2008年03月09日(日)
2008名古屋国際女子マラソン [マラソン評論]

遅れだした高橋
「あきらめなければ夢はかなう、ということを伝えられるレースにしたい」
「メッセージを伝えられるのは優勝者」
「名古屋」の前の数日、テレビや新聞で、この高橋尚子のコメントが何度も繰り返し流されていた。
「あれっ、高橋尚子って、こんなこと言う人やったっけ。」
私は、その言葉を聞いてすぐそう思った。決意を胸に秘め、ひょうひょうと実現していくタイプやなかったっけ。
「大阪」の後の私とヨメさんの会話。
「名古屋、どうなると思う?」
「2時間25分で優勝やったら、Qちゃん楽勝やな。選考ラインが下がってよかったなあ。実力通り走ったら、ほかの選手はついてこれんやろ。」
私もまったく同意見だった。あのコメントを聞くまでは。

重そうな高橋
「夢はかなう」の夢って何。
オリンピックで金メダルは取ったし、世界記録も出したし。北京オリンピックに出ることをさしているなら、ちょっとピントはずれちゃうかな。
「私の執念見てください」
「プロの厳しさをすべてレースにぶつけます」
「優勝しないと明日はないんです」
これくらいのこと、言ってほしかったなあ、プロなんやから。
私がレース前にあんまり言うもんやから、ヨメさんの予想も変わっていった。
「全然名前知らん若い子が、来るかもね。」
当たってしもたがな。

ぺこりん高橋
福士の時はすごくレース経過が気になったが、今回は途中もまったく見ず、5時ごろ携帯のニュースで結果を知った。
「27位やって、Qちゃん。」
「27位? またえらいこと落ち込んだもんやなー。」(2位〜4位くらいを想定してました。)
レース後、高橋本人は、足の手術の影響かという会見。(あれは、いまさら言わんほうがよかったんちゃう?)
もう一つ、走る直前に違和感があり、走り始めた時、体が全然動かないのに気づいたとも言っていた。
これ、二流市民ランナーでもあるんですよね。
私の場合、走り出さないとわからない。特に疲れてるわけでもないのに、全然走れないことがある。またその逆で、なんの準備もできず、菓子パンかじりながらスタートしたような時にすごいいいタイムが出たりする。
いやいや、ちょっとレベルがちがいすぎて、比べるのは失礼でしたね。
結果報道で不思議だったこと。
高橋尚子と優勝した中村友梨香の記事は別として、大会前高橋尚子の対抗馬にあげられていた選手の分析がほとんどなかった。
原(4位)、弘山(9位)、坂本(10位)、大南(18位)、・・・どうしたんでしょう?
25kmまでの5kmごとのラップが、すべて17分台。最初の5kmにいたっては、17分55秒。ベテラン、どうした!
中村選手が優勝できた最大の要因は、この前半のスローペースにあると思う。どうしてベテラン勢は、初めから飛ばしてライバル(特に新人)を振り落としていかなかったのか。集団で行って、最後は自分だけが抜け出せるとでも思っていたのだろうか。
このレースを見る限りでは、オリンピックで同じ展開にでもならない限り中村選手の入賞はない。ましてや、中村選手以外の選手が「名古屋」で優勝して選ばれていたとしても、その選手の入賞も考えにくい。
私にとっては、高橋選手の惨敗というより、ベテラン勢の惨敗という印象が強い。(かと言って、新人の台頭とも思えない。)

加納さん
このレースで、個人的に応援していたのは3位だった加納さんだ。1位とは、48秒差。惜しかった。
加納さんは、京都の立命館大学の出身で、当時の監督・古村さんは私の昔からの知り合いである。加納さんも、大学生時代、うちの店のお客様だった。まあ、加納さんにはまだ次がありますよね。
◎「名古屋」の翌日、オリンピック代表の発表があった。
このへんから、おっさんランナーのたわごとを・・・
私が選ぶ北京オリンピック女子マラソン代表。
?福士・・・北京で、もう一回飛び出してほしい。 金メダル!
?渋井・・・あの強烈なキャラは捨てがたい。帰ってきてくれー。 銀メダル!
?高橋・・・今なら執念復活してるかも。 銅メダル!
(補)坂本・・・個人的に好きなだけ。でも、選べば入賞しそう。
私が予想するオリンピック女子マラソン結果。(現時点で)
野口・・・2位か3位。優勝したら、こわい。
土佐・・・いつも通りの入賞。
中村・・・入賞圏外。 (ごめんね)
森本・・・中村の代わりに出したってほいなあ。
さて、結果は夏のお楽み。
(注) 写真は、中日新聞HPから取らせていただきました。
◎後日気づいたこと。
「名古屋」14位に、平良茜さんの名が。2時間33分12秒。たぶん、初マラソンであったと思う。
彼女は、2000年高校女子駅伝沖縄代表・豊見城南高校出身。1区を走ったエースである。そして、その時2区を走ったのが、入波平先生。(入波平先生については、1月7日の記事参照)
お二人とも福岡大学に進学され、その後、平良茜さんはOKIからパナソニックへと競技者の道に進み、入波平みさ乃さんは教師になり鳩間の運動会で私と対決!?
平良茜さんは、大学時代、うちの通販を利用していただいていた。
昨年は、北京オリンピック標準記録Bを突破(10000m・32.18.28)。
これからも、応援していきたい。
(ちなみに、2000年高校女子駅伝は、阪田直子を擁する立命館宇治が優勝。)
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2008年01月27日(日)
2008大阪国際女子マラソン [マラソン評論]
家に帰って、「大阪国際女子マラソン」のビデオを最初から見た。
昨日、ヨメさんと予想した。
「福士、どう思う?」
「わっからんなあ。」
「まあ、ボクとしては、バーンと飛び出してくれたら、後はもうええわ。日本のイカンガーになってほしいな。(あの、前に人がいたらかなんって言ってたランナー)」
「まあ、新しい方法で挑戦しやはんにゃから、応援しょ。まだ、若いんやもん。」
初めは、私の思い通り。
しかし、最後のほうの福士は、なんとも言えん状態だった。もし、私に言わせてくれるなら、「なんでもええし、なんか食わしたってくれー。」
テレビでは脱水症状と言っていたが、私たち市民ランナーには、「ガス欠」のほうがわかりやすいと思う。走るエネルギーに変える物が、からっぽになった状態である。
記録をねらった一般市民ランナー(ほとんど男性)は、調子のいい時に、必ず一度や二度経験したことがあるはずである。(私は、5回ほどあります。多すぎ?)
「もう、走れへん。歩くのも、いや。」
ところが、そこでおにぎりとかパンを食べたら、急に回復して走れるようになる。
私の場合、一番ひどかったのは、新婚旅行の時に出た北海道帯広での自転車レースである。
ガス欠で体が動かなくなり、とうもろこし畑の前で、ずっと悩んでいた。(このとうもろこし取ったらどろぼうさんやけど、あのヒゲは取って食べてもおこられへんかな。) 本気で、真剣に悩み、そのヒゲを凝視していた。体はかたまっていたと思う。(異様な光景!)
そうしているうちに収容車が来て、私はヒゲ泥棒にならずにすんだ。
また、30kmレースで1時間57分台を出した次の30kmレースで、とばしにとばした時は、27kmすぎで目の前が夕方の明るさになった。河川敷だったので、自分で草むらに倒れこんだ。気持ちよかった。
夢ごこちの時、主催者である武庫川ランナーズの大道さんが、ぶどう糖のアンプルを持って走ってきてくださった。倒れている私を見た他のランナーが、本部に報告してくれたらしい。(めんぼくない。)
ほかにも何回かあるが、どの時も、食べ物を食べたらケロリと元気になった。
そんなことを考えていると、一週間前の松山健治さんの話を思い出した。
「京都シティハーフの思い出」 −−松山健治さんの話・(京都走ろう会新年会にて)ーー
京都シティハーフは3回走ったんやけど、最後に走ったのが、もう15年くらい前になるのかなあ。
その時はめちゃくちゃ調子よくて、自己新が出そうなペースで18kmくらいまでぐんぐんとばして、そら気持ちよかった。
ところが、後ちょっとと言う所で急に走れんようになって、立ち止まってしもた。お腹がペコペコになって意識もちょっともうろうとしかけた時に、コース沿いにパン屋さんを見つけてなあ。こら助かったと思って、お店に入ったんや。
「ゴールしたら必ずお金を払いに来ますので、パンをわけてもらえませんやろか。」
「それしたら、みんなにせなあかんことになりますので・・・。」
まあ、お店の人の言わはることもようわかる。
そこで途方にくれてたら、先にゴールしてた知り合いが歩いて帰って来るのが見えて、
「ちょっとお金貸してもらえへん? 何か食べんと、もう走れへんねん。」ってゆうたんや。
ほな、気よう千円かしてくれて、それでパン買うて食べたら生き返ったわ。
食べてる途中、ヨメさんが、「何してんのん?」って言いながら抜いて行きよる。ほんま、冷たいやっちゃ。
そこでまだ食べ続けてたら、別のランナーがパン屋さん入っていって、おんなじことを・・・。
ランナー「ゴールしたら必ず・・・」
お店の人「それしたら・・・」
それ見てて気の毒になって、さっきのおつり残ってるし、そのランナーに「つこて」ゆうて渡して、自分はゴールめざして走って行ったんや。
そしたら、その何日か後に、京都陸協から電話があって。
何かいなーと思ったら、「松山さんからお金を貸してもらってパンを買って、完走できたという人が、お礼を言いたいということで・・・。」
そして、その何日か後、パンの代金とお礼の手紙が送ってこられてねえ。
みんなエネルギー切れたら、あんなもんなんやねえ。ええ経験になりましたわ。
◎後日、松山さんに電話。
「あのガス欠、男の人はたいてい経験してはりますよねえ。うちのヨメさん、なんぼ説明してもわかってくれへんのですけど・・・。」
「そうやね。女の人は少ないやろね。それにしても、福士さん、あの状態で、よう最後まで行ったなあ。それが、びっくりやったなあ。」
「ほんま、われわれでは考えられませんよね。あんななったら、何か食べんとね。」
私は、もうひとつ、後になって気づいたことがある。
テレビ放送の終わる前5分ほど、途切れることなく、福士がずっと映っていた。そして、放送終了ぎりぎりにゴール。福士は、この間、だれにも抜かれなかったのである。一人で、画面を独占していた。
あれで、いままで福士のことをよく知らなかった人の頭の中に、強烈な印象として残ったはずである。
今回のレースは、当然、評価の分かれるところであると思うが、あの最後の5分間は、いろんな意味で奇跡に近い。
私の義理の兄、恵藤さんの感想。
「福士、すごかったなあ。フルマラソンって、あんな超一流の選手でもあんなことになんにゃなあ。こうじおっさん(私のこと)、ようそんなもん何回も完走しとるなあ。ほんま、感心するわ。」
(こんな考え方もあるんですね。私と福士をくらべるのは、あまりにも失礼だと思いますが・・・。)
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