パオパオだより

2017年11月08日(水)

「島猫と歩く那覇スージぐゎー」 [書評]

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「島猫と歩く那覇スージぐゎー」

仲村清司 [写真/仲程長治]
体 裁 四六判・ソフトカバー・376p(口絵カラー8pあり)
発売日 2013年9月20日(金曜日)配本
定 価 1680円(本体1600円+税)
発行所 (株)双葉社

■著者紹介
仲村清司(なかむら・きよし)  1958年大阪市生まれの沖縄人2世。作家、沖縄大学非常勤講師。著書に『沖縄学』『住まなきゃわからない沖縄』『ほんとうは怖い沖縄』(すべて新潮文庫)、『本音で語る沖縄史』(新潮社)、『本音の沖縄問題』(講談社現代新書)、『沖縄うまいもん図鑑』(双葉文庫)など。共編著に『新書 沖縄読本』(講談社現代新書)、『沖縄県謎解き散歩』(新人物文庫)、共著に『沖縄オバァ烈伝』シリーズ(双葉文庫)ほか多数。

■内容紹介
ウチナーンチュ2世として大阪に生まれ、沖縄に移住して17年の著者が、島に暮らす猫とともに案内する那覇スージぐゎー<路地>。桜坂、栄町広場、ニューパラダイス通り、牧志、泊、天ぷら坂、壺屋通りなど、懐かしくて新鮮な路地裏を散策する。路地裏の島猫フォト〈写真:仲程長治〉&イラストマップ〈猫スポット付き!〉、那覇スージぐゎー散策コースガイドや道草スポットなども収録。

■帯裏コピーより
ひょんなきっかけで、「僕」は一匹の捨て猫と出会った。出生地、那覇市桜坂社公街。性別メス、容姿端麗――。「向田さん」と名付けて暮らし始めたその猫と一緒に、那覇の町に出た。デイパックに向田さんを入れて、気ままに昼の路地裏をぶらついてみる。日が暮れると酔客が行き交う街路で、見すごしていた風景に出くわした。路傍を彩る原色の花々、光るような海風、季節が立つ気配、そして、向田さんの血族とおぼしき野良猫……吹き上げる緑も、小径に乱舞する螢も、これまで以上に新鮮に映った――。
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 今日もバイトから帰ってきたのが夜12時前。
 また、書けません。

 中古パソコンを注文したので、それが届いてからくわしく書きます。

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2017年11月01日(水)

「すごいトシヨリBOOK」 [書評]

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「すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる」 池内紀 毎日新聞出版

■内容紹介

ドイツ文学者の楽しく老いる極意

老いにあらがわず、老いを受け入れて、自分らしく楽しくトシをとろう。
そう決めた著者は、70歳になったとき、「すごいトシヨリBOOK」と名付けたノートをつくり、老いていく自分の姿を記録しはじめた。もの忘れがふえたり、身体が言うことをきかなかったり、そんな自分と向き合いながら、老人の行動をチェックするための「老化早見表」なるものを考案、「OTKJ」(お金をつかわないで暮らす術)といった独創的なシステムや、「せんべいの管理」で生活にメリハリをつける方法を生み出したり、楽しく老いる知恵と工夫を日々研鑽している。
膨大な観察記録から生まれた、抱腹絶倒・池内流「老いの哲学」。リタイア後を豊かに生きるヒント。
「残された人生をどう生き、どう結末を迎えるか。これほどまで、自分の考えを述べたのは初めてです」

◎心はフケていないと思うこと自体がフケているしるし
◎心がフケたからこそ、若い時とは違う命の局面がみえてくる
◎トシヨリをトシヨリにさせようとするのは、人間だけではない
◎記憶が脱落するのは一種の恵み
◎群れるのをやめて自立する
◎自分の居酒屋、自分の蕎麦屋を持つ
◎老いてからの旅行は一日余分に日を用意
◎治らない病気は治そうとしない
‥‥‥ほがらかに老いを楽しむノウハウが満載!


■内容(「BOOK」データベースより)

人生の楽しみは70歳からの「下り坂」にあり。ドイツ文学者の楽しく老いる極意。リタイア後を豊かに生きるヒント。

■著者について

池内紀(いけうちおさむ)
一九四〇年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者・エッセイスト。主な著書に『ゲーテさんこんばんは』(桑原武夫学芸賞)、『海山のあいだ』(講談社エッセイ賞)、『二列目の人生』、『恩地孝四郎』(読売文学賞)、『亡き人へのレクイエム』など。編注に森鷗外『椋鳥通信』(上・中・下)、訳書に『カフカ小説全集』(日本翻訳文化賞)、ゲーテ『ファウスト』(毎日出版文化賞)、アメリー『罪と罰の彼岸』など。大好きな山や町歩き、自然にまつわる本も、『森の紳士録』『ニッポン周遊記』『日本の森を歩く』など多数。

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 今日は寮1(二条)17時間。
 またまた読書三昧。

 カフカの翻訳で有名な池内紀さんの本だったので、絶対に買って読もうと思っていた。
 「人生の楽しみは70歳からの『下り坂』にあり」と。私はもうすぐ62歳。本当なら「下り坂」はまだだいぶ先のはずだが、今年4月の手術以来、確実に下り坂に入っているように感じる。

(注)続きはのちほど。

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2017年10月27日(金)

「今こそ知りたい! がん治療薬オプジーボ」 [書評]

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   「今こそ知りたい! がん治療薬オプジーボ」

             佐々木治一郎 廣済堂出版・健康人新書


■内容紹介

“夢のがん治療薬"として話題沸騰のオプジーボ。国が承認した“希望の薬"の気になるポイントを徹底解説! 「悪者ではないよ」と免疫をうまく騙して増殖するのががん細胞なら、がん細胞の偽装を邪魔してやればいい――この画期的な発想から生まれたオプジーボは肺がんをはじめ複数のがん主で使用され、注目されている。まさにがん治療の未来を切り拓いたと言えるオプジーボ。オプジーボががんを退治する仕組みから、どうしたら正しい治療が受けられるかまで、北里大学病院でがん治療の最前線に立つ医師がわかりやすく解説。●オプジーボががんを退治する画期的な仕組み ●抗がん剤、分子標的薬よりも効果がある? ●「どこで治療を受けられる?」&「どこで受けるべきか」 ●保険適用は胃がんなどにも広がっていく? ●副作用は? 治療方法は? 治療費は?

■内容(「BOOK」データベースより)

“夢のがん治療薬”として話題沸騰のオプジーボ。「悪者ではないよ」と免疫をうまく騙して増殖するのががん細胞なら、がん細胞の偽装を邪魔してやればいい―この画期的な発想から生まれたオプジーボは肺がんをはじめ複数のがん腫で使用され、注目されている。まさにがん治療の未来を切り拓いたと言えるオプジーボ。オプジーボががんを退治する仕組みから、どうしたら正しい治療が受けられるかまで、北里大学病院でがん治療の最前線に立つ医師がわかりやすく解説。

■著者について

北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授、北里大学病院集学的がん診療センター長。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。 1991年熊本大学医学部卒業、98年同大学院医学博士取得。2000年から3年間米国MDアンダーソンがんセンターで肺癌の基礎研究に従事。04年から熊本大学医学部附属病院で肺癌の診療に加え、がん診療地域連携やがんサロンの普及活動に従事する。11年北里大学医学部呼吸内科に転出。14年2月から現職。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

佐々木/治一郎
北里大学医学部附属新世紀医療開発センター教授、北里大学病院集学的がん診療センター長。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。1991年熊本大学医学部卒業、98年同大学院医学博士取得。2000年から3年間米国MDアンダーソンがんセンターで肺癌の基礎研究に従事。04年から熊本大学医学部附属病院で肺癌の診療に加え、がん診療地域連携やがんサロンの普及活動に従事する。11年北里大学医学部呼吸内科に転出。14年2月から現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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 今日は寮2(出町)24時間。
 マイパソコン故障中のため、また読書三昧。

 私が癌になっていなかったら絶対に読まなかったであろう本。

(注)くわしくは、のちほど。

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【今日のきく】

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 朝6時半、私が家を出て行くときのきく。
 舌をペロッと出してます。

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2017年10月25日(水)

「人間宣言(じんかんせんげん)」 [書評]

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「人間宣言〜死があればこそ生が輝く〜」 

著者:住井すゑ・永六輔
出版社:光文社
出版年:1995年4月25日第1刷発行
内容:著者それぞれの主張があり、そして二人の対談さらにマルセ太郎との鼎談に進む。
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■内容説明

命の大切さとは何か?生きるとはどういうことか?人間の平等を謳った不朽の名著『橋のない川』の著者と、永六輔による「こころ」の対話。生い立ちに始まり、阪神淡路大震災から、老人問題、歴史、文化、さらには男とは、女とは、までを自由闊達に語り合う。異能の芸人・マルセ太郎との鼎談も収録。生きる意味を問い直すための恰好の書。

■目次

1 すべての基本は「光あれ」―阪神大震災が残した教訓(永六輔)
2 私たちの人間宣言―生きる意味を問い直す(住井すゑ・永六輔)
3 生きているうちに老化はない―老人問題は人間の問題(住井すゑ)
4 生まれてくる子供たちのために―歴史と童話の大切さ(住井すゑ・永六輔・マルセ太郎)
5 神様は時間―死があればこそ生が輝く(住井すゑ)

■著者紹介

住井すゑ[スミイスエ]
1902年、奈良県に生まれる。17歳で上京して講談社に入社。’54年、『夜あけ朝あけ』により毎日出版文化賞受賞。代表作である『橋のない川』は第七部まで刊行された。(’97年、逝去。享年95)

永六輔[エイロクスケ]
1933年、東京・浅草の浄土真宗の寺に生まれる。早大時代に、NHKラジオに投稿以来、放送の世界に入る。以後、司会者、作詞家、作家と幅広く活躍中。(’16年、逝去。享年83)
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 今日は寮1(二条)17時間。

 実はまたまたマイパソコン故障。9月26日に修理されて戻ってきて、その2週間後くらいに、きくがまたACアダプターのコードに引っ掛かってしまった。前と同じ。
 いや、今回は充電中のパソコンごと床に落ちてしまったので、画面にヒビが入り、前回より重傷。しばらくはだましだまし充電していたが、それももうできなくなってしまった。

 「何べんも何べんもおんなじ失敗して・・・」とヨメさんにさんざんおこられた。
 用心していたつもりだが、きくが「庭にネコがおる、ネコがおる」と暴走。コードを持っていかれ、あっという間にパソコンが床に落下してしまった。
 私のパソコンは、全部たまったポイントで支払ったとはいえ33000円くらいの安もん。また同じ修理をすると、前回と同じくらい修理代がかかる。2回の修理費合計が40000円超ではねえ・・・。
 どうしましょ。

 ということで、今日も読書三昧。
 さて、本来の書評。
 この本もずいぶん前に買ったまま放置していたもの。1995年の初版本を買っているので22年前。私が39歳の時。まだ髪の毛がふさふさの時。

 最初は、永六輔さんの講演。「水平社宣言」を書いた西方万吉さんの話。なかなか意外性がある話だった。そこから住井すゑさんにつながって。
     ◇     ◇   ◇
 「自分の子供が最高でなければ、生きている意味はない」より

永 いまおっしゃったのは、赤ちゃんというのは、最高の人間という考え方ですね。
住井 そうそう、最高ですよね。だから、自分の子供が最高でなければ生きている意味はないよね。
永 それは赤ちゃんが、たとえば障害を持って生まれてきても・・・。
住井 最高ですよ。
永 親からいったら最高でなきゃいけないのね。
住井 だから子供が親を尊敬するんじゃなく、親は子供こそ尊敬しなくちゃいけないんですよ。日本人は逆になってるんだよな。
     ◇     ◇     ◇
 「権力の都合で作られた歴史」より(住井すゑ講演)

 歴史というのは、ある意図を持って作り上げられたもの。人が作ったもの、人のなせるわざなんですね。
 これはちょっと話が難しいですけど、みなさん考えてください。「人が為す」と。人偏に為という字を書いて、何と読みますか。「いつわり」と読むんですね。
 つまり、「人の為すところはことごとく嘘である」というのが中国の古代の学者の説なんです。私はうまいことをいったと思いますね。さすが文字の国ですね。人の為せるところはすべて偽りである。
 だから歴史も事実というより、権力の都合で作られたものなんですね。それを私たちは真に受けて、いまだに「君が代を歌わなければ校長をクビにする」といわれたら、クビになるのが嫌だから、校長先生は義務として子どもに君が代を歌わせる。あるいは日の丸を掲げさせます。
     ◇     ◇     ◇

 この本の最後に、住井すゑさんが「生から死への営みは、すべて時間の前に平等」と書いておられた。哲学的です。
 また、「生きているうちに老化はない」ともおっしゃっている。
 今、私自身の最大の関心事は「病気(癌)」と「老化」と「残り時間」。
 「死があればこそ生が輝く」の意味を、もう一度よく考えなければ・・・。
 (全然、書評になっとらんな。)

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2017年09月20日(水)

「コブのない駱駝」 [書評]

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◎岩波書店ホームページより

コブのない駱駝

きたやまおさむ「心」の軌跡

ミュージシャン,作詞家,精神科医として活躍する著者の決定版自伝! 自らの人生と「心」の軌跡を振り返る.

・著者 きたやま おさむ著
・ジャンル 書籍 > 単行本 > 評論・エッセイ 日本十進分類 > 文学
・刊行日 2016/11/17
・ISBN 9784000611589
・Cコード 0095
・体裁  四六 ・ 並製 ・ 256頁
・定価 本体1,800円+税
・在庫 在庫あり

■内容

 伝説の音楽グループ,フォーク・クルセダーズで活躍し,また作詞家として数々のヒット曲を手がけながらも,その後,マスコミの第一線から退き,精神科医となった著者の決定版自伝.父親との葛藤,マスコミ体験の苦悩,親友との別れ…….波乱に満ちた人生と「心」の軌跡を振り返りながら,しぶとく生き続けるヒントを探る.

■著者からのメッセージ

 終わりなきショーを生き残るために
 いまや芸能だけではなく,政治でも,職場でも,日常でも,空しく「ショー」が繰り返されている.例えば,表では生産的であった主人公が,裏では動物であったり,傷ついていたり…….そしてその正体が露呈すると表舞台を去っていかねばならない.それじゃ,「鶴の恩返し」の悲劇とおんなじだ.物語の繰り返しに,もう人々はうんざりしていることだろう.出口はあるのか? 物語は書き換えられるのか?
 時は1967年暮れ.ひょんなことからデビューし,レコードは280万枚も売れたが,1年足らずで解散した“偉大なるアマチュア”フォーク・クルセダーズ.その当事者「きたやまおさむ」であり後に精神科医となった著者は,これを象徴的に捉え,精神分析の劇的観点を借り,人生物語の筋書きを読み,悲劇の背後にある「空しさ」の意味を掘り下げた.
 本書は,この「ワンダーランド」からの出口を探すためもがき続けてきた,伝記的な自己分析の記録だが,終わりのない日常を生き残らねばならない現代人の深層心理の課題と十分に重なることだろう.もちろん,それでもショーは続けねばならない.
 The show must go on!

■目次

はじめに――北山修による,きたやまおさむの「心」の分析
第1章 戦争が終わって,僕らが生まれた
第2章 「オラは死んじまっただ」の思春期
第3章 愛こそはすべてか?
第4章 天国から追い出されて
第5章 「私」とは誰なのか?
第6章 「心」をみつめて
第7章 潔く去っていかない
おわりに――コブのない駱駝のごとく

■著者

きたやま おさむ
1946年淡路島生まれ.精神科医,臨床心理士,作詞家,九州大学大学院教授を経て,現在白鷗大学副学長.1965年,京都府立医科大学在学中にフォーク・クルセダーズ結成に参加し,67年「帰って来たヨッパライ」でデビュー.68年解散後は作詞家として活動.71年「戦争を知らない子供たち」で日本レコード大賞作詞賞を受賞.その後,精神科医となり,現在も臨床活動を主な仕事とする.著書に『最後の授業』(みすず書房),『ビートルズを知らない子どもたちへ』(アルテスパブリッシング),『帰れないヨッパライたちへ』(NHK出版新書)など.
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 今日は寮2(二条)17時間。
 マイパソコン故障中のため、また読書三昧。

 なかなかいい本だった。
 もう遅いので、詳しくはのちほど。

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2017年08月30日(水)

「狂人三歩手前」 [書評]

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 「狂人三歩手前」 中島義道著 新潮社 2006年 184ページ

■内容(「BOOK」データベースより)

「生きていく理由はないと思う。いかに懸命に生きても、いずれ死んでしまうのだから」。日本も人類も滅びて一向に構わない。世間の偽善ゴッコには参加したくもない…。いっぽう妻と喧嘩して首を締められたり、路上ミュージシャンに酒を奢ったり、桜の巨木を見て涙を流したりの日々。「常識に囚われず、しかも滑稽である」そんな「風狂」の人でありたいと願う哲学者の反社会的思索の軌跡。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中島/義道
1946(昭和21)年福岡県生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学大学院基礎総合科学哲学博士課程修了。現在、電気通信大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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 今日は寮1(二条)17時間。
 いつもならマイパソコンに入り浸っているのだが、月末になり通信速度が低下。今月は寮の管理代行のバイト回数が多かったので、ポケットWifiを使いすぎたみたい。
 波型がオレンジになったらランがウォークに、赤になったらほぼ停滞ということです。

 やることがないので久しぶりの読書。
 7月に入院していた時に途中まで読んだ「狂人三歩手前」の続きを読んだ。(隔離部屋に持ち込んだら廃棄処分だったが、持ち込まなかったので命拾いして戻ってきた。)

 私が今まで読みふけった小説は、カフカ、倉橋由美子、富岡多恵子。
 小説以外では、竹内久美子、中島義道、香山リカ。
 読みだしたら読み続けるのはだれしも同じで、カフカと倉橋由美子はほぼ全作品を読んだ。富岡多恵子も半分近く。後者三名は出版書が多すぎて、全部とはとても言えないがかなり読んでいる。


 中島義道氏の「どうせ死んでしまう」理論は徹底している。氏のどの本にもたいてい書いてあるので、ここではくわしくは説明しない。その理論は、ただただお見事と思うばかり。
 「どうせみんな死んでしまう。人生とは生きる気力がくなくるほど残酷な修羅場である。しかし、絶対に死んではならない。生きている不幸を骨の髄まで自覚せよ、しかし死んではならない。この自覚のもとにどう生きればいいのか、私はいかなる回答も示していない。」(123ページ)
 ほぼむちゃくちゃだが納得できる。
 私の場合は、「どうせ死んでしまうのだから、生きているうちに他人に迷惑かけまくって楽しく生きよう」と思っている。
 
 今回もその理論ばっかりかと思っていたがちがった。
 こんな箇所があった。
     ◇     ◇     ◇
 相当の時間を費やして、孤独、対話、偏食、仕事、不幸等々固定したテーマで書き続け、そして脱稿すると、そこに書いたものすべては過去のこととして、決定的に私の身から脱落していく。書いてしまったことによって、私の心理状態も世の中の見え方も書く前とは画然と異なり、世界は相貌を変えるのだ。だが、理不尽なことに、そんなころ、読者ははじめて私の書いたものに接する。そして、しばしば感動して「先生、まったく同じ意見です」という手紙をよこす。だが、すでにそのとき私は、―あのアキレスと亀のように―少し「先に」動いているのだ。こうして、読者は永遠に私に追いつけないのである。
 おわかりであろうか? 私の最所の本の読者は、私のすぐ「後ろ」にいるからこそ、そしてそれは私がたったいま抜け出てきた場所であるからこそ、私にとって重要なのに、読者が提議するのはいつでも、私がすでに書くことによってある程度解決してしまった問い、そうでないまでも一段落つけてしまった問いにすぎない。(77ページ)
     ◇     ◇     ◇

 これと似たことのように思うのだが、自分にも思い当たる節がある。
 今見終わった映画の話をするのがイヤ。もう見終わって、自分の中で完結してしまっているのに、何をほじくりだせというのか。私の興味は、まだ見ていない映画のほうに向く。

 また、ゴールの感動というのがない。途中は山あり谷ありで泣きそうになることもしばしばだったが、ゴールにそれはない。ゴールで完結してしまっているから。
 1986年の「第2回びわ湖トライアスロン」は、スイム3.8+バイク180+ラン42.195。そのゴールには、まだ新婚のますみさんが待ってくれていた。私は普通にゴールし、ますみさんが迎えてくれた。
 「写真撮れへんかったわー・・・。」
 「えっー!」
 この私の反応をヨメさんはずっと恨みに思っている。一日中待ってあげていたのにと。

 最近もあった。
 2014年6月23日、沖縄慰霊の日の「一人沖縄平和ラン」(那覇〜名護)。
 前年はみゆきビーチ前で途中断念だったが、2回目でやっと目標の名護市役所にゴール。たくさんの方が伴走してくださり、ゴール地点には北山高校駅伝部関連で知り合った玉城さんが待っていてくださった。
 ゴールした時、私は玉城さんにお礼も言わず、伴走してくれた仲間としゃべっていた。もう完走してしまった「一人沖縄平和ラン」のことではなく、次に出る予定のレースの話などをしていたように思う。
 その時、玉城さんが「ここがゴールじゃなかったんですか」とおっしゃったのを覚えている。今から思えば、「私は無視か?」ときっと半分腹を立てておられたんだと思う。
 今まで何回かお会いしたうちで、あの時が一番おきれいだったのに。それで、お礼を言うのがちょっと恥ずかしかったんでしょうか。そういうことにしときましょう。

 これに似たようなことは、今まで何度もある。ひどい人間です。
 これは、中島氏がおっしゃってることとまたちがうのかな。

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玉城さん (2014.6.23)

 また、こんな箇所もあった。
     ◇     ◇     ◇
 彼は、こんなに自分を理解してもらいたいと全身で叫び声をあげる。だが、いざ彼を理解する人、理解しようとする人が眼前に現れると、一目散にその人から逃走しようとするのだ。なぜなら、理解されることは負担であるから。理解され続けることは草臥れることだから。さらにさらに理解されようと必死になることだから。あげくの果ては、理解されたいがゆえに相手に合わせて演技している自分を見出して、自己嫌悪に陥ることは目に見えている。つまり、彼を理解する人は、理解することによって彼の「自己」を奪うのである。彼を「がらんどう」にするのである。(155ページ)
     ◇     ◇     ◇

 20代前半、ものすごく好きになった人がいた。相手も真剣につきあってくれていた。
 そんなある日、「引っ越そうと思ってるんだけど、この先二人で住むのなら広い目の所を借りた方がいいね」と言われた。それを聞いて、私はなぜか噴き出しそうになってしまった。(相手に悟られないように必死にこらえましたけど。)
 その時の感情が自分でも分からなかったのだが、「理解されることがイヤ」だったのだろうか。なぜ?
 「自己」を奪われ、「がらんどう」になるのは本望だったような気がするのに・・・。
 ここから話がトントンと進み・・・ではなく正反対で、ここから私の様子がおかしくなってしまった。彼女は「(私に)ふられた」と言っていたが、私にはそんな気はさらさらもなく・・・。自己分析もしっかりできてもいないのに、いっちょ前に人を好きになったらあかんちゅうことやったんでしょうかねえ。


 「狂人三歩手前」というタイトルから、かなりの期待を込めて読み進んだが、意外とまともでビックリ。私は「良識あるヘンタイ」を目指しているのだが、中島氏は「良識ある狂人」に成り下がっているかもと心配だ。もっと危ないところにいてほしい人だ。

 もう10年以上も前の出版だが、自分のことと照らし合わせながら読めたのでおもしろかった。まだ、買ったままで眠っている本があるはず。死ぬ前に読んでしまわねば。

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