2009年11月11日(水)
雲ヶ畑フェスティバル・続き [学校]
「パオパオー、もっさいジャージ貸してー。」
真樹が劇で中学校教師の役をやることが決まったとき、私にこう言った。
23歳で教師になってから、毎日ジャージ。35歳で退職したあとも、毎日ジャージ。おお、私のジャージ生活はもう30年!
もっさいジャージなら、まかせなさい!
それにしても、真樹のヒゲづら、にあってたね。
「雲ヶ畑フェスティバル・後半」のメインと言っていいくらいだったかも・・・。
おお、なんと、PTAコーラスの指揮をしておられるのは、私の最後の教え子の一人・ともちゃんのおかあさんではないですか。
最後は、「7.劇 『もしも魔法が使えるなら 〜とある生徒会の奮闘記〜』 中学生」。
「私はあなたとはちがうんです。自分を客観的に見ることができるんです。」
私は、自分の娘も客観的に見ることができる。今日の劇では、真樹が一番よかった。よく通るきれいな声。落ち着いたもせりふの言い回し。舞台への出入りさえも、堂々としていた。
「ほんまに、よかったぜ。」
すべてが終わったあと、音楽の I 先生が出てこられた。
「インフルエンザで行くことができなかった合同文化祭で歌う予定だった歌を、この場で歌わせていただこうと思います。」
会場は大きな拍手。それは、アンジェラ・アキさんの「手紙」。
よかったです。臨機応変にこんなことができるのが、小さい学校のいいところ。
真樹も、文化祭に関してなんやかやブツブツと言っていたが、結果は「小さくてもキラリと光っていた」。よかった、よかった。
学校のすぐ近くに、ゆずの木。
学校の周りの山も、こんなに色づいています。
こんな見事な紅葉も・・・。
学校からの帰りには、こんなご立派なおさるさんも・・・。
「雲ヶ畑フェスティバル」、これにておしまい。
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2009年09月03日(木)
いい時も悪い時も・・・ [学校]

私の最後の教え子三人のうちのひとり・千尋さんが9月5日に結婚式をあげる。
7月に、千尋さんの同級生・ともちゃんの二人目の子を見に行ったときにそのことを教えてもらった。知ったからにはお祝いをしなくては。
昨日4時ごろ、お祝いの絵本とお祝いの言葉を書いた手紙を持っていった。千尋さんはちょうど私が伺った直前に出かけてしまったそうで、家にはおばあちゃんだけがおられた。
私のお祝いの言葉は、だいたい次のようなもの。
「最近とても気に入っている言葉があります。
『いい時も悪い時も、人生を楽しんでいたい』
これを私ふうにアレンジすると、
『どんな中でも、ぜったい楽しいことは見つけられる』
そう思い続けて生きていけたらいいね。」
毎日毎日危ない橋を渡っている私なので、これから夫婦になろうしている人にえらそうなことは何も言えない。ただただ、「楽しい日々が続きますように」と祈るだけ。でも、仮に「悪い時」が来ようとも、それも楽しむくらいたくましくなって。
千尋さんは、この5月、私にメールを送ってくれていた。その中に、次のような文があった。
「4月からまきちゃんが来てくれてはること、とっても嬉しく思っています。まきちゃんの転校先に選んでくれはったことが、先生が雲ヶ畑小中学校が嫌いになって退職されたんじゃないことの何よりの証拠になって、何か今更うれしいです。」
元担任が教え子を心配する話はよくあるが、教え子が元担任を心配してくれている・・・。ありがたいことです。
そのメールへの私の返事は次のようなもの。
「雲ヶ畑小中学校については、いやだったのではなく、逆で、『ここが最後ならいいかな』と思えたからやめることができたのです。
雲ヶ畑でいやだったことは一つもない。いい思い出ばかりです。」
18年前小学校を卒業し、その後15年ほどまったく会わなかったのに、今またこうしてお付き合いができる。
「うれしい!」
ちぃちゃん、ともちゃん、こうじくん。三人の笑う顔、また見せてやー。
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2009年08月18日(火)
別所小学校・花背第一中学校閉校式 [学校]
8月16日、「花背山の家」で閉校式があった。
130年を超える歴史の「別所小学校」、60年を超える歴史の「花背第一中学校」が閉校になってしまった。
何名かのごあいさつの中では、克己のおっちゃん(私のまたいとこ)のがピカイチだった。(決して、頭のことではありません。)
「私の頭は光輝いていますが、別所町の将来はどうでしょう」くらいまで言ってほしかったなあ。話の中で、「くすっ」と笑うところもないとね。
でも、オリジナリティがあってよかった。ほかの方のごあいさつは、誰が言っても・・・という内容でたいくつだつた。
途中で、「なんか聞いたことある声やなあ」と思ったら、同級生の和佐男ちゃん。
「司会、じょうずやん。」
最近一人で別所に帰ってきているとは聞いていたが、もう町の役をやるくらい溶け込んでるんや。
私の父は、80年ほど前の在校生。
父の年代は、子どものころは病死、青年時代は戦死で同級生が少ない。生き延びた人も、もう88歳。話し相手がいないのがかわいそうだ。
式典のあとは、お弁当を食べながら自由に歓談。
プログラムには書いてなかったのに、父のあいさつもあった。
私の同級生は、出入りを含めると16人。
閉校式参加は、物部和佐男、藤井和幸、林幸博(百井)、中山琴美、藤井鑑子、私の6人。ちょっとさびしいね。
中学校のとき、めっちゃこわかった楠先生(数学)が来てくださった。
「楠先生、よう来てくれはりました。こうじと林幸博です。お元気そうですね。」
「いやー、ひざの調子が悪うて、あかんにゃわ。」
「88歳ですってね。うちの父と同い年です。大正10年生まれですよね。」
それにしても、先生の参加者が多いのにびっくりした。楠先生のようにお体の調子がよくない先生も来てくださった。それは、この日が別所に来る最後の日と思っておられる先生が多かったからだろう。
壁には、学校にかかわる写真が年代ごとに分けてはられていた。
私の母は、昭和20年から21年にかけて別所小学校の教師だった。どこかに写真がないものかとつぶさに見てみてたが、見つからなかった。
その代わり、私の叔父・清作さんのかっこいい写真を見つけた。みんなが白いシャツ黒ズボンでいるのに、一人だけカラープリントのシャツにつりズボン。どうなっとるんじゃー。今やったら、親呼び出しですか。
「学校がなくなったとき、その地域は死ぬ」
私は本気でそう思っている。そういう意味で、この閉校式は、「地域のお葬式」と言ってもいいのかもしれない。
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2009年08月12日(水)
伊藤さんとの対話 [学校]
「ずーっと、学校の好きな先生でいてくださいね。」
「はい。」
森之宮駅前で伊藤千尋さんとお別れするとき、もう一度念を押しておいた。
8月8日大阪城公園での「夕涼みRun」で、伊藤さんにもう一度追いついたらまたしゃべらせてもらおうと思っていたが追いつけなかった。その代わり、ゴールしてそのちょっと先で「ゼイゼイ」言っている私を見つけて話しかけてきてくださった。
「相談とかに答えたりしておられるんですか?」
うん?
カウンセラーでもあるまいに、私が何でと思ったが、よーく聞いてみると「京都キャロット」に来られたお客様にアドバイスをしてるのかという問いだった。
「いっつもヨメさんに言われてますねん。アンタのええかげんな話は逆効果やから、絶対お店には来んといて。頼むし、ほかの仕事探して、とっととどっか行って・・・、って。ほんま、仮面夫婦はたいへんなんやから。」
「そうなんですか。でも、ブログに出ている奥さんの写真、すごくいい感じじゃないですか。」
「そうでしょう。」
うちのヨメさんは顔はかわいいんやけど根性はババ、と言いかけてやめておいた。「アンタのブログのせいで、私をこわがる人が多なってかなん」と、またおこられる。
20分ほどしゃべったと思うが、伊藤さんのほうから話されたのはこれだけ。あとは、ほとんど私の話を聞いてくださった。
家族以外では私のブログに最多登場であると思われる伊藤さん。私の娘でもおかしくない歳だが、落ち着いておられる。
私は自分が教師を辞めてから、現役の教職の方は避けていた。いろいろなトラウマのようなものがよみがえってくるのがいやだったからかな。
でも、伊藤さんが自分から教師であることを話されたとき、なぜか「ふつうに、スッと」受け入れられた。なーんでか。
私が帰る道々、彼女に話したことは三つ。
?「子どもが好きな先生じゃなく、学校が好きな先生でいてほしい」
子どもが好きという人は、大人が嫌いなことが多い。学校が大好きな先生は、子どもも保護者も同僚の先生もみんな好きになれる。
?「学校べったりじゃなく、広くいろいろなところへ出ていろいろなことを体験してほしい」
至れり尽くせりの先生をありがたいと思う人は多いかもしれないけれど、学校べったりで視野のせまい先生は困る。(そんな先生ばかりにしてしまったのは、我々保護者の責任でもある。)
こうして走りに来ておられるのもすごくいいこと。そのとき出会ったいろいろな方としゃべってかえってほしい。
?「自分が体験したことは、必ず学校で話してほしい」
いろいろな制約がありむずかしいとは思うが、自分が体験したことそのとき感じたことを子どもたちに話すことは、すごく大事なことだと思う。
私ももし教師を続けていたら、「鯖街道ウルトラ」の賀茂川パートナーズのお二人のことは、次の日の朝一番に絶対に子どもに話していたと思う。
「無関心な子もいるかもしれんけど、きっと一生懸命聞いてくれる子もいるし・・・」
私のお願いみたいなことばっかりになってしまいました。聞き疲れたでしょう。すいません。
でも、いつまでも、「学校が大好きな先生でいてくださいね。」
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2009年07月23日(木)
「紫野対鳥羽」−山田君の涙ー [学校]
紫野高校応援席に向かって一礼したあと、一人の選手が崩れ落ちた。その選手を抱き起こし、いっしょにベンチへ向かう4人。
泣き崩れていたのは、「サヨナラ」のマウンドにいた山田投手。助け起こしていたのも、たぶん3年生。みんな、うちの廉と同じ高校の同級生。
とてもじゃないけど見てられん。ああこの子らは、本気で甲子園をめざしてたんや。
延長14回裏サヨナラ試合。4時間近い熱戦の幕切れは、2アウト満塁ツースリーからの押し出しだった。あまりにも残酷な・・・。
しかし、見る側から言わせてもらえれば、こんなすばらしい試合はなかった。野球はチーム対チームの戦いだということを、ひしひしと感じさせてくれるゲームだった。
こんな長い試合だったのに、真樹も感動していた。「見に来てよかった」と何度も言っていた。
西京極球場の近くに駐車場の空きが見つからず、だいぶ遠いところにとめたため、球場に着いたのは試合開始予定時刻を15分ほど過ぎていた。しかし、その前の試合が長引いていたようで、私たちが着いたとき、まだ試合は始まっていなかった。
球場は、ほとんど日陰がなかった。
どうせ暑いのなら、3塁ベンチのすぐ近くにすわろう。選手の表情もよく見えていい。
紫野高校の先発は、長身右腕の上田投手。左腕山田投手は、センター4番での先発となった。
1塁側鳥羽高校は、赤いメガホンでの応援。
試合開始。
元気のいい掛け声とともに、ホームベースまでダッシュ。
紫野高校はチア部による応援だったが、真横なのでよく見えない。
真樹は、自分から「見に行きたい」と言った。なんでやろう。
ベンチ中央におられる谷監督。
体育の先生ですが、実は「京都キャロット」のお得意様です。知る人ぞ知るサブスリーランナー。とにかく、部員を走らせまくることで有名です。
廉は自分の学校であるにもかかわらず、応援に来ず。
私たちの周りには、紫高生らしき子がいっぱい来てるのに・・・。
反対の1塁側まで行って、紫高チア部も撮っておいた。
紫野高校一番打者。
真樹は炎天下なのに何の不満も言わない。
しっかりと、高校生たちのがんばりを見つめていた。
私の横に座った紫高生が、おもしろいことを言っていた。
「さっきまでテレビで見てたんやけど、名将(谷先生のことらしい)、サインバレバレやぞー。こればっかりやから。」(と言いながら、左手首をさするしぐさ。)
この大会は、第91回だそうです。すごい歴史です。
ここから3枚は、4番バッター山田選手の華麗なフォーム。
見事な選球眼で、フォアーボールゲット。
試合開始1時間後くらいから、太陽が雲に隠れる時間が長くなってきた。一時は暑さで倒れるかもしれんと思っていたが、何とか持ちこたえた。
紫野、鳥羽はともに公立高校。通学地域が限定されている公立高校が、よくここまで勝ち進んできたものだ。
紫野は、左右の2枚エースを擁し前評判も高かった。しかし、私の目には、相当練習量をこなしているチームだとうつった。牽制からの挟殺が2回、バント処理でランナーを殺すことも数回。盗塁刺殺も数回。これは、かなり練習を積み重ねないと本番で成功しない。
3試合連続完封で勝ち上がってきたのは、ピッチャーの力だけではないことがよくわかった。「連携力」のあるチームである。
一方、鳥羽は「何があっても前へ前へ」というチーム。積極的というか、やや雑というか・・・。
しかし、それを貫き通して勝ち進んできたことがうかがえる。何回も連続して盗塁を刺されているのに、また走ってきたときはびっくりした。
チーム全体に、「失敗を恐れず前へ」という考えが徹底されていた。
両方とも、すごくいいチームである。どの子の顔もイキイキしていた。
どちらが勝ち進むにせよ、「公立高校の希望の星」になることはまちがいない。(この時点で、公立のもう一校、塔南高校もベスト8に残っている。)
3回に1対1になってから、本当に目が離せなくなった。
7回に鳥羽が1点取りなお満塁。そこで紫野高校先発上田投手は降板。センターから山田選手がリリーフ。見事な火消し。
9回表、それまでさっぱり当たりの出なかった5番打者矢田選手が起死回生の同点打。
そこから延長へ。
球場のフンイキは、延長15回同点で再試合もありか、という感じだった。
延長何回か忘れたが、紫野の先頭打者がセカンドゴロ。それを鳥羽の二塁手がお手玉。この二塁手は、この試合3個目のエラーであったと思う。
このときだけは、鳥羽を応援した。「なんとか、このエラーから決勝点が生まれませんように・・・。」
この回の鳥羽の守りはすばらしかった。「絶対におまえ(二塁手)のせいにはさせへんぞー」という気迫が感じられた。
私は、この回の鳥羽のまとまりが今日の勝因であったように思う。一人のミスをチームのミスと思い、一致団結して挽回する。これが、団体競技の醍醐味です。
試合終了。
紫野高校3年生にとっては、ここで高校野球のすべてが終わりを告げた。
鳥羽高校の校歌斉唱。
紫野高校応援席に向かって一礼。一番深々と頭を下げられていたのは谷監督だった。(右から2人目)
家に帰って廉に確かめたら。本当に谷先生は「名将」と呼ばれているらしい。公立高校をここまで導いたのだから、確かに「名将」である。ちょっと谷先生を見る目が変わってきたかも・・・。
こんな機会はめったにないのに、廉も見に来ればよかったのに。真樹はこの試合を見て、自分なりにいろいろと考えるところがあったみたいよ。
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2009年07月22日(水)
京都市中学校選手権大会(卓球の部) [学校]
「やったー!」
第1試合、フルセット、ジュースの熱戦を制し超スレスレで勝ったとき、真樹が私のほうにニコニコしながら近づいてきた。
「絶対、見にこんといてやー」ゆうてたのにね・・・。こんな心からの笑顔を見たのはいつ以来やろう。
昨日の夜の父と娘の会話。
「このユニフォームの胸のボタン、はずしてていいんかなー。」
「おぉっと、胸チラお色気作戦で相手をメロメロにするつもりやなー。」
「なんでやな。相手も女やって。」
「ははー、ほんまや。」
こんなお気楽なパオパオのおかげで、娘はリラックス。(と思っているのは、私だけ・・・かな。)
勝ち負けは二の次。「楽しめ」とは言わんけど、何でもしっかり「味わう」こと。それが一番大事。
今年4月に転校したばかりで、卓球暦3ヶ月の真樹。
1回きりのユニフォームを買うのはもったいないので、卒業した先輩「T・まきちゃん」のユニフォームを借りて出場。
「T・まきちゃん」は、真樹と同じ名前だが、すらっとした長身。ちびまるこい真樹が、貸してもらってだいじょうぶかと心配だった。
でも、着て動いているところを見てみると、全然だいじようぶ。
「T・まきちゃん」は、真樹の古くからの文通友達。私も合同行事などで何回かしゃべったことがある。今どき珍しい落ち着いた子。
その子のユニフォームが借りられたことが、何か「ラッキー」なような気がした。
北区のK中からは、最強女子カルテットが参加。(と言っても、これで女子全員です。) 3年の真樹とあーちゃん、2年のRちゃん、Mちゃん。
真樹以外の3人にうちの家まで来てもらい、そこから会場の山科・大宅中まで私の車で行くことにした。
大会で説明に立たれた先生は、たいへん好感が持てた。中学校の先生にありがちな「がなりたてる」といことがない。生徒たちの聞く態度もすごくよかった。それは、先生が要領よく手短に話されていたからだと思う。
K中のトップバッターは、2年のRちゃん。
K中が誇る大型選手。(真樹の1.5倍はある???)
遠くから撮ったので、ピンボケです。
きっと緊張しているだろうに、着実にリードを広げ、見事な勝利。
このときほとんど同時に、2年のMちゃんも試合。ごめんねー、写真撮れへんかった。試合も残念やったね。
RちゃんもMちゃんも、真樹の古くからの文通友達。急に転校してきたのに、仲良くしてくれてありがとね。
あーちゃんのお父さんも仕事の途中によってくださった。あーちゃんのお父さんは、いつも真樹のことをかまってくれはる。真樹もうれしそう。
学校からは校長先生たちも来てくださった。
真樹の初戦の相手は、なんと珍しい真樹より小さい女の子。
なんで、ニコニコしてんにゃろ。
セットが終わるごとに、ベンチに帰り作戦タイム。なんか、楽しそう。
真樹は、学校から借りている安もんラケット。相手がチェックするとき、「えっ、こんな重たいラケット?」という顔をするらしい。
おーと、出ましたー。
臨時コーチ? 特命コーチ?
いえいえ、彼はあーちゃんのお父さんです。
セットを取られて取って、取られて取って、第5セット。
一進一退、一進一退。ついに、ジュース。
取って取られて、今度は取って取って。13対11。
「やったー!」
「練習少なく成果を上げる」
これは、我が家の家訓です。
ただ、一生懸命練習してきただろう相手には、本当に申し訳ない。
最強女子カルテットの大トリとして登場のあーちゃん。
お父さんもななめ後ろから応援です。
作戦タイムには、みんなからアドバイスが。
K中応援ベンチには、お母さんや先生も。
あーちゃんパパ臨時コーチも、適格な指示を。
対戦相手との実力は紙一重。
フルセットで、最後はジュース。
取られて取って、取って取られて、取られて取られて・・・。
あー、おしい。12対14。
ほんとうに、もうひとふんばり。最後は勝たせてあげたかった。
でも、いつもまじめに取り組んでいた姿勢は立派でした。
体育館の外では、部分日食。
曇り空だったので、肉眼で観察できた。ラッキー!
真樹の2回戦。
相手は、シード選手である華頂女子のKさん。これは、どう見ても真樹の2倍はある(???)。
あっ、身長じゃなくて実力。5段階評価で、「2.5対5」という感じでしょうか。
真樹は変化球サーブができないので、相手のバックをねらうサーブを多用する。
このときも真樹からのサーブだったので、相手のバックにサーブ・・・。
「バチコーン!」
一瞬、ピン球が消えたのかと・・・。
気がつけば、ピン球は応援席に・・・。これはもう、みんな笑うしかない。
真樹がパックをねらっているつもりだったサーブは、相手が左利きのため打ちごろのコースに入っていた。
「知らんかったなー」
しかし、相手もミスが多く、得点板見てください。
「真樹がリードしてますがなー」
卓球部顧問の若きM先生は、こんな時どんなアドバイスをしてくださったのだろう。
第1セットこそ8点までとれたが、第2、第3は「ムリー」。
セットカウント3-0で、完敗。
ちょっと前ならプンプンしながらこう言ったと思う。
「なんで私があんな強い人と対戦せんならんねなあ。意味ないし。」
でも、今日はちがった。
「強い人ともやれてよかったわ。いろんな人がいんねんなあ。」
もちろん一回勝てて気をよくしているのだろうが、「普通の中学生としてみんなの輪の中に入れている自分」が実感できたのがうれしかったのだと思う。
いやなことがあってもすぐうれしいこともある。そして、またつらいことがあり、またよろこびもある。
人間て、そんなことのくりかえしちゃうん?
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