パオパオだより

2008年03月20日(木)

誰も知らない高橋尚子 [マラソン評論]

 3月16日の夕方、「誰も知らない高橋尚子」という番組が放送された。何日も前から宣伝していたので、必ず見ようと思っていた。
 自分の草レースでも、レース後、レースの分析をするのはおもしろい。
 ましてや、こないだの「名古屋」の分析なら、いろんな人が好き勝手いろいろ言って盛り上がることまちがいない。そこに参加するためにも、この番組は必修科目だと思った。
 私個人としては、どうしても知りたいことが二つあった。
 一つは、高橋尚子が何回も繰り返していた「夢」の具体的な中味。
 もう一つは、レース後に7ヶ月前の手術を告白した理由。
 この二つが、腑に落ちなかった。

 番組が始まってまず驚いたこと。「ファイテンスペシャル」の冠。そうか、この番組は「復活高橋尚子、北京で輝け!」とかいうのが本来の題やったんやろうな。
 内容のほとんどが、7ヶ月前の手術に関係すること。時おりはさまるファイテンのCMが、またむなしい。優勝していたら、番組の内容も全然違ったものだっただろう。

 私が期待していた「夢」の説明も、なかったのか、私が理解できなかったのか。
 レース後の手術の告白の理由も、よくわからなかった。日本人に多い美的感覚から言うと、勝って告白するか、負けて黙っておく、このどちらかだと思う。(レース前に、あっけらかんとすべて言ってしまうという選択肢もある。)
 「手術してへんかったら、あんたらには負けてへんわ。あっかんべーっと」(何で、関西弁?)、と同じレースに出た人に言ってるみたいにも取られかねないし、あれはやっぱり言わんかったほうがよかったのでは。
 ただし、ここで忘れてはならないのが、「高橋尚子はプロ」ということだ。いつも、スポンサーの要求に応えなくてはならないという厳しい環境の中にある。
 ふふん。手術の告白は、この日のテレビ番組のためか。そう考えるとつじつまが合う。(視聴率のため! スポンサーのため!)
 優勝していたら、宣伝なしでも多くの人が見ただろう。でも27位では、どこの何を見たらいいのか。普通の人は困ってしまう。
 普通の人にわかりやすいこと。「へー、ものすごい大手術しやはったんや。それやのに、よう最後まであきらめんと走らはったなあ。ものすごがんばらはったんやなあ。」
 どうも、すっきりせん。

 番組中にレース分析をしてくれると期待していたのに、それもなかった。代わりに私がします。

 3月9日にも書いたが、「名古屋」はベテラン勢が惨敗したレースだった。原因は単純。「高橋尚子の影」である。
 ほとんどの出場者は、「高橋尚子が飛び出し、独走してしまったら、もうどうしようもない。」と思っていただろう。ところが飛び出さない。何らかの理由で飛び出せない、と他の選手は理解したと思う。調子の乗らない高橋尚子相手なら、勝ち目がある。とりあえずは様子見のペースで。この大集団の中で、しんぼう、しんぼう。これが、最初の5km、17分55秒もかかった理由ではなかろうか。
 「スローペースにはまる」という表現は、ふつう悪い意味で使われる。本来スピードでおしていくタイプのランナーが、遅い集団に包まれ、切り替えができなくなってしまう。「名古屋」はその典型であったのでは。
 優勝した中村選手には申しわけないが、2時間25分51秒は、ひと昔前のタイム。弘山、原、坂本、大南、加納、どの人をとっても中村より上のような気がする。このベテラン勢は、みな「高橋尚子の影」に負けてしまったのだ。(高橋尚子の手術のことを知っていたら、この5人のうちの誰かが優勝していたのでは。) そういう意味で、高橋尚子の偉大さ(影響力)をあらためて思い知った。

 さて、この関連の話題として・・・
 ヨメさんからの情報で、和田アキ子が高橋尚子のことをボロかすに言い、それに対して和田アキ子たたきがすごいらしい、とか。
 それは3月15日、ニッポン放送で。

 高橋尚子の「調整不足でした」というレース後の記者会見について、「自分が一番分かっていたはずでしょ」と不満をかたった。
 さらに「手術してたって終わってから言うのはよくないよ。あの状況でレースでるなんて、よっぽど大金を貰ってたのかね」と会見で敗戦の“言い訳”ともとれる発言が次々と飛び出したことにご立腹の様子だった。

 この発言について、和田アキ子たたきが続々。
 パソコンでその内容を見てみると、一番多かったのが、「陸上競技のしろうとが、何を言う!」というものだった。
 それ、ちょっとちがうんじゃないでしょうか。マラソンのファンの大多数は競技とまったく関係ない人です。そんな人たちが、マラソンに関心を持ち、ああでもないこうでもないと言い合うのもおもしろいのでは。
 和田アキ子の発言は、ちょっとピントがずれている所もあったが、全体としてはけっこうよう見ているやんという印象だ。和田アキ子が一番言いたかったのは、「プロはもっとプロらしく」ということだったんじゃないでしょうか。こんなことくらいでふくろだたき状態になるなんて、ネットの世界は恐ろしい。

 

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 そういう人たちは、月刊「ランナーズ」5月号の巻頭の次のような記事にはどう反応するのだろう。

 「不明点が残った失速の原因」
 高橋選手は今回でマラソン11回目。「ここまで走れないとは自分でも思わなかった」と語ったように、タイムは予想以上に悪かったかもしれない。しかし、オリンピック代表の座をかけて有力選手たちが全身全霊をかけて勝ちにくるレースを、練習不足の状態で勝ち抜くことができるほど、マラソンは甘い競技ではないことは、事前に予想できていたはず。
 レース前に手術したことを公表しないのは、代表の座を競うライバルたちに精神的なプレッシャーを与える戦術としては「有り」だが、事前には、勝負に徹するアスリートという立場での発言以上に「あきらめなければ夢がかなうことを伝えたい」と、沿道やテレビでレースを観戦する人たちを強く意識し、期待を持たせるメッセージを発信し続けていただけに、自分を鼓舞する以外に、どんな意図があったのか疑問を感じる面もある。
 手術したことをレース前に公表したうえで、「今の自分の精一杯の走りをみせるので応援して欲しい」というメッセージを送る選択肢はなかったのだろうか。 (一部抜粋。)

 さらに、巻末の「編集部から」の橋本氏の言葉を読めば、卒倒するかも。

 名古屋のQちゃんがっかりだったな。結果が遅かったというのではなくそのあとの談話ですよ。10km持たないんでしょ。走れないということはわかっていたはず。ランナーなら誰だってわかるレベルの話です。それなのに前日までの優勝が、夢が・・・・・などの話はない。期待を立派に裏切ったんだから、ごめんなさい、スミマセンでした、の一言くらいあって欲しかった。どこかの新聞がおもちゃを取り上げられる子供のようだ、と書いていたくらいでマスコミはむしろ走りきったほうを評価しているが、マスコミもメディアとしての批評性はどこに行ったのか。これじゃ新聞読まなくなるわけだ。

 どうですか。これがプロの評価です。
 それにしても、私が以前から気にしていたこととの共通点が多い。私も、評論だけは、セミプロ??
 
 私が、ゴール後の高橋に言ってほしかった言葉。
 「あーもういや! もう二度と走りたない。あほらしもない。」(なんで、関西弁?)
 走りとうて走りとうてたまらんようになるまで、ゆっくり休んだらあかんの?
 1年か2年後、高橋、野口、福士、渋井、あと赤羽さん、その他有力新人を入れた、それこそ夢の賞金レースちゅうのはどうでしょう。こら、おもしろいで。
 (あかん。もう完全に、ええかげんなアマチュアのおっさんに戻っとる。)

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◎今日(3/21)、毎日新聞の夕刊に、漫画家やくみつるさんのコメントが載っていた。
 「名古屋国際女子マラソン・Qちゃんを抜くということ」

 (略)
 レース後、記者会見場に現れたQちゃんは、存外サバサバした表情を見せてくれた。これは救いだった。おそらくは失意のドン底にあったろうに、まるでこの結果をある程度覚悟していたかのような口ぶり。そう言えばゴール直後、サングラスを外した顔は悔し涙でグチョグチョになっているのではと思いきや、このときも、その表情は意外なまでに静かなものだった。Qちゃんのギリギリの矜持がそうさせるのか。逆にみている方が“痛い”。
 こんなとき日ごろからヒネくれたマンガばかり描いている私は、つい別のことを考えてしまう。では、その失速していったQちゃんを<追い抜いていった>選手は、どのような心持ちだったのだろう。
 前方、力なく走るランナーの姿をとらえる。距離を縮めていくと大会スポンサー「メナード」の文字とゼッケン「11」――。えっ!? あれって高橋尚子?と我が目を疑うことだろう。そしてついに抜き去る。あの金メダリスト、国民的マラソン走者を!! この殊勲をおそらくは人生の大事とばかり周囲に語るに違いない。「私、Qちゃんを追い抜いたことがあるの!!」
 してみると気の毒なのは、Qちゃんがトイレに駆け込んでいる際に追い越していった選手で、彼女らにはその実感がない。やはりジカに抜きたかったんじゃあるまいか。
 ま、いかにも観戦中に眠ってしまう輩の考えそうな、しょーもないことですが。

(やくさんのコメントに対する私のコメント)
 しょーもないことないぞ。すばらしい。誰もこの人たちの気持ちまでは考えへんかったと思う。
 さすが、やくみつる。視点が、他の人と全然ちがう。
 やくみつるさんは、どんなものでも楽しんでしまう。人がめちゃくちゃ腹を立てているようなことでも、「それも考えようによっては・・・」という感じですべて興味深くしてくれる。ふしぎな才能を持った人だ。(今まで本気で怒っておられたのは、亀田親子の非礼ぶりに対してだけだ。)
 みなさん。いろいろな人のいろいろな意見を、聞くだけ聞きましょうよ。相手が二度としゃべれなくなるような批判の仕方はやめましょう。
 「そうか、こんな考え方もあるんや。」と思いながら、人の話を聞くほうがおもしろいと思いますよ。

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2008年03月09日(日)

2008名古屋国際女子マラソン [マラソン評論]

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遅れだした高橋

 「あきらめなければ夢はかなう、ということを伝えられるレースにしたい」
 「メッセージを伝えられるのは優勝者」
 「名古屋」の前の数日、テレビや新聞で、この高橋尚子のコメントが何度も繰り返し流されていた。

 「あれっ、高橋尚子って、こんなこと言う人やったっけ。」
 私は、その言葉を聞いてすぐそう思った。決意を胸に秘め、ひょうひょうと実現していくタイプやなかったっけ。


 「大阪」の後の私とヨメさんの会話。
 「名古屋、どうなると思う?」
 「2時間25分で優勝やったら、Qちゃん楽勝やな。選考ラインが下がってよかったなあ。実力通り走ったら、ほかの選手はついてこれんやろ。」
 私もまったく同意見だった。あのコメントを聞くまでは。

 

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重そうな高橋

 「夢はかなう」の夢って何。
 オリンピックで金メダルは取ったし、世界記録も出したし。北京オリンピックに出ることをさしているなら、ちょっとピントはずれちゃうかな。
 「私の執念見てください」
 「プロの厳しさをすべてレースにぶつけます」
 「優勝しないと明日はないんです」
 これくらいのこと、言ってほしかったなあ、プロなんやから。

 私がレース前にあんまり言うもんやから、ヨメさんの予想も変わっていった。
 「全然名前知らん若い子が、来るかもね。」
 当たってしもたがな。

 

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ぺこりん高橋

 福士の時はすごくレース経過が気になったが、今回は途中もまったく見ず、5時ごろ携帯のニュースで結果を知った。
 「27位やって、Qちゃん。」
 「27位? またえらいこと落ち込んだもんやなー。」(2位〜4位くらいを想定してました。)

 レース後、高橋本人は、足の手術の影響かという会見。(あれは、いまさら言わんほうがよかったんちゃう?)
 もう一つ、走る直前に違和感があり、走り始めた時、体が全然動かないのに気づいたとも言っていた。

 これ、二流市民ランナーでもあるんですよね。
 私の場合、走り出さないとわからない。特に疲れてるわけでもないのに、全然走れないことがある。またその逆で、なんの準備もできず、菓子パンかじりながらスタートしたような時にすごいいいタイムが出たりする。
 いやいや、ちょっとレベルがちがいすぎて、比べるのは失礼でしたね。

 結果報道で不思議だったこと。
 高橋尚子と優勝した中村友梨香の記事は別として、大会前高橋尚子の対抗馬にあげられていた選手の分析がほとんどなかった。
 原(4位)、弘山(9位)、坂本(10位)、大南(18位)、・・・どうしたんでしょう?
 25kmまでの5kmごとのラップが、すべて17分台。最初の5kmにいたっては、17分55秒。ベテラン、どうした!
 中村選手が優勝できた最大の要因は、この前半のスローペースにあると思う。どうしてベテラン勢は、初めから飛ばしてライバル(特に新人)を振り落としていかなかったのか。集団で行って、最後は自分だけが抜け出せるとでも思っていたのだろうか。
 このレースを見る限りでは、オリンピックで同じ展開にでもならない限り中村選手の入賞はない。ましてや、中村選手以外の選手が「名古屋」で優勝して選ばれていたとしても、その選手の入賞も考えにくい。
 私にとっては、高橋選手の惨敗というより、ベテラン勢の惨敗という印象が強い。(かと言って、新人の台頭とも思えない。) 
 

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加納さん

 このレースで、個人的に応援していたのは3位だった加納さんだ。1位とは、48秒差。惜しかった。
 加納さんは、京都の立命館大学の出身で、当時の監督・古村さんは私の昔からの知り合いである。加納さんも、大学生時代、うちの店のお客様だった。まあ、加納さんにはまだ次がありますよね。


◎「名古屋」の翌日、オリンピック代表の発表があった。

 このへんから、おっさんランナーのたわごとを・・・

 私が選ぶ北京オリンピック女子マラソン代表。
 ?福士・・・北京で、もう一回飛び出してほしい。 金メダル!
 ?渋井・・・あの強烈なキャラは捨てがたい。帰ってきてくれー。 銀メダル!
 ?高橋・・・今なら執念復活してるかも。 銅メダル!
 (補)坂本・・・個人的に好きなだけ。でも、選べば入賞しそう。

 私が予想するオリンピック女子マラソン結果。(現時点で)
 野口・・・2位か3位。優勝したら、こわい。
 土佐・・・いつも通りの入賞。
 中村・・・入賞圏外。 (ごめんね)
 森本・・・中村の代わりに出したってほいなあ。

 さて、結果は夏のお楽み。

 (注) 写真は、中日新聞HPから取らせていただきました。

◎後日気づいたこと。

 「名古屋」14位に、平良茜さんの名が。2時間33分12秒。たぶん、初マラソンであったと思う。
 彼女は、2000年高校女子駅伝沖縄代表・豊見城南高校出身。1区を走ったエースである。そして、その時2区を走ったのが、入波平先生。(入波平先生については、1月7日の記事参照)
 お二人とも福岡大学に進学され、その後、平良茜さんはOKIからパナソニックへと競技者の道に進み、入波平みさ乃さんは教師になり鳩間の運動会で私と対決!?
 平良茜さんは、大学時代、うちの通販を利用していただいていた。
 昨年は、北京オリンピック標準記録Bを突破(10000m・32.18.28)。
 これからも、応援していきたい。
 (ちなみに、2000年高校女子駅伝は、阪田直子を擁する立命館宇治が優勝。)

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2008年01月27日(日)

2008大阪国際女子マラソン [マラソン評論]

 家に帰って、「大阪国際女子マラソン」のビデオを最初から見た。

 昨日、ヨメさんと予想した。
 「福士、どう思う?」
 「わっからんなあ。」
 「まあ、ボクとしては、バーンと飛び出してくれたら、後はもうええわ。日本のイカンガーになってほしいな。(あの、前に人がいたらかなんって言ってたランナー)」
 「まあ、新しい方法で挑戦しやはんにゃから、応援しょ。まだ、若いんやもん。」

 初めは、私の思い通り。
 しかし、最後のほうの福士は、なんとも言えん状態だった。もし、私に言わせてくれるなら、「なんでもええし、なんか食わしたってくれー。」
 テレビでは脱水症状と言っていたが、私たち市民ランナーには、「ガス欠」のほうがわかりやすいと思う。走るエネルギーに変える物が、からっぽになった状態である。
 記録をねらった一般市民ランナー(ほとんど男性)は、調子のいい時に、必ず一度や二度経験したことがあるはずである。(私は、5回ほどあります。多すぎ?)

 「もう、走れへん。歩くのも、いや。」
 ところが、そこでおにぎりとかパンを食べたら、急に回復して走れるようになる。

 私の場合、一番ひどかったのは、新婚旅行の時に出た北海道帯広での自転車レースである。
 ガス欠で体が動かなくなり、とうもろこし畑の前で、ずっと悩んでいた。(このとうもろこし取ったらどろぼうさんやけど、あのヒゲは取って食べてもおこられへんかな。) 本気で、真剣に悩み、そのヒゲを凝視していた。体はかたまっていたと思う。(異様な光景!)
 そうしているうちに収容車が来て、私はヒゲ泥棒にならずにすんだ。
   
 また、30kmレースで1時間57分台を出した次の30kmレースで、とばしにとばした時は、27kmすぎで目の前が夕方の明るさになった。河川敷だったので、自分で草むらに倒れこんだ。気持ちよかった。
 夢ごこちの時、主催者である武庫川ランナーズの大道さんが、ぶどう糖のアンプルを持って走ってきてくださった。倒れている私を見た他のランナーが、本部に報告してくれたらしい。(めんぼくない。)

 ほかにも何回かあるが、どの時も、食べ物を食べたらケロリと元気になった。
 そんなことを考えていると、一週間前の松山健治さんの話を思い出した。 

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産経ニュースより

 「京都シティハーフの思い出」  −−松山健治さんの話・(京都走ろう会新年会にて)ーー

 京都シティハーフは3回走ったんやけど、最後に走ったのが、もう15年くらい前になるのかなあ。

 その時はめちゃくちゃ調子よくて、自己新が出そうなペースで18kmくらいまでぐんぐんとばして、そら気持ちよかった。
 ところが、後ちょっとと言う所で急に走れんようになって、立ち止まってしもた。お腹がペコペコになって意識もちょっともうろうとしかけた時に、コース沿いにパン屋さんを見つけてなあ。こら助かったと思って、お店に入ったんや。

 「ゴールしたら必ずお金を払いに来ますので、パンをわけてもらえませんやろか。」
 「それしたら、みんなにせなあかんことになりますので・・・。」

  まあ、お店の人の言わはることもようわかる。
 そこで途方にくれてたら、先にゴールしてた知り合いが歩いて帰って来るのが見えて、
 「ちょっとお金貸してもらえへん? 何か食べんと、もう走れへんねん。」ってゆうたんや。
 ほな、気よう千円かしてくれて、それでパン買うて食べたら生き返ったわ。
 食べてる途中、ヨメさんが、「何してんのん?」って言いながら抜いて行きよる。ほんま、冷たいやっちゃ。

 そこでまだ食べ続けてたら、別のランナーがパン屋さん入っていって、おんなじことを・・・。
 ランナー「ゴールしたら必ず・・・」
 お店の人「それしたら・・・」
 
 それ見てて気の毒になって、さっきのおつり残ってるし、そのランナーに「つこて」ゆうて渡して、自分はゴールめざして走って行ったんや。

 そしたら、その何日か後に、京都陸協から電話があって。
 何かいなーと思ったら、「松山さんからお金を貸してもらってパンを買って、完走できたという人が、お礼を言いたいということで・・・。」
 そして、その何日か後、パンの代金とお礼の手紙が送ってこられてねえ。

 みんなエネルギー切れたら、あんなもんなんやねえ。ええ経験になりましたわ。

◎後日、松山さんに電話。
 「あのガス欠、男の人はたいてい経験してはりますよねえ。うちのヨメさん、なんぼ説明してもわかってくれへんのですけど・・・。」
 「そうやね。女の人は少ないやろね。それにしても、福士さん、あの状態で、よう最後まで行ったなあ。それが、びっくりやったなあ。」
 「ほんま、われわれでは考えられませんよね。あんななったら、何か食べんとね。」

 私は、もうひとつ、後になって気づいたことがある。
 テレビ放送の終わる前5分ほど、途切れることなく、福士がずっと映っていた。そして、放送終了ぎりぎりにゴール。福士は、この間、だれにも抜かれなかったのである。一人で、画面を独占していた。
 あれで、いままで福士のことをよく知らなかった人の頭の中に、強烈な印象として残ったはずである。
 今回のレースは、当然、評価の分かれるところであると思うが、あの最後の5分間は、いろんな意味で奇跡に近い。

 私の義理の兄、恵藤さんの感想。
 「福士、すごかったなあ。フルマラソンって、あんな超一流の選手でもあんなことになんにゃなあ。こうじおっさん(私のこと)、ようそんなもん何回も完走しとるなあ。ほんま、感心するわ。」
 (こんな考え方もあるんですね。私と福士をくらべるのは、あまりにも失礼だと思いますが・・・。)

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