2008年02月03日(日)
琉球・沖縄民俗芸能鑑賞会 [沖縄]
午後2時開始に間に合うよう、京都を出た。
「草津かー、なつかしいな。」
17年前、教師の仕事を辞め、バイトで牛乳をスーパーに卸していた。わかりやすく言うと、配送のにいちゃんをやっていた。(にいちゃんといっても、当時すでに35歳。)毎日、この近江大橋を渡っとったなー。
市民交流プラザに着くと、こじんまりした会場に50人ほどの人たち。写真を撮ってもいいかだけを確認し、入場。
第一部 琉球舞踊
いきなり、面食らってしまった。「かぎやで風」
めっちゃ、ゆーーーっくり。スローモーションを見ているみたいだった。お二人のゆっくりぶりがシンクロ。こんなゆっくりな踊りがあったとは。あぜんとしているうちに終わってしまい、写真を撮るのも忘れてしまった。
「よんなぁよんなぁ」(ゆっくりゆっくり)とは、このことか。この時、はたと思い浮かんだ。
ブログ「クーの毎日」のライターは、よんなぁよんなぁさんである。でも、あの人、沖縄出身じゃないよな。
2番目に、高間さんが一人で出てこられた。「加那ヨー」
えっ! 一瞬人違いかと思った。この人が、あの高間さん? 2年前、ふんわりした笑顔で、私と娘に話しかけてくださった高間さん?
お化粧のせいもあるかも知れないが、かなりやせられたように見えた。体調をくずされたと聞いた時、お電話では「全然、たいしたことないです。」とおっしゃっていたが、これはちょっと心配。
その後、「鳩間節」 「四ツ竹」 「いちゅび小(ぐぁ)」
第二部 沖縄館さんしん倶楽部
高間さんを含め、総勢10名でさんしんを演じられた。中学生の男の子が、お母さんといっしょにしっかり弾いていたのが印象的だった。
「安里屋ゆんた」 「芋の時代」 「バチクァイ節」
第三部 新垣優子 島うたライブ
沖縄本島最北端ヤンバル、「辺戸」出身の新垣優子さんのライブ。
申し訳ないけれど、まったく知らない方でした。
いきなり、沖縄の言葉で話し始められ、何がなんだかさっぱり。(会場の半分くらいの人は、わかっていたようだ。)
辺戸は、100人足らずの村で、今はおじいおばあの一人暮らしがほとんどだそうだ。
現在、長崎・五島列島・福江在住で、今日の滋賀の雪景色には、びっくりしたとおっしゃていた。
夫は公表、ご自分の年齢は未公表。(かな?)
どんな人なんかなーと見ていると、まず、かわいいわらべうた。その後一変して、のびのある沖縄民謡。しんみりした永良部の唄もあり、さんしん一つでこんなにいろいろなことができるんだと感心した。
お話の中で、一番おもしろかったこと。
中学生の時、顔にできものができ、近くにお医者さんもいないので困っていたら、「○○のおばあのとこに行け。」と言われた。そこでは、おはらいのような用意がされ、目をつぶっていると、「ペッ、ペッ」と言う音と「シュッ、シュッ」と言う音が交互に聞こえる。恐る恐る目をあけると、「ペッ、ペッ」はおばあのつば、「シュッ、シュッ」はほうきのような物で顔をはく音だった。
自分のおばあにその話をしたら、「あのおばあは、効かん。」と言われ、また別のおはらいをしてくれたそうだ。(そのおはらい、ちょっと体験してみたいような・・・。)
昨年12月に出されたCD「風ヌ葉」を買い、それにサインをしてもらった。
人形劇もされるとプロフィールに書いてあったので、そのことも聞いてみた。
実は、私も教師かけ出しのころ、発泡スチロールを使った人形劇を学校でやっていた。新垣さんは、それとはまたちがう人形を使ったもののようだ。今度は、それを見てみたい。次は、真樹も来てくれたらいいのにな。
最後に、高間さんのごあいさつ。
これからも、このような催しを続けていきたいとのこと。私も、何らかのかたちで協力していきたい。
最初は、場違いな存在ではないかと心配だったが、大満足な3時間だった。参加費2500円も安い。
このような機会があれば、ぜひ、次も参加したい。
(それにしても、高間さんは、やっぱり前よりやせられていた。沖縄県人会・沖縄館・沖縄ファン倶楽部<沖縄出身以外の会>と幅広く活動されているので、疲れがたまっているのでは・・・、心配。)
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2008年01月22日(火)
高間悦子さん [沖縄]
滋賀・沖縄県人会事務局の高間悦子さんに、初めてお会いしたのは、2006年5月のことである。
娘の真樹が、「沖縄、行ってみたいなあ。」と言い出し、それなら沖縄の人に直接話を聞いてみてからと思っていた。 ちょうどその時、京都新聞に、沖縄返還34周年の記事が出ていた。
「本土の人は、自分の見たいものしか見ないのか。」
これが、その記事に寄せられた高間さんのコメントである。
高間さんは、湖南市(旧甲西町)で、「沖縄館」を経営しておられた。そこには、沖縄の情報を求めてたくさんの人が訪れる。しかし、そのほとんどが遊びの情報を求め、米軍基地や沖縄戦の話には目もくれない。それに対して発せられたのが、先の言葉である。
この言葉には、衝撃を受けた。
とりあえず、「沖縄館」に電話してみた。
「小6の娘と沖縄旅行に行こうと思ってるんですが、(新聞記事を見て)、見たいものしか見ない人間にならんように、高間さんとお話したいんですが・・・。」
「お店の仕事で中断するかもしれないけど、それでよかったら、どうぞ来てください。」とのお返事。
日曜参観の代休を利用し、京都の山奥から滋賀の湖南市まで出かけて行った。
高間さんは、初めてお会いした人なのに、なにか懐かしいような、ふんわりとしたふんいきを持った人だった。(私の二番目の姉と同世代。)
無知な私のへんな質問にもあきれず、ていねいにわかりやすく答えてくださった。横にいた娘も、すべてしっかり聞いていた。
その話の中で、私が一番印象に残っているのは、今学校で行われている平和教育への失望である。
招かれて学校でお話をする機会がたくさんあったそうだが、先生方が沖縄について下調べをされてる節はほとんど感じられなかった。ただ、名ばかりの「平和教育」をこなしているという感じすらした、というようなことをおっしゃっていた。(今や、先生までもが見たいものしか見ない人間なのか。)
この指摘は、きつかった。
私も、若き日の一時期、小学校教師をしていた。戦争や沖縄のことをほとんど勉強せずに、子どもらにいいかげんなことを言っていたように思う。
まず、沖縄のことを少しでも知ろう。そして、もうこれ以上沖縄の人をだましたり、裏切ったりするのをやめよう。
本気で、そう思いました。
この日から、私の座右の銘は、「見たいものしか見ない人間は、ダメ! 」
その高間さんから、お手紙をいただいた。うれしいお知らせだった。
体調をくずされ一時閉館となっていた「沖縄館」が、別の場所で復活。
2月3日には、「沖縄民俗芸能鑑賞会」を開催。
お電話させてもらった時、聞こえてきた声はすごく元気そうだった。「鑑賞会」の会場が草津と近かったので、行かせてもらうことにした。
「私も、舞踊とさんしんの両方に出ますので・・・。」
しっかり見させてもらいます。
また、楽しみがひとつふえた。
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