2012年12月14日(金)
今日は何の日? [家族]
早朝バイトから帰ると、家にはきくだけ。
真樹とヨメさんは、私がバイト前に地下鉄の駅まで送っていった。明日、大学受験の再チャレンジ。
廉は大学の授業があるようだ。
テーブルの上に伝言。
「12/14 きく さんぽ、ごはん OKです。 れん」
ありゃ、もう一つお手紙が。
真樹から、「パオパオへ」やって。
「誕生日おめでとう」と、受験への意気込みが書いてあった。
ありがとう、そして 「 しっかり!」
推薦入試の1期が残念な結果に終わったとき、人生初めての挫折でその落ち込みようはひどかった。しかし、それをいつまでも引きずらず、冷静に自己分析をして次に備えていた。結果がすべてではない。そういったことを経験しながら、物事の判断がしっかりできる大人になっていく。そんな場に、今自分がいられるだけでも幸せだと思わなくては・・・。
今朝起きたとき、先に起きていたヨメさんが「誕生日、おめでとう」。
まあ、こんなこと何年ぶり(何十年ぶり?)でしょう。
きついスケジュールで大変だと思いますが、真樹のサポートしっかりお願いします。
私の誕生日12月14日は、「四十七士の討ち入りの日」。
と言っても、今の若い人はチンプンカンプンでしょうね。
■四十七士討ち入りの日,忠臣蔵の日
1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩[あさのたくみのかみながのり]が、幕府の礼式を司る高家[こうけ]筆頭の吉良上野介義央[きらこうづけのすけよしなか]に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助[おおいしくらのすけ]の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。
世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。
この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれている。
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なんと、「四十七士の討ち入り」は実際は12月15日未明ですか。それも旧暦なので、現在の暦になおすと1月31日。
12月14日は、ほとんど意味なかったですね。
ちなみに、先日亡くなられた中村勘三郎さんと私は同い年。彼は5月生まれなので、57歳と半年ほどの命だった。
私は60歳までは生きたい。そのころには、真樹も大学卒業のめども立っているだろうし・・・。
「あっ、まだ大学決まってへんやん!」
そやそや。明日、しっかりね。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
みったんさん、コメントありがとうございます。
最近みったんさんのブログにコメントは入れていませんが、ずっとのぞかせてはもらっています。大会に出られる回数がだいぶ減ったようですね。また、ビッグレースを狙ってられるのでしょうか。
私は、60歳までは自分を追い詰めて行こうと思っています。何の根拠もないのですが、まだまだ記録は伸びるはず。
あと3年がんばって、そのあとは「普通のオッサンランナー」に戻ります。
パオパオさん、お誕生日おめでとうございます!
まきちゃん、廉くん、ますみさん、そしてご自分のために・・・
いつまでも、かっこいい、アスリートで!