パオパオだより

2008年02月15日(金)

はじめの一歩 [ごあいさつ]

 「パオパオ」とは、---私の子どもたちが私を呼ぶときの呼び名です。
 子どもができた時、「おとうさん」なんてそんなえらそうなものにはなれそうもないと思い、そう呼ばせることにしました。
 中国の移動式住居「パオ」のような存在(弱そうに見えて意外に強い)になれたらなあ、と自分なりに思いをこめていたのかな。17年も前のことなので、もう忘れました。
 子どもたちはその呼び名がけっこう気に入ってくれたみたいで、ずっとそう呼んでくれています。高校生と中学生になった今も。

 私が興味を持っていること
?ランニング?沖縄?わんこにゃんこ?学校?家族?平和?映画?その他いろいろ。
話題があちこちとんだほうが、読んでもらいやすいかな。
 ただ、短くまとめるのが苦手なので、一回一回が長くなるかもしれません。そうならないようにテーマをしぼろう。

 なお、実名の表記および写真の掲載は、できる限り本人の了解を得ようと思っています。(事後承諾になることも多くなるかもしれません。)
 もし、個人情報保護に関して問題のある表記・写真がありましたら、ご連絡いただくようお願いします。

 ブログを書こうと思ったきっかけは、羽根田治さん「極私的鳩間日記」、 よんなぁよんなぁさん「クーの毎日」、を見せてもらって、いいなあと思ったからです。いろいろと参考にさせていただきました。ありがとうございます。

◎ブログ初心者のため、ほとんど指一本のひらがな入力で、だいたい2時間かけて一日の記事を書いています。家族に手伝ってもらって何回も手直しをしているので、一度見られた記事も、ぜひもう一度見てください。

※ なお、いただいたコメントは原則すべて公開させていただきます。非公開ご希望の方はその旨ご記入お願いします。
 また、「京都キャロット」のホームページのお問い合わせ欄(order@kyoto-carrot.com)へのメッセージはすべて非公開ですので、そちらに送っていただいてもけっこうです。

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2008年02月13日(水)

岩国市長選 [平和]

 長い旅行の間に、平和に関わる大きなニュースが二つあった。
 
 ?岩国市長選、米軍容認 新人当選 (2月10日)
 ?沖縄米兵、中3少女暴行 (2月11日・未明)

 ?の事件については、賛否両論はありえない。ニュースでは、「沖縄の怒り」を強調していたが、沖縄は日本ではないのかといつも思ってしまう。

 少し話がとぶが、だいぶ前、ある作家が興味深いことを書いていた。原子力発電についてである。
 「国や電力会社がそんなに安全性を強調するのなら、東京湾や大阪湾に原子力発電所を建設すべきである。」という論である。人口(受益者)の少ない北陸などではなく、都会のそばにこそ作れ。そうすれば、長い長い送電線も必要ないし、核燃料運搬にかかる莫大な警備費も削減できる。
 これは、一理あると思った。

 本当に、米軍が日本に必要なら、首都東京から2000kmも離れた沖縄ではなく、東京湾、大阪湾に基地がなくてはならない。そこで発生するであろう事件事故トラブルも、人口(受益者)の割合によって受け入れなければ仕方ない。
 沖縄で、米軍の事件が多いのは、日本駐留の米軍の75%が沖縄に集中しているからである。
 誘致すべきは、オリンピックではなく、沖縄の米軍基地じゃありませんか、都知事さん。「東京都知事、日本最大の米軍基地、東京湾に誘致」、「大阪府知事、日本最大の原発、大阪湾に誘致」 そんな時代には、なりませんかね。受益者負担の原則を貫くのなら、これは決して暴論ではないと思う。
 国政選挙のたびに、1票の格差が問題になる。それをとやかく言うのなら、マイナス要素も引き受けてください。それが本当の、「応分の負担」ですよね。
 いなかでひっそり暮らすお年寄りも、都会で便利さを享受している若者も、なくして困る命の数は、みなそれぞれ一つづつ。
 都会に住むみなさん、もう知らんぷりするのはやめませんか。

 ?の選挙結果は、正直言って意外だった。
 この選挙は、米軍再編に伴う空母艦載機部隊の岩国基地移転が争点だった。
 06年3月、艦載機移転の是非を問う住民投票で、87%が反対。同年4月、反対派の井原氏が新岩国市長選初当選(合併前から通算すると3期連続。)その後、国が市への補助金見送り。岩国市議会が補正予算案を4回にわたり否決。  
 そして、井原氏は辞職し、出直し市長選へ。
 投票率76.26%(前回65.09%)、福田氏 47081、井原氏 45299。 約1800票の僅差で、米軍移転容認派の福田氏が当選。(9割の反対派は、真っ二つに割れた。)

 この結果を、どう見るか。
 これは、意見の分かれるところである。

 先の作家の論では、沖縄の負担を岩国市民が受け入ようとしたと判断されるかも知れない。
 しかし、約2年前、87%が反対だったものが、そんな極端に変わってしまうのだろうか。

 私が思うには・・・
 やはり、国からの補助金見送りと、市長と議会の対決がこたえたのだと思う。その上で、容認派の市長を選んでも、「まさか、前面容認なんてことにはならないだろう。」という甘い考えがはたらいたように思う。(「それはそれ、これはこれ」の原理。)


 岩国市民は、かんちがいされている。
 政府が使っているのは、「アメとムチ」ではない。冷静な思考をマヒさせる「神経ガス」なのだ。

 30年近く前、職場の同僚の実家が山口県周東町だったので、夏、長崎平和大行進参加のついでに立ち寄った。錦帯橋、秋吉台、岩国城などいろいろ連れて行ってもらったが、一番印象に残っているのは、お城の天守閣から見た岩国基地だった。
 そこには、生まれて初めて見る戦闘機の本物があった。(京都に住んでいると、まず見ることはない。) これが基地か。ここから戦争に行くのか。その時はそう思いながら、ただ、だまって見るだけだった。

 日本の将来を真剣に考えるために、子どもたちに基地の実態を見せることが必要かもしれない。
 今、京都の公立高校でも、さかんに海外研修旅行が行われている。行き先は、何の問題意識を持っていくのか理解しがたい東南アジアの国が多い。
 うちの子(高1)は、来月シンガポールに行く。アジアなら、中国か韓国ならまだいいのだが・・・。シンガポールと言われても、村上ファンドの社長の逃亡先くらいしか思い浮かばない。
 国際問題の理解が目的なら、まず身近な日本の米軍基地に目を向けてほしい。対アメリカに関して、何も考えていない高校生が多いように思う。

 わが子も含め、自分の目でしっかり見、自分でしっかり判断できる人間になってほしい。
 へんな「神経ガス」のえじきにならないためにも・・・。

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きくは平和とともに「じゃかましいんじゃー」

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あんもも平和とともに 「ねむたいにゃー」



☆ 2月27日 毎日新聞・記者の目 「国と地方」に直面する岩国市長
     ・・・「言いなりにならぬ」貫徹を ・ アメとムチもう許すな・・・ 内田久光(周南支局)

 (略)
 選挙戦で、移転問題を最大の争点に掲げた井原氏に対し、福田氏は市の財政再建を前面に出し、(略) 「市議、県議、国会議員の経験と人脈を生かす。補助金や交付金を引き出すために、省庁のどの扉をたたけばいいか知っている」と中央とのパイプを強調した。
 だが、この訴え方では、基地依存を前提とした旧態依然の「ばらまき型」との批判を免れないと思った。
 井原氏は市長時代、国に「補助金凍結は約束違反」として強く支給を求めた。というのも、補助金は96年の日米特別行動委員会(SACO)の合意に基づき、沖縄県の米軍普天間飛行場から空中給油機12期と米兵約300人を受け入れる見返りだったからだ。そもそも米軍再編とは無関係で、06年度までの2年間で計14億円が支給されていた。
 ところが、国は井原氏が“反旗”を翻すと見るや、急きょ補助金の名目を、米軍再編の協力自治体に払う「再編交付金」と同じ扱いに変え、艦載機移転を容認しない限り支給に応じないという強硬姿勢に転じた。
 これは、岩国市の苦しい財政に国がつけこんだ「兵糧攻め」に他ならない。
 予算に穴があくのは避けたいと、井原氏は合併特例債で代替予算を組んだが、移転容認派が3分の2を占める市議会は4度にわたりこれを否決。昨年12月26日、窮地に立った井原氏が「私の首と引き換えに通してほしい」と5度目の予算案を提案し、修正可決後、市長を辞職して今回の出直し選挙になった。
 岩国市はもともと、米軍基地と共存する街だった。井原市長時代も、02年にハワイから米軍の大型輸送ヘリ8機と米兵180人を受け入れるなど、基地に協力する姿勢を保っていた。  
 その“蜜月”関係に亀裂が生じたのは、05年10月の米軍再編中間報告がきっかけだった。神奈川県の厚木基地から空母艦載機部隊59機、米兵約1900人などが岩国基地に移り、航空機が100機を超えるなど兵力が倍増する計画。井原氏は、歴代防衛庁(当時)長官が約束した「地元への事前の相談」を無視したことを疑問視。「これ以上の基地機能強化は受け入れられない」と表明した。国と地方の信頼関係を先に崩したのは国ではなかったか。
 街を二分した市長選は、激烈だった。期日前投票率は、16.20%と前回市長選(8.74%)の倍近くにはね上がった。印象深かったのは、全国から手弁当で井原氏の応援に駆けつけた地方議員らだった。広島県庄原市の元保守系市議、林保武さん(73)は車で片道4時間かけて何度も通った。「国は言語道断。こんなやり方は許せないと思った」選挙事務所には「地方自治を守って」「子どもたちにいじめの構造を渡したくありません」など全国から届いた激励の手紙や寄せ書きが壁一面に張ってあった。
 福田市長は初登庁2日後の14日、防衛庁に石破茂防衛相を訪ね、新市庁舎建設の補助金の凍結解除などを求めた。政府は艦載機移転の「受け入れ表明」と引き換えに支給する方針を固めているが、お金が出たから終わりではない。「国と地方のあり方」をこのままあいまいにしいては、岩国市や他の基地の街にとどまらず、全国の自治体にも禍根を残すのではないか。
 (略)

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2008年02月03日(日)

琉球・沖縄民俗芸能鑑賞会 [沖縄]

 午後2時開始に間に合うよう、京都を出た。

 「草津かー、なつかしいな。」
 17年前、教師の仕事を辞め、バイトで牛乳をスーパーに卸していた。わかりやすく言うと、配送のにいちゃんをやっていた。(にいちゃんといっても、当時すでに35歳。)毎日、この近江大橋を渡っとったなー。

 市民交流プラザに着くと、こじんまりした会場に50人ほどの人たち。写真を撮ってもいいかだけを確認し、入場。

 第一部  琉球舞踊

 いきなり、面食らってしまった。「かぎやで風」
 めっちゃ、ゆーーーっくり。スローモーションを見ているみたいだった。お二人のゆっくりぶりがシンクロ。こんなゆっくりな踊りがあったとは。あぜんとしているうちに終わってしまい、写真を撮るのも忘れてしまった。
 
 「よんなぁよんなぁ」(ゆっくりゆっくり)とは、このことか。この時、はたと思い浮かんだ。
 ブログ「クーの毎日」のライターは、よんなぁよんなぁさんである。でも、あの人、沖縄出身じゃないよな。

 2番目に、高間さんが一人で出てこられた。「加那ヨー」
 えっ! 一瞬人違いかと思った。この人が、あの高間さん? 2年前、ふんわりした笑顔で、私と娘に話しかけてくださった高間さん?
 お化粧のせいもあるかも知れないが、かなりやせられたように見えた。体調をくずされたと聞いた時、お電話では「全然、たいしたことないです。」とおっしゃっていたが、これはちょっと心配。

 その後、「鳩間節」 「四ツ竹」 「いちゅび小(ぐぁ)」  

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「加那ヨー」の高間悦子さん

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「四ツ竹」の豪華衣装


 
第二部  沖縄館さんしん倶楽部

 高間さんを含め、総勢10名でさんしんを演じられた。中学生の男の子が、お母さんといっしょにしっかり弾いていたのが印象的だった。
 「安里屋ゆんた」 「芋の時代」 「バチクァイ節」

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第三部  新垣優子 島うたライブ

 沖縄本島最北端ヤンバル、「辺戸」出身の新垣優子さんのライブ。
 申し訳ないけれど、まったく知らない方でした。

 いきなり、沖縄の言葉で話し始められ、何がなんだかさっぱり。(会場の半分くらいの人は、わかっていたようだ。)
 辺戸は、100人足らずの村で、今はおじいおばあの一人暮らしがほとんどだそうだ。
 現在、長崎・五島列島・福江在住で、今日の滋賀の雪景色には、びっくりしたとおっしゃていた。
 夫は公表、ご自分の年齢は未公表。(かな?)

 どんな人なんかなーと見ていると、まず、かわいいわらべうた。その後一変して、のびのある沖縄民謡。しんみりした永良部の唄もあり、さんしん一つでこんなにいろいろなことができるんだと感心した。

 お話の中で、一番おもしろかったこと。
 中学生の時、顔にできものができ、近くにお医者さんもいないので困っていたら、「○○のおばあのとこに行け。」と言われた。そこでは、おはらいのような用意がされ、目をつぶっていると、「ペッ、ペッ」と言う音と「シュッ、シュッ」と言う音が交互に聞こえる。恐る恐る目をあけると、「ペッ、ペッ」はおばあのつば、「シュッ、シュッ」はほうきのような物で顔をはく音だった。
 自分のおばあにその話をしたら、「あのおばあは、効かん。」と言われ、また別のおはらいをしてくれたそうだ。(そのおはらい、ちょっと体験してみたいような・・・。)

 昨年12月に出されたCD「風ヌ葉」を買い、それにサインをしてもらった。
 人形劇もされるとプロフィールに書いてあったので、そのことも聞いてみた。
 実は、私も教師かけ出しのころ、発泡スチロールを使った人形劇を学校でやっていた。新垣さんは、それとはまたちがう人形を使ったもののようだ。今度は、それを見てみたい。次は、真樹も来てくれたらいいのにな。

 最後に、高間さんのごあいさつ。
 これからも、このような催しを続けていきたいとのこと。私も、何らかのかたちで協力していきたい。
 最初は、場違いな存在ではないかと心配だったが、大満足な3時間だった。参加費2500円も安い。

 このような機会があれば、ぜひ、次も参加したい。
 (それにしても、高間さんは、やっぱり前よりやせられていた。沖縄県人会・沖縄館・沖縄ファン倶楽部<沖縄出身以外の会>と幅広く活動されているので、疲れがたまっているのでは・・・、心配。)

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新垣優子さん

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高間悦子さん


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京都走ろう会例会(2月第1日曜)+りんちゃん [ランニング]

  今年3回目の、京都走ろう会例会。
 木津川マラソンと日が重なったせいか、参加者は10人ほどと、少しさびしかった。

 新年会の世話役として、骨を折ってくださった塚本政琉さん(幹事)がおられたので、声をかけた。
 「新年会、お世話になりました。初めて参加させてもらったんですけど、いろいろ話ができてよかったです。料理もおいしかったし。」
 「そうか、ありがとう。ほんまに、よう来てくれたなあ。にぎやかで、よかったわ。」

 「あのー、塚本さんがいつも連れてきてはるワンちゃんは、なんて言う名前ですか。」
 「あっ、あれな、<りん>ゆうねん。」
 「りんちゃん。かわいい名前ですね。」
 「そらもう、かわいてかわいて。いつも、晩、いっしよに寝とんねん。」
 「へー。」
 「もう、りんが死んだら、わしゃ生きてゆけん。こいつが死ぬ前にもう一匹飼わなあかん、ほんまに。」
 「そんなー。まだまだ元気そうですやん。そんな簡単に死にませんて。どっちかゆうと、塚本さんがポックリ・・・。」
 「んな、あほな。」
 
 「走ろう会に来る時は、ようわかっとってなあ。このジャンバー着たら、とんで来よんねん。」

 がんばれ、ランニング・ドッグ、りん。

 私の結果は、10km、46分39秒でした。

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塚本さんのむこうに、ちっちゃいりんちゃんが・・・

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りんちゃんのアップ


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2008年02月02日(土)

紫野高校マラソン大会コース試走 [家族]

 高1の息子・廉とは、小学生のとき、親子ペアレースで何回も優勝や入賞をさせてもらった。
 親も子も、それぞれ二流ランナーなのに(単独では入賞は無理)、二人で息を合わせて走るとすごいパワーが湧き出てくる。今思い出しても、あの爆発的なスピードがどこから出てきたのか不思議である。
 中学生になると、同じレースに申し込み並走することも多かった。
 ところが、三年前の四月、息子が中2になってすぐの山崎さつきマラソン5kmで、折り返しまで並走するも3km付近で置いていかれてしまった。それからは、息子には勝てなくなり、並走することもできなくなった。(こんな近くでわが子の成長を見られるとは、なんて幸せ者でしょう。)

 
 2月19日に高校のマラソン大会があり、30位以内に入ると表彰されるそうである。
 「チャンス!」
 サッカー部では目立たない存在だが、長距離を走らせたらそこそこいけるはず。なにせ、中学卒業までは、「うちの宣伝になるから」としょっちゅうレースに出さされていたから。
 使われるコースも、鴨川の北大路橋スタートゴールということで、家からもそう遠くはないので、一度二人で試走することにした。(3年ぶりの、並走!)
 男子は、本番は、北大路橋・西賀茂橋・丸太町橋・北大路橋を一周半するらしい。(左まわり・約18km)
 とりあえず、最後の半周は省略して、一周12kmを試走することにした。コースの状態を確かめながら、1時間くらいかけてゆっくり走るつもりだった。
 結果は57分48秒。だいたいキロ4分50秒ペース。私自身はこれ以上速いペースは無理だが、息子は余裕だった。汗もほとんどかいていない。
 息子は、11月にハーフマラソンを1時間31分で完走している。これはキロ4分20秒ペース。18kmに当てはめると、1時間18分。
 最後の北側の半周は6kmより短いので、目標は1時間15分切りか?!
 これを達成したら、30位以内は間違いない。

 古い話だが、私もいなかの小さな中学から大きな高校に入り、まったく目立つことがなかった。体育の長距離走の練習ではいつもクラス一番だったが、「マラソン大会の日は、クラブ入っているやつが本気だしよるしな・・・」と友達から聞かされていた。
 結果は、10クラス200人以上の男子の中で10位入賞。
 初めて、担任の先生(体育)にみんなの前でほめてもらった。ちなみに、クラブに入っていない男子の中では学年1位だった。

 「廉よ、がんばらんでいいから、しっかり走れ。地球の上を、楽しんで走ってみ。」

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2007.11.23「坊っちゃん一緒にらんランRUN」

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2008年01月27日(日)

2008大阪国際女子マラソン [マラソン評論]

 家に帰って、「大阪国際女子マラソン」のビデオを最初から見た。

 昨日、ヨメさんと予想した。
 「福士、どう思う?」
 「わっからんなあ。」
 「まあ、ボクとしては、バーンと飛び出してくれたら、後はもうええわ。日本のイカンガーになってほしいな。(あの、前に人がいたらかなんって言ってたランナー)」
 「まあ、新しい方法で挑戦しやはんにゃから、応援しょ。まだ、若いんやもん。」

 初めは、私の思い通り。
 しかし、最後のほうの福士は、なんとも言えん状態だった。もし、私に言わせてくれるなら、「なんでもええし、なんか食わしたってくれー。」
 テレビでは脱水症状と言っていたが、私たち市民ランナーには、「ガス欠」のほうがわかりやすいと思う。走るエネルギーに変える物が、からっぽになった状態である。
 記録をねらった一般市民ランナー(ほとんど男性)は、調子のいい時に、必ず一度や二度経験したことがあるはずである。(私は、5回ほどあります。多すぎ?)

 「もう、走れへん。歩くのも、いや。」
 ところが、そこでおにぎりとかパンを食べたら、急に回復して走れるようになる。

 私の場合、一番ひどかったのは、新婚旅行の時に出た北海道帯広での自転車レースである。
 ガス欠で体が動かなくなり、とうもろこし畑の前で、ずっと悩んでいた。(このとうもろこし取ったらどろぼうさんやけど、あのヒゲは取って食べてもおこられへんかな。) 本気で、真剣に悩み、そのヒゲを凝視していた。体はかたまっていたと思う。(異様な光景!)
 そうしているうちに収容車が来て、私はヒゲ泥棒にならずにすんだ。
   
 また、30kmレースで1時間57分台を出した次の30kmレースで、とばしにとばした時は、27kmすぎで目の前が夕方の明るさになった。河川敷だったので、自分で草むらに倒れこんだ。気持ちよかった。
 夢ごこちの時、主催者である武庫川ランナーズの大道さんが、ぶどう糖のアンプルを持って走ってきてくださった。倒れている私を見た他のランナーが、本部に報告してくれたらしい。(めんぼくない。)

 ほかにも何回かあるが、どの時も、食べ物を食べたらケロリと元気になった。
 そんなことを考えていると、一週間前の松山健治さんの話を思い出した。 

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産経ニュースより

 「京都シティハーフの思い出」  −−松山健治さんの話・(京都走ろう会新年会にて)ーー

 京都シティハーフは3回走ったんやけど、最後に走ったのが、もう15年くらい前になるのかなあ。

 その時はめちゃくちゃ調子よくて、自己新が出そうなペースで18kmくらいまでぐんぐんとばして、そら気持ちよかった。
 ところが、後ちょっとと言う所で急に走れんようになって、立ち止まってしもた。お腹がペコペコになって意識もちょっともうろうとしかけた時に、コース沿いにパン屋さんを見つけてなあ。こら助かったと思って、お店に入ったんや。

 「ゴールしたら必ずお金を払いに来ますので、パンをわけてもらえませんやろか。」
 「それしたら、みんなにせなあかんことになりますので・・・。」

  まあ、お店の人の言わはることもようわかる。
 そこで途方にくれてたら、先にゴールしてた知り合いが歩いて帰って来るのが見えて、
 「ちょっとお金貸してもらえへん? 何か食べんと、もう走れへんねん。」ってゆうたんや。
 ほな、気よう千円かしてくれて、それでパン買うて食べたら生き返ったわ。
 食べてる途中、ヨメさんが、「何してんのん?」って言いながら抜いて行きよる。ほんま、冷たいやっちゃ。

 そこでまだ食べ続けてたら、別のランナーがパン屋さん入っていって、おんなじことを・・・。
 ランナー「ゴールしたら必ず・・・」
 お店の人「それしたら・・・」
 
 それ見てて気の毒になって、さっきのおつり残ってるし、そのランナーに「つこて」ゆうて渡して、自分はゴールめざして走って行ったんや。

 そしたら、その何日か後に、京都陸協から電話があって。
 何かいなーと思ったら、「松山さんからお金を貸してもらってパンを買って、完走できたという人が、お礼を言いたいということで・・・。」
 そして、その何日か後、パンの代金とお礼の手紙が送ってこられてねえ。

 みんなエネルギー切れたら、あんなもんなんやねえ。ええ経験になりましたわ。

◎後日、松山さんに電話。
 「あのガス欠、男の人はたいてい経験してはりますよねえ。うちのヨメさん、なんぼ説明してもわかってくれへんのですけど・・・。」
 「そうやね。女の人は少ないやろね。それにしても、福士さん、あの状態で、よう最後まで行ったなあ。それが、びっくりやったなあ。」
 「ほんま、われわれでは考えられませんよね。あんななったら、何か食べんとね。」

 私は、もうひとつ、後になって気づいたことがある。
 テレビ放送の終わる前5分ほど、途切れることなく、福士がずっと映っていた。そして、放送終了ぎりぎりにゴール。福士は、この間、だれにも抜かれなかったのである。一人で、画面を独占していた。
 あれで、いままで福士のことをよく知らなかった人の頭の中に、強烈な印象として残ったはずである。
 今回のレースは、当然、評価の分かれるところであると思うが、あの最後の5分間は、いろんな意味で奇跡に近い。

 私の義理の兄、恵藤さんの感想。
 「福士、すごかったなあ。フルマラソンって、あんな超一流の選手でもあんなことになんにゃなあ。こうじおっさん(私のこと)、ようそんなもん何回も完走しとるなあ。ほんま、感心するわ。」
 (こんな考え方もあるんですね。私と福士をくらべるのは、あまりにも失礼だと思いますが・・・。)

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第18回くみやまマラソン [ランニング・出張販売]

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ゲルヌーサトライはハデ

 今年2回目の出張販売は、家から1時間以内の近場。
 かなり冷え込んで、朝から雪。
 レースが始まるころには雪もやんだが、木津川沿いのコースは、寒さに弱い人にはこたえると思う。

「くみやまマラソン」と言えば・・・
 7年前、出張販売ではなく、純粋にレースに出るために参加した。息子の廉が、小3の時である。目的はただひとつ、親子ペアの部優勝ねらいである。
 その前年、和歌山の大会で、ぶっちぎりの初優勝を飾っていた。あの感激をもう一度という思いで、スタートラインに立った。
 スタートすると、さすがに京都はレベルが高い。ポーンと飛び出したつもりが、すぐ後ろに何組もついてきた。1.5kmコースの残り200mくらいまで、後ろにビタっとくいさがってきた親子がいた。足音どころか、親が子をしかっている(?)内容まで聞き取れた。
 ゴール前のL字型の部分に入る手前で、「廉、行くで!」の合図とともに、猛スパート。そしてそのままなだれこむように、ゴール。後ろでは、なにやらうなる2位の親の声が・・・。
 会心の勝利だった。最後の200mは、いったい何秒で走ったのだろう。今思い出しても、神がかり的なスピードだったと思う。
 後でわかったことだが、2位の子は、「優勝したら、TVゲームのええやつ買うたる。」と親に言われていたらしい。うちは、優勝しても、「よう、がんばったな。」でおしまい。
 あの時、廉はどんな気持ちやったんかなー・・・。
 
 さあ、今日は、さらぴんシューズ「ゲルヌーサトライ」のデビュー戦である。
 来週の「やまねこマラソン」では、目立つかっこうをしようと、うちにある一番ハデなシューズをもらった。レースの前に少しはきならしておきたかったが、ずっと雪ばっかりで、とうとう今日になってしまった。
 ずっとスカイセンサー系のフラットソールのシューズばかりはいていたので、ターサー系のシューズは不安だった。

 くみやまマラソンのコースの特徴は、何と言っても木津川大橋の往復である。
 国道1号線でもあるこの橋は、日曜日でもすごい交通量だ。その柵のない歩道を、すぐ横を通る車を気にしながら走るのである。行きは大混雑、帰りはすいているがこっちの足がフラフラ。小学生はこの橋は通らないが、それにしても走路員が少なすぎるように思う。
 参加者が増えているらしく、事故が起こらないか心配だ。

  10kmの結果は、44分32秒。117人中、24位。
 「ゲルヌーサトライ」は、まったく問題がなかった。むしろ、今まではいていたシューズより、具合がよかったかも。
 ゴールして、ヨメさんに、「ショーズ、全然問題なかったわ。」と言うと、「あんたは、何はいてもそう言ってるやん。」と言い返された。 「そうやったかなあ。」
 「それより、あんたが走ってる間、子どもがいっぱい来てむちゃくちゃしていったんやから。もう、たいへんやったんやで。」 「すんません。」(好き勝手なことばっかりして・・・。)

 後かたづけをしている時、「大阪国際女子マラソン」が気になって、携帯のテレビをつけてみた。 
 「福士が、後続を40秒以上離しています。大会新記録もねらえる驚異のハイペースです。」テレビは、10km付近の様子を映していた。
 「よっしゃ!」

 福士が、大集団の中で優勝だけをねらうレースをしたらガッカリやでと思っていたので、この時点で大満足。福士がねらうべきは、このレースの1位ではなく、まったく新しいトレーニング法の実証であったはず。

 後かたづけが一段落して、もう一度テレビをつけた時、すでに終盤の33km付近。
 「あきらかに、福士のぺースが落ちています。」
 「えー、まだ、9kmもあるでー。」
 その後も、チラチラテレビを見ながら後かたづけ。テレビは、次々と後続ランナーに抜かれていく福士の姿を映し出していた。

 
 「家に帰ったら、この福士のレースをしっかり分析しよう。」
 二流市民ランナーにも、評論させて!

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雪が降り続き、なかなかはけなかった

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2008年01月22日(火)

高間悦子さん [沖縄]

 滋賀・沖縄県人会事務局の高間悦子さんに、初めてお会いしたのは、2006年5月のことである。
 娘の真樹が、「沖縄、行ってみたいなあ。」と言い出し、それなら沖縄の人に直接話を聞いてみてからと思っていた。 ちょうどその時、京都新聞に、沖縄返還34周年の記事が出ていた。

 「本土の人は、自分の見たいものしか見ないのか。」

 これが、その記事に寄せられた高間さんのコメントである。
 高間さんは、湖南市(旧甲西町)で、「沖縄館」を経営しておられた。そこには、沖縄の情報を求めてたくさんの人が訪れる。しかし、そのほとんどが遊びの情報を求め、米軍基地や沖縄戦の話には目もくれない。それに対して発せられたのが、先の言葉である。
 この言葉には、衝撃を受けた。

 とりあえず、「沖縄館」に電話してみた。
 「小6の娘と沖縄旅行に行こうと思ってるんですが、(新聞記事を見て)、見たいものしか見ない人間にならんように、高間さんとお話したいんですが・・・。」
 「お店の仕事で中断するかもしれないけど、それでよかったら、どうぞ来てください。」とのお返事。
 日曜参観の代休を利用し、京都の山奥から滋賀の湖南市まで出かけて行った。

 高間さんは、初めてお会いした人なのに、なにか懐かしいような、ふんわりとしたふんいきを持った人だった。(私の二番目の姉と同世代。) 
  無知な私のへんな質問にもあきれず、ていねいにわかりやすく答えてくださった。横にいた娘も、すべてしっかり聞いていた。

 その話の中で、私が一番印象に残っているのは、今学校で行われている平和教育への失望である。
 招かれて学校でお話をする機会がたくさんあったそうだが、先生方が沖縄について下調べをされてる節はほとんど感じられなかった。ただ、名ばかりの「平和教育」をこなしているという感じすらした、というようなことをおっしゃっていた。(今や、先生までもが見たいものしか見ない人間なのか。)

 この指摘は、きつかった。
 私も、若き日の一時期、小学校教師をしていた。戦争や沖縄のことをほとんど勉強せずに、子どもらにいいかげんなことを言っていたように思う。
 まず、沖縄のことを少しでも知ろう。そして、もうこれ以上沖縄の人をだましたり、裏切ったりするのをやめよう。
 本気で、そう思いました。
 この日から、私の座右の銘は、「見たいものしか見ない人間は、ダメ! 」

 その高間さんから、お手紙をいただいた。うれしいお知らせだった。
 体調をくずされ一時閉館となっていた「沖縄館」が、別の場所で復活。
 2月3日には、「沖縄民俗芸能鑑賞会」を開催。

 お電話させてもらった時、聞こえてきた声はすごく元気そうだった。「鑑賞会」の会場が草津と近かったので、行かせてもらうことにした。
 「私も、舞踊とさんしんの両方に出ますので・・・。」

 しっかり見させてもらいます。
 また、楽しみがひとつふえた。

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2006. 5.22 高間さんと真樹

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ポーク玉子定食・沖縄そば・ソフトクリームをいただきました


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