2009年06月24日(水)
沖縄学 [沖縄]
昨日6月23日は、沖縄「慰霊の日」。
1945年3月26日、慶良間列島(渡嘉敷島など)に米軍が上陸。4月1日には沖縄本島にも上陸。そして、6月23日、沖縄戦の司令官であった牛島満中将の自決をもって、組織的な戦闘は終結したとされる。
犠牲者は、一般住民94000人(推計)、日本軍94136人、米軍12520人。この3ヶ月たらずの間に、20万人以上の命が奪われた。
この中の一人が、うちの実家の本家の先代、藤井勘六さんである。
私の父・善一のいとこ。現在「かんろく」家を守っておられる藤井克己さんのお父さんである。
勘六さんは、准尉として内地勤務。赴任先を京都・沖縄のどちらか選べたそうだ。そのとき、「日本がやられるときは、京都も沖縄も同じ」と言って沖縄に行かれたそうだ。
私の父が出征するときも、「絶対に死ぬなよ」という言葉で見送ってくださったそうだ。
その勘六さんは沖縄戦で玉砕し、もちろん遺骨などは一切なし。いなかの家に戻ってきたのは、名前を書いた木の札だけだったそうである。
おとなりのおじさんが戦死されたことは知っていたが、くわしいことを聞いたのはつい3年ほど前のこと。
私たち沖縄以外の住民は、沖縄のことを知らなさ過ぎる。日本国内の米軍基地の75%が沖縄に集中していることを、なんとも思わない日本人が多すぎる。これは、学校教育との関係が深いのではないだろうか。
小学校から「英語教育」を必修化するくらいなら、日本のさまざまな問題が集約されていると言ってもいい「沖縄」のことをもっともっと学ばせてほしい。
そんなことを考えている人は、あまりいないんでしょうか。
・・・と、かく言う私も、沖縄のことをいろいろ調べだしたのはわずか5、6年前のこと。
なかなか現地に行くことは難しい。私の乏しい読書経験から、沖縄に関する本として次の3冊を推薦したい。
「子乞い」
たぶん6年ほど前。本屋さんで変わった題名の本が目についた。
そのとき、ちょうどうちの子はいなかの学校で学年一人。遊び相手もいない学校でふさぎこんでいた。
よく似た境遇の地域と学校。一気に読んでしまった。
この原作が、後にテレビドラマ「瑠璃の島」になり、コブクロの主題歌「ここにしか咲かない花」も大ヒットした。
沖縄の問題を考えるという意味では、ちょっと特殊な部類にはいるかもしれない。しかし、私が沖縄に関心を持つようになったきっかけを作ってくれた本である。
この本が縁で、2006年6月、10月、翌年3月と、3回も鳩間島に行くことができた。3回とも子どもといっしょに行ったのだが、何かはつかんで帰ってくれたと思う。
うちの子らが通っていた別所小・花一中は、統合により今はない。鳩間小中学校も、今月の19日、在校生4人(兄弟)が島を出てしまい在籍0。またも廃校の危機。
無理を承知で始めた里親制度であったであろうに。この先どうなるのか心配だ。
(著者・森口豁氏は、沖縄についてのたくさんの著書がある。ぜひ、ほかの本も読んでみてください。)
「平和は退屈ですか」
平和を守るためになにかをしたい。でも、なにをしていいかわからない。その答えが、この本の中にある。
「ひめゆり」の語り部たちと若者との論戦も興味深い。
戦争体験のないものが戦争を伝えていくには・・・。そうか、こういうふうに考えたらいいのか。ちょっと、目からうろこだった。
若い人にこそ読んでもらいたい本である。
「沖縄に学ぶ子どもたち」
えー、こんな小学校があったのかー。
小学生のころから沖縄を学ぶことの大切さ、この本を読むとよくわかります。子どもは、ちょっと材料を出してやると、その後は、自分たちでどんどん興味を広げていく力がある。
こんな小学校で、先生をしてみたかったなあ・・・。
シンガポールとかマレーシアに研修旅行に行ってる高校 !
何で沖縄に行かんかなあ。沖縄には、自分を見つめなおす材料がいっぱい詰まっているのに、ああもったいない。
以上。
沖縄に関心のある方は、ぜひ「沖縄に学び、沖縄を学ぶ」気持ちを持ち続けていってください。
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2009年05月11日(月)
ナゾの小包 [沖縄]
昨日、鯖江つつじマラソンに行っている間、自宅に小包の配達があった。留守だったので、不在連絡表が入っていた。
でも・・・、たいがい荷物は京都キャロット宛にしているのに、なんやろう。送り主も、「ご本人様」って、ちょとあやしい。
ひょっとして、エッチ系の不当請求関連商品? 後ろめたいことはしていないはずなのに、なぜかドキドキ。ちょっと、ワクワク?
とりあえず、京都キャロットに転送。
そして、今日の昼過ぎ、例の小包が・・・。
あー、あかん! ヨメさんが受け取ってもたー。その中にはエッチ系の・・・、と思ったら本当の送り主は「石垣焼窯元」でした。もう、ドキドキしてしもたやんかー。
今年の2月、真樹と行った沖縄旅行。その最後の日に行った石垣焼窯元。そこでの体験陶芸教室で作ったお皿。何か思い出に残るものを作ってみたかった。それがやっと仕上がって送られてきたものだった。
3ヶ月も前のことなので、すっかり忘れていた。こんなこともあったんや。
送られてきたお皿は、きれいな「沖縄の海」の色に仕上がっていた。
真樹はかわいいきくちゃん。私は平凡な出来上がりだったが、ネコちゃんに見えんこともない。真樹みたいに、ヒゲの2、3本でもかいときゃよかった。
真樹は、あのときに行ったあの旅行をどんなふうに思い出してくれているのかな。私は私なりにいろいろ思うところがありました。
沖縄離島が好きな人と心配な中学生の娘を持つ父親は必見です。2/6〜2/13の私のブログ。お皿づくりは、2/10に書きました。
「真樹よ、この皿、いつまでも大事に持っててね!」
【注目!】真樹も私と同じネタですが、「にょんにっき」更新しました、見てやってください。(私のブログのリンク集からどうぞ。)
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2009年02月18日(水)
沖縄離島犬めぐり旅 [沖縄]
今日、やっと、2/6〜2/10の沖縄旅行の記事が書きあがった。あとで書き加えた部分が多いので、時間の経過通りということになると、以下のようになる。
2/6 いざ、沖縄
2/7 「真樹、入賞!」〜とかしき島一周マラソン速報〜
2/7 第4回とかしき島一周マラソン
2/11 渡嘉敷島
2/8 ホエールウォッチング
2/12 竹富島
2/9 クーファミリーとよんなぁよんなぁさん
2/13 石垣やいま村
2/10 石垣焼体験陶芸教室
そして、今回の旅の総称をどうするか。
最初に思いついたのが、「沖縄よんなぁよんなぁ旅行」。でも、よんなぁよんなぁさんにはこの先もまだまだお世話になりそうだし・・・。(最近、このブログリンク集から「クーの毎日」をクリックしてくださる方が増えています。あのクーちゃんの目のまわりを見ていると、いやされますよねー。)
渡嘉敷島、西表島、石垣島でワンちゃんと会えたことだし、「沖縄離島犬めぐり旅」ということで。(竹富島はワンちゃんに会えなかったけどねこちゃんがいっぱい。)
次回は、「沖縄離島犬猫めぐり旅」か? (バシッ! ボコッ! ドスッ! ・・・これはヨメさんにしばかれている音ではありません。BGMです。)
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2009年02月13日(金)
石垣やいま村〜「おまけ」沖縄・2/10〜 [沖縄]
旅行の最終日は、余裕のあるスケジュールにしておいた。
朝の船で石垣島に戻り、「やいま村」と「石垣焼体験」。
朝、「さわやか荘」さんが上原港まで送っていただけるとのことだったので、空いた時間によんなぁよんなぁさんのおうちの方へ行ってみた。
「クー、スー、見っけ!」
ちょうど朝の散歩の途中でした。もう会えないと思っていたので、うれしかった。
真樹は前日に引き続き大人気。それに引き替え私には、2ひきともあいそなしでした。
道でボーとしているワンちゃん発見。
住吉の「初枝」さんちのワンちゃんだそうです。(名前は聞き忘れました。放し飼いなんかな?)
ここがよんなあよんなぁさんのおうちのま向いなので、最初ここに泊まろうと思っていた。でも、冬場はお休み。次に近い「パイン館」にしようと思ったら、ここも冬はお休み。西表はそういう民宿が多いみたいです。
そして、やっと見つかったのが、「さわやか荘」さん。クーちゃんちから歩いて5分。
「さわやか荘」から送ってもらう時、息子さんとちょっとお話した。
「知り合いの方から聞いたんですけど、さわやか荘さんて今の町長さんのおうちなんですよね。」
「ええ、そうです。」
「竹富町の選挙はたいへんだったでしょう。」
「そうなんですよ。去年の夏、船をチャーターして離島めぐりです。反応が悪いなと思ったら、急きょ一泊したりして・・・。」
「こちらのお知り合いというのは・・・。」
「はい、『初枝』さんのお向かいに住んでおられる○○さんという方で、エコツーリストをされてるんです。犬2ひき飼っておられますし、すぐ分かると思います。昨日、西表の海岸を中心にエコツアーさせてもらったんですけど、中国からの漂流物の処理が大変みたいですね。」
「そうなんです。前の町長が、廃棄物処理の予算を削ってしまって・・・。それは何とかしてほしいとみなさん思ってられますね。」
前の前の竹富町長は、「ニラカナイホテル」問題で全国にも話題になった。
そして、前町長は廃棄物処理予算削減。
今の町長さんにはお会いしていないが、さわやかな息子さんを見ているといいイメージ。民宿「さわやか荘」さんも、その名の通りでした。
3年後の町長選挙にまた出馬されるなら、応援に来ようかなあ。「離島めぐりの選挙運動」、ドキドキワクワク、見てみたい!
(参考)2008年竹富町長選挙結果
川満栄長氏 (新) 1455票
O.T氏 (現) 1070票
N.G氏 (元) 404票
上原港で「さわやか荘」の川満さんとお別れ。
風がきついので船がかなり揺れる。早めに並んで、できるだけ船内の後ろ側に座るようアドバイスを受けた。
海は大荒れ。もうちょっとで欠航になるのではないかというあぶないところだった。(上原欠航の場合は、西表島の一番東、大原港まで行かなくてはならない。)
船は揺れる揺れる。時々、船底が「バーン!」と音をたてるのは、ナニ!
「ジェットコースターより、こっちの方がよっぽどこわいでー。」と真樹に言ったら、「そんなことないって、おもしろいやん。」
こわがりなオッサンには、ビクビクもんです。
予定より少し遅れて石垣離島桟橋着。
そこでレンタカーのおねえさんに連れられ営業所へ。借りた車は、赤いニッサン・マーチ。久しぶりの運転でちょっと不安だったが、10分ほど走ったらもう「石垣やいま村」。
いきなりで恐縮ですが、今、私の一番嫌いな言葉は、「しょうもなー」。人からその言葉を聞くたびに「しょうもあるって」と反論したくなります。
何でもかんでも「しょうもなー」と言ってすねてる人はかわいそう。かといって、何でもかんでもうれしくなってしまう私のような人間は、けっこううっとおしがられる。
たぶん、この「やいま村」も、ある人にとっては「しょうもなー」。でも私には、見所満載のパラダイス!
ここ「石垣やいま村」は、「八重山民俗園」が昨年リニューアル。ガイドブックによると・・・。
名蔵湾を望む丘に、赤瓦の家々や漁師(うみんちゅ)家が移築復元されており、八重山の歴史、民族文化を体験しながら見て遊べる。人なつっこいリスザルやウサギ、水牛などもいて、マングローブの探勝路を散歩など南国の自然も感じながらのんびり楽しめる。おじぃ、おばぁの三線、三板、民謡や手踊り教室も人気。
200円のエサを買ったら、リスザルがいっぱい集まってきました。肩にも乗ってくれる大サービスです。
カンムリワシの名前が、「よんなー」。
カンムリワシだけじゃなく、水牛もリスザルもワンちゃんも・・・もちろん人間も、沖縄はみんな「よんなー(ゆっくり)」です。
坂を下りていくと、そこはマングローブの沼地「名蔵アンパル」。
2005年にラムサール条約の登録域になったそうだ。運がよければ小動物に会えるそうだが、この日はあいにく・・・。沼の中も立ち入り禁止だった。入りたくて、ウズウズ。
もう一度「リスザルの森」を通って、いったん売店へ。
ゆっくりお買い物ができるのはここが最後なので、真樹もいろいろと選んでいた。
「パオパオ、野球のんあるでー。」
野球のボールとシーサーがついたキーホルダーを、真樹が見つけて私に教えてくれた。
「あっ、そら買わなあかん。ナリケン、ナリケン。」
ナリケンは、12月に静岡に引っ越しちゃった真樹の元同級生。こないだメールしたら、静岡の中学でも野球部に入ったそうだ。彼は、私の数少ないメル友です。おみやげ、おみやげ。
お昼はその横の「あんぱる食堂」へ。
団体さん(修学旅行?)が出るのを待って入った。
メニューに「ソーキカレー」とあったので、それを注文したら、売り切れ。さっきの学生らに食いつくされてしまったか。
しかたないので、真樹は「八重山そば」、私は「牛汁定食」にした。
牛汁のにおいが、どこかなつかしいと思ったら、鳩間の運動会のヤギ汁のにおいといっしょ。船浮の運動会の猪汁のにおいともいっしょ。
そして、汁の中から出てくるお肉が・・・。
私のイメージする牛肉とはちょっとちがう色や形のお肉がゾクゾクと・・・。これ、たぶん、うちのヨメさんやったらうれしくてたまらんやろうなと思いながら、味わっていただきました。(ちょっと残してしまいました、すいません。)
一番最後に、「ヤーアシビー(家ア遊び)」。
私が一番楽しみにしていた三板(サンバ)と踊りの体験教室。
平日の昼間だったので、年配の方ばかり。真樹は気後れしてしまい参加しなかった。
三板は三枚の板を指の間にはさみ、「カチャカチャ」鳴らす沖縄風カスタネット。何回か練習するうちにいい音が出せるようになった。
踊りのほうは短時間ではむずかしかった。たぶん基本中の基本の動きを教えてくださったと思うので、ぜひまたやってみたい。
体験教室が終わった時、三線と踊りの先生といっしょに写真を取っておられる方がいた。私も撮ってもらおうと真樹を探したが見つからず。これは、ちょっと残念。
全部でわずか2時間ほどだったけれど、パラダイスを満喫させてもらいました。ゆっくりゆっくり(よんなー)見れたのがなによりでした。
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2009年02月12日(木)
竹富島〜「おまけ」沖縄・2/9〜 [沖縄]
ちょっとだけ早起きし、竹富島観光をすることにした。
竹富島は石垣島から船で10分。人口約350人のこじんまりした島だ。
平田観光さんの「竹富島・思い出Aコース(グラスボート・マイクロバス観光・水牛車観光)」。石垣離島桟橋からの往復も入れて3時間。お昼ごはんをゆっくり食べたかったので、8時半出発の船に乗った。
竹富島に到着し、すぐにグラスボートへ。
なんと、私たち親子二人だけの貸切りでした。
真樹に何べんも「酔うてへんか、だいじょうぶか」と聞いていましたが、実は酔いかけていたのは私です。近くに別の船が通るとけっこう揺れ、気持ち悪くなってしまいました。
それでも、きれいなさんご礁とかわいい魚たちが見れて、まずまずでした。
グラスボートの次は、「竹富島ゆがふ館」。まあ、竹富島の資料館みたいなもんですね。
ここで「竹富島憲章」を見つけた。
たぶん、「島をきれい」とか書いてあるんやろうなと、いい加減な気持ちで読んだ。
「すごい!」
箇条書きにしてある五つの憲章の第一番目に、度肝を抜かれた。
一、『売らない』 島の土地や家などを島外者に売ったり無秩序に貸したりしない。
これが一番というのが、すごい。
リゾート開発業者の手にかかりムチャクチャになって行きつつある島が多い中、竹富島は独自の憲章によって島を守ろうとしている。
普通この考えだと人口が減る一方だと思ってしまうが、一時200人まで減ってしまった島の人口は、今350人まで回復しているそうだ。いろいろと、考えさせられます。
このあと、女性の方の運転で島めぐり。水牛車が行かない海岸を中心に。
最初に行ったのは、カイジ浜。以前、このすぐ近くに竹富町役場があった。皆が治める(皆治・かいじ)で、カイジ浜と呼ばれるらしい。(現在、竹富町役場はなぜか石垣市内。)
別名、星砂浜とも呼ばれる。星砂のさがし方を若いおねえさんに教えてもらったが、うまく見つからなかった。
その代り見つかったのは、大量の猫!
このあと水牛車の予定だったが、カイジ浜で急に雨が強くなり車に戻れず予定変更。水牛車乗り場の横の「喜宝院蒐集館」を見ることになった。
ここは、日本最南端のお寺。なんと、浄土真宗西本願寺派。京都にゆかりのあるお寺だったので、お線香をあげさせていただいた。
次の水牛車出発までたっぷり時間があったので、ゆっくり見ることができた。
最後にお待ちかね、「水牛車観光」。
長く待っただけあってラッキーなことに、一番前(水牛のおしりのまん前)にすわることができた。
私たちが乗った車を引っ張ってくれたのは、「大ちゃん」、12歳。人間でいうと×3で36歳の働き盛り。
由布島の水牛車は二輪のため定員は10人程度。しかし竹富島の水牛車は四輪で20人以上乗れる。
竹富島のオジィの話を聞きながら、ゆっくりゆっくり水牛車は細い道を進んでいった。人間が歩くより遅いくらいのスピードで。
オジィの話にによると、現在竹富島は平屋以外の建物建築禁止。屋根は赤瓦に限る。どこを回っても落ち着く感じがするのは、これが理由だった。
これらのことを徹底しだしてから、観光客が安定して増えてきたそうだ。そして、出て行ってしまった島の人々が帰ってき、人口も増えだしたらしい。いろいろと学ぶ所が多い。
竹富小中学校は、児童生徒合わせて35名。教職員は19名だそうだ。
「子ども、けっこういるんやな。」
こじんまりした島という印象だった真樹の、正直な感想。平日だったので、学校には子どもたちがいたはず。見に行きたかったなぁ。
11時15分竹富発の船で石垣に戻る。
大きな荷物はホテルに預けたままなので動きやすい。
まず、730交差点の「コンビニ・シーサー」へ。ここは、コンビニというより手ごろなおみやげ屋さん。子ども連れの方におすすめです。
次に、そのお向かいの「チサンリゾート石垣」の1階でランチバイキング。980円でけっこういろいろと。こちらも、お子さん連れにおすすめです。
そのあと、公設市場のある商店街へ。ここは、私たちの地元の京都出町の商店街と似たフンイキ。ゴチャゴチャした感じもあるけれど、いろいろ見ていると楽しい。あきない。
ここでちょっと買い物をし、ホテルへ荷物を取りに行き、午後1時30分発の「上原行き」の船に乗った。
「クーちゃんやよんなぁよんなぁさんたちが待つ西表へ」
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2009年02月11日(水)
渡嘉敷島〜「おまけ」沖縄・2/8〜 [沖縄]
マラソン大会に出場するとき、ただ走るためだけに行くのはもったいない。できるだけ、その地方の人々としゃべりたいと思う。
渡嘉敷島は、夏はダイビング、冬はホエールウォッチングで有名なところだ。しかし、私にとっては「集団自決の島」という印象が強い。
大江健三郎「沖縄ノート」裁判も、この島に関しての記述について争われている。
戦時中、この島で起きた集団自決に日本軍の関与があったかどうか。岩波新書「沖縄ノート」には、実名は出されていないが隊長の関与があったとはっきり書かれている。それに対して当の隊長本人ともう一人の隊長の弟が、名誉棄損で訴えている。一審大江氏側勝訴で、確かもうすぐ二審の判決が下るはずだ。
この本全体を読んでもらえば、大江氏が特定の個人の名誉を貶めるために書いたわけではないことは明白である。
そのことについて調べている時、ビックリ仰天の事実を知った。
名誉棄損で訴えている原告が、その原本を読んでいないというのだ。曽野綾子さんが書かれた「ある神話の風景」(大江健三郎「沖縄ノート」を批判した書)の中の引用部分のみを読んで裁判に踏み切ったとのこと。
私から見ると、こっちの方が大江氏に対する名誉棄損のような気がするが・・・。
とにかくその地に行ってみたい。
「今、何の力もないあなた一人がそこを訪れて、いったい何の意味があるのか」と言われるかもしれない。しかし、私の経験上、動けば必ず何かを手に入れることができる。その場ですぐ手に入れることができなくても、必ずや後々思い出すことがある。「動かんかったらよかった」と後悔したことは過去に一度もない。
そう思いながら、その地に向かった。
「集団自決跡地」は、マラソン大会会場から北へ、急なダラダラ坂を上ったところにある。ここは、現在「国立沖縄青年の家」の施設になっている。
もちろん戦時中は、何もない断崖絶壁のジャングルであったのだろう。そこへ死を決意した住民が上ってきて、集結したのである。
この場所も、戦後の一時期米軍の施設としてに接収されており、「集団自決跡地」の石碑が建てられたのはかなりあとになってからである。
私たちがその石碑にたどり着いた時、現地ガイド役らしき方が親子連れに説明をされているところだった。
「そうか。大会要項のどこにも書いてなかったけど、この島ではこんな活動もしっかりやっておられるんや。」
下調べをする準備期間がなかったので分からなかったけれど、もし来年も来ることができたらぜひこのガイドをお願いしよう。
横で耳をそばだてていたら・・・。
「わたしの母は集団自決の生き残りです。でも、私はその話をまったく聞いたことがありませんでした。そりゃー、こんな悲しい話を自分の子どもにはしたくなかったんでしょうね。
母がそのことを初めて話してくれたのは、例の教科書から集団自決の記事が削除された時です。
本当にとんでもないことが起こりました。実際にあったことをなかったことにしようとするのですから。」
そして、そのガイドさんと親子連れは、実際に集団自決のあった現場である薮の中へと進んでいかれた。
私もこの人たちについていきたかったがやめておいた。きちんと申し込みをしてきちんと話をお聞きしよう。それは来年でも遅くない。そう思い、そこから引き返した。
実は、この「集団自決跡地」に行く前、林道の中腹で「アリラン慰霊のモニュメント」を偶然見つけた。ここは、どのガイドブックにも地図にも載っていなかった。
変わったお墓のような形が道路から見えたので目に留まったが、すっと通り過ぎてしまってもおかしくないようなところだった。
戦時中犠牲になった韓国朝鮮人の方々を慰霊するため、全国からの寄付金やバザーの収益金によって建立されたそうだ。
残念なことに、この場所は島一周の部のマラソンでも通らない。
「とかしき島一周マラソン」と言うからには、さきの「集団自決跡地」や、この「アリラン慰霊のモニュメント」も通るコースにしたらどうだろう。今よりさらにアップダウンのきついコースになってしまうが、渡嘉敷島がダイビングやホエールウォッチングだけの島でないことを分かってもらえるいい機会だと思う。
平和を求めることは、何も格好悪いことではない。そのスタートが、たいてい過去のあやまちを知ることからスタートするため、敬遠されることが多い。誰でも人の死に関わる話を聞くのは、楽しいことじゃないですからね。
でも何も知らず、同じあやまちをくり返すことだけはやめましょう。それは、誰も望んではいないはず。
ダイビングやホエールウォッチングが好きな人も、集団自決で家族にまで手をかけざるをえなかった人々の話や強制連行された韓国朝鮮の人々の話を聞く耳は持っていると思う。せめて、ガイドブックやマラソン大会の要項の片隅にでもその説明が書いてあったらいいのにと思う。
どうでしょうか。
この日は、前日渡嘉敷港の横の売店で買ったTシャツを着た。
「いつもまえむき・ときどきうしろむき」Tシャツ。
売店のおねえさん(?)は関西弁。話しかけてみると、「大阪生まれの沖縄育ち、もうこっちに来て25年」だそうだ。(ということは、うちのヨメさんとおんなじ歳くらい?)
買ったTシャツをさっそく着て、売店まで見てもらいに行ったら、たいそうよろこんでくださった。
富本晴美さん。
みなさんも渡嘉敷島に行かれたら、ぜひ港の横のお店「ChipChip」さんへ。富本晴美さんとお話ししてください。楽しい方ですよ。
最後に一緒に記念撮影。
「いつもまえむき・ときどきうしろむき」
これからも、これでいいですよね。
☆★☆今日(2/16)、現地ガイドボランティアについて、渡嘉敷島村役場に電話で問い合わせてみました。
役場では、そういった活動は行っていないとのこと。私が写真に撮らせてもらったジャンバーの方は、いったいどなただったんでしょう。マラソン大会のスタッフが着られていたのと同じジャンバーだったんですけど・・・。
お話の内容からも、渡嘉敷島の方にまちがいありません。
この記事を読まれた方であの男性をご存知の方は、ぜひお知らせください。
よろしくお願いします。
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