パオパオだより

2018年03月05日(月)

基地より生活? [沖縄]

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◎毎日新聞2月8日朝刊

   激動・名護市長選の先に

          若者 基地より生活

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に反対した現職の稲嶺進さん(72)が敗れた名護市長選から2日後の6日、同市安部(あぶ)の集落では、上空を飛ぶ米軍機の不気味な音が響き渡った。約1年前、集落の浜の浅瀬で米軍垂直離着陸機オスプレイが不時着、大破した。移設先の辺野古沿岸部は集落から遠くない。商店を営む女性(62)は肩を落とした。「この静かな集落が変わってほしくない……」

 市長選では、移設推進の政府・自民に推された新人で元市議の渡具知武豊(とぐちたけとよ)さん(56)が大差で勝った。渡具知さんを支援し、前回も自民系候補を応援した県内企業幹部は勝因をこう言い切った。「若者の反応が4年前より全然いい。暮らしや仕事重視の訴えが浸透し、票を取り込んだ」
 自民側は前回、移設推進を前面に出した結果、敗れた。今回は逆に徹底して移設に触れず、渡具知さんは、若い世代を意識して子育ての支援や地域活性化策を訴えた。街頭に「若者が働きたくなる街に名護を変えよう!」との看板を設置し、無料Wi−Fiの整備、映画館やコーヒーチェーンの誘致を掲げた。
 渡具知さんを支援した嘉陽宗一郎さん(23)=琉球大4年=は1月以降、約30回、同世代を集めたミニ集会を開き、渡具知さんの政策を紹介した。「手応えがあった」。嘉陽さんは辺野古移設に無関心なわけではなく、本音は移設反対の立場。ただ「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」と感じ、「ならば基地問題より、自分の暮らしが大事だ」と語る。
 2期8年にわたって移設問題で政府と対峙(たいじ)してきた稲嶺さんは「オール沖縄」の象徴だが、嘉陽さんらには違う姿に見えた。「反対と言っても工事は止まらなかった。それを見せられた僕ら世代は、『稲嶺さんはもう役目を終えた』と感じた」
 一方で同じ世代でも、稲嶺さんを支援した小波津義嵩(こはつよしたか)さん(22)=名桜大4年=の見方は異なる。小波津さんらは両候補の討論会を企画したが、渡具知さん側から断られた。「周囲は『稲嶺さんに勝ってほしい』との声が多かったのに、その声を広げるための議論の場をつくり出せなかった」と悔やむ。
 移設反対の名護市議、仲村善幸さん(70)は敗戦で学んだ。「対立構図を前面に出し、『反対しましょう』『政府のせいだ』と言っても、若者には価値観の押し付けに映る」。今秋には沖縄最大の政治決戦・知事選が控えている。仲村さんの危機感は強い。「若い世代が自ら行動する形をつくり出さないと、移設反対の運動は浸透しない」(この連載は川上珠実と遠藤孝康が担当しました)

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 今日は、寮2(出町)24時間。
 10日間も入院していたのと、3月は退寮時期ということもあり、イレギュラーな月曜勤務になった。

 2月4日の名護市長選は、予想もしていなかった稲嶺進市長の大差の敗北。テレビや新聞の解説をしっかり見て、自分なりの分析をしようと思っていたのだが、それもその3日後の入院で吹っ飛んでしまった。

 私が書きたかったのは、「名護の死は沖縄の死、いや日本の死である」というタイトルの記事。
 私が若いころの京都は、全都道府県の中で「一番国のいいなりにならない」ところであった。革新知事と革新市長がタッグを組み、国の補助金などに頼らない独自の府政・市政を貫いていた。
 しかしその革新自治体の良さを若者に引き継いでいくのに失敗し、現在はずっと保守系の知事・市長が続いている。それは、めちゃくちゃ単純化して言うと「平和よりお金」が大事な若者が増えたということだと思う。

 しかし、まさかまさかの沖縄までが「基地より生活」って、なに!?

 「国策で移設が進められている以上、ひっくり返すのは難しい」

 難しいから、もうやめておくってこと?
 米軍基地があるがゆえに被害を被っている人々は、他の人の生活のために辛抱しろってこと?
 なに、それ。
 命をかけて守るものが何もないってこと?

 未来永劫続くかもしれない巨大基地を受け入れて、「自分の暮らしが大事だ」って、どんな暮らしのこと?
 わしゃ、この嘉陽氏がなにをゆうとんのかさっぱり分からん。

 真樹に聞いたのだが、嘉陽氏は沖縄で最も有名な大学生らしい。沖縄の大学生や若者には、多大な影響力を持っているということだ。
 私には、議員の秘書になって政界入りを狙っているギラギラした野心家にしか見えん。悪いけど。
 お金を取ってくるのはうまいけど、本当に困っている人々はバッサリ切り捨てるああいう人たちの手下になって行かれるんでしょうかねえ。

 扇動する方もする方やけど、扇動されるほうももっとしっかりせいや!
 沖縄の若者!

 そんなことを思いながら名護市長選の記事を探していると、おもしろいものを見つけた。
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   どこへゆくオキナワンボーイ 歌が聞こえなかった名護市長選

 自慢じゃないけれど、僕は沖縄で聴く歌や音楽が大好きなヤマトゥンチューのひとりだ。沖縄民謡は古典から新作まで呆(あき)れるほど好きだし(大工哲弘、嘉手苅林昌、登川誠仁、古謝美佐子、知名定男、照屋林助、大城美佐子、山里勇吉、喜納昌吉、あ、もちろんこれはただただ思い出した順番に書き出しているだけの順不同ですからね)、沖縄発のロック(伝説の紫やコンディション・グリーン、喜屋武マリーからモンゴル800に至るまで全部含めて)や、フォークソング(佐渡山豊、まよなかしんや)、ポップ(BEGIN、SakishimaMeeting、りんけんバンド、ディアマンテス)とか、歌謡曲(フィンガー5、南沙織から安室奈美恵)、ラップ(Chico Carlitoとか)を知った。

 30年前、僕はコザ(現在の沖縄市)の小さなライブハウスで聴いた歌が心に突き刺さってくるのを感じた。嘉手納基地のお膝元で幼少期から生きてきた知念良吉さんの人生に裏打ちされた歌に魅了された。
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ 
 美しかったものは 泥だらけ
 ああ どこへゆく オキナワンボーイ
 夢まで 用意されていた (知念良吉『どこへゆく オキナワンボーイ』より)
 海洋博後の海洋汚染や石垣空港建設といった出来事が沖縄で語られていた時代のことだ。2018年2月の名護市長選挙の取材で、辺野古の護岸工事がどのような状態になっているのかを海上から船に乗って取材をしていた時だった。この30年以上前につくられた曲が突然僕の頭によみがえってきた。〈美しかったものは 泥だらけ〉
 キャンプシュワブの護岸にはクレーンが林立していて、ショベルカーで土砂が刻々と搬入されていた。その日は悪天候で、護岸工事の作業は規模が縮小されていたのだが、護岸工事の規模自体が去年の6月に海上から取材した際と比べると、とんでもなく拡大していた。沖縄県のいくつかの選挙結果で示された「新基地建設ノー」の民意なんか全く聞く耳をもたないとでも言うかのように、菅義偉官房長官の表現で言えば、「粛々と」工事は進められていたのだった。
 名護市長選挙の結果がどのようになろうとも、新基地建設工事は有無を言わせずに「粛々と」力づくで強行されていたのである。だが、そのあまりにも巨大な新基地建設のプランから考えると、現段階は、まだまだ入り口の入り口に過ぎない。それはまるで、福島第一原発の廃炉作業が、入り口の入り口段階に過ぎないのと似ている。事業主体というものは作業の進捗(しんちょく)状況を誇大に強調したがるものだ。
 もうひとつ、知念良吉さんの歌の〈ああ どこへゆく オキナワンボーイ〉という言葉でイメージに浮かんできたのは、名護市に住んでいる若い有権者たちの選択のことだった。名護市長選挙の勝敗分析で、公明党票約2千票が今回は「稲嶺おろし」に回ったという見方がされたが、もうひとつ重要なことは、4年前の市長選挙では選挙権のなかった18歳、19歳の有権者、1775人(1月27日までの選挙時登録)の投票動向が今回は決定的だったことだ。
 沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。10代の名護市の若者たちにとっては、基地反対運動なんかよりも「名護市にスターバックスが来る」という選択や、「ごみ分別が16種から5種に減る」方が、もっと重要だと判断したんだろうか。たとえば、小泉進次郎議員が遊説スタート地点に選んだ県立名護高校前に集まった君たちも、そのように投票したんだろうか。それはそれでいいや。僕は何にも言いたくない。「国策」である辺野古新基地建設の是非を、若いというか、まだ幼い君らに背負わせている本土の人間である僕らの方に途轍(とてつ)もない責任があるのだから。
 君らは小泉進次郎や三原じゅん子の顔をみられてよかったね。それは羽生結弦選手をみるために成田空港に出迎えに行った若者たちとそんなに変わるものじゃない。けれど、それで名護市のどこがどう変わるんだい? 彼や彼女はもうしばらく名護には来ないぜ。彼ら彼女らは、お呼びがかかればどこにでも行く国会議員の人気者だ。名護だけにいつまでも関わってはいられない。次は石垣市かもしれないし、その次は沖縄市かもしれない。呼ばれればどこにでも行って、耳触りのいいことを言って帰る人たちだ。何てかっこいい人たちなんだろう。君らはそう思ったかもしれない。
 君たちは普段どんな歌を聴いているんだい? 君らがおそらく票を投じたであろう候補者(現市長)の選挙キャンペーンで、多額のお金をかけて作曲された歌を聴いたかい? 〈勝つぞ 渡具知 勝利の男 勝つぞ 渡具知〉何だか軍艦マーチみたいな曲だったよね。君らはでもそうは思わなかったのかもしれない。だって稲嶺進さんの陣営には歌なんかなかった。選挙戦というものは一種の祭りだ。そこに音楽や歌がないなんて君らの感覚では、信じられるかい?
 敬愛する古謝美佐子さんがネーネーズ時代に謳(うた)った名曲に『黄金の花』がある。僕はこの曲が大好きだ。
 素朴で純情な人たちよ 本当の花を咲かせてね
 黄金でこころを捨てないで
 黄金の花は いつか散る  (ネーネーズ『黄金の花』より)
 辺野古の護岸工事の行われていた大浦湾の美しい対岸で、古謝さんにこの歌を歌っていただいたことがある。いつのまにか、僕らは歌を忘れていないだろうか? でね、どうせ歌うならかっこいい魅力的な歌を歌おう。あなたの歌っているその歌は、名護の若者のこころには全くもって響いていなかった。僕はそう思う。(テレビ報道記者・キャスター)

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 名護市長選後、2日目。キャンプ・シュワブ海岸では、新基地建設は着々と進む。「K2」護岸では、砕石を海に投入する作業が続いた=2月6日正午過ぎ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ

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■ 金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。

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 宗教団体の信者が上からの言いなりになるのは、(こわいことではあるが)まだ理解できる。しかし、多種多様な未来に向かってこれから柔軟な頭を作っていかなければならない若者が、「基地より生活」と言われてコロッと行ってしまうって、どうよ。(沖縄タイムス、琉球新報、共同通信が実施した出口調査では、10代の9割が、20代の8割が稲嶺候補「ではない」側に投票していた。)

 せめて見に行けよ、辺野古と高江くらいは。
 人に言われてどうこうじゃなくて、自分の目でしっかり見て判断せえよ。
 いろいろな人間がいるのに、みんなおんなじ考えのはずがないやろう。みんなおんなじが一番こわいちゅうねん。見に行った先でしゃべれよー、いっぱいしゃべれよー。

 米軍基地反対運動に失敗があったとしたら、そこに楽しさを見いだせなくしてしまったからかもしれない。楽しくないと、どんな運動も長続きませんからねえ。

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2018年01月24日(水)

「名護ハーフ」のあと [沖縄]

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 沢真君が撮ってくれた、真樹のゴール写真。
 最後に笑顔でゴールできたら最高。

 「笑顔で走り続けたい」といつも思っているのだが、なかなかうまくはできていない。
 せめて、「ゴールはいつも笑顔で」と思う。

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 これは私が撮った、真樹のゴール写真。
 この笑顔、見習いましょう。

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 マラソンのあとはお腹ペコペコ。
 名護市のお隣の宜野座村(阪神のキャンプで有名)で、食と文化のイベントがあるので行こうと約束していた。しかし、あんまりお腹がすきすぎていて、宜野座まで持たない。
 途中の道の駅・許田によって食べることにした。

 看板の写真を撮っていたら、偶然真樹が写っていた。

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 二人とも「アーサそば」。
 お腹が減っていたので、あっという間に食べ終わった。

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 「第1回 やんばる食×文化イベント やんばるの『食』フェス」

 「きっと、お客さんがパラパラとしかいやはらへんにゃろなあ」と真樹と話していた。ところが着くと、意外な人出。どこへ行っても真樹の知り合いとバッタリ。名護に住んで5年近くになる真樹は、顔が広い。

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 私らの興味は、「食」や「文化」より「犬」ですかね。

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 大きいほうがオスで小さいほうがメス。兄妹らしい。

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 ゆるキャラも登場したが、子どもが少なくて、ちょっと手もちぶたさ。
 「かあちゃんやったら、絶対にいっしよに写真撮っとるな。」

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 売り切れてしまったお店にいたのは、「こたろう・オス・5か月」。
 めちゃくちゃかわいかった。

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 午前中はあんなに暑かったのに、午後は涼しくなってきた。この会場は風がスース―通って寒いくらい。
 そこで、私はコーヒーとホットサンドイッチ。でも、真樹はフロートを注文。わかもんやねえ。

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 「寒い寒い」と言いながらも、ペロッと食べてしまった。
  ここまで出かけてきてよかった。けっこうおもしろかった。

 「今日は晩ごはん作るしな」と真樹。
 トイレのカバーや洗濯物干し用の突っ張り棒も買いたかったので名護の「ドン・キホーテ」へ。
 「ここで食材も買うわ」と。
 「えっ、ドンキに食べもん売ってんの?」
 名護は便利やわ。

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 真樹は、3回の朝ごはんとこの日の晩ごはんを作ってくれた。

 「かあちゃんがな、真樹が引っ越したんは、パオパオが気安く来られんようにやってゆうとったけど、そうなん?」
 「そんなことないでー。ホテルに泊まるお金はもったいないし、いくらでも来ていいでー。」

 ああよかった。前よりは来にくくなってしまったけれど、また泊めてもらおう。

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 今日は寮1(二条)17時間。 
 いつもコーヒーをおごってもらっているお掃除のKさんに、沖縄のおみやげを持って行った。(アメは自分用でそれ以外。)

 「こんなにたくさんもらっていいの。悪いねえ。」
 「いやいや、数が多いだけで、金額は知れてるんです。」

 たいそうなものではなく、こんなお手軽なおみやげがたくさんあるので、こちらも買うのが楽しい。京都のおみやげにも、こんなものがあるといいんですけどね。

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2017年12月20日(水)

ウルトラのあと(12/19) [沖縄]

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 「真樹がな、かあちゃん心配するし、家のことはゆわんといてなって」と私。
 「そんなたいへんなとこやったん?」とヨメさん。
 「まあな・・・。」

 都会が嫌いでいなかが好きなところは私に似たんでしょう。でも、不便な所でも暮らせるのはヨメさんに似たんじゃないでしょうか。
 
 「簡単にゆうとな、キャンプ生活みたいなもん。ボクはな、お風呂がないところにはよう住まん。」
 おっと、もうこれ以上書いたら真樹に叱られる。これ以上は内緒内緒。来年1月の「名護ハーフ」に来る時までに、なんとかしてくれるかなあ。
 

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2017年12月19日(火)

ウルトラのあと(12/18) [沖縄]

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 「あちこち写真を撮って帰ってください。うちの宣伝になりますので」と民宿・芭蕉布の奥さま。でも私はどうしてもネコちゃんのほうに目がいってしまう。

 土曜日には姿を見せてくれなかったモモちゃん。やっと顔を見せてくれた。
 今年の2月、チビの娘としてビビといっしょに生まれた子。こわがりで愛想がないらしいけど、かわいいネコちゃんじゃないですか。

 ネコが好きな人にはたまらない民宿。苦手なお客様には、絶対にネコ部屋(別棟)から出さないとのこと。そのへんは徹底されています。

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 2階の窓から見える景色は抜群。

 「あの橋を渡ったんやなあ・・・。」

 レース前日は、何やかやでけっきょく1時ごろまで寝られなかった。しかしレース後は背中が痛かっただけで、7時間以上ぐっすり寝られた。

 階段を下りるのが大変かもと心配していたが、普通に下りられた。

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 冬じゃなくて、夏にも来たいくらい。
 泳ぐところって、あったかな。

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 「丘の上の立派な建物はホテルですよね。」
 「いえ、あれはauの基地です。」
 「auの基地?」

 au、儲かってますね。

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 朝はトーストとコーヒー。
 しっかり寝られたせいか、バクバク食べることができた。

 荷物の整理に時間がかかり、10時ごろやっと下におりた。
 そこで、ネコちゃんたちのお見送り。

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 チビ、ビビ、モモ(3びきとも耳カット済み)、また来るから元気でね。
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 奥武島の公園にネコがいっぱいいたので、写真を撮りに行った。

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 このネコちゃんは、ビビとモモのお父さん?

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 おとなしくてかわいいネコちゃんばかり。
 堪能しましたわ。
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 さて、このあとは真樹のところへ。
 とは言っても、真樹は夜7時まで仕事なので時間をつぶさなくてはならない。
 いつもなら牧志の桜坂劇場へ映画を見に行くのだが、それには向かいの公園のネコちゃんかまいも含まれている。今日はもう奥武島でネコをいっぱい吸ってきたので、パス。

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 高速で名護まで。軽自動車は810円。
 いつも私を応援してくださっている玉城さんのお勤め先へ。お墓屋さんだと思っていたが、建設会社でした。

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 京菓子の「鼓月」さんの期間限定販売、その名は・・・「京あんも」。
 うちが飼っていたネコのうち、一番長生きしてくれた黒猫「あんも」ちゃん。このお菓子「京あんも」のように黒光りしていました。
 ネコの大好きな玉城さんは、私のブログのあんもの記事も読んでくださった。(「あんも、あんも・・・」2011年5月15日は、いまだに自分の書いた文に泣いてしまう。)玉城さんは、私の応援のときもあんも付きでしてくださっている。ありがたいことです。

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 玉城さんにコーヒーをいただいて、次は「理容・きゃん」さんへ。

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 「理容・きゃん」さんは、真樹のアパートのすぐ近く。
 しかし、真樹は11月末で引っ越してしまった。

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 私が入ると、「尚巴志マラソンでしたっけ?」と。初子オバアはマラソンにくわしいんです。
 「いや、尚巴志は11月です。与那原から糸満市役所往復の100kmマラソン走ってきました。何とかギリギリ制限時間内に完走出来ました。」 
 「それはよかったですね。」

 おっとこまえにしてもらって、次はお昼ごはん。

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 いつもの「きっと屋キッチン」に行くとお休み。
 そういう場合は「我部祖河食堂」へ。

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 ここでは、これ。中味汁定食(700円)。

 そのあと、着替えのTシャツを持ってくるのを忘れたのでサンエーに買いに行った。ウルトラ完走記念Tシャツがなかったので、その代わりのつもりで沖縄らしいのを買った(790円×2枚)。

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 そして、真樹のバイト先「あいあいファーム」へ。

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 直売所に真樹はいた。

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 いつもの笑顔でしっかり働いていた。

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 コーヒーともさもさするお菓子。
 Wifiが使えるので、ここでちょっとブログ書き。

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 真樹の引っ越し先にも行ってきた。
 まあ、たいへんな・・・。(くわしくは書けません。)

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 真樹が仕事から帰ってきて、二人で夕食へ。
 名護のサンエー為又店内にある「和風亭」へ。

 真樹は「漁師丼(1166円)」。

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 私は「ステーキ御膳(1717円)」。

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 デザートに「夫婦ぜんざい(2つで453円)」。

 そのあと、イオンへ。
 真樹が、私の誕生日プレゼントを買ってくれるらしい。

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 これは、私が買った沖縄らしいTシャツ。

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 こちらが、真樹が買ってくれたフリースジャケット。
 変わった柄やから、京都ではだれともかぶらんやろね。
 いいのを買ってくれてありがとう。
 今回は来るときが去年の誕プレのパーカー、帰りはこのフリースということになる。

 このあとは、真樹のつくった梅酒で長い長いゆんたく。
 酔っぱらって、写真撮るのん忘れてしまいましたわ。

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2017年09月08日(金)

「島の人よ」 池田卓  [沖縄]

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   「 島の人よ 」  池田 卓


生まれ島を離れ暮らす 島の人よ
覚えていますか 生まれ島の 祭り唄を

大きな夢を都会に描く 島の人よ
強く育てた あなたの島こそが 夢の島よ

島の人よ またいつの日か 祭り咲かせてみようじゃないか
島の人よ またあの海で サバニこいでみようじゃないか


島を離れ帰らぬ人よ 島の人よ
何処にいますか? 何してますか? お元気ですか?

都会で暮らし 手にしたものも 大切だけど
何々よりも大事にして欲しい 生まれ島を

島の人よ またいつの日か 故郷咲かせてみようじゃないか
島の人よ またあの海で サバニこいでみようじゃないか

島の人よ いついつの日か 祭り咲かせてみようじゃないか
島の人よ いついつまでも 生まれ島を忘れないで

生まれ島を忘れないで・・・

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■池田卓(いけだ すぐる)Suguru Ikeda

池田卓 沖縄県・西表島船浮出身。シンガーソングライター。

1979年5月24日、西表島にある人口41人(2017年8月現在)の船浮[ふなうき]という小さな集落で生まれ育つ。
学年が一人だった為、雨の日は楽器が友達替わり。小学5年生から八重山民謡を習い始める。
19歳の夏、島の芸能祭に参加したのをきっかけに本格的に音楽活動を開始。2000年10月10日、母の誕生日に「島の人よ」でCDデビュー。この曲が天気予報のBGMに起用され脚光を浴びる。2005年には「心色」で全国デビュー。
ベストアルバムや八重山民謡アルバムを含め、これまで11枚のCDを発表。
2007年より、故郷・船浮にて音楽イベント「船浮音祭り」を企画・プロデュース。2008年以降は中東や欧米、アジア地域での海外ライブにも出演、活動の幅をさらに広げている。
2011年、10周年と父の還暦を機に念願の里帰り。実家のふなうき荘やツアーガイド、米や珈琲などを育てながら、船浮を拠点にライブ・祭り・イベントと全国で活動する傍ら、ラジオパーソナリティーや講演活動、執筆、声優、俳優など、多方面で活躍中。

・竹富町観光大使(2014年より)
・東アジア文化交流使(2014年より)

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 昨日は三線教室5回目。
 またまた練習不足で、あせってあせって肩こりこり。
 しかし、その中でも一つすごくうれしいことがあった。

 練習曲として先生が出してこられた曲。
 あの西表島船浮出身の池田卓さんの「島の人よ」。

 11年前の6月、小6の真樹と初めて行った沖縄は「鳩間島」。
 そのときの鳩間小中の運動会に、船浮小中の先生が来られていた。
 運動会のマラソンで、私は船浮小中の入波平みさ乃先生に敗れ第3位(優勝は鳩間中生)。それが悔しくて、その年の10月、船浮小中の運動会にも行くことにした。

 舩浮は西表島の最西端。
 陸続きなのに船でしか行けないところ。
 その船の船長さんが池田卓さんのお父さんだった。

 入波平先生との再対決は実現しなかったが、沖縄県八重山郡竹富町の運動会に2回も参加することができた。小6の真樹にとっても、忘れられないいい思い出になったと思う。

 「島の人よ」が入っているアルバムも、買ったはずなのにどこに行ったか分からない。
 三線の先生が、「次に船浮に行くときは、『島の人よ』が弾けるようになって、池田卓さんといっしょに歌えればいいですね」とおっしゃった。
 ほんま、そうなりたいわ。
 手術後高い声はでーへんけど、せめて三線がしっかり弾けるようになりたいわ〜。

※ 過去、船浮に行ったのは三度。
  2006年10月、真樹と。
  2007年3月、廉と。
  2008年2月、眞寿美さんと。

 池田卓さんは「島の人よ」の歌詞通り、生まれ島を忘れないで船浮に帰ってこられたんですね。

 「都会で暮らし 手にしたものも 大切だけど
  何々よりも大事にして欲しい 生まれ島を」

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2017年09月04日(月)

自分の現実に向き合う勇気がない [沖縄]

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寮の管理人室のカレンダー

◎朝日新聞8月31日朝刊・論壇時評

   沖縄と本土   「自らの現実」はどこに

                  歴史社会学者 小熊 英二

 世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。

 理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。

 一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収三〇〇万〜四〇〇万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収五五万〜九九万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。

 また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。

 新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。

 木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。

     *

 だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。

 前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。

 外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。

 以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。

 定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。

 考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。

     *

 そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。

 こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。

 親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。

     *

 〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
 〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
 〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
 〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
 〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
 〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
 〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
 〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
 〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)

     ◇

 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『誰が何を論じているのか』は、本紙・論壇委員として2013年からの3年間に執筆した毎月の論壇メモと本紙コラムなどを収録。

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 今日はイレギュラーで、寮2(出町)24時間。
 恒例、朝日・日経チェック。

 「沖縄と本土」、ええこと書いてあるわ。
 「当事者性の欠如」、その通り。かく言う私も、真樹が「沖縄にずっと住みたい」と言っていなければたぶん同じようなことだったであろう。

 「自分の現実に向き合う勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。」

 これって、ネトウヨのことちゃうん。
 ネトウヨにふさわしい代名詞は「身も心も腐りかけている人々」がいいと思っていたが、「自分の現実に向きあう勇気のない人々」のほうがいいね。
 私は、そんな人たちこそ一歩踏み越えてもらえば「9条の会」と手をつなげるのではないかと思ってるんですが・・・。
 「左右合作!」

 ヨメさんはゆうやろね、「自分の現実に向き合う勇気のないやつ・・・、アンタのことや!」

 そんなことより、斉藤由貴のキス事件のほうが気になるなあ。

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