パオパオだより

2019年08月07日(水)

せめて8月6日から9日までは静かに [平和]

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◎毎日新聞8月6日夕刊・eye

   長崎 闘い続ける被爆者   
           3発目は 許さない

 1945年8月9日午前11時2分、米軍機B29「ボックスカー」は搭載したプルトニウム239原子爆弾を、長崎市松山町の地上500メートルで爆発させた。推定3000度の熱線と秒速300メートルの爆風は、人類史上2発目の原爆として爆心地を地獄の炎に包み込み、一瞬にして炭のように焼き尽くした。被爆は爆心地から半径12キロにも及び、建物の燃焼や崩壊、死傷者の続出、黒い雨や灰の降下などに襲われた。約7万人が死亡し、約7万人が負傷し、人々のほぼ全員が被爆者となった。

 そこにいた誰もが惨状を体験し、親しい人が苦しみながら旅立つのを目にしてきた。次は自分かもしれないという恐れにさいなまれ続けた365日×74年の日々だったろう。

 重い記憶と命のはかなさを身に突き付けられながらも、人々は明日に向かって足を踏み出し、ほほえみををたたえながら生きてきた。笑顔の向こうで居座る「ああ、この体の中にはまだ原爆が残っている……」という深い悲しみと不安、そして憤りを思うと、現代史の一コマとして片づけることはできない。

 戦争がもたらした負の遺産に苦しめられながら、同じ時代に生きている一人一人と真摯に向き合いね「3発目は絶対に許せない」と口々に訴える意味を、私たち自身の問題として考えたい。
                       大石芳野(写真家)
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 今日、三流政治家と芸能人の結婚発表があった。
 「この時期の発表になったのはどうして?」という質問に対して、「8月6日は広島原爆の日で、8月9日は長崎の慰霊の日です。その日にぶつけないようにと思い・・・」。
 それを言うなら、「せめて8月6日から9日は静かに祈りたいと思い・・・」にしてほしかった。結婚発表は、そのあとの8月10日で何の問題もなかったと思いますが。

 昨日言ってた「広島〜長崎平和ラン」は、今も続けられているようです。4日で450km以上を一人で走るのは私は無理だが、リレー形式でもやっておられるようなので、私も死ぬまでにいっぺんは参加せなあかんね。

 心静かに平和を祈るか、走って走って平和を祈るか。
 そのどちらかであってほしいなあ。
 もちろん、私なら後者ですが・・・。

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【今日のきく】

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 今日は、ヨメさんが地蔵盆の買い物で車を使いたいと言ってきた。
 私は水曜は17時間バイト。朝6時過ぎに着き、夜11時過ぎまで帰れない。この時間にバスはない。ということで、行きも帰りもヨメさんが送迎。重役みたい。

 帰ってすぐ、きくのお散歩。
 2人引きで行ったので、しっぽピーンの大喜び。
 喜びすぎて、首輪がスポッと抜けてしまいましたわー。

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2019年05月23日(木)

戦争忌避の力 [平和]

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◎京都新聞5月23日朝刊・凡語

 今は亡き作家、野坂昭如さんの「戦争童話集」に「凧(たこ)になったお母さん」という話がある。アニメになり教科書にも載ったから、ご存じの方もおられよう▼空襲で火の海となった町を逃げる母と幼い男の子。母は炎からわが子を守るため、水の代わりに自分の汗を、涙を、母乳を、最後は噴き出る血を塗ってやる。やがて力尽きて干物のようになった母は凧のように空に吸われ、見えなくなる。そして母の帰りを待ち続けた子もやせ衰え、終戦の日に後を追うように空へ消えていく▼そんな悲しい話だ。野坂さんは実体験から「戦争で最もひどい目に遭うのは子供たちだ」と書いている。名作「火垂るの墓」の通奏低音になっているものでもある▼戦争だけは二度としてはならない。その思いは、丸山穂高衆院議員(35)から北方領土を戦争で取り返すのは賛成か反対かと問われ、「戦争なんて言葉は使いたくない」と答えた元島民も同じだったに違いない▼90歳近い古老の言葉の背後にある戦争体験を、丸山氏は一度でも考えたことがあるのだろうか。国会議員の大半が戦後生まれとなり、歴史に学ばず、戦争を忌避する力が政治の場で薄れていくのを恐れる▼不戦の砦(とりで)となるべき国会は、丸山氏の言動にどう決着をつけるのか。言論の府の意思も問われている。
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 「歴史に学ばず、戦争を忌避する力が政治の場で薄れていく」のは絶対にあかん。
 東大出のアホぼんに対して、古老の元島民の毅然とした態度が頼もしかった。

 私も何の役にも立たない人間だが、微々たるものでも戦争を忌避する力にはなりたいと思う。その一つが「平和・憲法九条」ののぼりを背負ったアピールランだ。ほんまに微々たるもんですけど・・・。

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【今日のきく】

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 昨日の昼過ぎから頭が痛くなり、今日は寮1の管理代行のバイト中も痛いまま。頭痛の薬を飲んだが、まったく効かず。

 でも、家に帰ってきくのお散歩に行き、おふろにゆっくり入り、ヨメさんにマッサージ(指圧?)をしてもらったらだいぶ楽になった。
 持つべきものは、かわいい犬とかわいいヨメ。(ってか?)

 シューズが、よう反射しててよろしいでっしゃろ。
 夜はこういうシューズに限るねえ。

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2019年01月25日(金)

政治的? [平和]

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ローラInstagramより

◎Wezzy2018.12.27

■ローラの“政治的発言”に非難轟々、「CMタレントは発言するな」というバッシングの異常性

 モデルのローラが沖縄県名護市・辺野古の埋め立て問題に言及したことが、芸能界で賛否両論を呼んでいる。いや、どちらかといえば「否」が多い。ローラはかねてより社会問題について発言を繰り返してきたが、そのたびに批判の的となっているような状況だ。
 12月18日、ローラはインスタを更新し、
< We the peope Okinawa で検索してみて。美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの。名前とアドレスを登録するだけでできちゃうから、ホワイトハウスにこの声を届けよう >
と投稿。フォロワー520万人を誇るインスタでは、約2日間で4万人を超える署名が集まったという。
 これを受け、23日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)では、ローラの“政治的発言”に対してコメンテーターたちが否定的な意見を述べた。デーブ・スペクターは、「ローラは好きですよ、昔から」としながらも、「どこに住んでいるのか分からない、何になりたいか分からない。(ローラの)仕事は今結局、全部CMタレントなんですよ。果たして、リスクの高い発言はすべきかどうか」「ローラの立場を考えると必然性を感じない」と批判をまくしたてた。そのうえでデーブは、「事務所やスポンサーに配慮すべき」という趣旨での苦言を呈した。
 他方、テリー伊藤は「この程度の発言でコマーシャルをおろす会社ってなんなの?」と反論。「辺野古の問題に関して発言したことが、勇気がある」と、ローラを支持する姿勢を見せた。

 しかし、西川史子は「そんな勇気いらない」とばっさり。「芸能人だろうが誰だろうが発言するのは自由」としながらも、「沖縄の問題って環境問題だけではないですから。普天間どうするの、これからどうするのってそこまで考えて言ってるんならいいですけど」「勉強してからちゃんと言うべき」と、終始険しい表情だ。
 また、堀江貴文は「政治的な発言をするのはいいと思うんですよ。でも、言った以上は責任を持ちましょうね。批判を浴びるのも覚悟したほうがいい」「あの発言をすることによって絶対あの問題は膠着する。(僕は)それがベストとは思わない」と主張した。
 一方、藤田ニコルは「私だったら、国際問題をツイートするときはマネージャーさんに確認するのかな」としながらも、「ローラさんのつぶやきがきっかけで知れる問題はめちゃくちゃあります」と、ローラの意識の高さに感謝を示していた。

■ローラの政治的発言、ネットでは「ファッションリベラル」「セレブぶるな」

 同番組では、タレントが“政治的発言”をするのは是か非か?――――という問題をめぐって激論が繰り広げられていたが、このテーマは同業者の関心を買ったようだ。
 25日、高須クリニックの高須克弥院長がツイッターを更新。ローラの発言について『サンジャポ』での一幕を含めて言及し、<テリーさんのおっしゃる通りスポンサーの自由です。僕なら降ろします>とツイートした。これに対し、ウーマンラッシュアワーの村本大輔は、<ローラの件。スポンサーの頭が高い。稼がせてやってんだから対等だろ。おれにスポンサーは誰もついてないけど。。>と反発。こちらは例のごとく、炎上している。
 一方で、ネットでの一般人の反応はというと、ローラの行動を支持する声もあるものの、批判的な意見も多い。たとえば「スポンサー様に喧嘩売っちゃったね」「もうローラに仕事はないでしょ」と、なぜか業界人の理論に同調する意見のほか、「おバカキャラなのに余計なことに口出すからこうなった」「もうCM以外で見ないしな〜このまま干されるかもね」「ファッションリベラル」などと、揶揄する声もあがっている。芸能人が政治的な“意識高い発言”をするのが気に食わない……というのが、大方の意見なのだろうか。とくにローラはバラエティ番組で人気を博したキャラクターゆえなのか、「セレブぶるな」との反感も買っている。
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◎朝日新聞1月9日朝刊・「沖縄を考える」 土砂投入

   「袋だたき」気にせず発言続ける
                    音楽家 坂本龍一さん(66)

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(クリックで拡大)

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◎朝日新聞1月19日朝刊・「沖縄」を考える 土砂投入

   意見を嘲笑する社会 異常
               ライター 武田砂鉄さん(36)

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(クックで拡大)

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 モデルでタレントのローラさんが、12月18日にインスタグラムで沖縄の辺野古基地埋め立て工事中止の嘆願書への署名を呼び掛けました。この「沖縄のきれいな海を守ろう」というローラさんの呼びかけが、なぜか「政治的発言」とバッシングされることになりました。

 どこが「政治的」なんか、さっばり分からんかったんやけど・・・。
 辺野古基地埋め立て工事中止の嘆願は、日本政府の方針に反することやから?
 えっ? タレントって、政府の方針に全部へーこらせなあかんわけ?
 へーこら、へーこら。

 私にとって「政治的発言」とは、選挙の時に「○○党の△△さんをよろしくお願いします」ということやと思ってた。一般人の感覚って、そんなもんちゃうん(だれが、チンパンジーやねん)。

 ローラの発言(発言でもない、インスタの書き込み)に、いちゃもん付けるヤツはだれ。

 でも、ここであることを思い出した。
 「ボクの平和アピールランは、ただ走りたいだけで、政治的な意味はほとんどありません」とある人に言ったことがあった。
 すると、その人から「何を言ってるんですか。あなたが今、息をしていることも政治的なんです」とたしなめられた。
 私はあっけにとられて、返す言葉もなかった。
 そうか、息をしている(生きている)だけで、それは政治的なんか。
 私のことを勝手に左翼と勘違いして、いちゃもん付けてくるあほたんネトウヨのゆうことも一理あるんかねえ。

 ネトウヨもあほやけど、何やかやとこじつけて走ってる私もそうとうなあほやねえ。

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2018年06月27日(水)

りゅうちぇる、しっかり [平和]

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◎朝日新聞6月21日夕刊

   今も正午に「うーとーとー」
           りゅうちぇるさん 23日 沖縄慰霊の日

 太平洋戦争で激しい地上戦が展開された沖縄で、旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる23日の「慰霊の日」が近づいてきた。沖縄出身のタレントりゅうちぇるさん(22)にとっては、今も特別な日だ。自身のルーツや体験も踏まえた思いとは。

 高校卒業まで沖縄で育ちました。沖縄では若い子もおじい、おばあから戦争当時の話をよく聞きます。10代だった僕の父方のおばあは「アメリカに捕まるくらいなら、爆弾で死のう」と言って集団自決しようとする群れから、1人だけ逃げて生き残ったそうです。

 今も米軍基地があるから、戦争を身近に感じます。宜野湾市にあった自宅前には普天間飛行場があり、ヘリコプターや飛行機が爆音を響かせて飛行するのは当たり前の光景でした。

 危険と隣り合わせだと感じたのは、2004年に米軍ヘリが沖縄国際大(同市)に墜落した時です。僕は当時小学校3年生。友だちと本屋を出て、タコライス屋に入ろうとした時でした。ヘリが上空で旋回するのを眺めていたら、急に止まって、垂直に落ちたのです。その光景は忘れられません。

 会ったことはありませんが、僕の祖父は戦争中に日本に来た米兵です。戦後沖縄でおばあと出会い、父が生まれました。離婚して米国に帰国したそうですが、おばあは「戦争は人を変えてしまう。皆が皆悪い人じゃないし、皆が皆いい人でもない」と、米兵や祖父を悪く言いませんでした。

 米兵が問題を起こすと「出ていけ」という人もいますが、米兵皆が悪いわけじゃないと思う。だけど、戦争で傷ついている人もいるから「出ていけ」という気持ちもわかります。

 慰霊の日は、沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考える一日です。14年に上京してからも、慰霊の日は忘れてはいけないと思い、3年前、ツイッターに「慰霊の日、平和を願い『うーとーとー』をします」と投稿しました。沖縄の言葉で「手を合わせて祈る」という意味です。今も慰霊の日の正午には「うーとーとー」します。

 沖縄には悲しみにもまれた歴史があるけれど、ポジティブに明日へ向かう力があります。もっと沖縄のことを知ってほしいから、SNSでずっと発信し続けたいと思っています。(聞き手・逸見那由子)

◇りゅうちぇる 1995年生まれ。読者モデルの傍ら、テレビのバラエティー番組などに出演。2月には歌手デビューした。読者モデルぺこさん(22)と2016年末に結婚。2月にぺこさんの妊娠を発表した。
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エイサーの練習をする小学校低学年の頃のりゅうちぇる

 6月8日以来の朝日・日経チェック。
 約3週間ぶりの新聞チェックだったので、かなり時間がかかった。「どこまで新聞好きやねん!」と言われそう。

 だいぶ切り抜きさせてもらったが、その中の秀逸はりゅうちぇるの「沖縄慰霊の日」に関する記事。

 「慰霊の日は、沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考える一日です。」

 私は沖縄県人ではないけれど、せめてこの日くらいは「沖縄のことをめちゃくちゃ熱心に考えよう」と思って、沖縄の炎天下を「平和・憲法九条」ののぼりとともに10時間以上走っています。

 真樹の一つ下のりゅうちぇる、しっかりね!
 これからもいっしょにがんばろうね。

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2017年05月03日(水)

5月3日は [平和]

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 今日5月3日は憲法記念日。施行70年だそうだ。(うちのねえちゃんの一つ上かー。)

 私にとっての5月3日は、6年前までは「普通の車イスランナー・下山さんに金沢で会える日」だった。
 3年前からは、走友・松村夫妻の結婚記念日。
 そして去年からは、「ユリカモメウルトラ70km」への出張販売日となった。
 ほんとうなら今年も武庫川河川敷に行かせてもらう予定でいたのだが、なんせ首がこれなもんで・・・。

 病室には時計もカレンダーもない。毎日単調なくり返しで、頭もボーっとしている。今日が何日で何曜日でとかはだんだん分からなくなくる。
 上の写真は、朝食のお盆にのせられていたもの。
 「そうそう、今日は5月3日、憲法記念日やった。ブログもちょっとは真面目なこと書かんとなあ・・・。」

 以前私のブログのファンとおっしゃる女性が、「おもしろそうなところはじっくり読みますけど、難しそうなところはスルーします」と言っておられた。正直やわ。
 ただ、「難しそうな」ことなんか書いた覚えがない。たぶんこれは「おもしろそうじゃないところ」というのを、私に気を使ってそう言われたのだろう。

 思い当たるのは、「時事」とか「平和」とか「沖縄」のカテゴリーとして書いた記事。一から問題提議する力もないので、たいていは新聞記事をコピーして、その感想ぽいことをちょこっと付け加えているような記事。たしかに「おもしろそうじゃない」。それどころか、「この新聞記事を読め」みたいな上から目線が感じられ不愉快なんでしょうね。

 何日か前から、やっと新聞を読んでいても頭が痛くならないようになった。たまっていた分も全部読めて、気になる記事もいくつか切り抜いた。
 でも今日は、記事のコピーはやめ、できるだけ自分の言葉で書いて行こうと思う。
 幸い(?)、時間はいくらでもある。
 だから、「スルー」と言わず、この先も読んでくださいね。

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 入院した26日の一番のニュースは、「今村復興相辞任」。袋叩き状態だった。
 でも、その時にパッとひらめいたのが「私もあなたも第2の今村さんちゃうの?」ということ。さすがに「東北でよかった」とまでは言わんやろうけど、「京都じゃなくてよかった」と思う自分がいる。それは、「阪神・淡路大震災」の時も同じ。心の中で思っていても、絶対に口に出してゆうたらあかんこと。
 前回の「自己責任、裁判せよ」発言は、そんなこと本気で思ってる人はおらんでー、興奮しすぎたなということで案外大目に見られたのかもしれない。それに比べて今回の発言は、「あかんあかん、それは首相も閣僚もみんな思ってることやがなー」という感じで大あわてで口封じに走られたように思う。

 この発言のあと、これを逆手にとって「東北でよかった」がハッシュタグになり、東北自慢する投稿が相次いでいるそうだ。負けてへんね。腐ってへんね。
 去年の沖縄での「土人発言」を逆手にとって「つちんちゅ」という投稿が相次いだことを思い出した。「つちんちゅトートバッグ」まで販売されているそうな。
 自分が一番と勘違いしている権力者やその手下が、上から押さえつけようとしてもそう簡単にはひるまない。「拳を振り上げるだけではない反基地運動」とはよく言ったものだ。楽しさがなければ続けていけんもんね。

 この先自分が福島や沖縄に対してどんなことができるか分からないが、基本は「自分が楽しく」また「他人を不快にしない」こと。今まで一度も行ったことのない福島に、生きているうちに一度は行きたい。

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 ずっとずっと気になっていたこと。
 それは、昨年4月28日に沖縄県うるま市の女性(当時20歳)が元米海兵隊員に殺害された事件。
 その女性は現在真樹が住んでいる名護市の出身で、真樹の1歳下だった。当時真樹はバイト先までトレーニングのつもりで歩いて行っていたが、この事件のあとは車に切り替えた。被害者の女性がウォーキング中に連れ去られたから。

 「被害者は私だったもしれない」というのは、うちの娘も同じこと。沖縄の持つ独特の空気が大好きで、ずっと沖縄に住みたいと言っている真樹だが、そこには「米軍基地」という大きな壁があることを忘れてはならない。

 殺害から1年、新聞には当然その関連記事があるものと思っていた。しかし、京都新聞はまったくなし。
 毎日新聞は4月29日、「地位協定 抜本的改定を 特権が犯罪生む」というタイトルで記事になっていた。その最後にはこう書かれていた。
     ◇     ◇     ◇
 小学校時代に同じクラスだった名護市の主婦(22)は「身近に事件が起きて米軍を見ると怖いと思うようになった」と話す。
     ◇     ◇     ◇
 この事件も、沖縄以外の人たちにとっては最初の「東北でよかった」という発想に近いのかもしれない。ただ地震からくる被害と米軍基地に関連する被害とを一緒くたにしてほしくない。「罪を犯しても逃げればいい」という日米地位協定を改定し、沖縄に集中しすぎている米軍基地を閉鎖・移転して行かない限り、こういった事件は減少しない。

 毎年6月23日「沖縄慰霊の日」に行っている「一人沖縄平和ラン」。それまでは西海岸経由で那覇〜名護間を走ったが、去年はこの事件を受けてうるま市経由にコース変更した。それが、私にできるせめてもの弔いです。
 今年もうるま市経由で実施する予定。それまでに炎天下をしっかり走れる体を作らねば。病気からの復活も、しっかりとした具体的な目標あってこそ。そう肝に銘じて精進して行こう。

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 さてさて、日本国憲法。
 4月29日実施の、共同通信社による世論調査の結果は上の通り。

 めっちゃ分裂してますね。
 「憲法は変えた方がいいけど、9条のおかげで戦争に加担しなかったし・・・、でも9条も変えてもいいか・・・。」
 なに考えとんねん!
 いやいや、なにも考えてへん結果がこれか。

 ここから私独自の分析。
 最近マラソンブームが下火になってきているそうだ。東京マラソンの競争率が、毎年10倍を超えているというのにね。
 以前のマラソンブームは、健康志向から入ってきたものが多かったらしい。26歳から35年以上走りづけている私も、広い意味ではその中に入る。
 ところが最近マラソンを目指す人は、人生の中の一つのイベントとしてとらえている人が多いらしい。だから、東京マラソンのような派手なシティフルマラソンが一度完走できれば、それで満足してしまいマラソンから遠ざかる人も多いらしい。

 「憲法改正」もこれと同じような気がする。
 「憲法改正」は、だれかの人生の一つのイベントに過ぎない。中身はどうでもよく、「変えることに意味がある」と思っているように思えてしょうがない。そしてそれが実現できたとして、そのあとのことにはまったく興味がなくなる。
 私にとってはそれは、「フルマラソンを完走してみたかった」と同じではなく、「一度人を殺してみたかった」というのと同じように思える。
 だいたい「憲法改正」という言葉自体がおかしい。現憲法に支障があり、とてもこの先を生きていけないと思っている人ならまだしも、私にとっては「憲法改悪」、まあその中間を取って「憲法改変」と表現するのが公平な見方だと思いますが。

 いやいやいや・・・、それよりももっと根本的なことを忘れていた。
 憲法改正を問う前に、日本国憲法への理解がどれほどあるのか。
 かく言う私も、5年ほど前までは「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の三大原則しか知らなかった。まあこれくらいの知識で十分という考え方もあるが、「ほんなら、どこをどう変えたいねん?」と問われて答えられますか。

 「憲法改正」の前にまず「浸透」。

 私の妙案、「憲法検定試験」ってどうです。
1級から5級まで作って、憲法順守義務(第99条)がある「天皇・摂政、国務大臣・国会議員・裁判官その他の公務員」は1級試験落ちたら免職とか(天皇が免職?)。一般国民はそこまで縛られていないが、5級も取れへん者は国民投票権はく奪とか。いやいやいや、これは問題やな。
 各級合格者には、今はやりのふるさと納税「返礼品」みたいなんを送るとか。そんなんしたらがんばる人続出やでー。
 これで憲法の国民的理解を経てからの国民投票でいいような気がするんですが・・・。

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2015年11月12日(木)

沖縄側の不快感 [平和]

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霊域に林立する各県の慰霊碑=沖縄県糸満市の平和祈念公園で

◎毎日新聞11月10日朝刊

   「論争」の戦後70年 第18回 [沖縄戦 記録と記憶]
          戦禍 追体験どこまで

◇個人が生きた証し、とどめる戦跡も

 沖縄本島南部、糸満市の摩文仁(まぶに)の丘は沖縄戦終焉(しゅうえん)の地といわれる。一帯は平和祈念公園として整備され、多くの戦没者慰霊碑が建てられてきた。バスで10分ほどのひめゆりの塔と並び、修学旅行生らも多い。

 慰霊碑が多いのは、それだけ戦火が激烈だったということだ。だが、別の理由もある。園内の霊域に、県ごとの碑が建てられているのだ。摩文仁に32基。他の地も合わせると、当の沖縄以外、全国46都道府県別の慰霊碑が沖縄県にある。

 奇異なことに、沖縄戦以外の戦没者も祭られている。ある県の場合、「合祀(ごうし)者数40409柱、沖縄戦戦没者1607柱、南方諸地域戦没者38802柱」と説明され、沖縄以外での戦没者が圧倒的に多い。他の碑も同様で、フィリピンとかニューギニアとか、南方の激戦地を示す方位盤を設置した県もある。

 碑の多くは1960年代に建てられた。しかし、最近刊行された福間良明・立命館大教授(歴史社会学)の「『戦跡』の戦後史」によれば、60年代末、摩文仁の各県碑に対し、沖縄側の不快感が噴出する。華美を競うかのように慰霊碑が林立し、本土から半ば観光気分の慰霊団がやってくる。そのことに反発する議論や論調。沖縄戦の象徴の地、摩文仁の丘に、現地の沖縄からはあまり歓迎されない一角が生まれてしまったのである。では、現在はどうか。

 「非常に違和感を覚えますよ」。沖縄県立博物館元館長で歴史家の大城将保(まさやす)さんが憤る。住民の戦場体験を聞き取り調査し、沖縄県史にまとめた中心人物である。

 沖縄戦の慰霊の原点は「魂魄(こんぱく)之塔」だと、大城さんが話す。沖縄の戦後処理は、遺骨の収容と不発弾の片付けで始まったという。そうしないと、農作業もできなかった。その時、住民の手で最初に建てられたのが魂魄之塔だ。46年、軍民の別なく米兵も含めて3万5000人の遺骨が納められた。ひめゆりの塔から1キロほど南にある。

 一方、摩文仁の丘の霊域。丘の頂点、見晴らし抜群のところに「黎明(れいめい)之塔」が建つ。沖縄守備隊の牛島満・第32軍司令官と長(ちょう)勇参謀長が自決したガマ(石灰岩の洞窟)の上部に位置し、祭られているのはその2人。各県碑は、この塔に向かう道筋に整然と配置されてきた観がある。

 「慰霊塔銀座なんて呼んでいますが、牛島司令官を中心とした霊域が政府の補助でつくられたわけですよ。階級トップの人を中心に部下たちを1カ所に集め、2人の顕彰にもなっている。沖縄戦を知らない人が、いつのまにか戦跡の中心を魂魄之塔から移したんです。我々に言わせれば、靖国神社の沖縄版ですよ」

 さて、平和祈念公園の中心部には95年、沖縄県によって「平和の礎(いしじ)」がつくられた。国籍も軍民も問わず、沖縄戦で亡くなった人一人ひとりの名前が石碑に刻まれている。その数は24万人を超えている。

 「よく戦争体験に基づく『沖縄の心』と言いますが、それは平和の礎に象徴されています。なんで他県の人まで、牛島司令官まで……という人もいましたが、戦争ほど人類にとって最悪のものはない。その根源的なことを残そうとしたんです」

 構想に深く携わった大城さんはさらに、名前を刻む意味を語った。

 「沖縄では一家全滅の家がものすごく多いんですよ。位牌(いはい)もお墓も遺骨も遺影もない。役所に行っても戸籍は焼けちゃってない。何のなにがしという人がこの世に存在したっていう証明が何もない。これでは、我々は我慢できない。残ったものはたった一つ。名前しかないんです」

 平和の礎を見て回る。懸命の名簿作りにもかかわらず、名前の特定が果たせないでいる人々もいる。糸満市の戦没者、「玉城ヨシエ」さんの名の次に「玉城ヨシエの子」という表記が三つ続いていた。なぜ、こんなことになってしまったのか。誰か、訪れる人はあるのだろうか。3人はどんな子だったのだろう……。

 戦跡の特徴とは何か。「戦跡にこうべを垂れるのは大事ですが、そのこと自体がいろんな思考停止を生んでいるのではないか」と福間さんは指摘する。慰霊碑で言えば、文字数の制約から詳細を語るには限界がある。だから、どんな解釈も可能になり、見る人に都合のよい戦争イメージをつむぎやすいところがあるという。

 かつて各県碑に巡拝した人の中には、私的な追悼の延長で石碑を美しく見せて国の責任を見えなくするあり方への批判や、加害責任に言及する意義深い動きもあったそうだ。しかし、そういうのは例外で、私的な心情に涙することにより、公的な文脈、歴史的な文脈が見えなくなる状況が生まれてきたという。

 摩文仁の各県碑などは、そうした落とし穴にはまりやすいモニュメントかもしれない。沖縄の地にありながら、太平洋戦争全体の慰霊碑にずれていき、沖縄固有の史実と問題は後景に退いていったようだ。

 「戦跡によって何が見えなくなっているのか。なぜ、そういう状況が生まれたのか。そこから議論が始まるのかな」とも福間さんは話した。

 なるほどと思った。思いつつ、今回、大城さんの名前のもつ力の話を聴いたのち魂魄之塔や平和の礎を再訪し、少し別の感覚も覚えた。

 元々、平和祈念公園の場合、モニュメントである平和の礎と、沖縄戦の実態を情理を尽くして詳細に伝える平和祈念資料館がセットでつくられた。ただし、平和の礎だけでも、戦争について人々に直接訴えかける力はただならぬものがある。

 批評家の仲里効(いさお)さんにもこの点を尋ねる。南部の半島一帯の土地自体が発するオーラにひかれ、なんとなく車を走らせたりする人。

 「各県の慰霊塔には、僕も非常に違和感がある」と仲里さんも言い、その対極にあるものとして、くしくも一家全滅の家を挙げた。戦後70年たった今も全滅した家の屋敷跡があり、コンクリートブロックの囲いや香炉だけが残っていたりするのだ。

 「華々しい慰霊の塔にはないものがある。こういうものが、戦争の実態が何であるのかを人々に喚起するのではないか。整理された碑の場合、どうしても制度的な鎮魂になり、生きている人たちの都合が投影される。でも、全滅の屋敷跡やガマの暗闇には、生きている人が投影できないものがまぎれもなくある」

 沖縄の戦跡の力。「モニュメントが建ったくらいで、見えにくくなるものではないかもしれませんよ」と仲里さんは言った。【伊藤和史】
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 ■ノートから

 ◇住民犠牲言及の碑も

 各県の慰霊碑のうち、例外的存在が「京都の塔」だと、大城さんが言う。この塔は摩文仁などの本島南部ではなく、那覇市より北の宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園にある。嘉数高台は沖縄戦の最激戦地で、米軍戦史にも特筆されている。日本軍の主力が京都の部隊だった。2536柱の沖縄戦戦没者が、まさにその地で祭られている。

 「……多くの沖縄住民も運命を倶(とも)にされたことは誠に哀惜に絶へない」と、碑文にある。郷土部隊の勇戦敢闘ぶりが強調されがちな碑にあって、軍人も住民も両方が犠牲になった沖縄戦の実態をごく自然に伝えているという。

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 今日は寮の管理代行。 
 楽しみにしていた朝日新聞がない。新しい寮長寮母さんは新聞を残してくれないようだ。残念!

 代りにうちの毎日新聞から。読み応えのある記事だった。
 「沖縄側の不快感」など、私たちは考えたことがあるだろうか。「靖国神社の沖縄版」って・・・、確かにそう思う。
 とにかく、現地を自分の目で見てみること。それが一番大事なことだと思う。

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