2016年05月26日(木)
コンシェルジュ [雑用]
今日は寮の管理代行2(出町)。
家から車で20分ほどで到着。これは楽。
「藤井さん、新聞一週間分取ってありますし・・・。」
私が着くなり、寮長さんがそうおっしゃった。
寮の仕事がヒマな時、私が古い新聞を引っ張りだして読みふけっているのをご存知なのだ。老眼鏡をかけてね。
ここでは朝日新聞と日経を取っている。朝日新聞はいいとして、日経は株のページがドーン。「どこ読むねん」という感じ。
寮の管理人は、今話題の「コンシェルジュ」とかいうらしい。
新聞ばっかり読んでるコンシェルジュって、クビですかねえ・・・。
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【今日のきく】
私が出かけるちょっと前に、ヨメさんがきくのお散歩。
すぐ追いついたので「きくちゃーん」と呼ぶと、私の車を追いかけてきた。こんなことがあると、「ほんまにきくはかわいいなあ」となる。
「乗せて行けたらええんやけどなあ・・・。」
このごろきくのお散歩に行けてなくて、ヨメさんばっかりに任せて申し訳ない。バイトのの途中に抜け出して、きくのお散歩ができたらいいのになあ。
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2016年05月25日(水)
勤務時間短縮願い [雑用]
今日は寮の管理代行1(二条)。
明日は寮の管理代行2(出町)なのだが、24時間プラス延長で6時間ほどいてほしいと頼まれた。30時間以上連続勤務!
さすがにこれでは体が持たんと思い、今日の代行1の勤務時間を短くしてもらった。
朝はいつも通り6時半から。6時20分ころ寮の裏の駐車場につくと、「あらー、しゅうちゃん。」そう言って近づくと、またぴょんぴょんと飛んで喜んでくれた。もう15歳なのに若者犬みたいに。
「毎週水曜日のこの時間にここに来ますので、またよろしくお願いします。」
朝からこんなかわいいワンちゃに会えると、調子いい。
午後3時すぎ、本日の勤務終了。
今日は水曜で、「京都キャロット」の定休日。ヨメさんも午後は時間があったので京都みなみ会館へ。「地獄の黙示録」を見たんやけど、へーでした。
当時のアメリカ人がベトナム人を人間扱いしなかったように、今のアメリカ人は日本人を人間扱いしていないのではないだろうか。「あの戦闘機も、沖縄の米軍基地から飛び立ったんやろうなあ」とか思いながら、むなしい映像を見ていた。
せっかく勤務時間を短縮してもらったのに、「いい休み」とはならんかったなあ。
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【今日のきく】
「きくちゃん、ほたるやほたる。ことし初めてやー。」
うちのすぐ近くの長代川に、蛍が舞っていた。
きくちゃんには見えへんみたいやねー。
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2016年05月20日(金)
出張販売の準備 [雑用]
24時間勤務からの朝帰り。
家に帰るときくが喜ぶと思ったら・・・、逃げまくる逃げまくる。
廉の古い方のベッドは下がせまいのに、そこに逃げ込んだ。
「なんで?」
だいぶたってから、やっと「お散歩に行きませんか」と誘ってきた。
ついこないだまで草ぼうぼうだった空き地の草がきれいに刈られていた。
今日はバイトさんに来てもらっているので、お昼ごはんは久しぶりに外食。御薗橋通りの近く、「てら」さんの日替わり定食(780円)。
さあ帰って明日の準備・・・、というところだが疲れがどっと出てお昼寝。
夕方からなんとか準備に。
ウェア担当のヨメさんは、今日はかなり早く準備ができていた。
きくちゃんに見守られながら、私はシューズをぎゅうぎゅう詰めに。
積み込みにはやっぱり3時間ほどかかった。
ウェアを積み終わったヨメさんは、きくを連れて早じまい。次は晩ごはんの用意です。
今日も一日あっという間に終ってしまった。
でも、朝10時ごろと夜9時ごろの2回きくの散歩に行けた。
明日は、廉がきくの世話に来てくれるしなー。
楽しみやなあ。
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2016年05月05日(木)
「藤井さんがいてよかった」 [雑用]
昨日は寮の代行1(二条)を17時間。夜12時前に帰って、ふろに入ってグダグダしていたら1時半。
今日は6時に起き、寮の代行2(出町)が7時から12時間。細かな雑用ばかりでたいして忙しくもないのだが、2日連続はやっぱりしんどい。
今日はいい天気だったので自転車で。行きはよかったが、帰りは上りなので37分かかった。走る時間がないので、せめて自転車通勤をと思って行っている。
新しい寮の寮長さんの口癖は、「藤井さんがいてよかった」。
「いや、別になにもしてませんやん」と言っても、何かにつけて「藤井さんがいてよかった」とおっしゃる。そう言われれば悪い気はしない。わなにはまっているのかな。
3月中旬に募集があったこの寮の代行。2名募集ですぐに応募した私は即決。ところがもう1名がなかなか決まらない。もう3回目の広告を出しているのに、決まりそうになるとドタキャンが続き先の見通しつかず。そのため、寮長寮母さんは3月13日から約2ヶ月休みなしのぶっ通し勤務。気の毒すぎて・・・。
もう一人が決まるまで、暫定的に私が2人分(24時間)勤務することにした。こっちの体も持ちこたえるか心配やけど・・・。やっぱり、わなにはまったかな。
まあこの歳になって「いてくれてよかった」なんて言ってもらえることもないし。ちょっとだけがんばってみよう。
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2016年04月16日(土)
今日は文筆家 [雑用]
今日はバイトを休み、「ねっとわーく京都」の原稿書き。「書き」と言ってもパソコンパチパチですけど・・・。半額で53円になったパンをほおばりながら、パソコンパチパチ・・・。
しかしこのパソコンの調子が悪く、まず画面が開かない。何度もチャレンジしてやっと開く。と思ったら突然画面が真っ暗に。
「どうしたらええんじゃい!」とうなってもどうにもならず。パソコンの機嫌を伺いながらそうろっとパチパチしています。
一応原稿は雑誌2ページ分、2000から2200字程度。最近は2時間で書き上げるときもあったが、今日は3時間かかった。忙しくて、頭の中のコンピューターの蓄積がなかったからでしょうね。
ちなみに、「2016年5月号」(4月9日発売)掲載の連載第67回の記事は以下の通り。
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今年も、普通の車イスランナー・下山さんの伴走に東京へ行ってきました。3月13日、下山さんの地元で開催された「第2回かつしかふれあいランフェスタ」です。荒川河川敷を使うコースとはいえ、ハーフ3000名が一斉スタートなので車イスとの接触の危険性は大です。今年も去年と同じく、伴走するガードランナーを2名つけること、一般選手の最後尾からスタートすることを条件に「ハーフの部」に特別参加できることになりました。私は去年は一般の部に申し込み「勝手に伴走」させてもらったのですが、今年は2名確保が難しいようだったので初めから伴走者として参加すると下山さんに申し出ていました。
去年は長距離移動は必ず夜行バスを使われる下山さんをまねて夜行バスで東京入りし、伴走させてもらったあとは新幹線で帰りました。ところが新幹線往復とホテルをセットすると新幹線往復料金より安くなるツアーがあり、それで行くことにしました。なぜそんなに安くできるのか理解不能ですが、このおかげで体力を奪われることもなく、余裕で大会会場に着くことができました。
大会前ギリギリに2人目の伴走者が見つかり、結果として私を含めた3人で伴走することになりました。1人は去年も伴走してくださった方だったので、車イスの脇についてもらうことにしました。そして私と今回初めて伴走してくださる方の2名が、マラソン大会の先導バイクのよう に下山さ んの前を走ることにしました。今年は去年とちがい雨はだいじょうぶそうだったのですが、気温がかなり低く、去年の後半に苦しめられた強烈な向かい風も心配でした。
そういえば去年のスタート前、ゲストとして来られていた短距離の朝原選手とお話できたことを思い出しました。「普通の車イスランナーはシティフルマラソンから除外されていること、実績を作って大会に掛け合ってもまったく聞き入れてもらえないこと」などをお話しました。そして「ぜひ朝原さんにも下山さんの力になってもらいたい」と言いかけたとき、1キロの部に出られる車イスランナーが私の話の途中に横入り。「まだこっちがしゃべってる途中やろー」と言いたかったのですが、結局私の話は尻切れトンボになってしま いました。
ちょっと話がそれますが、ガードマンの仕事をしていると「駐車禁止除外指定車」の車への対応が頻繁にあります。そのほとんどがこちらの指示通りに動いてくださるのですが、中には「ガードマンの対応が悪い」とクレームをつけてこられる方もあります。「警察に通報する」と言ってこられた方もありました。あとでくわしく聞いてみると、自分の思い通りにならないといって若いガードマンに因縁をつけているとしか思えない状況でした。そんなとき、別のガードマン仲間が「その人は早くトイレに行きたくてイライラしてはっただけかもしれん。そう思っとこ」としょんぼりしていた若手ガードマンに声をかけていました。私もこんなふうに柔軟な対応ができるようにならないと。腹を 立てていても何もなりませんもの。
10時、「ハーフの部」3000人がスタート。意外とスムーズなスタートで、5分弱で全ランナーがスタートラインを通過。去年は10分待ったのですが、「もういいでしょう」と臨機応変にスタートさせてもらいました。そこから私ともう1人の方とで、「後ろから車イスランナーが来ます。すみませんが左端をあけてください。申し訳ありません。ありがとうございます」のくり返し。ほとんどの方が快く前をあけてくださったのですが、難敵はイヤホン付きランナー。すぐそばで大声でお願いしても知らんぷりでした。「マラソン大会はイヤホン禁止」にしてもらえんもんでしょうか。
また、お一人だけですがクレームがありました。「そん なに抜いて行くんだったら、もっと前からスタートすればいいのに」と。「いやいや、最後尾からスタートするというのが特別参加させていただく条件ですから・・・」と説明したかったのですが、もちろん走りながらは無理です。大会レポートを書いている私のブログでも見ていただければありがたいんですがね。
4日前にダウンして2日間静養していたという下山さんは、どういうわけか攻めに攻めて、川下に向かう10キロを去年より5分速い55分台で通過。今年は折り返し近辺でランナーが二重になるところがあり、ここは我らガードランナー3名の腕の見せどころ。ちょっとヒヤッととする場面もありましたが、事故なく無事通過。後半は川上に向かい、去年ほどではないにしてもゆるやかな向かい風。10から20ま での10キロは1時間3分ほどかかりました。そして、ハーフのゴールは2時間7分。去年より15分短縮。去年は強烈な向かい風にやられ青ざめた顔でゴールした下山さんでしたが、今年のゴールは元気いっぱいでした。
初めて伴走してくださった方は31歳のトライアスリート。「伴走がこんなに大変なものだとは知りませんでした。下山さんとの間があき過ぎるとそこにランナーが入ってしまうし、狭まりすぎると下山さんが走りにくくなるし、その加減が難しかったです。何度も振り返りながら走るって、かなり力がある者でないと無理ですね。」
ゴール後は、何人ものランナーが下山さんに声をかけに来てくださいました。「いっしょに走れてよかったです」と。
また、葛飾区役所の広報の方が取材にも来られました。今までのいきさつなどを下山さんが話されていたのですが、なんせお上品で控えめな下山さんですからまどろっこしくて。もちろん私が横から出しゃばって補足説明をさせていただきました。
下山さんの大目標は「普通の車イスで東京マラソン完走」です。今は大いなる助走ですが、目標実現に向けて協力し続けていこうと思っています。
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今月発売号は、字数オーバーで縮めることもむずかしく、けっきょく3ページ分取ってくださった。めんぼくない。
来月発売号(6月号)はその点を注意して、2100字くらいに収めたつもり。締め切りの18日になんとか間に合った。しっかり書いて、首にならないようにがんばらねば。
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2016年04月14日(木)
12時間べったり [雑用]
今日は、寮の管理代行2(出町)。朝の7時から夜の7時まで12時間。
もう4回目なので、寮母さんはお出かけされ、私と寮長さんで管理の仕事をした。寮長さんは私一人では心配なのか、一日中管理人室にべったり。
「適当に休けいしてくださいよ」と何度もおっしゃってくださったのだが、「(寮長さんがおられたら、ほっこりできませんがなー・・・。)」
でもいいんです。
寮長さんは私より一つ年上で歳が近い。錦林小、近衛中出身ということで、私と同じ左京区育ち。おまけに高校は真樹や私の姉と同じ鴨沂学校。けっこう話が合う。
決定打!
寮長さんが、「出町の橋を渡ったところに屋台のラーメンありましたね。大学生のころ、よく食べにいきましたよ。」
「それそれ、私もしょっちゅう食べに行っていました。あののびのびのラーメン、うまかったですよねえ。」
前にもこのブログに書いた。私にとってこのラーメンはふきのとうの「ひとりの冬なら来るな」に通じる。
♪ 屋台に腰掛けラーメン あなたも好きだった ♪
ふきのとうの話もしようかと思ったが、ここは自重。もうちょっと親しくなってからですね。
あと、近衛にあった「喫茶・このえ」の話。
おじいさんとおばあさんの二人でやっておられた有名な喫茶店。私は42年前18歳のときに行った。もちろん、寮長さんはこの喫茶店のことも知っておられた。
「今生きておられたら、110歳代夫婦の喫茶店ですねー。」
寮長さんは大学卒業後40年ほど大阪におられたらしい。久しぶりにご実家近くに戻ってこられた。この近辺のことを少しは知っている私としゃべるのが楽しいようだ。この先も、まだまだ話は尽きないでしょう。
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