忘れられていく。
 「本当に、学校がなくなってもいいんですか?」
 考えて考えて考えて、その上もう一回考えてみてください。お願いです。

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2008年04月06日(日)

第24回日本平桜マラソン [ランニング・出張販売]

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23.4kmの部スタート

 いつもレースのスタート前、自分なりに今日のテーマを決める。
 今日は天気もよく、春らしい絶好のコンディション。東京から近いこともあり、女性の参加者も多い。ランスカランナーが多いかも。ブログに載せられないかなあ。

 23.4kmの部のスタートはかなり込んでいた。
 1km過ぎくらいから、だらだらとした上りが始まる。

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大慈悲院川堤の桜

 小さな川沿いに見たこともない桜が。なんと、一本の木からいろいろな色の桜の花が咲き乱れ・・・。
 
 もうすこし進むと、日本平動物園。ここは、大会前日、家族4人で何回も行った。山の上の爬虫類館に行き、スーパースライダーですべって降りてくる。これがおもしろかった。 ハイエナの「星」くん、元気にしてるかな。子どもがついて来なくなっても、動物園は行きたいな。 

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日本平動物園入り口

 3km過ぎくらいから、前を行くランスカランナーに追いついてきた。
 「写真、撮らせてもらっていいですか。」とか、「ブログに載せてもいいですか。」とか声をかけたかったのだが、できなかった。一番の原因は、その表情の険しさである。
 何人ものランスカランナーに追いつき声をかけようとしたが、みんな厳しい顔だった。

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桜並木の上り坂

 上り坂が延々と続くのだから、あの表情も無理もない。ただ、ランスカはまわりの注目をあびているのだから、もうちょっとにこやかに走ってほしいと思った。私が見たかぎりでは、みなさんランスカが似合っていただけに、よけい残念。

 10km手前、山の頂上付近。ランナーにタッチして応援されている人がいた。近づくと、テレビカメラと音声マイク。
 「あっ、パッション屋良さん。」ウェストバッグからデジカメを取り出し撮っていると、向こうから話かけられた。
 「すごいですね。カメラを持って走ってるんですか。」
 「はい、いつも。」 

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パッション屋良さん

 「今日の調子は?」
 「はい、バッチリです。」

 そこを過ぎると、後は下り。足がスイスイ前に出る。
 ぱっと目の前に広がる駿河湾。そして、その向こうに真っ白な富士山。 

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向こうにうっすら富士山が・・・

 その時、急にある人のことが頭に浮かんだ。
 「高石てるえさんが、ここを走れるようになったらいいのになあ。きっと、きれいな富士山を見て喜ばはるやろなあ。」
 ガンと戦っておられる高石ともやさんの奥様。勝手に応援したいけど、迷惑かな。マラソン大会で応援メッセージを身に着けて走る、というのはどうやろう。絶対使ったらあかん言葉は、「がんばれ」やね。 

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15km付近

 「いっしょに走ろう、高石てるえさん」
 「しっかりにっこり、高石てるえさん」
 「待ってます、高石てるえさん」
 こんなとこで、どうでしょう。

 そんなことを考えながら走っていると、もう大通り。もう15km地点。 

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老犬も応援

 だいぶ前に23.4kmの部に出たが、ゴール前、渋滞の車の排気ガスを吸いながら走ったといういやなイメージが残っていた。それは、最後の2kmくらいだと思っていたが、後8km以上。
 こんな長かったっけ?
 ただ、前よりは車が少ないようにも思う。 

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ゲストの平川地1丁目

 しかし、排気ガスよりも気になりだしたことがある。山下りでスピードアップしたため、2時間切りの可能性が出てきた。残り5kmくらいからは、かなり、前のランナーを抜いた。
 残り1kmくらいからは、もう時計を見る余裕もなく、最後は息絶え絶えのゴール。うーん、2時間ちょっと越えてもたー。くやしー。 

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バロン君、5歳

 とその時、「キャロットさん、後でお店行きます」の声。
 「あっ、馬杉さん!」
 ああ、こんなところにランスカ美人が。最後の最後に追い着いたようだ。
 馬杉さんは、元kappa社員で現役ウルトラランナー。今は退職されて他の仕事をされているが、今もうちの通販を利用していただいている。
 私が知っているウルトラランナーの中で一番の美人です。うちのヨメさんいわく、「あんなきれいな人やのに、何が彼女をウルトラに駆り立ててんのかなあ。」 

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ベリーちゃん

 別に、人は何かつらいことがあってウルトラに走っているのではないと思うんですが・・・。

 馬杉さんのゴールタイムを聞いて、ビックリ! 2時間0分18秒。なんと、私と同タイム。
 「2時間切れへんかった二人ということで、いっしょに写真を」 うまいことお願いできました。
 もちろん、撮影役はうちのヨメさん。トイレに行くひまもなく一人で働いていたのに、やっと帰って来たと思ったら、「写真撮って」てか? そら、怒るのも無理もない。ごめんね。

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美人ウルトラランナー、馬杉裕子さん

 

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2008年04月03日(木)

西表島観光-やっと八重山4-(2月11日分) [沖縄]

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 今日は、初めて普通の観光日。
 カンピラ荘でゆっくり朝ごはんを食べた後、バスで由布島に向かった。
 バス停近くのお店に張り紙がしてあった。「ニラカナイ宿泊のお客様は、お断りします。」
 やまねこマラソンに参加が決まった時、「ニラカナイに泊まろうか」と思ったこともあった。しかし、前に見た道路沿いの「ニラカナイ反対!」の看板が気になっていた。  

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 ネットで調べると、たいへん問題のあるホテルであることがわかった。自然破壊との理由から多くの反対があり、それを押し切って建設されたホテルだった。確かに、人口2000人ちょっとの島に、あのホテルは似合わない。きれいな浜も破壊されたそうだ。
 泊まらなくてよかった。


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 今度はバスに乗り遅れず、無事由布島に着いた。
 途中、山の合間にきれいな滝が見えた。あれが有名な、なんたらの滝か、そばまで行ってみたいなあ。
 今度、よんなぁよんなぁさんお願いします。

 私は3回目の由布島。もう、ベテランです。
 

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 水牛がゆったりゆったり。もうそれだけで、ヨメさんは大満足です。牛がかわいくてかわいくて。ツーショット写真はめったにないので、島でモデル水牛といっしょに撮ってもらいました。かえりの水牛はかなり」ゆっくりで、後ろからきた別の水牛に抜かれていた。おまけにかなり斜行しており、これは競馬なら失格です。おもしろい。何回乗っても飽きません。

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 由布島からまたバスで、大原港へ。
 水中観光船「うみえーる」が目当て。受付で聞いてみると、4人以上集まらないと船は出ないとのこと。そこらにいる人に向かって呼び込みをやろうとしたが、「かっこ悪いし、やめ」とヨメさんにしかられた。

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 仕方がないので、近くのスーパーでも行くことに。その間に人が来れば出航できるかもしれない。
 スーパーの帰り、口のまわりが真っ黒のワンちゃん発見。きくのちっちゃい時によう似とる。
 「きくちゃーん、元気にしとるかい。」
 よそ様の庭先で、勝手に写真を撮ってきた。

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 スーパーから戻ると、もう一人お客さんが増えて合計3人。これで出航してもらえることになった。(これは赤字覚悟ですな。) 沖のほうに行くと、日本最大級のさんご礁。こりゃ、すごい。
 腹ばいで見てくださいとすすめられたのでそうすると、ちょっと船酔い。ヨメさんは、かなりしんどそうだった。
 この船は酔いやすい。気をつけて。

 
 大原港に戻った時、石垣行きの船が出そうになっていた。「うみえーる」の帰りが少し遅れたからだ。(ちょっと長めのサービス?)
 こちらの船の方が、指笛でむこうの船に知らせてくれた。それで気づいてもらって、なんとか乗ることができた。あぶなかった。

 石垣に着くと、まず公設市場のある商店街に行った。ここは京都で言うと、出町? 大宮? いやいやもっとごちゃごちゃした、いい感じの通りです。うちのヨメさんは、こうゆうとこが大好き。
 公設市場のトイレで、横から声が。
 「おとつい、西表におられましたよね。」
 「はい。」
 「犬のTシャツ着ておられたから、よく覚えてるんです。」
 確かに、きくちゃん顔でかでかトレーナー着てましたけど。声をかけてくださったあなたは、だれ?

 

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 そこでいろいろおみやげを買い、タクシーでホテルに向かった。
 今日のホテルは、フサキリゾート。コテージ風の建物がいくつも並んだ、ちょっとかわったホテル。
 ここで、ヨメさん念願の高級エステを予約しようとしたが、すでにいっぱいで断念。残念!

 

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 気を取り直して、創作島料理「ゆんたく」へ。
 ここはよかった。めったに食べられないナポレオンフィッシュを食べ、その後は石垣牛のコース料理。やわらかくて、おいしかった。
 お店の従業員さんも感じがよく、楽しそうに働いておられるのがよかった。料理を運ぶ女の人がすごく日に焼けているように見えたのが、気にはなったけど。(なんぼ沖縄ゆうても、今2月やし・・・。)

 外は、パラパラと雨。
 いろいろありましたが、まずまずゆっくりできた一日でした。


(注)デジカメのバッテリー切れのため、2枚目以降の写真はヨメさんの携帯で撮ったものです。

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2008年04月02日(水)

カンピラ荘-やっと八重山3の4-(2月10日分) [宿情報]

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カンピラ荘

 鳩間行きの船が欠航のため、上原で泊まることになった。楽しみにしていた「マイトウゼ」(鳩間の定宿)、一希君(マイトウゼに住む中3)、中曽根さん(鳩間の吟遊詩人?)、かなちゃん(琉球犬ハーフ)、浦崎啓子さん(鳩間の柴崎コウ)、みんな夢まぼろしになってしまった。

 「カンピラ荘」さんは初めてだが、旅行の前、西表に行くならここがお勧めと言ってくださった人がいた。その方はうちのお客さんで、若い時にカンピラ荘で働いておられた人だった。その時いっしよに働いていた人が、今もおられるらしい。

 私たちはおふろにゆっくり入りたかったので、おふろ付きの部屋にした。八重山で、シャワーでなくおふろが付いている所はめずらしい。
 ばんごはん、朝ごはんもおいしかった。
 ばんごはんには貝のお吸い物が付いていて、食べると「じゃり」っと音がしたが、味はすごくよかった。
 朝ごはんは、ごはんとパンの両方が出て、いろいろなジャムもあり、ヨメさんはうれしくなっていっばい食べていた。

 ばんごはんの時、となりの女性に話かけられた。
 「今日、船浮におられましたよね。イダの浜へ行く道で、すれちがいました。」
 「はい。船浮小中の学習発表会を見に行ってたんで。」
 「あっ、それ、私らも行きました。もう終わってたんですけど、おやつだけいただきました。」
 「それは残念。子ども3人だけの学校でしたけど、すごくよかったですよ。来年、行かはったら?」

 お二人は、兵庫の奥山ご夫妻。
 話によると、奥様のほうは、30年くらい前から沖縄旅行をしておられるとか。ということは、私たちと同世代?
 船浮には、池田卓さんの家が目当てで行かれたらしい。
 私たちが鳩間に何回も行っていると言うと、うらやましがっておられた。鳩間加奈子さんの家が見たいらしい。
 よくしゃべる奥さんと、時々合いの手のようにちゃちゃをいれるだんなさん。関西には、このパターンの夫婦がかなり多い。(うちも、そうかも。)

 家でお座敷犬を飼っていると言われたので、携帯の写真を見せてもらう時、ちょっとドキドキした。私のにがてな高級犬ならどうしよう。よう、ほめん。
 なんやー、でかい雑種ですやん。「はな」というそのワンちゃんは、白系のおとぼけ系のかわいいワンちゃんだった。よかった、雑種を飼ってる人はみんないい人やから。
 京都の大学に通っておられる息子さんの話、ぼちぼちランニングをされている話、今までの沖縄旅行の話などでだいぶ盛り上がった。

 鳩間には行けなかったけど、そのおかげで奥山ご夫妻に出会えた。
 もしこのブログを見られたら、ぜひコメントを。必ず、「はな」ちゃんの写真も添付してくださいね。

 カンピラ荘さん、どうもお世話になりました。楽しい時間が過ごせました。
 (最近のホームページを見てみると、3月から、ばんごはんがなくなったようです。残念。おいしかったのに。)

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2008年04月01日(火)

ナリケン [私の好きな人]

 今日は、エイプリル・フール。
 この日のブログはみなさん苦労されるのでは。何を書いても嘘っぽくて。
 それなら私は逆手を取って、嘘のような本当の話を書きます。

 ずっと前から、ブログに書きたくてたまらない人がいます。
 その人の名は、「ナリケン」。今、中1、13歳です。(あまりくわしく書くと、個人情報保護法にひっかかりそうで心配です。)

 その彼に、去年12月18日、手紙を書きました。
 「ん? 52のおっさんが、13歳の少年に手紙?」
 (読みたくなりません?)

 

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○○○○君
   いろいろとありがとう。

―私が考えた10年後の話―

私「きょう、タイガースの新人入団発表あったやろ。あの中で、めちゃくちゃ堂々としてたやつおったやろ。見た?」
 「あーあーあー、おったおった。何かでかいやつやろ、体も態度も。」
私「そそそ、あいつなあ、うちの娘の中学校の時の同級生やねん。」
 「そうかー。あんたとこの娘さん、もうそんな大きなってはんの?」
私「そやねん。体はチビやけど、もう23歳やねん。わらうやろ。」
 「ほな、あの○○ちゅうやつ、京都出身か?」
私「京都も京都、家は国際会館駅から歩いて三歩、ゆうとったで。」
 「歩いて三歩?って・・・、どやねん。」
私「そうゆう人くったようなこと言うのん好きなやつやったみたいやで。入団発表の記者会見で、ゆうとったやん。『大リーグのタイガースに入団が決まったと思ってました。へたこいたー。』やて、10年前の小島よしおのギャグやん。」
 「え、だれ、それ?」
私「ままま・・・。
 でもな、あいつ意外とかわいいとこあんねんで。10年前のおれの誕生日にな、プレゼントくれてん。娘の同級生やけど、一回もしゃべったこともないのにやで。
 なんかな、あいつの誕生日に娘がプレゼントあげたんやけど、ちょっとはずかしかったみたいで、『うちのおとうさんからのプレゼントやし』とかゆうたみたい。
 それをちゃんとおぼえてくれてて、おれの誕生日にお返ししてくれたんやな。
 律儀なやっちゃ。
 12月のめっちゃ寒い時やったんやけど、何くれたと思う?
 すずしげな半ソデのポロシャツですわ。さわやかな真夏にはえるライトグリーンのね。
 おれのちっちゃい時、あの色はうぐいす色ゆうてな、唯一のよそ行きのセーターがあの色やってなー。運命やなー。」
 「運命って、何が?」
私「あのころようゆうとってん。○○君はぜったい大物になるでって。顔が大物の顔やもん。てゆうても、娘やヨメはん『意味わからんし』の連発やったなあ。」
 「確かに意味わからんし。まあ、でも、先見の明あったやん。」
私「初めて中学入学後のクラス写真見た時、ガーンとショック受けたんや。えっ、こいつほんまについこないだまで小学生? うそぴょん? 先生より風格あるし。」
 「えっ、中1からあの顔かいな。」
私「そやねん、全然かわってへん。
 一回、中学の野球部の練習見たんやけどな・・・。
 テニスコートくらいの広さの所で四角になって、各コーナーに3人ずつくらいいてキャッチボールしとんねん。場所はせまいわ、順番なかなかまわってこーへんわでかわいそうやったで。
 あのころ、どこの中学も人数へってたのに、岩倉の洛北中はどんどん人数がふえて、クラブ活動もたいへんやったと思うで。
 よう、あっからプロ野球選手が生まれたもんや。」
 「ほんまやねー。岩倉初のプロ野球選手かもね。」

私「そうそう、そのころうちの娘なあ、あいつになんて呼ばれてたと思う。藤井さんとちゃうねん。『ベップ』やで。」
 「ベッ、ベップって?」
私「うちの娘なあ、小学校は花背の別所小学校で、今はもう統合でなくなってしもて最後の卒業生なんや。たった一人のな。
 それで、卒業の後ひっこして、岩倉の洛北中学校に入ったんや。
 京都の小学生はたいてい小4で花背山の家学習ゆうのんで別所に来とんにゃけど、あいつは小4から小6まで西宮におったらしい。そやし別所にはなじみがなくて、自分が知ってる別所に似た地名『別府』から『ベップ』と呼ぶようになったみたい。」
 「めちゃくちゃやん。」
私「そやろー。
 そやけどな、うちの娘、学年1人から250人の学校に入って不安だらけやったと思うねん。そんな中で、何やかやとあの○○君がかまってくれたみたいで・・・。自分が西宮の小学校に転校した時の不安な気持ちを思い出して、真樹に気を使ってくれたんかなあ。とにかく、みんなを楽しませてやろうという気持ちはマンマンやったみたい。
 『今日、○○がなあ・・・』っていう話、よう娘から聞かされたわ。それ聞いて、ちょっとほっとしててん。あー、ちょっとずつみんなの中に入れてんにゃと思えて。
 ○○君には感謝してんねん。ほんまに。」
 「ふーん、そんなことがあったんや。」
私「それにな、そのクラスで学校にこれてへん子がいたんやけど、みんないろいろと働きかけはしてたみたいや。先生からはよう注意されてたみたいやけど、みんなが一人一人のことを考えるええクラスやったみたいやで。真樹は毎日ニコニコしとったしね。」
 「そうか。そういうクラスから逸材が生まれるんやなー。」
私「何とか活躍してほしいな。
 おれな、ちっちゃい時からヤクルトファンやったんやけど、○○君がタイガースで活躍している間は阪神ファンになったるかー。甲子園で、ナリケンコール。ええなー。
 そやけどねあのポロシャツにサインしといてもろたらよかったなあ。新人王でも取ったら、中学生時代のサイン入りポロシャツ、1万円くらいで売れるんちゃうん。」
 「何考えとんねん、このオッサン!」

―チャンチャン! (おしまい)―

 2007.12.18

                         猿山洪水こと 藤井廣司

◎10年後の話は想像だが、10年後に10年前を思い出している所(つまり現在、ややこしやー)は、すべて事実です。
 さらに驚くことに、1月中旬、この手紙の返事が返ってきた。それは、忍者の巻物のような手紙だった。
 これは私の宝物なので、中味は教えられません。題と、中味のごく一部だけ紹介しましょう。

 題は、「いえいえ こちらこそ」
 中味の一部、「・・・けどやね そないふけとりますか? ちょっとショック。けど大丈夫、今はこんな平凡な中学生やけど絶対有名人になったりますがな。・・・」

 もうすぐ新学年のクラス替え。たぶん、うちの娘と「ナリケン」も別々のクラスになるやろね。7分の1の確率やから。
 でも、娘を通して、君と知り合えてよかったよ。これからも人を楽しませ、自分も楽しもう。応援してるよ。

 (今日、このことを書く決心がついたわけ。
  真樹がバスケ部の友だち3人と「ひらパー」に行って、おみやげを買ってきてくれた。それは、○○山の交通安全のお守りだった。それを見てナリケンを思い出し、私が喜ぶと思って・・・。真樹は、本当にいい子です。)

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