パオパオだより

2015年04月29日(水)

条件を守らなかった側が「粛々と」 [時事]

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琉球新報4月26日

◎毎日新聞4月27日朝刊・琉球新報から

   [日米首脳会談] 沖縄踏む足跡 消す時だ
               松元剛 編集局次長兼報道本部長

 恐らく、戦後の日米首脳会談の中で、最も多く登場した都道府県名は「OKINAWA」で間違いないだろう。それは、沖縄の民意に反して過剰に集中する米軍基地問題が日米間のとげとなり、いつまでたっても抜けない異常さを示す。

 安倍晋三首相とオバマ米大統領が28日に会談する。米軍普天間飛行場の代わりとなる沖縄県名護市辺野古の新基地建設をめぐり、安倍首相は翁長雄志知事と会談したことを挙げ、着実な進展をアピールしたいはずだ。

 だが、翁長知事は安倍首相に沖縄社会の強い反対をオバマ大統領に伝えるよう“宿題”を課している。政権に都合のいい情報を振りまく印象操作にたけた安倍首相であっても、翁長知事から「絶対に新基地を造らせない」と突き付けられたただ一度の会談を成果として喧伝できるほど厚顔ではあるまい。

 1998年12月末、当時の稲嶺恵一知事から普天間飛行場の移設先として名護市辺野古を打診された岸本健男名護市長(当時・故人)が受け入れた。代替基地の工法、規模、基地被害をどう抑えるのか、具体策は何もなかった。基地を無制限に使わせないため、稲嶺知事が最低限の条件とした使用期限15年の設定に日米は否定的だったが、将来の努力目標のような言い回しでお茶を濁していた。担保がない新基地受け入れは「白紙委任」に映った。

 だが、岸本氏の記者会見を取材した私は開設の予定稿に記した「白紙委任に等しい」の文言を削った。なぜか。岸本氏は15年期限に加え、住民生活への影響を極力抑える基地使用協定締結など厳しい7条件を挙げて「守られない場合は容認を撤回する」ときっぱり言い切った。その表情、語調に“空手形”にさせない気概を感じたからだ。それは今の翁長知事にも通じる。

 新基地の工法などが決まっても肝心の15年使用期限は日米の関心のらち外だった。両政府は2006年、沖縄の頭越しに現在の?字滑走路案で再合意した。稲嶺知事のぎりぎりの上入れ条件は捨て置かれ、無期限の米軍専用基地計画に変容した。地元を軽んじた政府に対し、末期のがんを患い、退任間際だった岸本氏は「日本政府と今後は一切交渉しない」と通告し、稲峰氏も?字案ノーを貫いた。

 もし、岸本氏が病に倒れず3期目に就いていれば、辺野古新基地の命脈はもっと早く絶たれていたかもしれない。

 菅義偉官房長官が16年前の稲嶺、岸本氏の条件付き受入を挙げて、沖縄のお墨付きをもらったと強調するが、条件を守らなかった側が持ち出すのは虚構にすがりついているようにしか見えない。「粛々」に続いて封印した方がいい。

 翌00年7月の九州・沖縄サミットで、クリントン米大統領が県民向けの演説の舞台に選んだのは平和の礎だった。敵味方、国籍を超えて戦没者を刻む類例のない鎮魂碑の前で、クリントン氏は基地の過重負担について「県民は望んでいなかった」とした上で、「米軍の足跡を減らす」と約束した。あれから15年。辺野古新基地について県民はすべての世論調査で6〜9割の反対意思を示してきたが、日米は沖縄の民意に向き合おうとせず、力ずくで建設を推し進めている。

 クリントン氏が約束した米軍の足跡は減るどころか、鋭利な金具付きの軍靴でかさぶたを踏み付けるような苦痛を県民に与えている。

 しかし、戦後70年の節目の年を迎えた沖縄の「新基地ノー」の民意は、尊厳を懸けて岩盤のような強さを増した。鋭い金具で踏み付けられてもびくともせず、逆に足をすくわれるのは日米両政府の側ではないか。

 沖縄は日米沖の3者の相関関係の中でまぎれもない当事者である。日米首脳は沖縄に新基地を押し付ける思考停止から脱し、民意を重んじて「米軍の足跡」を減らす約束を果たす歴史的使命を全うすべきだ。

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 昨日の夜から、寮の管理代行のバイト。寮管理のパソコンが故障し、そのせいで一日中バタバタした。

 先日、毎日新聞でいい記事を見つけた。それは琉球新報の「日米首脳会談特集の特別評論」をそのまま転載したもの。
 去年の名護市長選で、「普天間の代替基地を辺野古に受け入れたとされる故・岸本氏の奥様が、(反対の立場をとる)稲嶺進候補の応援に駆け付けた」という記事が理解できていなかった。琉球新報・松元氏の解説で、そのあたりのことがやっと理解できた。

 この記事を私のブログに転載しようとしてあちこち検索してみたが、どこにも見つからず。仕方なく、ポチポチポチポチと手打ち。けっこう長い記事で、打つのに時間かかりましたわー。でも、本当に分かりやすいいい記事ですよね。

 約束を守らなかった側が「粛々と」とは・・・。
 私が「粛々と」という言葉を初めて聞いたのは、1986年の小学校卒業式案を職員会議で話し合っている最中。当時の校長先生が、「日の丸・君が代の導入に反対の人がいくらあろうと、粛々と式を進めます」と。
 あとで分かったのだが、これと同じ言葉が京都市中の小中学校の校長先生から発せられていたらしい。つまり「粛々と」という言葉は自分の頭で考えて出てきた言葉ではなく、自分のバックにある権力を過大評価し、そう言えばみな萎縮して自分に従うと勘違いしている人が使う言葉である。
 正直、「ひとりひとりを大事にするのが仕事の小学校の校長のくせに、何が『粛々』やねん!」と腹が立ちました。こんな人間だけにはなりたくないと、つくづく思いました。
 当時私は30歳。29年たっても、全然成長しとらんか・・・。

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2015年04月28日(火)

沖縄「屈辱の日」 [時事]

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米軍キャンプ・シュワブゲート前で移設反対の声を上げる参加者=沖縄県名護市辺野古で2015年4月28日午前6時36分、佐藤敬一撮影

◎毎日新聞4月28日夕刊

   沖縄「屈辱の日」
   辺野古反対集会

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に反対する集会が28日朝、辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前であった。沖縄は63年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約の発効で日本から切り離され、米国統治下に入ったことから、この日は「屈辱の日」と呼ばれる。参加者約300人は「新基地はいらない」と怒りの声を上げた。

 集会で名護市の稲嶺進市長は「これ以上の基地負担は耐えられないと訴え、勝利を勝ち取ろう」と述べた。

 日米両政府は28日未明に発表した共同文書や共同記者会見で、辺野古移設が「唯一の解決策」と強調し、28日夜には日米首脳会談も開く。

 稲嶺氏は「会談は、屈辱の日に合わせたかのような思いを抱かざるを得ない」と不快感を示した。【佐藤敬一】
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 こと沖縄に関しては、知らないことが多すぎる。
 4月28日は、沖縄が日本から切り離された日だったんですね。
 その20年後の1972年、形の上では「本土復帰」となったが、実質は戦後70年たっても本土とは切り離されたままと言ってもいい。

 今日、辺野古沖の新基地建設抗議船が転覆させられたそうだ。沖縄では、日本人同士の戦いが始まってしまったのだろうか。

 分からないことが多すぎる・・・。

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2015年04月24日(金)

協調過剰は痛々しい [時事]

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中1男子生徒の遺体が見つかった多摩川河川敷を訪れる人たち=3日、川崎市川崎区

◎京都新聞3月16日朝刊

   親を孤立させないで 〜川崎中1殺害事件に寄せて〜
          桜井千恵子(大阪大谷大教授)

 川崎市の中1殺害事件は、なぜこのような事態になったのか重い問いを投げ掛ける。事件の背景にある子どもや家庭を取り巻く厳しい社会状況について、大阪大谷大の桜井千恵子教授(教育学)に寄稿してもらった。

 思春期の子どもの暮らしはストレスが高い。友人関係や学力など気になることが年々増える。かつては村や街が共に子どもを育ててきた。歴史上初めて親だけで子育てを行う時代に、家庭は孤軍奮闘させられている。
 子どもはどうか。
 「面白くないときは無理に笑わなくていい」。新入生に最初に伝えることだ。若者は仲間がいると必死で盛り上がろうと頑張る。「ノリよく明るくテンポよく」の八方美人だらけ。彼らの協調過剰は痛々しい。若者が過剰になると自ら止めることは難しく、やんわり止めるのは大人の仕事だ。

 「大ごとにしないで」

 子どもの個別救済に関わる経験から、問題に出あったほとんどの子どもは「大ごとにしないで」と言う。自立圧力が高くなっているからだ。SOSを出すなど人として許されない。一方で常につながっていたい。ハズされると「自分で」緊張を高める。お風呂でもスマートフォンを手放せない。メッセージを読んだと相手に分かるのに返信しない「既読スルー」は仲間内では命取りと思っている。
 積極的に責任を一人で引き受け、自己を監視する状況がある。社会学研究では、少年事件は被害側だけでなく加害側も自分で自分を追い詰めていたと実証されている。
 近年、社会は「依存」という人として基本的な行為の価値をおとしめてきた。政府の経済的事情から発した「自立支援」が急激に広がり、「自立するなら支援する」と、弱音を吐くなど許さない雰囲気に満ちている。責任を一人で引き受け、自分で自分を監視するからこそ過剰になり、うつになる。本当は、日本社会がSOSを出している。
 親はどうすればいいか。できるのは、大人が共に過ごしつつ子どもの気持ちを受け取る「時間」を持つことだ。ただそれだけのことが難問なのだ。

 SOS分かっても

 子どものSOSに、親は多かれ少なかれ気づいている。事件が起きると「なぜうまく対処できなかったか」と親は責められる。親は不器用だ。だから親だけで子育てさせてはいけない。経済的に困窮している家庭は、SOSが分かっていても臨機応変に対応する時間や気力を奪われている。
 20世紀の英国で精神分析を応用した小児科医ウィニコットは、子どもが社会に適応していく条件を明らかにした。「誰かと一緒のときにひとりになれる」。人は気遣いしてもらえると確信することで自分が自分でよいのだと分かり、社会とやっていけるようになる。
 子どもが自分自身を認める状態を、どう社会的に構想していけるかが教育や子育ての基本だ。そこを社会は見くびり、学力向上に走っている。
 親が生活に困窮しない状況を社会が確保し、親だけで子育てを頑張り過ぎないというまなざしを市民が共有できれば、子どもは必ず生き延びる。

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 今日は、明日からの出張販売の準備もあるのでバイトはお休み。
 しかし、一日中ボーっとしていた。しっかり読めずに置かれたままだった新聞の整理をした。最近のニュース(と言ってももうずいぶん前のものも含めて)の中で一番ショッキングだったのは「川崎中1殺害事件」。
 
 「協調過剰」、たしかに今の子はこれですね。
 私のように協調性ゼロみたいな人間は生きていけないんでしょうか。

 今は「歴史上初めて親だけで子育てを行う時代」なんですね。うちもそうでしたけど、廉と真樹はしっかり育ちましたかねえ。
 「さて・・・。」

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【今日のきく】

 夕方5時、やっと店へ明日の準備に。 

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 店に行くと、京都走ろう会の松山さんが来られていた。
 新年度から、京都走ろう会の会長さんを勤められることになったそうだ。これからいろいろたいへんだと思いますが、どうかよろしくお願いします。協力できそうなことなら何なりとおっしゃって下さいね。

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 今回は雨の心配がないので気が楽。去年の「香住」はフルに出場したが今年は5kmなので、これも気が楽。

 留守中は、廉がきくの世話をしてくれる。
 パオパオらもお仕事がんばってくるし、きくもかしこう待っててね。

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2015年03月10日(火)

答えてください [時事]

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◎朝日新聞3月10日朝刊・「Re:お答えします」より

 皇太子さまが誕生日にあたっての記者会見で憲法について語った部分が、朝日新聞の記事には盛り込まれていなかったのはどうしてでしょうか。(千葉県 アルバイト男性 71歳)

 ■新しい発言紹介 指摘真摯に受け止めます

 天皇陛下や皇太子さま、秋篠宮さまは毎年、誕生日を前に記者会見をしています。質問内容は宮内記者会所属の報道機関が協議して決め、事前に宮内庁を通じてご本人に伝えます。

 今年の皇太子さまの会見にあたっては、報道各社で四つの質問を決めました。特に、天皇陛下が即位した年齢と同じ55歳になることの感想、戦後70年を迎えての戦争や平和に対する考えについてお聞きしました。

 55歳を迎えたことについて皇太子さまは「身の引き締まる思い」と述べ、戦後70年については、謙虚に過去を振り返って戦争の歴史を正しく伝えていくことの大切さを語りました。いずれも重要な発言と判断し、2月23日付朝刊の記事で紹介しました。

 この記事をジャーナリストの池上彰さんが本紙コラム「池上彰の新聞ななめ読み」(2月27日付朝刊)で取り上げました。皇太子さまが「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」と語った部分が記事になかったことについて、「朝日新聞の判断は、果たしてどんなものなのでしょうか」と批判しました。多くの読者のみなさまからも指摘をいただきました。

 皇太子さまは昨年の会見でも、憲法について同様の内容を話しました。皇室の活動と政治の関わりに関する質問に「(今日の日本は)戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、現在、我が国は、平和と繁栄を享受しております」「今後とも憲法を順守する立場で事に当たっていくことが大切」と語り、昨年は記事に盛り込みました。

 今年も、デジタル版の記事では皇太子さまが憲法に言及した部分も含めて、会見全文とともに掲載しました。しかし、紙面ではスペースが限られ、できるだけ新しい内容を読者に伝えようと、前述の部分を優先させました。

 ただ、自民党が憲法改正への動きを本格化させ、人々の憲法への関心も高まるなか、皇太子さまが今年も憲法に言及したことは、やはり紙面でもお伝えするべきニュースだったと思います。池上さんや読者のみなさまの指摘を真摯(しんし)に受けとめ、今後も人々の関心が高いテーマについての天皇陛下や皇族方の発言は丁寧にお伝えしていきます。

 (社会部次長・菅野俊秀)
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今日の寮の晩ごはん

 今日も丸一日寮に缶詰。
 何もすることがないようで、こまごまとした雑用が多い。ちょっと空いた時間は、新聞が読める程度。ちょっと読めば電話が鳴り、またちょっと読めば修繕の業者が訪問。
 「さっき、どこまで読んだんやたっけ?」てな具合。

 今日の朝日新聞を読むと、捏造批判に萎縮してんのかなあと思ってしまう。ネトウヨ系の人々に気を使いすぎてるような・・・。

 私の走友・兵庫のMさんは、私とちがって本物の左翼系人物だと思うが、今上天皇や皇太子さんの憲法発言をブログで好意的に取り上げておられる。ニセサヨクであるこの私もそういうところがある。(パオパオだより「強制でないことが望ましいですね」2012年5月5日---大阪府立高校の「君が代」斉唱口元監視騒動と天皇の「強制にならないことが・・・」を並べて批評した記事。あの時の校長が、今問題になっているパワハラ大阪府教育長。感慨深い。)

 私の右翼左翼の定義は、右翼→天皇陛下万歳、左翼→天皇制廃止。まあそんな単純なもんでもないのでしょうけど、「今のこの逆転現象、なんかめっちゃおもろいやん。」

 右翼のみなさんは、こんな発言があるたびに右往左往してはんのでしょうか。

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 今(夜11時前)、寮の裏を閉めに行ったら車に雪。
 ちらついていたのは知っていたが、こんなに積もっているとは・・・。
 3月10日の京都二条でこれでは寒すぎる。

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2014年11月18日(火)

「投げ出し」ではなく「こき逃げ」 [時事]

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うちはこき逃げていません。きちんと持って帰っています

◎毎日新聞11月18日夕刊

   橋下氏 出馬濃厚
          衆院選 公明 都構想拒否で

 橋下徹・大阪市長(維新の党共同代表)が、衆院解散・総選挙の場合、市長を辞職して衆院選に立候補する可能性が高まった。看板政策の大阪都構想を巡り、公明党との関係修復が困難になったためで、都構想を国政から進め、状況を打開する狙いがあるとみられる。その場合、松井一郎・大阪府知事(維新幹事長)も知事を辞職して、ともに衆院選に立候補する見通し。橋下氏は大阪3区、松井氏は大阪16区から立候補予定で、公明幹部の現職と対決することになる。


 維新は法改正による都構想実現を目指す公約作りに着手した。一方、市議会の公明、自民、民主系、共産の4会派は18日、橋下氏が出馬した場合、統一候補を擁立し、維新の後継候補と対抗する方針を確認した。

 大阪都構想は、公明など他党の反対で大阪府・市両議会が否決。橋下氏らは公明側に都構想の是非を問う住民投票実施まで協力するよう求めていたが、公明は「議会で都構想議案を否決した重みは大きい」と拒否する方針を決めた。橋下氏周辺は「公明との話し合いが駄目なら出るだろう」と語り、当初は出馬に慎重だった維新幹部も「2人とも出馬意欲は強く、止められない」と話した。

 ただし、両氏とも任期を約1年残しているだけでなく、橋下氏は今年3月に出直し市長選で再選されたばかりで、「投げ出し」との批判は避けられない。

 維新は2012年衆院選で、公明から都構想への協力を得る代わりに、公明候補のいる大阪・兵庫6選挙区で維新候補を立てない選挙協力をしたが、今年1月、決裂。橋下氏が公明の対応を「裏切り」と批判していた。

 大阪3区は大阪市住吉区、西成区などで、公明党大阪府本部代表の佐藤茂樹氏が、大阪16区は堺市堺区などで、公明党副代表の北側一雄氏が、それぞれ立候補予定。【熊谷豪、重石岳史】

 

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 「投げ出し」というと、相撲の決まり手のようでかっこいい。あれはそんなもんじゃなく、よそ様の大事な土地に○ンコなどを「こき逃げ」するようなもの。
 日本一のお下品市長もいいかもしれないが、「こき逃げ市長」という呼び名がふさわしいかも。

 「なんぼなんでもまただまされるほど、大阪の人もそこまでアホやないやろう」とヨメさん。
 「いやいや、どこまでいってもアホはアホ。だまされるもんはまただまされる」と私。こんなこと言ったら、大阪の人に怒られるかー・・・。

 私の予想。
 新大阪府知事候補→東国原英夫、新大阪市長候補→中原徹、ついでに新大阪府教育長候補→尾木直樹。一つでも当たったらおもしろいのになあとひとごとのように思っていた。
 すると、先日紹介させてもらったブログ「ドーラクチホーセージ」のやくもさんのツイッターを見てびっくり(「ゃましい山師」というハンドルネームで書かれています)。
 こんな手があったのか・・・。
     ◇

ゃましぃ山師
‏@shirasagi485
 法的な事は分からないが、仮に橋下氏と松井氏が衆議院選挙に出馬して当選しても、即座に辞職して身内に繰り上げ当選させて、また市長・知事選挙に出馬するんじゃないの。すると公明党は恫喝に屈するというシナリオなのかね。
     ◇
 まさかー、そんな江川みたいなこと!
 江川ゆうても、今の若い人には分からんわなあ。ドラフト制度の空白の一日を悪用して、勝手に巨人と契約したあの江川投手です。ちなみに私と同い年。

 衆議院選にも立候補して、当選しようが落選しようがまた知事選や市長選に立候補することは日程的には可能。これが実現できたら「衆議院選こき逃げのUターン市長」になれます。こんなおもしろいことをしたら、またあのだまされやすい人たちは何回もだまされてしまうんとちゃうやろか。

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【今日のきく】

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 きくは今日も店で大暴れ。
 私の手袋を取って振り回していた。

 夜は夜で、私にヤラセ「こき逃げ」写真をいっぱい撮られてめちゃくちゃ怒っていた。
 「ごめんなー。」

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【RUN】

 今日もちょっとだけ伸ばして、岩倉・三宅八幡の先の「ビューティーサロン・イトウ」往復8km。45分20秒。
 今まで痛かったところが、だんだんましになってきているように思う。

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 今日はヨメさんがお疲れのため、久しぶりに外食。
 ご近所の中華料理店「紅華」さんへ。大学生向けの店なので、安くて大ボリューム。ヨメさんはいそがしくて、夕方5時すぎにお昼のお弁当を食べた。その2時間後くらいの晩ごはんだったので、フーフー言いながら食べていた。

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2014年11月17日(月)

カチャーシー [時事]

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初当選が確実となり、カチャーシーを踊って勝利を祝う翁長雄志さん(中央)。左は妻・樹子さん、右後方は稲嶺進・名護市長=那覇市壺川で2014年11月16日午後8時32分、野田武撮影

◎毎日新聞11月17日朝刊

   オール沖縄の選択 翁長さん手踊りで喜び
               知事選「基地問題心一つに」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に、沖縄県民は「ノー」を突きつけた。16日投開票された沖縄県知事選は「辺野古に新基地は絶対に造らせない」と訴えた前那覇市長の翁長雄志(おなが・たけし)さん(64)が初当選した。普天間飛行場移設を争点にした5回目の知事選で、県民は初めて県内移設反対を明言した候補を選んだ。基地と経済振興に揺れてきた県民は「オール沖縄」に向けた一歩をしるした。【比嘉洋、前谷宏、平川哲也】

 「当選確実」の速報に、那覇市の翁長さんの陣営事務所は大勢の支援者の指笛と拍手に沸いた。支持者と共に沖縄の手踊り「カチャーシー」で勝利を祝った翁長さんは「県民のために党利党略を乗り越えて心を一つにできたのが大きかった。基地問題でも心を一つにして日米両政府にぶつかっていきたい」と決意を述べた。

 8月にボーリング調査を始めるなど辺野古移設を進める政府にタッグを組んで対峙(たいじ)する名護市の稲嶺進市長も駆け付け、翁長さんと固い握手。稲嶺市長は「知事と主張が異なり厳しい状況もあったが、これからは『辺野古移設反対が沖縄の声だ』と世界に届けたい」と満面の笑みで語った。

 かつて自民党県連幹事長を務め、辺野古移設を容認したが、2009年の民主党政権誕生を機に県外移設を訴えた。米兵事件への抗議や県内移設反対の県民大会には革新主導でも壇上に立った。12年9月、米軍のオスプレイ配備に反対する超党派の県民大会で共同代表に。13年1月には県内全41市町村の首長が署名した県内移設断念を求める建白書を政府に提出し「オール沖縄」をリードした。

 「ハイサイ、グスーヨ。チューウガナビラ(皆さん、こんにちは。ご機嫌いかが)」。陣営の集会は必ずウチナーグチ(沖縄方言)であいさつを始め「沖縄のアイデンティティー(存在証明)」を前面に打ち出した。

 翁長さんは県民の支持が得られた理由を「やはり沖縄のアイデンティティーだと思う。オール沖縄という新しい展開の希望、県民の思いの先頭に立ちたい」と話した。

 国土面積の0.6%の沖縄に全国の74%の米軍専用施設が集中する現状に「日本の国も変わっていただき、日本国民全体で安全保障を考え、負担をしてもらいたい。0.6%の沖縄にこんなに押しつけてはいけませんと申し上げたい」と述べた。

 ◇解説 「アメとムチ」に決別

 次点の仲井真氏に大差をつけた翁長氏の当選は、普天間飛行場の辺野古移設への県民の反発の強さを裏付けるだけにとどまらず、振興策とセットで米軍基地の維持を図ってきた政府の「アメとムチ」に対する沖縄の決別宣言と言える。沖縄は政府との協調を前提にした振興ではない新たな道を選択した。

 転換点となった知事選の素地は、民主党政権の県外移設断念や新型輸送機オスプレイ配備で積み重なった県民の憤りにある。保守層にも広がった対本土意識と自立志向は、増額された振興予算の提示2日後に辺野古埋め立てを承認した仲井真氏に対する厳しい批判になった。「県民が一つになって日米両政府と対峙(たいじ)を」と訴える翁長氏の主張が保革を超えて浸透するのは自然な流れだった。

 翁長氏当選で、沖縄県知事も名護市長も辺野古移設反対派になった。政府は知事選の結果に関わらず移設を進める方針だが、選挙に表れた民意の否定は地方自治の否定であり、民主主義国家とは言えない。仮に移設を強行すれば、県民には日本政府版「銃剣とブルドーザー」による基地建設と映るだろう。沖縄に渦巻く被差別感情と政府への反発は憎悪へと転化し、沖縄の基地は県民の敵意に囲まれかねない。

 政府は「辺野古がだめなら普天間が固定化する」と繰り返すが、それは政府の責任放棄に等しい。真摯(しんし)に日米間で県外移設を模索すべきだ。【佐藤敬一】

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 なぜか理由は分からないが、小さいときから沖縄が好きだった。小学生のとき、沖縄の「セント」と書いてある切手がほしくて文通をしたこともある。そのころは、子ども心に「日本やのに、なんで『セント』やねん」と思っていた。
 そんな沖縄だが、初めて訪れたのは1988年のNAHAマラソン。私はもう32歳だった。

 そして、次は娘の真樹が小6のとき(私は50歳)。1年上の九ちゃんのお母さんが沖縄の今帰仁村出身ということもあり、沖縄への興味が高まっていった。
 真樹が「沖縄、行ってみたいなあ」と言うので、沖縄返還の日の新聞記事にコメントを寄せられていた滋賀沖縄県人会の高間悦子さんにお話を聞きに行った(2006年5月)。そのときのことは、2008年1月に「高間悦子さん」という題で記事にしています。

 高間さんはすごく穏やかな方で、私がちんぷんかんぷんみたいな質問をしてもずっとにこやかに答えてくださっていてた。ただし、私のこの質問にはちょっと言葉を詰まらされた。
 「沖縄って、人が集まったら必ず『カチャなんとか』という踊りをするんですよね。」
 「ちがいます・・・。カチャーシーは、お祝いの場で最後にみんなで喜びあうときに踊るんです。」
 あとで理解できたのだが、高間さんは「沖縄は・・・」と何でもイメージだけで決め付けたように言われる発言が一番嫌いだったのだ。
 あの時も思ったけれど、初めてしっかりお話させていただいた沖縄県人が高間さんで本当によかった。最近はずっとお会いできていないが、真樹が沖縄に住んでいることを年賀状でお知らせしたときもすごく喜んでくださった。

 沖縄県知事選の当確が出たあとカチャーシーを踊る翁長さんや稲嶺さんらを見て、すごくうらやましかった。あの中に入っていっしょに踊れたら・・・。
 私はもう無理だが、真樹は沖縄に根を下ろして、カチャーシーが似合う沖縄人になっていくのかもしれない。

※今日のニュースステーションを見て
 「安倍首相、あなたの『日本を取り戻す』という言葉の中に沖縄は入っていますか」という翁長さんの発言はよかった。

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【今日のきく】

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 「なんかおる、なんかおる!」

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 「きくちゃん探検隊か!」

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【RUN】

 今日はいつもより1kmだけ伸ばして6km。33分38秒。
 キロ5分半くらいで走れてるからいいほうかな。

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