パオパオだより

2008年02月03日(日)

琉球・沖縄民俗芸能鑑賞会 [沖縄]

 午後2時開始に間に合うよう、京都を出た。

 「草津かー、なつかしいな。」
 17年前、教師の仕事を辞め、バイトで牛乳をスーパーに卸していた。わかりやすく言うと、配送のにいちゃんをやっていた。(にいちゃんといっても、当時すでに35歳。)毎日、この近江大橋を渡っとったなー。

 市民交流プラザに着くと、こじんまりした会場に50人ほどの人たち。写真を撮ってもいいかだけを確認し、入場。

 第一部  琉球舞踊

 いきなり、面食らってしまった。「かぎやで風」
 めっちゃ、ゆーーーっくり。スローモーションを見ているみたいだった。お二人のゆっくりぶりがシンクロ。こんなゆっくりな踊りがあったとは。あぜんとしているうちに終わってしまい、写真を撮るのも忘れてしまった。
 
 「よんなぁよんなぁ」(ゆっくりゆっくり)とは、このことか。この時、はたと思い浮かんだ。
 ブログ「クーの毎日」のライターは、よんなぁよんなぁさんである。でも、あの人、沖縄出身じゃないよな。

 2番目に、高間さんが一人で出てこられた。「加那ヨー」
 えっ! 一瞬人違いかと思った。この人が、あの高間さん? 2年前、ふんわりした笑顔で、私と娘に話しかけてくださった高間さん?
 お化粧のせいもあるかも知れないが、かなりやせられたように見えた。体調をくずされたと聞いた時、お電話では「全然、たいしたことないです。」とおっしゃっていたが、これはちょっと心配。

 その後、「鳩間節」 「四ツ竹」 「いちゅび小(ぐぁ)」  

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「加那ヨー」の高間悦子さん

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「四ツ竹」の豪華衣装


 
第二部  沖縄館さんしん倶楽部

 高間さんを含め、総勢10名でさんしんを演じられた。中学生の男の子が、お母さんといっしょにしっかり弾いていたのが印象的だった。
 「安里屋ゆんた」 「芋の時代」 「バチクァイ節」

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第三部  新垣優子 島うたライブ

 沖縄本島最北端ヤンバル、「辺戸」出身の新垣優子さんのライブ。
 申し訳ないけれど、まったく知らない方でした。

 いきなり、沖縄の言葉で話し始められ、何がなんだかさっぱり。(会場の半分くらいの人は、わかっていたようだ。)
 辺戸は、100人足らずの村で、今はおじいおばあの一人暮らしがほとんどだそうだ。
 現在、長崎・五島列島・福江在住で、今日の滋賀の雪景色には、びっくりしたとおっしゃていた。
 夫は公表、ご自分の年齢は未公表。(かな?)

 どんな人なんかなーと見ていると、まず、かわいいわらべうた。その後一変して、のびのある沖縄民謡。しんみりした永良部の唄もあり、さんしん一つでこんなにいろいろなことができるんだと感心した。

 お話の中で、一番おもしろかったこと。
 中学生の時、顔にできものができ、近くにお医者さんもいないので困っていたら、「○○のおばあのとこに行け。」と言われた。そこでは、おはらいのような用意がされ、目をつぶっていると、「ペッ、ペッ」と言う音と「シュッ、シュッ」と言う音が交互に聞こえる。恐る恐る目をあけると、「ペッ、ペッ」はおばあのつば、「シュッ、シュッ」はほうきのような物で顔をはく音だった。
 自分のおばあにその話をしたら、「あのおばあは、効かん。」と言われ、また別のおはらいをしてくれたそうだ。(そのおはらい、ちょっと体験してみたいような・・・。)

 昨年12月に出されたCD「風ヌ葉」を買い、それにサインをしてもらった。
 人形劇もされるとプロフィールに書いてあったので、そのことも聞いてみた。
 実は、私も教師かけ出しのころ、発泡スチロールを使った人形劇を学校でやっていた。新垣さんは、それとはまたちがう人形を使ったもののようだ。今度は、それを見てみたい。次は、真樹も来てくれたらいいのにな。

 最後に、高間さんのごあいさつ。
 これからも、このような催しを続けていきたいとのこと。私も、何らかのかたちで協力していきたい。
 最初は、場違いな存在ではないかと心配だったが、大満足な3時間だった。参加費2500円も安い。

 このような機会があれば、ぜひ、次も参加したい。
 (それにしても、高間さんは、やっぱり前よりやせられていた。沖縄県人会・沖縄館・沖縄ファン倶楽部<沖縄出身以外の会>と幅広く活動されているので、疲れがたまっているのでは・・・、心配。)

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新垣優子さん

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高間悦子さん


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京都走ろう会例会(2月第1日曜)+りんちゃん [ランニング]

  今年3回目の、京都走ろう会例会。
 木津川マラソンと日が重なったせいか、参加者は10人ほどと、少しさびしかった。

 新年会の世話役として、骨を折ってくださった塚本政琉さん(幹事)がおられたので、声をかけた。
 「新年会、お世話になりました。初めて参加させてもらったんですけど、いろいろ話ができてよかったです。料理もおいしかったし。」
 「そうか、ありがとう。ほんまに、よう来てくれたなあ。にぎやかで、よかったわ。」

 「あのー、塚本さんがいつも連れてきてはるワンちゃんは、なんて言う名前ですか。」
 「あっ、あれな、<りん>ゆうねん。」
 「りんちゃん。かわいい名前ですね。」
 「そらもう、かわいてかわいて。いつも、晩、いっしよに寝とんねん。」
 「へー。」
 「もう、りんが死んだら、わしゃ生きてゆけん。こいつが死ぬ前にもう一匹飼わなあかん、ほんまに。」
 「そんなー。まだまだ元気そうですやん。そんな簡単に死にませんて。どっちかゆうと、塚本さんがポックリ・・・。」
 「んな、あほな。」
 
 「走ろう会に来る時は、ようわかっとってなあ。このジャンバー着たら、とんで来よんねん。」

 がんばれ、ランニング・ドッグ、りん。

 私の結果は、10km、46分39秒でした。

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塚本さんのむこうに、ちっちゃいりんちゃんが・・・

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りんちゃんのアップ


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2008年02月02日(土)

紫野高校マラソン大会コース試走 [家族]

 高1の息子・廉とは、小学生のとき、親子ペアレースで何回も優勝や入賞をさせてもらった。
 親も子も、それぞれ二流ランナーなのに(単独では入賞は無理)、二人で息を合わせて走るとすごいパワーが湧き出てくる。今思い出しても、あの爆発的なスピードがどこから出てきたのか不思議である。
 中学生になると、同じレースに申し込み並走することも多かった。
 ところが、三年前の四月、息子が中2になってすぐの山崎さつきマラソン5kmで、折り返しまで並走するも3km付近で置いていかれてしまった。それからは、息子には勝てなくなり、並走することもできなくなった。(こんな近くでわが子の成長を見られるとは、なんて幸せ者でしょう。)

 
 2月19日に高校のマラソン大会があり、30位以内に入ると表彰されるそうである。
 「チャンス!」
 サッカー部では目立たない存在だが、長距離を走らせたらそこそこいけるはず。なにせ、中学卒業までは、「うちの宣伝になるから」としょっちゅうレースに出さされていたから。
 使われるコースも、鴨川の北大路橋スタートゴールということで、家からもそう遠くはないので、一度二人で試走することにした。(3年ぶりの、並走!)
 男子は、本番は、北大路橋・西賀茂橋・丸太町橋・北大路橋を一周半するらしい。(左まわり・約18km)
 とりあえず、最後の半周は省略して、一周12kmを試走することにした。コースの状態を確かめながら、1時間くらいかけてゆっくり走るつもりだった。
 結果は57分48秒。だいたいキロ4分50秒ペース。私自身はこれ以上速いペースは無理だが、息子は余裕だった。汗もほとんどかいていない。
 息子は、11月にハーフマラソンを1時間31分で完走している。これはキロ4分20秒ペース。18kmに当てはめると、1時間18分。
 最後の北側の半周は6kmより短いので、目標は1時間15分切りか?!
 これを達成したら、30位以内は間違いない。

 古い話だが、私もいなかの小さな中学から大きな高校に入り、まったく目立つことがなかった。体育の長距離走の練習ではいつもクラス一番だったが、「マラソン大会の日は、クラブ入っているやつが本気だしよるしな・・・」と友達から聞かされていた。
 結果は、10クラス200人以上の男子の中で10位入賞。
 初めて、担任の先生(体育)にみんなの前でほめてもらった。ちなみに、クラブに入っていない男子の中では学年1位だった。

 「廉よ、がんばらんでいいから、しっかり走れ。地球の上を、楽しんで走ってみ。」

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2007.11.23「坊っちゃん一緒にらんランRUN」

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2008年01月27日(日)

2008大阪国際女子マラソン [マラソン評論]

 家に帰って、「大阪国際女子マラソン」のビデオを最初から見た。

 昨日、ヨメさんと予想した。
 「福士、どう思う?」
 「わっからんなあ。」
 「まあ、ボクとしては、バーンと飛び出してくれたら、後はもうええわ。日本のイカンガーになってほしいな。(あの、前に人がいたらかなんって言ってたランナー)」
 「まあ、新しい方法で挑戦しやはんにゃから、応援しょ。まだ、若いんやもん。」

 初めは、私の思い通り。
 しかし、最後のほうの福士は、なんとも言えん状態だった。もし、私に言わせてくれるなら、「なんでもええし、なんか食わしたってくれー。」
 テレビでは脱水症状と言っていたが、私たち市民ランナーには、「ガス欠」のほうがわかりやすいと思う。走るエネルギーに変える物が、からっぽになった状態である。
 記録をねらった一般市民ランナー(ほとんど男性)は、調子のいい時に、必ず一度や二度経験したことがあるはずである。(私は、5回ほどあります。多すぎ?)

 「もう、走れへん。歩くのも、いや。」
 ところが、そこでおにぎりとかパンを食べたら、急に回復して走れるようになる。

 私の場合、一番ひどかったのは、新婚旅行の時に出た北海道帯広での自転車レースである。
 ガス欠で体が動かなくなり、とうもろこし畑の前で、ずっと悩んでいた。(このとうもろこし取ったらどろぼうさんやけど、あのヒゲは取って食べてもおこられへんかな。) 本気で、真剣に悩み、そのヒゲを凝視していた。体はかたまっていたと思う。(異様な光景!)
 そうしているうちに収容車が来て、私はヒゲ泥棒にならずにすんだ。
   
 また、30kmレースで1時間57分台を出した次の30kmレースで、とばしにとばした時は、27kmすぎで目の前が夕方の明るさになった。河川敷だったので、自分で草むらに倒れこんだ。気持ちよかった。
 夢ごこちの時、主催者である武庫川ランナーズの大道さんが、ぶどう糖のアンプルを持って走ってきてくださった。倒れている私を見た他のランナーが、本部に報告してくれたらしい。(めんぼくない。)

 ほかにも何回かあるが、どの時も、食べ物を食べたらケロリと元気になった。
 そんなことを考えていると、一週間前の松山健治さんの話を思い出した。 

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産経ニュースより

 「京都シティハーフの思い出」  −−松山健治さんの話・(京都走ろう会新年会にて)ーー

 京都シティハーフは3回走ったんやけど、最後に走ったのが、もう15年くらい前になるのかなあ。

 その時はめちゃくちゃ調子よくて、自己新が出そうなペースで18kmくらいまでぐんぐんとばして、そら気持ちよかった。
 ところが、後ちょっとと言う所で急に走れんようになって、立ち止まってしもた。お腹がペコペコになって意識もちょっともうろうとしかけた時に、コース沿いにパン屋さんを見つけてなあ。こら助かったと思って、お店に入ったんや。

 「ゴールしたら必ずお金を払いに来ますので、パンをわけてもらえませんやろか。」
 「それしたら、みんなにせなあかんことになりますので・・・。」

  まあ、お店の人の言わはることもようわかる。
 そこで途方にくれてたら、先にゴールしてた知り合いが歩いて帰って来るのが見えて、
 「ちょっとお金貸してもらえへん? 何か食べんと、もう走れへんねん。」ってゆうたんや。
 ほな、気よう千円かしてくれて、それでパン買うて食べたら生き返ったわ。
 食べてる途中、ヨメさんが、「何してんのん?」って言いながら抜いて行きよる。ほんま、冷たいやっちゃ。

 そこでまだ食べ続けてたら、別のランナーがパン屋さん入っていって、おんなじことを・・・。
 ランナー「ゴールしたら必ず・・・」
 お店の人「それしたら・・・」
 
 それ見てて気の毒になって、さっきのおつり残ってるし、そのランナーに「つこて」ゆうて渡して、自分はゴールめざして走って行ったんや。

 そしたら、その何日か後に、京都陸協から電話があって。
 何かいなーと思ったら、「松山さんからお金を貸してもらってパンを買って、完走できたという人が、お礼を言いたいということで・・・。」
 そして、その何日か後、パンの代金とお礼の手紙が送ってこられてねえ。

 みんなエネルギー切れたら、あんなもんなんやねえ。ええ経験になりましたわ。

◎後日、松山さんに電話。
 「あのガス欠、男の人はたいてい経験してはりますよねえ。うちのヨメさん、なんぼ説明してもわかってくれへんのですけど・・・。」
 「そうやね。女の人は少ないやろね。それにしても、福士さん、あの状態で、よう最後まで行ったなあ。それが、びっくりやったなあ。」
 「ほんま、われわれでは考えられませんよね。あんななったら、何か食べんとね。」

 私は、もうひとつ、後になって気づいたことがある。
 テレビ放送の終わる前5分ほど、途切れることなく、福士がずっと映っていた。そして、放送終了ぎりぎりにゴール。福士は、この間、だれにも抜かれなかったのである。一人で、画面を独占していた。
 あれで、いままで福士のことをよく知らなかった人の頭の中に、強烈な印象として残ったはずである。
 今回のレースは、当然、評価の分かれるところであると思うが、あの最後の5分間は、いろんな意味で奇跡に近い。

 私の義理の兄、恵藤さんの感想。
 「福士、すごかったなあ。フルマラソンって、あんな超一流の選手でもあんなことになんにゃなあ。こうじおっさん(私のこと)、ようそんなもん何回も完走しとるなあ。ほんま、感心するわ。」
 (こんな考え方もあるんですね。私と福士をくらべるのは、あまりにも失礼だと思いますが・・・。)

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第18回くみやまマラソン [ランニング・出張販売]

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ゲルヌーサトライはハデ

 今年2回目の出張販売は、家から1時間以内の近場。
 かなり冷え込んで、朝から雪。
 レースが始まるころには雪もやんだが、木津川沿いのコースは、寒さに弱い人にはこたえると思う。

「くみやまマラソン」と言えば・・・
 7年前、出張販売ではなく、純粋にレースに出るために参加した。息子の廉が、小3の時である。目的はただひとつ、親子ペアの部優勝ねらいである。
 その前年、和歌山の大会で、ぶっちぎりの初優勝を飾っていた。あの感激をもう一度という思いで、スタートラインに立った。
 スタートすると、さすがに京都はレベルが高い。ポーンと飛び出したつもりが、すぐ後ろに何組もついてきた。1.5kmコースの残り200mくらいまで、後ろにビタっとくいさがってきた親子がいた。足音どころか、親が子をしかっている(?)内容まで聞き取れた。
 ゴール前のL字型の部分に入る手前で、「廉、行くで!」の合図とともに、猛スパート。そしてそのままなだれこむように、ゴール。後ろでは、なにやらうなる2位の親の声が・・・。
 会心の勝利だった。最後の200mは、いったい何秒で走ったのだろう。今思い出しても、神がかり的なスピードだったと思う。
 後でわかったことだが、2位の子は、「優勝したら、TVゲームのええやつ買うたる。」と親に言われていたらしい。うちは、優勝しても、「よう、がんばったな。」でおしまい。
 あの時、廉はどんな気持ちやったんかなー・・・。
 
 さあ、今日は、さらぴんシューズ「ゲルヌーサトライ」のデビュー戦である。
 来週の「やまねこマラソン」では、目立つかっこうをしようと、うちにある一番ハデなシューズをもらった。レースの前に少しはきならしておきたかったが、ずっと雪ばっかりで、とうとう今日になってしまった。
 ずっとスカイセンサー系のフラットソールのシューズばかりはいていたので、ターサー系のシューズは不安だった。

 くみやまマラソンのコースの特徴は、何と言っても木津川大橋の往復である。
 国道1号線でもあるこの橋は、日曜日でもすごい交通量だ。その柵のない歩道を、すぐ横を通る車を気にしながら走るのである。行きは大混雑、帰りはすいているがこっちの足がフラフラ。小学生はこの橋は通らないが、それにしても走路員が少なすぎるように思う。
 参加者が増えているらしく、事故が起こらないか心配だ。

  10kmの結果は、44分32秒。117人中、24位。
 「ゲルヌーサトライ」は、まったく問題がなかった。むしろ、今まではいていたシューズより、具合がよかったかも。
 ゴールして、ヨメさんに、「ショーズ、全然問題なかったわ。」と言うと、「あんたは、何はいてもそう言ってるやん。」と言い返された。 「そうやったかなあ。」
 「それより、あんたが走ってる間、子どもがいっぱい来てむちゃくちゃしていったんやから。もう、たいへんやったんやで。」 「すんません。」(好き勝手なことばっかりして・・・。)

 後かたづけをしている時、「大阪国際女子マラソン」が気になって、携帯のテレビをつけてみた。 
 「福士が、後続を40秒以上離しています。大会新記録もねらえる驚異のハイペースです。」テレビは、10km付近の様子を映していた。
 「よっしゃ!」

 福士が、大集団の中で優勝だけをねらうレースをしたらガッカリやでと思っていたので、この時点で大満足。福士がねらうべきは、このレースの1位ではなく、まったく新しいトレーニング法の実証であったはず。

 後かたづけが一段落して、もう一度テレビをつけた時、すでに終盤の33km付近。
 「あきらかに、福士のぺースが落ちています。」
 「えー、まだ、9kmもあるでー。」
 その後も、チラチラテレビを見ながら後かたづけ。テレビは、次々と後続ランナーに抜かれていく福士の姿を映し出していた。

 
 「家に帰ったら、この福士のレースをしっかり分析しよう。」
 二流市民ランナーにも、評論させて!

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雪が降り続き、なかなかはけなかった

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2008年01月22日(火)

高間悦子さん [沖縄]

 滋賀・沖縄県人会事務局の高間悦子さんに、初めてお会いしたのは、2006年5月のことである。
 娘の真樹が、「沖縄、行ってみたいなあ。」と言い出し、それなら沖縄の人に直接話を聞いてみてからと思っていた。 ちょうどその時、京都新聞に、沖縄返還34周年の記事が出ていた。

 「本土の人は、自分の見たいものしか見ないのか。」

 これが、その記事に寄せられた高間さんのコメントである。
 高間さんは、湖南市(旧甲西町)で、「沖縄館」を経営しておられた。そこには、沖縄の情報を求めてたくさんの人が訪れる。しかし、そのほとんどが遊びの情報を求め、米軍基地や沖縄戦の話には目もくれない。それに対して発せられたのが、先の言葉である。
 この言葉には、衝撃を受けた。

 とりあえず、「沖縄館」に電話してみた。
 「小6の娘と沖縄旅行に行こうと思ってるんですが、(新聞記事を見て)、見たいものしか見ない人間にならんように、高間さんとお話したいんですが・・・。」
 「お店の仕事で中断するかもしれないけど、それでよかったら、どうぞ来てください。」とのお返事。
 日曜参観の代休を利用し、京都の山奥から滋賀の湖南市まで出かけて行った。

 高間さんは、初めてお会いした人なのに、なにか懐かしいような、ふんわりとしたふんいきを持った人だった。(私の二番目の姉と同世代。) 
  無知な私のへんな質問にもあきれず、ていねいにわかりやすく答えてくださった。横にいた娘も、すべてしっかり聞いていた。

 その話の中で、私が一番印象に残っているのは、今学校で行われている平和教育への失望である。
 招かれて学校でお話をする機会がたくさんあったそうだが、先生方が沖縄について下調べをされてる節はほとんど感じられなかった。ただ、名ばかりの「平和教育」をこなしているという感じすらした、というようなことをおっしゃっていた。(今や、先生までもが見たいものしか見ない人間なのか。)

 この指摘は、きつかった。
 私も、若き日の一時期、小学校教師をしていた。戦争や沖縄のことをほとんど勉強せずに、子どもらにいいかげんなことを言っていたように思う。
 まず、沖縄のことを少しでも知ろう。そして、もうこれ以上沖縄の人をだましたり、裏切ったりするのをやめよう。
 本気で、そう思いました。
 この日から、私の座右の銘は、「見たいものしか見ない人間は、ダメ! 」

 その高間さんから、お手紙をいただいた。うれしいお知らせだった。
 体調をくずされ一時閉館となっていた「沖縄館」が、別の場所で復活。
 2月3日には、「沖縄民俗芸能鑑賞会」を開催。

 お電話させてもらった時、聞こえてきた声はすごく元気そうだった。「鑑賞会」の会場が草津と近かったので、行かせてもらうことにした。
 「私も、舞踊とさんしんの両方に出ますので・・・。」

 しっかり見させてもらいます。
 また、楽しみがひとつふえた。

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2006. 5.22 高間さんと真樹

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ポーク玉子定食・沖縄そば・ソフトクリームをいただきました


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2008年01月21日(月)

ブルガリアへの手紙 [学校]

 私が中学生の時、3年間担任をしていただいた中古賀公隆先生が、現在ブルガリアに住んでおられる。

 去年3月、向日市のご自宅で、一時帰国されていた先生と、約30年ぶりの再会をはたした。30年の間にいろんな事があったはずなのに、二人ともそれほど変わっておらず、ごく普通に話ができたのがうれしかつた。

 その時18歳だったミケねこのちびちゃんが、去年10月4日に死んでしまった(19歳)。  10月中旬、先生からの国際電話でそのことを知った。ちびちゃんは、先生の娘さん(ご結婚され、現在名古屋在住)がひろってきて、その後、先生の息子さんご一家が世話をされていた。
 3月におじゃました時、ネコ好きな私は、ちびちゃんの写真をとらせてもらっていた。その写真がほしいと言われたので、年賀状といっしょに送ることにした。
 それだけではちょっとさびしいので、石垣市のわんわんクラブのカレンダーと、私が去年読んだ本の中で一番印象に残っている「あなたは戦争で死ねますか」も入れておいた。

 郵便局で、中身の内容とおよその価格を書かされた。「英語で書いてください。」と言われ、困った。bookとphotoは思い出したが、カレンダーってどうやったっけ。(すんません、中古賀先生。・・・先生に教えていただいた英語は、全然身についていません。)
中身の合計は、2000円くらいの値打ち。送料は、2085円。送料の方が高かった。
 今年5月予定の中古賀先生クラス会(1970年度卒業)、実現に向けて努力します、という手紙をそえて発送した。 ( 先生は、ビザ更新の関係で、一年に一回帰国されています。)

 ちゃんと届いてくれたらいいんやけど・・・。(届かないことも、けっこうあるそうです。)

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2007.3.12 中古賀先生宅で

 
  ーーブルガリアへの手紙ーー

 中古賀先生

 おかわりありませんか。
 今年のブルガリアの冬は、どうですか。

 こちらもやっと冬らしくなり、おととい(1/17)は一日中雪がチラホラしていました。北の山はまっ白で、きっと別所はたくさんつもっていると思います。

 住所がわかっている同級生に、年賀状を出しました。
 その中に、「5月に中古賀先生のクラス会をします。ぜひ、参加してください。」と書いておきました。
 (中略)
 クラス会は、5月18日、場所は「とり幸」さんの線で話をすすめます。
 年賀状が出せてない人数も多いのですが、何らかの手がかりをさぐり、連絡をとっていこうと思っています。

 さきおととい(1/16)、ヨメさんとふたりでドキュメンタリー映画「ひめゆり」を見てきました。
 ひめゆり学徒隊の生存者22人の証言を、ナレーションや音楽をいれずつなぎ合わせた映画でした。
 100時間以上の証言を2時間10分にまとめたものでしたが、全然長く感じませんでした。自分自身がもともと年配の方の話を聞くのが好きなのと、17年前に亡くなった私の母とひめゆり学徒隊の方たちの境遇が似ていたことが、集中して見ることができた理由かもしれません。
 
 (中略)

 戦争を体験した人たちが、次々と亡くなられていきます。直接お話を聞く機会がどんどん少なくなっていきます。
 私も含め、戦争体験者を親にもつ世代には、何ができるのだろう。最低限、自分が親から教えてもらったことを、また自分の子に伝えなければ。
 でも、どういうふうに?

 「ひめゆり」は、私にとっては、もっともっと見たい映画でした。100時間以上の証言も全部見せてほしいです。
 一昨年5月に、滋賀の「沖縄館」で高間悦子さんからいろいろな話を聞いてから、「もうこれ以上、沖縄の人たちをだましたり裏切ったりしたらあかんで」という思いがずっと続いています。
 うちの子にも見てもらいたい映画やけど、予備知識なしに見ても、「かわいそうやったなあ」で終わってしまうかも・・・。
 映画を見に行ったら必ず、「何の映画見たん?」と聞いてくれるので、せめてその時、自分が感じたことを話しています。
 いつの日か、「そういや、沖縄戦とかひめゆりとかにこだわってたなあ」と思い出してくれたらいいんやけど・・・。
 つなぐことのむずかしさを痛感します。自分がよかれと思っても、決して強制にならないように。

 最近気づいたのですが、自分のやることの遅さ。
 これは、わざとですね。自分のやりたいことをすぐにやってしまうともったいない。ゆっくりゆっくり楽しんでやっている。
 今回のクラス会の件も、一昨年10月、林幸博君に会った時に、「やろか」と言ったのが始まりです。
 あれから、もう1年3か月。それでも、5月まで、まだ4か月もある。
 ほんまに長いこと楽しませてくれよんなあ。

 お気楽に、こんなことをやってられるのも、全部養ってくれているヨメさんのおかげです。感謝、感謝。
 先生も、ブルガリアまでついて来てくれはった奥さんに、感謝、感謝ですね。

 それでは、またお手紙か電話入れます。
 5月まで、体調管理をよろしく。

                 '08.1.19
                          藤井廣司
 
 
 

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2008年01月20日(日)

京都走ろう会例会(1月第3日曜)+新年会 [ランニング]

 例会で、10kmを走った。
 出雲路橋南側は、小学生の長距離走記録会で、いつものコースがふさがっていた。
 「ぶつかったらあかんしー」ということで、出雲路橋の北側だけを使うことになった。
 こんなふうに小学生に気を使って、おっちゃんらおばちゃんらがコースを変更していることを、主催者さんはわかっておられるかな。
 日曜のこの時間帯には、必ず視覚障害のランナーが練習されている。(たぶん、この時しか伴走者の方の都合がつかないのだと思う。) 私たちランナー仲間はそのことをよく知っているが、河川敷いっぱいにひろがつた小学生を見ていると・・・、あの子らも先生方もどこを見ているのか、 (なんのために走っているの?)と言いたくなってしまう。 (ちょっと小言が過ぎますか?)

 そのころ、走ろう会のほうでは、コース変更後の距離が正確かどうか議論になっていた。
 河川敷にある距離表示板では、出雲路橋・御薗橋間が2550mとあった。これを往復すると、5.1kmといつもより100m長くなってしまう。そこで、急きょ折り返しを少し手前にすることになった。
 その結果、ゴールするランナーは好記録が続出。私も、42分41秒だつた。(調子はよかったけど、ここまでは・・・。)
 ケンケンガクガクの議論があったが、みなさんの意見をまとめると、10kmで300mほど短かったのではということに。私のタイムに当てはめると、44分ちょうどくらいかな。(あちこちで、「サービス、サービス」の声。) 

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京都走ろう会を見守るエノキの大木

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最後尾には、塚本さんの愛犬りんちゃんの姿が・・・


 
 午後から、西院の「おふくろ」で新年会。私は初めての参加である。
 京都走ろう会の例会に来だしたのは、20代。そのころは、会の主力が40代の方々だったので、この差は大きかった。
 ところが、自分が 50代になると、その差があまり気にならない。もうそろそろ、新年会に行かせてもらっても違和感はないかなと思えてきた。
 会長さんが女性であること、参加予定表に私と歳の近い松山健治さんの名前を見つけたことも、参加してみようと思った大きな理由である。(松山さんは、その昔、ご夫婦ともかっこよく走っておられた、私のあこがれのランナーでした。奥さんは、モデルみたいな人でした。)
 
 いったん家に帰り、着替えてバスに。地下鉄・国際会館駅から四条、阪急に乗りかえ西院に。
 店ののれんをくぐると、河田さんご夫妻がにこやかに迎えてくださった。
 2階に上がると、20人ほどの会員さんがすわっておられ、もう入り口付近しか場所が空いていなかった。ところが、その空いていた場所が松山さんのとなり。ラッキー! 遅れてきたのに、いいポジション、ゲット!
 そしたら、そのすぐ後、平田邦子さんが到着。
 平田さんは、私が京都走ろう会の中で一番好きなランナーです。(私は、勝手に、平田さんのことを「走ろう会の鬼束ちひろ」とよんでいます。)私よりちょっとだけ年上ですが、とにかく元気。ダイナミックなランニングフォームが、めちゃくちやかっこいい。
 平田さんは、空いていた私のとなりの席に。なんかしらんいいことずくめで得した気分。

 最初に幹事さん(塚本政琉さん)のあいさつ。
 (塚本さん、確か京都ランナーズの新年会の幹事もしてはったなあ。頭が下がります。)
 次に、津田会長さんのあいさつ。その後は、まったく自由。

 しばらくすると、会長さんがお酒をつぎに来られた。
 「わたしね、今までいくら飲んでも酔いつぶれたことないの。お父さんもおじいさんもすごい大酒飲みでね、二人とも医者やったんやけど、お父さんは戦時中、消毒用のアルコールまで飲んでたらしいわ。
 私も若い時からすごくお酒を飲んだんだけど、その後も子どもらをちゃんとおふろに入れて寝かせてたんで、みんなびっくりしてたみたい。」
 とか言いながら、会長さんと松山さんの二人で、冷酒一本あけてしまった。おそるべし!

 お酒の席でよく出る話題、「えと」。
 松山さん 「私、トラ年ですねん。」
 津田会長 「いやあー、私もトラ年。」
 私 「うちのヨメさんも、トラ年ですわ。三人合わせて、トラ、トラ、トラですね。」
 松山さん 「ところで、藤井さんは?」
 私 「ボクは、ヒツジです。」
 松山さん 「こらまた、うまいことなってますねえ。ボク、トラのえさでーす、ゆうて手上げとかなしゃーないね。」
 三人で、大笑い。

 平田さんは、今、障害のある子どもたちのためのボランティア活動をされてるらしい。前に、「先生、先生」ゆわれてはずかしい、とうれしそうにおっしゃていた。
 また、「うちは息子と別居してるんやけど、お嫁さんがお産の時、わざわざうち来て産んでくれはってん。実家も近いのに、うちに来てくれはったん。」とのこと。
 ランナーの姑さんとお嫁さんがうまくいっている話は、よく聞きます。いいことですよね。

 新年会が終わって下に降りる時、なつかしの長谷川さん(牛乳店のご主人)に会った。何年ぶりかしらん。(もう、80歳近いはず。) かっこいいヒゲをはやしておられ、初めは誰かわからなかった。お顔はすごく血色よく、お元気そうで、お会いできてうれしかった。廉や真樹のことも、聞いてくれはった。

 こうゆう場に来たら、なつかしい人にも会えるんや。
 お酒はちょっとにがてやけど、また来年も行かにゃー。

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ご苦労様でした。宴会幹事長・塚本さん

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「京都走ろう会の鬼束ちひろ」・平田さん


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