2012年08月30日(木)
沖縄三人旅の思い出ーオープンキャンパスー [沖縄]
8月10日(金)から13日(月)までの沖縄旅行。そのときのことをくわしく書きたいのだが、くわしく書くには時間がかかる。
2年前の夏、真樹と行った沖縄旅行のことも「(注)まだまだ、続きます」と書いたまま放置。これではあかんねー。これから覚えているうちに、ぼちぼち書いていくことにします。
真樹は沖縄旅行は8回目だそうだ。そのうち1回は高校の修学旅行で、あとの6回は私と。そして、小6のときの初めての沖縄旅行は、私、ヨメさん、真樹の三人だった。つまり、この三人のメンバーで沖縄に来るのは6年ぶり2回目ということになる。(ちなみに、私は真樹と二人で5回、ヨメさんと2回、廉と1回来ているので今回で10回目。)
8月のお盆休みの時期の沖縄旅行はツアー料金が高い。「何でそんな高いときに・・・」と思われるかもしれないが、今回は特別。
今回の一番の目的は遊びではない。8月11日(土)の○○大学のオープンキャンパスに参加するために来たのだ。(娘のプレッシャーにならないように、あまりくわしくは書きません。今さらですが・・・。)
仕事が休めないヨメさんがいろいろ工夫してついて来てくれたのも、こんな大事な用があったからだ。
上の写真は、そのオープンキャンパスのときに大学構内で真樹が撮ってくれたもの。後ろの海がきれいだったんですが、ちょうど私たちの体で隠れてしまいましたね。
この大学には、沖縄らしい緩やかな風が吹いていた。この広い施設の中で、ゆっくりじっくり自分の好きな勉強ができればいいのにね。
さて、ここはどこでしょう。
2年前、個人的に親子で大学見学をさせてもらった。そのとき入試課の係員さんの計らいで、授業が終わるのを待って先生お二人と面談させていただいた。そのお二人の先生(伊良皆先生と大谷先生)とも、今回またお話させていただくことができた。
この大学のフンイキは、真樹の性格にあっているように思う。入試までもうちょっと。がんばってほしい。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年08月10日(金)
初子オバァに再会 [沖縄]
沖縄本島北部の今帰仁村に到着。
うちのいなかに住んでおられる春美さんのお母さん、初子オバァに再会。
二年前におじゃました時は、「足が痛くて・・・」と弱っておられたので心配していた。でも今日は元気元気。
うちのヨメさんを紹介すると、「息子さんのお嫁さん?」
ヨメさんは大喜び。
オバァも82歳だが元気元気。いっぱいしゃべれてよかった。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年07月06日(金)
忘れられた沖縄 [沖縄]
◎毎日新聞7月3日朝刊・発信箱より
報道されない「示談」=大治朋子(外信部)
沖縄に暮らして実感したのは、米兵らによる犯罪の多さだ。
沖縄県警が昨年1年間に摘発した米軍人・軍属らの刑法犯件数は42件。前年比で約4割減、過去10年で最少というが、それでも1カ月に3.5件、10日に1回のペースで起きている。
例えば2月に起きた器物損壊事件。酒に酔った海兵隊員が、金武町の学校などに駐車されていた車11台を破壊した。
驚いたのは、その後の「示談交渉」。海兵隊の法務担当は被害者の学生らを交番に呼び出し、示談書へのサインを求めた。奥の部屋には警官がいたが、「何をしているのか確認しなかった」。学生らは交番だったので「警察の仲介だと思った」という。
「示談」のやり方もおかしかった。米軍の法務担当者は英語の示談書などを用意し署名させたが、それを学生らに渡さなかった。だから被害者たちは「サインはしたが、内容はよく思い出せない」。そんな理不尽が繰り返されてきた。
学校側は報道機関に一斉に情報提供したが、地元紙の琉球新報以外はほとんど報じなかった。たまたまニュースが多かったのか、あるいは人手不足だったのか。本紙はウェブサイトで新報の記事を転載した。
報道を受け、米軍側は今後交番を使わないこと、示談書を被害者にも渡すことを約束し謝罪した。警察も「交番を使用しないよう要請した」と記者発表した。それでも多くのメディアは、沈黙した。「沖縄ではありがちな話」と黙殺したのかもしれない。
米兵らの刑法犯については、身柄の引き渡しを制限する日米地位協定があり、問題視されている。民事の世界でも、いまだ米国統治下のような「不条理」がまかり通る。
それを告発するのがメディアの役割だと、改めて自覚したい。
-------------------------------------------------------------------------------
6月23日、小樽のホテルを出ようとレンタカーのエンジンをかけた。
「おはようございます。今日は沖縄慰霊の日です。」
カーナビからのアナウンスで思い出した。そうや、そうやったんや。
去年、このブログで「せめて1年に1回だけでも沖縄のことを真剣に考える日にしよう」と書いていたのに・・・。その本人がこの有様です。
今、世の中は原発と消費税の問題ばかり。また、沖縄が忘れ去られようとしている。ずっと気にしていたつもりの私もこんな状態ですから・・・。これではダメですね。
橋下氏は知事時代に、「沖縄の米軍基地を大阪に」と言っておられた。そんな表明をしたのは全国の知事でただ一人。私は、それは「すごい」と思った。
しかし、話が具体的に進もうとしたとき、「それはなかったことに」と言うような対応になった。たぶん、思いつきで調子のいいことを口走っただけで、沖縄のことはすっかり忘れておられたんでしょうね。
それに対して沖縄県民の怒りが爆発すると思ったが、意外や平静だった。悲しいことですが、沖縄県民はヤマトンチューにだまされることに慣れているんです。橋下氏の妄言など初めから相手にしていなかったのかもしれません。
私の提案。
大阪都なんてどうでもよろしい。沖縄県を沖縄都にして首都移転。国会を沖縄に。
そうすれば、もっときちんとした多くの情報が私たちにも入ってくるんじゃないでしょうか。
この提案、なんか問題あります?
(追加)
7月5日、「維新八策」の中間案が発表された。
沖縄に関する項目は以下の通り。
◇ ◇ ◇
7.外交、防衛
【政策例】
・日本全体で沖縄負担の軽減を図るさらなるロードマップの作成
◇ ◇ ◇
これって?
まるでひとごと。
「ロードマップ」てなんやねん!
英語つこたらええちゅうもんちゃうで。
まあ、「なんにもしません」ってことですか?
--------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
今日も5km。行き13分17秒、帰り13分ちょうどで26分18。昨日よりはしっかり走れた。
今日は長めの2kmダウンジョグ。
これだけで汗ズクズク。全部着替え。
今日は、朝のバイトで汗ズクズクになり総着替え。1日に2回も着替えていたら、洗濯がたいへん。でも、このごろよく廉が洗濯物を干してくれている。ありがとね。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2012年04月27日(金)
松島先生! [沖縄]

◎京都新聞4月27日朝刊・私論公論
■ 松島泰勝(まつしまやすかつ)・龍谷大経済学部教授 1963年琉球・石垣島生まれ。在グアム日本総領事館、在パラオ日本大使館勤務などを経て2009年から現職。NPO法人「ゆいまーる琉球の自治」代表。著書に「沖縄島嶼経済史」「琉球の『自治』」「ミクロネシア」「琉球独立への道」など。
沖縄「復帰」40年
琉球人の怒り 受け止めよ
今年、琉球人が日本国民になって40年になる。「復帰」後、沖縄は内政・外交面では日本国、軍事面では日米両国による支配体制下におかれてきた。沖縄は形式上、「県」という一自治体である。しかし1879年の琉球併合で琉球人の領土が奪われ、今も沖縄限定の特別法があり、長期間、過重に米軍基地が押し付けられてきた。「県」成立の根拠法である沖縄返還協定は密約に基づき、その成立過程に当事者である琉球人、琉球政府は参加できなかった。「復帰」とは「元の状態に戻ること」を意味するが、沖縄の元の状態は日本ではなく、琉球国である。沖縄は「日本固有の領土」でもない。
1972年以降の「復帰」体制の特徴は次の通りである。?日本国による沖縄統合化の深化?琉球人の生命や生活よりも、日本人のそれを重んじ、基地負担を押し続ける差別体制?政治的、軍事的、経済的利益が沖縄から日本に流れる仕組み、つまり植民地体制。「復帰」体制の中で、日本政府から一括交付金を含む振興開発資金がどれだけ与えられても、沖縄は日本政府に依存させられ、日本の企業や移住者による支配がさらに進むだけである。
沖縄の経済は基地に依存しているのであろうか。軍関係受取は2008年度に約2084億円であり、県民総所得の5.27%でしかない。うち日本政府は、軍用地料、軍雇用員所得、そして米軍への財・サービス提供の合計約1465億円を支出している。軍関係受取の約7割を日本政府が提供し、沖縄の基地経済を下支えしているのである。日本の大手の建設会社は基地内改修工事のほとんどを受注し、利益を日本に還流している。
基地は経済活動に必要な平地を占拠し、市場経済の発展を阻害している。基地よりも基地跡地のほうが大きな経済効果を与えている。基地により逸失利益が増大し、環境的、社会的、身体的なコストや被害が生み出され、住民に不安で危険な生活を余儀なくさせている。基地は琉球人にとって抑止力ではなく、日常的な暴力の発生源である。
振興開発と基地は「アメとムチ」の関係といわれる。振興開発はアメとされるが、インフラやハコモノの維持管理費は自治体の大きな負担となり、財政赤字要因になっている。特に1990年代半ばから膨大な振興開発資金が投じられた沖縄の基地所在市町村は、今、高い失業率や生活保護率、商店街の衰退、法人税収の伸び悩み、人口減少等の問題を抱えている。沖縄県全体の経済も従属度を増している。地域に発展をもたららさず、基地を固定化させるための振興開発は「ムチ」でしかない。カネで基地を沖縄に負担させられる時代は終わった。自国の安全に米軍が必要と言うなら、日本の他府県が基地を引き受けるべきだと主張する琉球人が増えている。
琉球人は国際法で保障された人民の自己決定権を行使し、住民投票で新たな政治的地位を決定し、独自な政府や議会を設立する権利を持っている。日米両国と沖縄との支配ー従属関係を変えるという脱植民地化を進め、日本との新たな関係性が実現しない限り、普天間基地移設問題も解決しないであろう。40年間、屈辱の生活を強いられてきた琉球人は「沖縄差別」と日本人に直接言えるようになった。日本国民という枠組みによる沖縄差別減り怒りを、日本人は自分の問題としてどう受け止めるかが問われている。
--------------------------------------------------------------------------------
2008年11月3日、滋賀沖縄県人会の催しで松島先生の講演があった。今日の記事は、そのときのお話とほぼ同じ内容である。
講演のあと、松島先生と個人的にお話させていただくことができた。沖縄に関する知識に乏しい私の質問に、松島先生はていねいに答えてくださった。そのとき、この先生のゼミに入れるなら、今からでも大学に行きたいなあと思った。
今回の記事の「沖縄は『日本固有の領土』でもない」はすごい。これは、石原東京都知事を意識した発言でしょうか。
松島先生に興味のある方は、ぜひ先生のブログ「NPO法人ゆいまーる琉球の自治」をのぞいてみてください。
--------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
午前中にレース前の最後の調整。
まず3km、13分32秒。
1kmジョグのあと、1000mタイムトライアル。今日は昨日と反対で追い風。足の動きもまずまずで、気持ちよくゴール。タイムは3分38秒。
このままのペースであと500m押して行ければ、1500m5分27秒。あきらめかけていたけれど、やっぱり明日は5分30秒切りをめざします。
1kmスロージョグをプラスで、今日は6km。
廉に、「足がパンパンやったけど、1000m3分38秒で行けたわー」と言ったら、「ふつうに速いやん」とほめられた。うれしー。
でも、ゴール後、久しぶりに気持ちの悪い変なセキが出て止まらなかった。それだけ限界近くまで力が出せたということだろうか。
もう2012年度に入っているが、私的には明日が2011年度最後のつもりのレース。がんばるぜー。
こんなかっこうで練習しています。
このあと散髪に行ってすっきりしてきました。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2011年10月24日(月)
楽しめー、智! [沖縄]
ついさっき沖縄の智さんから電話があったので、緊急アップ。
個人情報の問題があるのでくわしくは書かない。
ただ、智さんが、「私はなんとかという脳内物質がダダ漏れ」という私のコメント返しを見て電話をしてこられたことはまちがいない。
仕事上の悩みを相談してきてくださった。こんな頼りない私を頼って。ああ、ありがたい・・・。
正直、今の私に人様にアドバイスできるようなことはない。でも、パッとひらめいたことがあった。
「何回も私のブログに書いている『ゆめさき舎』のまっちゃんね、ほかの施設を断られた重度障害の青年ばっかり受け入れてはんねん。まっちゃんてすごい小柄でね、大暴れするでっかい青年相手に毎日大変やと思うねん。そやけどね、ボクから見たら、まっちゃんは絶対あの仕事を楽しんでやってはる。つらいことばっかりの中に、自分の楽しみを見つけてはる。そやし、めげんと続けられてると思うんやわ。
智さんもめげんなー。つらいことばっかりの中にかて、絶対楽しいことあるって。それを見つけて自分の糧にしていかんと・・・。」
今の私に言えることはこれくらい。
「めげんな、智! 楽しめー、智!」
遠く京都から沖縄へエールを送ります。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
2011年06月23日(木)
沖縄をおもう日 [沖縄]
◎毎日新聞6月23日夕刊

沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する嘉味田朝香さん=沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で2011年6月23日午後0時35分、和田大典撮影
沖縄:「忘れない限り平和は続く」 13歳が詩朗読
23日の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市の仲西中2年の嘉味田朝香(かみだ・ともか)さん(13)が、自作の詩「幸せの一枚」を朗読した。沖縄戦を風化させず、悲劇を繰り返させないとの思いを込めた。
「私の祖母が持つ一枚の写真 何年も経(た)つけれど 忘れられない笑顔 忘れられない言葉」
小学3年の時に学校の宿題で、祖母(85)に沖縄戦の体験を尋ねた。祖母は何も言わず、1枚の写真を嘉味田さんに見せた。
「古びた写真に写る 子どもたち 満面の笑顔の男の子 勝気そうな女の子」
祖母は小学校の元教員。写真の二十数人の子どもたちは、祖母の教え子たちだった。
「みんなどうなったの?」
嘉味田さんの問いに、祖母は長い沈黙の後で答えた。
「どうして戦争なんかするのかねー 戦争さえなかったら みんな幸せだったのに……」
つらそうな祖母の言葉と表情に触れ、嘉味田さんは、一見幸せそうにみえる写真に、祖母の悲しみが込められているのを知った。
「大人になるその日を夢みていたはずだ その笑顔を 幸せを 奪った戦争を 私は許さない 絶対に許せない」
戦後66年がたった今も、沖縄には多くの米軍基地がある。「戦争が終わったのに、なぜこんな広い基地が残っているのか」という疑問がある。しかし、一方で米軍普天間飛行場に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが新たに配備されるとのニュースも報じられる。日本は平和に見えても、世界のどこかで「戦争が続いている」との思いも募っていく。
「私たちが忘れない限り 平和は続くだろう だからこそ 忘れてはいけない この地には たくさんの笑顔が たくさんの夢が 眠っていることを」
世界から戦争がなくなった時に、子どもたちが笑う祖母の写真が、本当の意味で「幸せの一枚」になると信じている。【井本義親】
--------------------------------------------------------------------------------
「幸せの一枚」全文
沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」で、浦添市仲西中学2年の嘉味田朝香さん(13)が朗読した詩「幸せの一枚」の全文は以下の通り。
私の祖母が持つ一枚の写真
何年も経つけれど
忘れられない笑顔
忘れられない言葉
小学生の頃
先生がだした宿題
家族から戦争の話を聞いてくること
急いででかけた
祖母の家
祖母は何も言わず
棚の奥から
一枚の写真を
取り出した
古びた写真に写る
子どもたち
満面の笑顔の男の子
勝気そうな女の子
おとなしそうにはにかむ笑顔
豪快に口をあけた笑顔
たくさんの笑顔
一人一人の目は
未来を見つめ
キラキラ輝いている
「この人だぁれ?」
真ん中に写る女性を指さし
祖母に尋ねる
祖母は寂しそうに笑い
「わたし」
一言だけ答えた
一人一人の顔を
愛おしそうに
懐かしそうに
指でなぞるように
眺めながら
時が止まる
「この子たちは?」
ふたたび祖母に尋ねる私
「おばあちゃんの生徒たち」
「大切な大切な生徒達」
「みんなどうなったの?」
祖母は答えなかった
ずっと黙ったままだった
幼い私にも
祖母の深い悲しみが
深い苦しみが
痛いほど伝わった
長い沈黙のあと
祖母は
「どうして戦争なんかするのかねー
戦争さえなかったら
みんな幸せだったのに…」
私はもう一度写真を見た
みんな笑っている
幸せそうに笑っている
愛する家族がいたはずだ
たくさんの夢があったはずだ
大人になるその日を夢みていたはずだ
その笑顔を 幸せを
奪った戦争を
私は許さない
絶対に許せない
祖母は多くを語らない
私はあれ以来
あの写真を見てはいない
祖母の家に眠る一枚の写真
それにこめられた祖母の思い
もう何年も経つけれど
忘れない
私はずっと忘れない
私たちが忘れない限り
平和は続くだろう
だからこそ
忘れてはいけない
この地には
たくさんの笑顔が
たくさんの夢が
眠っていることを
--------------------------------------------------------------------------------
昨日の夜、久しぶりに沖縄の智さんから電話があった。
「明日のことを思い出してもらおうと思って・・・。」
「ああー、23日。沖縄慰霊の日ですね。」
確かに、忘れてはいないが特別覚えていたわけでもない。
5年前、初めてお話させてもらった滋賀沖縄県人会の高間悦子さんから「沖縄差別」という言葉を聞いたときはショックだった。日本の米軍基地の75%を沖縄に押し付けておいて、それをなんとも思わず放置しているだけでも沖縄を差別していると言っていい。
1945年の6月23日は、激しい地上戦となった沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したといわれる日。沖縄では、この日を「慰霊の日」として休日にしている。
沖縄だけじゃなく、日本全体の休日にしたらどうでしょう。「沖縄をおもう日」でいいと思います。沖縄が抱えている問題をみんなで真剣に考えたら、今の日本の抱えている問題が次々と浮かび上って来るでしょう。沖縄から学べることは山ほどあります。
休日が多すぎるというなら、「昭和の日」はもういいです。「沖縄」の中に「昭和」も十分含まれていますよね。
6月23日を日本全体の休日とし、せめて一年に一度だけでも沖縄のことを真剣におもう・・・ということがあっていいと思います。
今日、真樹の高校で演劇鑑賞があった。
その題は「修学旅行」。
俺は何のために沖縄に来たんだぁっ!
「あの時代」の記憶と、「この時代」の現実が重なり合う島・沖縄で、ちっちゃな(しかし当人たちには重大な)バトルが繰り広げられる!?
あなたと私が分かり合うことと、世界平和はカンケーない!・・・か?
今日のこの日に、「沖縄をおもう」演劇鑑賞を設定してくださった高校の先生方には心から感謝します。子どもたちの心の片隅に、何か引っかかってくれたらうれしいですね。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】