パオパオだより

2015年04月29日(水)

条件を守らなかった側が「粛々と」 [時事]

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琉球新報4月26日

◎毎日新聞4月27日朝刊・琉球新報から

   [日米首脳会談] 沖縄踏む足跡 消す時だ
               松元剛 編集局次長兼報道本部長

 恐らく、戦後の日米首脳会談の中で、最も多く登場した都道府県名は「OKINAWA」で間違いないだろう。それは、沖縄の民意に反して過剰に集中する米軍基地問題が日米間のとげとなり、いつまでたっても抜けない異常さを示す。

 安倍晋三首相とオバマ米大統領が28日に会談する。米軍普天間飛行場の代わりとなる沖縄県名護市辺野古の新基地建設をめぐり、安倍首相は翁長雄志知事と会談したことを挙げ、着実な進展をアピールしたいはずだ。

 だが、翁長知事は安倍首相に沖縄社会の強い反対をオバマ大統領に伝えるよう“宿題”を課している。政権に都合のいい情報を振りまく印象操作にたけた安倍首相であっても、翁長知事から「絶対に新基地を造らせない」と突き付けられたただ一度の会談を成果として喧伝できるほど厚顔ではあるまい。

 1998年12月末、当時の稲嶺恵一知事から普天間飛行場の移設先として名護市辺野古を打診された岸本健男名護市長(当時・故人)が受け入れた。代替基地の工法、規模、基地被害をどう抑えるのか、具体策は何もなかった。基地を無制限に使わせないため、稲嶺知事が最低限の条件とした使用期限15年の設定に日米は否定的だったが、将来の努力目標のような言い回しでお茶を濁していた。担保がない新基地受け入れは「白紙委任」に映った。

 だが、岸本氏の記者会見を取材した私は開設の予定稿に記した「白紙委任に等しい」の文言を削った。なぜか。岸本氏は15年期限に加え、住民生活への影響を極力抑える基地使用協定締結など厳しい7条件を挙げて「守られない場合は容認を撤回する」ときっぱり言い切った。その表情、語調に“空手形”にさせない気概を感じたからだ。それは今の翁長知事にも通じる。

 新基地の工法などが決まっても肝心の15年使用期限は日米の関心のらち外だった。両政府は2006年、沖縄の頭越しに現在の?字滑走路案で再合意した。稲嶺知事のぎりぎりの上入れ条件は捨て置かれ、無期限の米軍専用基地計画に変容した。地元を軽んじた政府に対し、末期のがんを患い、退任間際だった岸本氏は「日本政府と今後は一切交渉しない」と通告し、稲峰氏も?字案ノーを貫いた。

 もし、岸本氏が病に倒れず3期目に就いていれば、辺野古新基地の命脈はもっと早く絶たれていたかもしれない。

 菅義偉官房長官が16年前の稲嶺、岸本氏の条件付き受入を挙げて、沖縄のお墨付きをもらったと強調するが、条件を守らなかった側が持ち出すのは虚構にすがりついているようにしか見えない。「粛々」に続いて封印した方がいい。

 翌00年7月の九州・沖縄サミットで、クリントン米大統領が県民向けの演説の舞台に選んだのは平和の礎だった。敵味方、国籍を超えて戦没者を刻む類例のない鎮魂碑の前で、クリントン氏は基地の過重負担について「県民は望んでいなかった」とした上で、「米軍の足跡を減らす」と約束した。あれから15年。辺野古新基地について県民はすべての世論調査で6〜9割の反対意思を示してきたが、日米は沖縄の民意に向き合おうとせず、力ずくで建設を推し進めている。

 クリントン氏が約束した米軍の足跡は減るどころか、鋭利な金具付きの軍靴でかさぶたを踏み付けるような苦痛を県民に与えている。

 しかし、戦後70年の節目の年を迎えた沖縄の「新基地ノー」の民意は、尊厳を懸けて岩盤のような強さを増した。鋭い金具で踏み付けられてもびくともせず、逆に足をすくわれるのは日米両政府の側ではないか。

 沖縄は日米沖の3者の相関関係の中でまぎれもない当事者である。日米首脳は沖縄に新基地を押し付ける思考停止から脱し、民意を重んじて「米軍の足跡」を減らす約束を果たす歴史的使命を全うすべきだ。

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 昨日の夜から、寮の管理代行のバイト。寮管理のパソコンが故障し、そのせいで一日中バタバタした。

 先日、毎日新聞でいい記事を見つけた。それは琉球新報の「日米首脳会談特集の特別評論」をそのまま転載したもの。
 去年の名護市長選で、「普天間の代替基地を辺野古に受け入れたとされる故・岸本氏の奥様が、(反対の立場をとる)稲嶺進候補の応援に駆け付けた」という記事が理解できていなかった。琉球新報・松元氏の解説で、そのあたりのことがやっと理解できた。

 この記事を私のブログに転載しようとしてあちこち検索してみたが、どこにも見つからず。仕方なく、ポチポチポチポチと手打ち。けっこう長い記事で、打つのに時間かかりましたわー。でも、本当に分かりやすいいい記事ですよね。

 約束を守らなかった側が「粛々と」とは・・・。
 私が「粛々と」という言葉を初めて聞いたのは、1986年の小学校卒業式案を職員会議で話し合っている最中。当時の校長先生が、「日の丸・君が代の導入に反対の人がいくらあろうと、粛々と式を進めます」と。
 あとで分かったのだが、これと同じ言葉が京都市中の小中学校の校長先生から発せられていたらしい。つまり「粛々と」という言葉は自分の頭で考えて出てきた言葉ではなく、自分のバックにある権力を過大評価し、そう言えばみな萎縮して自分に従うと勘違いしている人が使う言葉である。
 正直、「ひとりひとりを大事にするのが仕事の小学校の校長のくせに、何が『粛々』やねん!」と腹が立ちました。こんな人間だけにはなりたくないと、つくづく思いました。
 当時私は30歳。29年たっても、全然成長しとらんか・・・。

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