2015年08月26日(水)
平和は退屈? [時事]
◎朝日新聞8月19日朝刊・平和のすがた 戦後70年 第6部
「平和」とらえ直す
戦後の日本人にとって、「平和」は輝いていた。各地に「平和通り」ができ、戦後初の特急列車は「へいわ」と名付けられた。安保闘争やベトナム反戦運動でも、平和という言葉は強い求心力を持った。
戦後50年を過ぎた1998年、「平和」イメージの変容を映すような本がベストセラーとなった。漫画家・小林よしのり(61)の「新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論」。冒頭、「平和だ…あちこちがただれてくるよな平和さだ」と時代の空気を描写した。
小林は「平和をサービスとすら捉える甘えた時代になってしまった。公に奉仕する精神の必要性を説きたかった」と振り返る。だが今年刊行した続編「新戦争論1」の帯は「ようござんすね?このまま戦争で」とうたう。「右傾化しすぎた。真ん中に戻す」と語る。
平和は「停滞」ともみられる。批評「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」を2006年発表したフリーライター赤木智弘(40)は、格差を固定化する「平和な社会」は戦争によりリセットされるべきだと主張。大不況の中で社会に出たロストジェネレーションの閉塞(へいそく)感を代弁した。赤木は言う。「平和と言っても、経済成長がセットだった上の世代と僕らでは内実が違う。ロスジェネにとって、平和は長い坂をゆっくり下っている日常なんです」
戦後70年、「平和」の受け止められ方は変わってきた。帝京大教授(歴史社会学)の筒井清忠(67)は80年代が一つの分岐点と見る。
「日本の特徴だった分厚い中間層が衰弱した。ビジュアル性やわかりやすさが重視されるようになった。左右の極端な言説がもてはやされ、平和や穏健、中道は人気がなくなっていった」。その傾向は、戦前日本にも共通するという。
「戦争が『過程』であるのに対して平和は無際限に続く有為転変の『状態』である。だから、非常にわかりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い」。精神科医の中井久夫(81)は05年の論文「戦争と平和についての観察」で看破し、今もそう考える。中井は、平和が続くにつれて社会全体の見渡しが利かなくなり、「退屈」感を生むと指摘。欧州の近代における平和の「有効期限」は、「幼年期と老年期を除いた人の寿命」とほぼ同じ約半世紀だともいう。
■若い世代、乗り越えるには
「退屈」が次の戦争を防ぐ力をそぐとしたら、「戦争を知らない世代」はどう乗り越えればいいのか。
世界を知る重要性を説くのは元国連事務次長の明石康(84)だ。「退屈するほどの平和は、世界にはほとんどないことを知ることが大切だ」といい、現代の国際情勢を「戦争と平和の間のグレーゾーンが広がってきた」と指摘。「複雑化する世界で日本だけが平和というのは、かりそめの平和に過ぎない」
作家・雨宮処凛(かりん)(40)も世界に目を向ける。初めて戦争の世界を見たのは99年。イラクで、劣化ウラン弾の影響に苦しむ子どもたちが次々と死んでいくのを見た。「1次情報じゃないと、たちまちうそくさくなる」。戦争や平和は「学校で説教くさく教えられるもの。第2次大戦も、江戸時代の○○の乱と差がなかった」と思っていた自分だからこそ、若い世代に戦争のリアリティーを伝えたい。戦場体験のある8人の証言集「14歳からの戦争のリアル」を7月、出版した。
戦争を知らない世代ながら戦争小説を書いた作家・高橋弘希(35)は「戦争も忘れられていく。疑似体験で書かれたものがあってもいいと思った」。太平洋戦争中、南洋の島に投入された若き兵士が主人公の「指の骨」で芥川賞候補になった。兵士は野戦病院で果てしない無間地獄を生かされる。「今の日本は平和。でも、誰しも生きてる意図が分からない感じがある。そういう気分が無意識に映り込んでいるかもしれない」
世代間格差、熾烈(しれつ)な就職活動、ブラック企業……。作家の高橋源一郎(64)は「若い世代にとっては生きることが既に戦争状態のようなもの」とみる。「理不尽な暴力を権力やシステムが押しつけてくるものが戦争だとするならば、もしかしたらこの社会にとって戦争というものは常に存在しているものかもしれない」
「あの戦争」にリアリティーが感じられない世代の感受性を否定せず、むしろ「あの戦争」の神格化を解く糸口として、ポジティブに捉えようという。「あの戦争よりも、この身近な『戦争』をなくすことで、足元にまともな社会をつくろうとする。そこから平和を考えはじめるのでもいいんじゃないか」
=敬称略
(板垣麻衣子、中崎太郎)
■取材後記
平和は長く続けば続くほど当然視され、陳腐ともみなされる。そんな平和の逆説を、「退屈」というキーワードで考えてみた。
難題だった。平和という言葉のとらえどころのなさに、私たち自身が苦しんだ。
この企画を進めている間、安保法制関連法案が衆院で可決。反対デモで、多くの若い世代が国会前に集まった。「退屈」なんて言っていられない。平和が脅かされつつある気配を察知して、声を上げている。平和はまた求心力を持つのだろうか。
*
いたがき・まいこ 1983年生まれ。富山、甲府各総局を経て文化くらし報道部記者▼なかざき・たろう 86年生まれ。神戸、鳥取、広島各総局を経て国際報道部記者。
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寮管理バイト恒例の朝日新聞チェック。
平和が退屈とは・・・。
退屈の反意語は、熱中・没頭・繁忙などだそうだ。
平和の反対は戦争だから、戦争に熱中・戦争に没頭・戦争に繁忙・・・。
やっぱりおかしい。
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2015年08月17日(月)
オールズ [時事]
◎朝日新聞8月9日朝刊・ウォッチ安保国会
「Olds」巣鴨から訴える
猛暑が和らいだ8日の夕暮れ時、「おばあちゃんの原宿」東京・巣鴨に、プラカードを持った人たちが集まってきた。参加者は次第に増えて100人を超えたが、木陰に座って水筒のお茶を飲んだり、「どこから来たの」とおしゃべりをしたりと、国会前の喧騒(けんそう)とはほど遠い。
主催したのは60〜70代の「OLDs(オールズ)」。大学名誉教授の高橋正明さん(70)は「どうせ世の中は変わらない」とふて寝の日々を送っていた6月、学生団体「SEALDs(シールズ)」のデモを見た。「感動なんてもんじゃない。ケツを蹴飛ばされた」
好きでもないSNSを使って声をかけ、「若者が渋谷なら、巣鴨で」と7月半ばから土曜に駅前に立つ。団体名は、若い彼らへのオマージュ(賛辞)だ。
「俺たちはヨロヨロしてていい。しょぼくていい。ただ、例えば自分の住む街の駅で、1人ずつ立って静かに訴えるような自立した人の集まりでありたい」
「OLDs」に触発された30〜60代の「MIDDLEs(ミドルズ)」も立ち上がり、8日の行動に加わった。(市川美亜子)
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また昨日の夜11時から、寮の管理代行の24時間バイト。
恒例朝日新聞チェックで見つけた記事はこれ。
「OLDs」いいですねえ。いっそのこと「ジジババズ」にしたらいいのに。
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2015年07月27日(月)
取り返しのつかないこと [時事]
◎朝日新聞7月23日朝刊・ウオッチ国会
戦争を知らないでいるために
作詞家で精神科医のきたやまおさむさん(69)。安全保障法案が衆院を通過した翌日の17日夜、東京・赤坂のライブのステージで「取り返しのつかないことが起こりつつあると思う」と語った。
終戦の翌年に生まれた。ベトナム戦争中の1970年に発表した「戦争を知らない子どもたち」に込めたのは、戦争体験者に対する対抗心だけではない。「100年後も200年後も、子どもたちが戦争を知るようなことがないように」。そんな願いを込めた。歌い継がれて45年。戦争に関わらない、加わらないという、どっちつかずの中立の姿勢が日本の平和を守ってきたと思う。
ところが、「戦争を知らない」世代の安倍首相は、国会の圧倒的な勢力を背景に、どっちつかずではない選択を迫っている。きたやまさんには、そう映る。
法案の審議は参院に移った。「未来も戦争を知らないでいられるよう、監視する民衆であり続けなきゃ。そして選択を迫られたんだから、今度は投票に行って意思表示しようよ」 (岡戸佑樹)
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今日も24時間寮管理のバイト。恒例朝日新聞チェックできたやまおさむさんを発見。もう69歳ですか。きたやまさんは私の姉や兄のちょっと上で、私から見れば9歳上。団塊の世代のトップ集団の中におられたんですね。
「どっちつかずの中立の姿勢」、いいですね。対米従属一辺倒より「どっちつかず」のほうが私は好き。「どっちつかずの日本」、ええぞー。
きたやまおさむさん、また歌ってくれはるかなあ・・・。
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2015年07月10日(金)
名桜大学3年 [時事]
◎朝日新聞7月7日朝刊
「予定調和で終わった」沖縄の安保質疑、傍聴の大学生は
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画などについて、若い世代で語り合う活動を続ける名桜大(名護市)3年の玉城愛さん(20)に那覇市での質疑を取材席から傍聴してもらい、感想を聞いた。
安保審議へ沖縄の注文「まだ議論を」「また捨て石」
■名桜大3年・玉城愛さん(20)
実のある議論を期待していたのですが、予定調和で終わったという印象です。自民、公明両党の国会議員は、自分と考えが同じ参考人にだけ質問していました。野党側は逆の立場の人にも聞いていたが、もっと具体的な事例に踏み込んでほしかった。安全保障関連法案や普天間移設について、考え方が違う人たちが向き合わないと、理解は深まらないと思いました。
私が住む沖縄県うるま市には米軍基地があり、米兵の交通事故を何度も見ました。母校の宮森小学校ではかつて、米軍のジェット戦闘機が墜落して、多くの児童が亡くなりました。
基地が集中する沖縄と今回の法案がつながっていることは、質疑を聞いて改めて実感しました。自衛隊の活動範囲が広がれば、米国の戦争に巻き込まれ、沖縄が狙われかねない。私自身はそう思うので、法案には反対です。参考人として出席した石垣市の中山義隆市長が「石垣はアジアの交流拠点」と言う一方で、法案には賛成を明言していました。近隣国の脅威を強調していましたが、それで交流が成り立つのか、やや疑問に感じました。
「基地があるから沖縄の経済は成り立っている」「基地がないと中国が攻めてくる」。普天間の辺野古移設賛成の人からは、こうした意見をよく聞きます。私はそうは思いません。きょうの質疑を通して、安保法案の是非とともに、そうした議論も深まればよかったのですが、残念です。(聞き手・泗水康信)
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昨日の夜11時から今日の夜11時まで、また24時間寮の管理代行のバイト。
いつもどおり朝日新聞のチェックをしていると、目を引く記事があった。
「戦争法案」の地方参考人質疑を傍聴した玉城愛さん(20)。名桜大学3年といえば、真樹の同級生じゃないですか。こじんまりした大学やから、真樹は愛さん知ってるかなあ。
若い人たちが「戦争法案」を自分の問題として考えてくれていることがうれしい。愛さんと同級生の真樹にも真剣に考えてもらいたいものだ。
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2015年07月03日(金)
戦争したくなくてふるえる [時事]
◎朝日新聞6月27日朝刊・ウォッチ安保国会
19歳初デモ 集う「いいね!」
茶髪にラメが輝くまぶた、たっぷりのつけまつげ。19歳の高塚愛鳥(まお)さんが26日夜、札幌市の繁華街・すすきののネオンを背にマイクを握った。「デモなんかうるさいだけだと思っていた私がここに立っているのは、戦争が怖いからです」
大学を半年で中退。留学したり飲食店のアルバイトをしたりしている。安保関連法案反対のデモを思い立ったのは9日前。戦争の当事者になるのは若い自分たちなのに、人任せでいいのか――。「法案について知ってる若者ってどれくらいいるんだろ」。SNS「インスタグラム」に書き込んだ。「アクションしなきゃ」。友人の反応に勇気づけられた。
翌日、警察にデモを申請。その夜、バイト仲間が友達を10人集めてくれた。デモの名は「戦争したくなくてふるえる」。人気歌手西野カナさんの歌詞「会いたくて震える」にかけた。フェイスブックで参加を呼びかけると「いいね!」が3千を超えた。当日の参加者は薬700人(主催者発表)。若者とともに親子連れも恒例の夫婦も練り歩いた。 (伊木緑)
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◎朝日新聞6月28日朝刊・政治断簡
「政治はタブー」を破る挑戦
編集委員 前田直人
私はお酒が好きで、若者が集うバーにも顔を出す。そこでは「政治の話題はタブー」なんて話をよく聞いてきた。でも、このところは若い友人からも、いまの政治状況を心配する声を耳にする。
ちょっとした空気の変化を感じ、学生が催す安全保障法制反対デモを見てみた。東京・渋谷や国会前などで数千人を集める力を持つ。そのスタイルは斬新だ。
洗練されたデザインのプラカード。軽快なヒップホップのリズム。今風の若者がラッパーのようにコールする。
「戦争立法絶対反対」「民主主義ってなんだ」「言うこと聞かせる番だ、俺たちが」
仕掛けるのは、特定秘密保護法で問題意識を強めた学生が先月つくった「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)。中心メンバーの男子学生、奥田愛基(あき)さん(23)が言っていた。
「安倍政権がやばいと思っても、一歩踏み出せない若者は多い。でも、やればけっこう集まるんですよ」
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集会では、若者たちが自分で考えてきた言葉で「違憲立法を無理やり通す安倍政権」への怒りをぶつける。21日に京都であった関西版の「SEALDs KANSAI」のデモでは、女子学生のこんなスピーチが耳に残った。
「中3のころ友達に政治の話をふっかけたら、引かれた。それが怖くて、政治の話はせんようになった。でも、これじゃアカンと思った。だから、また話す」
沿道の反応は温かい。通行人も拍手を送る。年配組も加わり、ゴール時点の参加者は約2200人(主催者発表)にふくらんだ。
「どんどん若者が声をあげるカルチャーが広がっている」と、奥田さんは言う。「若者は上から言われてもデモに行かないけど、同世代が呼びかければ集まれる。若者が集まれば、全世代が来てくれて結集できるんです」
手応えを感じるのは、学生だけではない。「明日の自由を守る若手弁護士の会」共同代表の黒澤いつきさん(34)も先日、こう話していた。
「お決まりのメンバーで『9条を守れ』と訴えるだけで必ず振り向いてくれると思うのは、もう幻想。政治はタブーという空気にのみ込まれる。『まずは憲法を知ろうよ』という姿勢でいこうと思って、動き出したんです」
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黒澤さんは幼い2児の母で弁護士は休職中。2年半前の衆院選で新憲法草案に国防軍創設を掲げる自民党が圧勝し、「子どもを守んなきゃ」と奮起。すぐに若手の弁護士仲間に連絡し、28人の呼びかけ人で会を立ち上げた。
いま、会員弁護士は420人超。イラストを使った冊子をつくり、「ゆるーい感じ」で会員弁護士と憲法の大切さを語らう「憲法カフェ」を全国で催す。子育てママを中心に共感は広がり、開催は700回を超えたという。
「安保法制の中身ももちろんですが、政権の民意の軽視っぷりへの危機感が大きいと思うんです。響くのは、やっぱり子育て世代ですね」
国会は巨大与党が牛耳る。おごりがのぞく安倍政治への恐怖心と危機感をバネに、「タブー」を破る挑戦が広がっている。
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今日も24時間の寮の管理代行のバイト。いつもの朝日新聞チェックをした。時事問題に関するいい記事が見つかった。
若者が動き出してくれて、ほんとうにうれしい。
「戦争したくなくてふるえる」って、センスよろしいねえ。私も古くて硬い頭をやわらかくして、いいフレーズを生み出したい。
「お決まりのメンバーで『9条を守れ』と訴えるだけで必ず振り向いてくれると思うのは、もう幻想。」
ほんまそのとおり。私のワンパターンの「平和・憲法九条」ののぼりを背負ったアピールランも、正直あきてきた。若者にも受け入れてもらえる次の一手(と言っても、やっぱりランがらみか)を考えなければ・・・。
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2015年04月29日(水)
条件を守らなかった側が「粛々と」 [時事]
◎毎日新聞4月27日朝刊・琉球新報から
[日米首脳会談] 沖縄踏む足跡 消す時だ
松元剛 編集局次長兼報道本部長
恐らく、戦後の日米首脳会談の中で、最も多く登場した都道府県名は「OKINAWA」で間違いないだろう。それは、沖縄の民意に反して過剰に集中する米軍基地問題が日米間のとげとなり、いつまでたっても抜けない異常さを示す。
安倍晋三首相とオバマ米大統領が28日に会談する。米軍普天間飛行場の代わりとなる沖縄県名護市辺野古の新基地建設をめぐり、安倍首相は翁長雄志知事と会談したことを挙げ、着実な進展をアピールしたいはずだ。
だが、翁長知事は安倍首相に沖縄社会の強い反対をオバマ大統領に伝えるよう“宿題”を課している。政権に都合のいい情報を振りまく印象操作にたけた安倍首相であっても、翁長知事から「絶対に新基地を造らせない」と突き付けられたただ一度の会談を成果として喧伝できるほど厚顔ではあるまい。
1998年12月末、当時の稲嶺恵一知事から普天間飛行場の移設先として名護市辺野古を打診された岸本健男名護市長(当時・故人)が受け入れた。代替基地の工法、規模、基地被害をどう抑えるのか、具体策は何もなかった。基地を無制限に使わせないため、稲嶺知事が最低限の条件とした使用期限15年の設定に日米は否定的だったが、将来の努力目標のような言い回しでお茶を濁していた。担保がない新基地受け入れは「白紙委任」に映った。
だが、岸本氏の記者会見を取材した私は開設の予定稿に記した「白紙委任に等しい」の文言を削った。なぜか。岸本氏は15年期限に加え、住民生活への影響を極力抑える基地使用協定締結など厳しい7条件を挙げて「守られない場合は容認を撤回する」ときっぱり言い切った。その表情、語調に“空手形”にさせない気概を感じたからだ。それは今の翁長知事にも通じる。
新基地の工法などが決まっても肝心の15年使用期限は日米の関心のらち外だった。両政府は2006年、沖縄の頭越しに現在の?字滑走路案で再合意した。稲嶺知事のぎりぎりの上入れ条件は捨て置かれ、無期限の米軍専用基地計画に変容した。地元を軽んじた政府に対し、末期のがんを患い、退任間際だった岸本氏は「日本政府と今後は一切交渉しない」と通告し、稲峰氏も?字案ノーを貫いた。
もし、岸本氏が病に倒れず3期目に就いていれば、辺野古新基地の命脈はもっと早く絶たれていたかもしれない。
菅義偉官房長官が16年前の稲嶺、岸本氏の条件付き受入を挙げて、沖縄のお墨付きをもらったと強調するが、条件を守らなかった側が持ち出すのは虚構にすがりついているようにしか見えない。「粛々」に続いて封印した方がいい。
翌00年7月の九州・沖縄サミットで、クリントン米大統領が県民向けの演説の舞台に選んだのは平和の礎だった。敵味方、国籍を超えて戦没者を刻む類例のない鎮魂碑の前で、クリントン氏は基地の過重負担について「県民は望んでいなかった」とした上で、「米軍の足跡を減らす」と約束した。あれから15年。辺野古新基地について県民はすべての世論調査で6〜9割の反対意思を示してきたが、日米は沖縄の民意に向き合おうとせず、力ずくで建設を推し進めている。
クリントン氏が約束した米軍の足跡は減るどころか、鋭利な金具付きの軍靴でかさぶたを踏み付けるような苦痛を県民に与えている。
しかし、戦後70年の節目の年を迎えた沖縄の「新基地ノー」の民意は、尊厳を懸けて岩盤のような強さを増した。鋭い金具で踏み付けられてもびくともせず、逆に足をすくわれるのは日米両政府の側ではないか。
沖縄は日米沖の3者の相関関係の中でまぎれもない当事者である。日米首脳は沖縄に新基地を押し付ける思考停止から脱し、民意を重んじて「米軍の足跡」を減らす約束を果たす歴史的使命を全うすべきだ。
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昨日の夜から、寮の管理代行のバイト。寮管理のパソコンが故障し、そのせいで一日中バタバタした。
先日、毎日新聞でいい記事を見つけた。それは琉球新報の「日米首脳会談特集の特別評論」をそのまま転載したもの。
去年の名護市長選で、「普天間の代替基地を辺野古に受け入れたとされる故・岸本氏の奥様が、(反対の立場をとる)稲嶺進候補の応援に駆け付けた」という記事が理解できていなかった。琉球新報・松元氏の解説で、そのあたりのことがやっと理解できた。
この記事を私のブログに転載しようとしてあちこち検索してみたが、どこにも見つからず。仕方なく、ポチポチポチポチと手打ち。けっこう長い記事で、打つのに時間かかりましたわー。でも、本当に分かりやすいいい記事ですよね。
約束を守らなかった側が「粛々と」とは・・・。
私が「粛々と」という言葉を初めて聞いたのは、1986年の小学校卒業式案を職員会議で話し合っている最中。当時の校長先生が、「日の丸・君が代の導入に反対の人がいくらあろうと、粛々と式を進めます」と。
あとで分かったのだが、これと同じ言葉が京都市中の小中学校の校長先生から発せられていたらしい。つまり「粛々と」という言葉は自分の頭で考えて出てきた言葉ではなく、自分のバックにある権力を過大評価し、そう言えばみな萎縮して自分に従うと勘違いしている人が使う言葉である。
正直、「ひとりひとりを大事にするのが仕事の小学校の校長のくせに、何が『粛々』やねん!」と腹が立ちました。こんな人間だけにはなりたくないと、つくづく思いました。
当時私は30歳。29年たっても、全然成長しとらんか・・・。
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