パオパオだより

2008年01月27日(日)

2008大阪国際女子マラソン [マラソン評論]

 家に帰って、「大阪国際女子マラソン」のビデオを最初から見た。

 昨日、ヨメさんと予想した。
 「福士、どう思う?」
 「わっからんなあ。」
 「まあ、ボクとしては、バーンと飛び出してくれたら、後はもうええわ。日本のイカンガーになってほしいな。(あの、前に人がいたらかなんって言ってたランナー)」
 「まあ、新しい方法で挑戦しやはんにゃから、応援しょ。まだ、若いんやもん。」

 初めは、私の思い通り。
 しかし、最後のほうの福士は、なんとも言えん状態だった。もし、私に言わせてくれるなら、「なんでもええし、なんか食わしたってくれー。」
 テレビでは脱水症状と言っていたが、私たち市民ランナーには、「ガス欠」のほうがわかりやすいと思う。走るエネルギーに変える物が、からっぽになった状態である。
 記録をねらった一般市民ランナー(ほとんど男性)は、調子のいい時に、必ず一度や二度経験したことがあるはずである。(私は、5回ほどあります。多すぎ?)

 「もう、走れへん。歩くのも、いや。」
 ところが、そこでおにぎりとかパンを食べたら、急に回復して走れるようになる。

 私の場合、一番ひどかったのは、新婚旅行の時に出た北海道帯広での自転車レースである。
 ガス欠で体が動かなくなり、とうもろこし畑の前で、ずっと悩んでいた。(このとうもろこし取ったらどろぼうさんやけど、あのヒゲは取って食べてもおこられへんかな。) 本気で、真剣に悩み、そのヒゲを凝視していた。体はかたまっていたと思う。(異様な光景!)
 そうしているうちに収容車が来て、私はヒゲ泥棒にならずにすんだ。
   
 また、30kmレースで1時間57分台を出した次の30kmレースで、とばしにとばした時は、27kmすぎで目の前が夕方の明るさになった。河川敷だったので、自分で草むらに倒れこんだ。気持ちよかった。
 夢ごこちの時、主催者である武庫川ランナーズの大道さんが、ぶどう糖のアンプルを持って走ってきてくださった。倒れている私を見た他のランナーが、本部に報告してくれたらしい。(めんぼくない。)

 ほかにも何回かあるが、どの時も、食べ物を食べたらケロリと元気になった。
 そんなことを考えていると、一週間前の松山健治さんの話を思い出した。 

画像(115x180)・拡大画像(161x250)

産経ニュースより

 「京都シティハーフの思い出」  −−松山健治さんの話・(京都走ろう会新年会にて)ーー

 京都シティハーフは3回走ったんやけど、最後に走ったのが、もう15年くらい前になるのかなあ。

 その時はめちゃくちゃ調子よくて、自己新が出そうなペースで18kmくらいまでぐんぐんとばして、そら気持ちよかった。
 ところが、後ちょっとと言う所で急に走れんようになって、立ち止まってしもた。お腹がペコペコになって意識もちょっともうろうとしかけた時に、コース沿いにパン屋さんを見つけてなあ。こら助かったと思って、お店に入ったんや。

 「ゴールしたら必ずお金を払いに来ますので、パンをわけてもらえませんやろか。」
 「それしたら、みんなにせなあかんことになりますので・・・。」

  まあ、お店の人の言わはることもようわかる。
 そこで途方にくれてたら、先にゴールしてた知り合いが歩いて帰って来るのが見えて、
 「ちょっとお金貸してもらえへん? 何か食べんと、もう走れへんねん。」ってゆうたんや。
 ほな、気よう千円かしてくれて、それでパン買うて食べたら生き返ったわ。
 食べてる途中、ヨメさんが、「何してんのん?」って言いながら抜いて行きよる。ほんま、冷たいやっちゃ。

 そこでまだ食べ続けてたら、別のランナーがパン屋さん入っていって、おんなじことを・・・。
 ランナー「ゴールしたら必ず・・・」
 お店の人「それしたら・・・」
 
 それ見てて気の毒になって、さっきのおつり残ってるし、そのランナーに「つこて」ゆうて渡して、自分はゴールめざして走って行ったんや。

 そしたら、その何日か後に、京都陸協から電話があって。
 何かいなーと思ったら、「松山さんからお金を貸してもらってパンを買って、完走できたという人が、お礼を言いたいということで・・・。」
 そして、その何日か後、パンの代金とお礼の手紙が送ってこられてねえ。

 みんなエネルギー切れたら、あんなもんなんやねえ。ええ経験になりましたわ。

◎後日、松山さんに電話。
 「あのガス欠、男の人はたいてい経験してはりますよねえ。うちのヨメさん、なんぼ説明してもわかってくれへんのですけど・・・。」
 「そうやね。女の人は少ないやろね。それにしても、福士さん、あの状態で、よう最後まで行ったなあ。それが、びっくりやったなあ。」
 「ほんま、われわれでは考えられませんよね。あんななったら、何か食べんとね。」

 私は、もうひとつ、後になって気づいたことがある。
 テレビ放送の終わる前5分ほど、途切れることなく、福士がずっと映っていた。そして、放送終了ぎりぎりにゴール。福士は、この間、だれにも抜かれなかったのである。一人で、画面を独占していた。
 あれで、いままで福士のことをよく知らなかった人の頭の中に、強烈な印象として残ったはずである。
 今回のレースは、当然、評価の分かれるところであると思うが、あの最後の5分間は、いろんな意味で奇跡に近い。

 私の義理の兄、恵藤さんの感想。
 「福士、すごかったなあ。フルマラソンって、あんな超一流の選手でもあんなことになんにゃなあ。こうじおっさん(私のこと)、ようそんなもん何回も完走しとるなあ。ほんま、感心するわ。」
 (こんな考え方もあるんですね。私と福士をくらべるのは、あまりにも失礼だと思いますが・・・。)

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