2008年01月07日(月)
宮良美代子校長先生 [沖縄・学校]
お昼、私の携帯に電話あり。
「お仕事中にすみません。藤井さんでしょうか? 石垣・平久保小学校の宮良です。」
「わー、先生、お久しぶりです。」
「年賀状をいただたのに、お礼が遅くなってしまって・・・。実は昨年、私の父が亡くなりまして、年賀状が出せなかったんです。」
「そうなんですか。わざわざすみません。先生とこの学校のことは、新聞の記事で読みました。インターネットで見られるんですけど・・・。<人権の花>をみんなで植えたって。」
「ええ、そうなんですよ。人数は少ないけど、いろんな事やってますよ。今も花は少し咲いてますが、春になるといっぱいになるんですよ。
年賀状にも書いてありましたけど、2月に西表に来られるんですね。もし時間があれば、ぜひ石垣にも寄ってくださいね。こちらは暖かいですよ。今日も20度かな。ずっと雨ばっかりなんですけど。」
「スケジュールがどうなるかまだはっきり決まってないんですけど、行ってみたいです。
ほんとうに、わざわざご連絡していただいて、ありがとうございました。」
2006年6月、西表島の北にある鳩間島の小中学校の運動会に参加(ヨメさんと娘と3人で)。その学校は、当時うちの子どもらが通っていた学校と似たところがたくさんありそうだった。(過疎化による学校存続の問題など) そのころ学校がおもしろくなく少し元気がなくなっていた娘に、いろいろな世界を見せてやりたくて、日本の西の端まで行くことにした。
そこの運動会には「1000m走」があり、娘にいいとこ見せたくて参加。しかし、鳩間中の3年男子と若い女性に負け、3位だった。( この二人は、35度くらいの炎天下を3分台でぶっとばした。あの弾丸のような女の人は誰?)
ちょっとくやしくて話しかけてみると、彼女は西表島西部の陸の孤島と呼ばれる船浮の小中学校の先生だった。(だいぶ後でわかったことだが、その先生は2000年高校駅伝沖縄代表選手だつた。どうりで・・・)
「うちの学校の運動会にも、ぜひ来てください。」
その言葉をきっかけに船浮小中に電話してみると、校長先生が出られた。初めて電話したちょっとあやしい(?)私に対して、すごくていねいに対応してくださり、まよわず10月の運動会に行くことにした。
うちの娘も、父よりはるかに足の速い女の先生に感動して、「あんな元気な先生が、うちの学校にいたらなあ。」とあこがれの目で見ていた。
10月、当時小6の娘と二人、小中合わせて5名の船浮の運動会に参加させてもらつた。6月に顔見知りになった鳩間の古我知先生や生徒も参加しており、少し話すことが出来た。船浮の校長先生や例の足の速い先生(入波平先生)ともお話が出来て、ほんとうに楽しい運動会だった。近隣の子どもたちや親の友情出演(?)、先生方のてきぱきとした動き、その中に入れてもらった自分たちも心から楽しんだ。子ども・先生・地域の心がひとつになっているのが実感できた。
運動会の閉会式の校長先生のあいさつの中で、私たち親子のことも紹介してくださり、最後に上原港でお別れする時にはご自分のアクセサリーを取って娘にくださった。(そのまがたま型のアクセサリーは、今も娘の携帯についています。)
「こんな先生が、うちの学校にいてくれはったら・・・」
こんどは私がそう思ってしまいました。
もし2月にお会いできたら、1年4か月ぶり。すてきな笑顔が健在でありますように・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=11