2012年08月31日(金)
沖縄三人旅の思い出ー今帰仁城址の猫ー [沖縄]
沖縄旅行2日目(8月11日)と言えば、オープンキャンパス、ごん太君、今帰仁城址・・・。でも、前の二つはもう書いたので、今帰仁城址のネコちゃんについて。
オープンキャンパスが終わったのが午後3時。そのあと「しまむら」でお買い物。まだ時間があったので、かわいいネコちゃんがいっぱいいる今帰仁城址に行くことにした。私と真樹は2年前にも訪れ、すごくいい印象が残っている。ヨメさんにも案内したくなった。
下の事務所で入場券を買い、お城の門の前へ。
ここでチケットを渡し入場する。
いましたいました、ネコちゃんがいっぱい。
いっぱいいっぱい写真を撮らせてもらい、ちょっとだけ触らせてもらっていよいよ入場。
2年前にも撮った「イヌマキ」の木の下で記念撮影。
海をバックに記念撮影。
真樹はいつもきれいに撮ってくれる。
門を出て、もう一度ネコちゃんたちと遊ぶ。
下のお店で食べた、「ぜんざい」は黒糖味ですごくおいしかった。
「今帰仁城址」は観光地とは言えそんなに混雑しておらず、ゆったりと見てまわることができる。私のお勧めです。
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沖縄三人旅の思い出ー紅芋とホテルー [沖縄]
沖縄旅行1日目(8月10日)と言えば、「紅芋」。
うちのいなかに住んでおられる春美さんのおかあさん、初子オバァがたくさんくださった。
「自分たちで食べられなかったら、ホテルに泊まってる人たちに食べてもらえばいいサー。」
私たちが「ベルパライソ」に泊まると言うと、オバァの動きが一瞬止まった。
「そのホテルの洋食の厨房に、孫が働いているサー。」
なんという奇遇。初子オバァの孫ということは、真樹が小学生のとき複式学級で一緒だった九ちゃんのいとこということだ。
沖縄の中ではマイナーな地域と言える今帰仁村だが、私たちにとってはこの先もいろいろとお世話になりそうなところである。
那覇空港についたのは午後4時。でも、レンタカーを借りるのにずいぶん時間がかかってしまった。
この日は、ホテルに行く前によっていきたいところがあった。
今帰仁小学校のすぐ近く、初子オバァの家に着いたのはちょうど7時。明るいうちにおじゃまする予定だったのに、もう薄暗くなっていた。
このあたりは高台になっていて、さわやかな風が吹き涼しかった。
アバァの家の周りはサトウキビ畑。今は、人を雇って栽培を続けておられるそうだ。
「うちのものはだれもやらないからサー。」
初子オバァは、隣の家に住む孫の一番下を紹介すると呼びに行ってくださった。しかし。、真樹の1歳上のその男の子は恥ずかしがって出てきてくれなかった。「真樹がこっちに来ることになったら、いろいろと頼みます」と言おうと思っていたのに・・・。
入り口前のきれいな花を入れて記念撮影。
あとは、海岸沿いのホテル・ベルパライソに直行。
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2012年08月30日(木)
沖縄三人旅の思い出ーオープンキャンパスー [沖縄]
8月10日(金)から13日(月)までの沖縄旅行。そのときのことをくわしく書きたいのだが、くわしく書くには時間がかかる。
2年前の夏、真樹と行った沖縄旅行のことも「(注)まだまだ、続きます」と書いたまま放置。これではあかんねー。これから覚えているうちに、ぼちぼち書いていくことにします。
真樹は沖縄旅行は8回目だそうだ。そのうち1回は高校の修学旅行で、あとの6回は私と。そして、小6のときの初めての沖縄旅行は、私、ヨメさん、真樹の三人だった。つまり、この三人のメンバーで沖縄に来るのは6年ぶり2回目ということになる。(ちなみに、私は真樹と二人で5回、ヨメさんと2回、廉と1回来ているので今回で10回目。)
8月のお盆休みの時期の沖縄旅行はツアー料金が高い。「何でそんな高いときに・・・」と思われるかもしれないが、今回は特別。
今回の一番の目的は遊びではない。8月11日(土)の○○大学のオープンキャンパスに参加するために来たのだ。(娘のプレッシャーにならないように、あまりくわしくは書きません。今さらですが・・・。)
仕事が休めないヨメさんがいろいろ工夫してついて来てくれたのも、こんな大事な用があったからだ。
上の写真は、そのオープンキャンパスのときに大学構内で真樹が撮ってくれたもの。後ろの海がきれいだったんですが、ちょうど私たちの体で隠れてしまいましたね。
この大学には、沖縄らしい緩やかな風が吹いていた。この広い施設の中で、ゆっくりじっくり自分の好きな勉強ができればいいのにね。
さて、ここはどこでしょう。
2年前、個人的に親子で大学見学をさせてもらった。そのとき入試課の係員さんの計らいで、授業が終わるのを待って先生お二人と面談させていただいた。そのお二人の先生(伊良皆先生と大谷先生)とも、今回またお話させていただくことができた。
この大学のフンイキは、真樹の性格にあっているように思う。入試までもうちょっと。がんばってほしい。
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2012年08月10日(金)
初子オバァに再会 [沖縄]
沖縄本島北部の今帰仁村に到着。
うちのいなかに住んでおられる春美さんのお母さん、初子オバァに再会。
二年前におじゃました時は、「足が痛くて・・・」と弱っておられたので心配していた。でも今日は元気元気。
うちのヨメさんを紹介すると、「息子さんのお嫁さん?」
ヨメさんは大喜び。
オバァも82歳だが元気元気。いっぱいしゃべれてよかった。
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2012年07月06日(金)
忘れられた沖縄 [沖縄]
◎毎日新聞7月3日朝刊・発信箱より
報道されない「示談」=大治朋子(外信部)
沖縄に暮らして実感したのは、米兵らによる犯罪の多さだ。
沖縄県警が昨年1年間に摘発した米軍人・軍属らの刑法犯件数は42件。前年比で約4割減、過去10年で最少というが、それでも1カ月に3.5件、10日に1回のペースで起きている。
例えば2月に起きた器物損壊事件。酒に酔った海兵隊員が、金武町の学校などに駐車されていた車11台を破壊した。
驚いたのは、その後の「示談交渉」。海兵隊の法務担当は被害者の学生らを交番に呼び出し、示談書へのサインを求めた。奥の部屋には警官がいたが、「何をしているのか確認しなかった」。学生らは交番だったので「警察の仲介だと思った」という。
「示談」のやり方もおかしかった。米軍の法務担当者は英語の示談書などを用意し署名させたが、それを学生らに渡さなかった。だから被害者たちは「サインはしたが、内容はよく思い出せない」。そんな理不尽が繰り返されてきた。
学校側は報道機関に一斉に情報提供したが、地元紙の琉球新報以外はほとんど報じなかった。たまたまニュースが多かったのか、あるいは人手不足だったのか。本紙はウェブサイトで新報の記事を転載した。
報道を受け、米軍側は今後交番を使わないこと、示談書を被害者にも渡すことを約束し謝罪した。警察も「交番を使用しないよう要請した」と記者発表した。それでも多くのメディアは、沈黙した。「沖縄ではありがちな話」と黙殺したのかもしれない。
米兵らの刑法犯については、身柄の引き渡しを制限する日米地位協定があり、問題視されている。民事の世界でも、いまだ米国統治下のような「不条理」がまかり通る。
それを告発するのがメディアの役割だと、改めて自覚したい。
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6月23日、小樽のホテルを出ようとレンタカーのエンジンをかけた。
「おはようございます。今日は沖縄慰霊の日です。」
カーナビからのアナウンスで思い出した。そうや、そうやったんや。
去年、このブログで「せめて1年に1回だけでも沖縄のことを真剣に考える日にしよう」と書いていたのに・・・。その本人がこの有様です。
今、世の中は原発と消費税の問題ばかり。また、沖縄が忘れ去られようとしている。ずっと気にしていたつもりの私もこんな状態ですから・・・。これではダメですね。
橋下氏は知事時代に、「沖縄の米軍基地を大阪に」と言っておられた。そんな表明をしたのは全国の知事でただ一人。私は、それは「すごい」と思った。
しかし、話が具体的に進もうとしたとき、「それはなかったことに」と言うような対応になった。たぶん、思いつきで調子のいいことを口走っただけで、沖縄のことはすっかり忘れておられたんでしょうね。
それに対して沖縄県民の怒りが爆発すると思ったが、意外や平静だった。悲しいことですが、沖縄県民はヤマトンチューにだまされることに慣れているんです。橋下氏の妄言など初めから相手にしていなかったのかもしれません。
私の提案。
大阪都なんてどうでもよろしい。沖縄県を沖縄都にして首都移転。国会を沖縄に。
そうすれば、もっときちんとした多くの情報が私たちにも入ってくるんじゃないでしょうか。
この提案、なんか問題あります?
(追加)
7月5日、「維新八策」の中間案が発表された。
沖縄に関する項目は以下の通り。
◇ ◇ ◇
7.外交、防衛
【政策例】
・日本全体で沖縄負担の軽減を図るさらなるロードマップの作成
◇ ◇ ◇
これって?
まるでひとごと。
「ロードマップ」てなんやねん!
英語つこたらええちゅうもんちゃうで。
まあ、「なんにもしません」ってことですか?
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【RUN】
今日も5km。行き13分17秒、帰り13分ちょうどで26分18。昨日よりはしっかり走れた。
今日は長めの2kmダウンジョグ。
これだけで汗ズクズク。全部着替え。
今日は、朝のバイトで汗ズクズクになり総着替え。1日に2回も着替えていたら、洗濯がたいへん。でも、このごろよく廉が洗濯物を干してくれている。ありがとね。
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2012年04月27日(金)
松島先生! [沖縄]

◎京都新聞4月27日朝刊・私論公論
■ 松島泰勝(まつしまやすかつ)・龍谷大経済学部教授 1963年琉球・石垣島生まれ。在グアム日本総領事館、在パラオ日本大使館勤務などを経て2009年から現職。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に「沖縄島嶼経済史」「琉球の『自治』」「ミクロネシア」「琉球独立への道」など。
沖縄「復帰」40年
琉球人の怒り 受け止めよ
今年、琉球人が日本国民になって40年になる。「復帰」後、沖縄は内政・外交面では日本国、軍事面では日米両国による支配体制下におかれてきた。沖縄は形式上、「県」という一自治体である。しかし1879年の琉球併合で琉球人の領土が奪われ、今も沖縄限定の特別法があり、長期間、過重に米軍基地が押し付けられてきた。「県」成立の根拠法である沖縄返還協定は密約に基づき、その成立過程に当事者である琉球人、琉球政府は参加できなかった。「復帰」とは「元の状態に戻ること」を意味するが、沖縄の元の状態は日本ではなく、琉球国である。沖縄は「日本固有の領土」でもない。
1972年以降の「復帰」体制の特徴は次の通りである。?日本国による沖縄統合化の深化?琉球人の生命や生活よりも、日本人のそれを重んじ、基地負担を押し続ける差別体制?政治的、軍事的、経済的利益が沖縄から日本に流れる仕組み、つまり植民地体制。「復帰」体制の中で、日本政府から一括交付金を含む振興開発資金がどれだけ与えられても、沖縄は日本政府に依存させられ、日本の企業や移住者による支配がさらに進むだけである。
沖縄の経済は基地に依存しているのであろうか。軍関係受取は2008年度に約2084億円であり、県民総所得の5.27%でしかない。うち日本政府は、軍用地料、軍雇用員所得、そして米軍への財・サービス提供の合計約1465億円を支出している。軍関係受取の約7割を日本政府が提供し、沖縄の基地経済を下支えしているのである。日本の大手の建設会社は基地内改修工事のほとんどを受注し、利益を日本に還流している。
基地は経済活動に必要な平地を占拠し、市場経済の発展を阻害している。基地よりも基地跡地のほうが大きな経済効果を与えている。基地により逸失利益が増大し、環境的、社会的、身体的なコストや被害が生み出され、住民に不安で危険な生活を余儀なくさせている。基地は琉球人にとって抑止力ではなく、日常的な暴力の発生源である。
振興開発と基地は「アメとムチ」の関係といわれる。振興開発はアメとされるが、インフラやハコモノの維持管理費は自治体の大きな負担となり、財政赤字要因になっている。特に1990年代半ばから膨大な振興開発資金が投じられた沖縄の基地所在市町村は、今、高い失業率や生活保護率、商店街の衰退、法人税収の伸び悩み、人口減少等の問題を抱えている。沖縄県全体の経済も従属度を増している。地域に発展をもたららさず、基地を固定化させるための振興開発は「ムチ」でしかない。カネで基地を沖縄に負担させられる時代は終わった。自国の安全に米軍が必要と言うなら、日本の他府県が基地を引き受けるべきだと主張する琉球人が増えている。
琉球人は国際法で保障された人民の自己決定権を行使し、住民投票で新たな政治的地位を決定し、独自な政府や議会を設立する権利を持っている。日米両国と沖縄との支配ー従属関係を変えるという脱植民地化を進め、日本との新たな関係性が実現しない限り、普天間基地移設問題も解決しないであろう。40年間、屈辱の生活を強いられてきた琉球人は「沖縄差別」と日本人に直接言えるようになった。日本国民という枠組みによる沖縄差別減り怒りを、日本人は自分の問題としてどう受け止めるかが問われている。
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2008年11月3日、滋賀沖縄県人会の催しで松島先生の講演があった。今日の記事は、そのときのお話とほぼ同じ内容である。
講演のあと、松島先生と個人的にお話させていただくことができた。沖縄に関する知識に乏しい私の質問に、松島先生はていねいに答えてくださった。そのとき、この先生のゼミに入れるなら、今からでも大学に行きたいなあと思った。
今回の記事の「沖縄は『日本固有の領土』でもない」はすごい。これは、石原東京都知事を意識した発言でしょうか。
松島先生に興味のある方は、ぜひ先生のブログ「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」をのぞいてみてください。
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【RUN】
午前中にレース前の最後の調整。
まず3km、13分32秒。
1kmジョグのあと、1000mタイムトライアル。今日は昨日と反対で追い風。足の動きもまずまずで、気持ちよくゴール。タイムは3分38秒。
このままのペースであと500m押して行ければ、1500m5分27秒。あきらめかけていたけれど、やっぱり明日は5分30秒切りをめざします。
1kmスロージョグをプラスで、今日は6km。
廉に、「足がパンパンやったけど、1000m3分38秒で行けたわー」と言ったら、「ふつうに速いやん」とほめられた。うれしー。
でも、ゴール後、久しぶりに気持ちの悪い変なセキが出て止まらなかった。それだけ限界近くまで力が出せたということだろうか。
もう2012年度に入っているが、私的には明日が2011年度最後のつもりのレース。がんばるぜー。
こんなかっこうで練習しています。
このあと散髪に行ってすっきりしてきました。
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2011年10月24日(月)
楽しめー、智! [沖縄]
ついさっき沖縄の智さんから電話があったので、緊急アップ。
個人情報の問題があるのでくわしくは書かない。
ただ、智さんが、「私はなんとかという脳内物質がダダ漏れ」という私のコメント返しを見て電話をしてこられたことはまちがいない。
仕事上の悩みを相談してきてくださった。こんな頼りない私を頼って。ああ、ありがたい・・・。
正直、今の私に人様にアドバイスできるようなことはない。でも、パッとひらめいたことがあった。
「何回も私のブログに書いている『ゆめさき舎』のまっちゃんね、ほかの施設を断られた重度障害の青年ばっかり受け入れてはんねん。まっちゃんてすごい小柄でね、大暴れするでっかい青年相手に毎日大変やと思うねん。そやけどね、ボクから見たら、まっちゃんは絶対あの仕事を楽しんでやってはる。つらいことばっかりの中に、自分の楽しみを見つけてはる。そやし、めげんと続けられてると思うんやわ。
智さんもめげんなー。つらいことばっかりの中にかて、絶対楽しいことあるって。それを見つけて自分の糧にしていかんと・・・。」
今の私に言えることはこれくらい。
「めげんな、智! 楽しめー、智!」
遠く京都から沖縄へエールを送ります。
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