パオパオだより

2008年05月26日(月)

石井慧選手インタビュー記事より [石井慧選手関連]

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「近代柔道 6月号」

 小豆島の本屋さんで「近代柔道 2008・6月号」(ベースボール・マガジン社)を買った。
 もちろん、石井慧選手を少しでも知り、実のある応援をしたいからである。

 第一ページに、いきなり石井選手の泣き顔のアップ。
 題は、「石井慧、勝利への執念で王座奪回!」北京五輪100kg超級代表の座もつかむ
 次のページは、決勝戦の分析。
 題は、「『勝つ』ことを優先させた石井。作戦の勝利」練りに練った先制攻撃が奏効

 その後のページには、鈴木桂治、棟田康幸、井上康生などの戦いぶりが分析してあった。

 そしてその後に、私が一番読みたかったインタビュー記事が。

 ■全日本王者の本音インタビュー
 “強くなりたい”という気持ちは子供の頃から変わらない。自分は、我慢と辛抱を続けながら、強くなることだけを考えているんです。

 2年ぶり2度目の全日本制覇を果たした石井慧。本音とも冗談ともつかないような、大胆発言でしばしば周囲を唖然とさせるが、それらの言葉の裏には石井らしい緻密な裏付けがある。
 他を圧する練習量のみならず、対戦相手に合わせて合理的な作戦を立てて試合に臨む。
 ニュータイプの柔道家は、北京五輪100kg超級代表の座を賭けた2008年の全日本をどう戦ったのだろうか。   (インタビュー/柳川悠二)

 いきなりガーンと来る先制パンチ!
「こういう言い方をすると叱られるかもしれませんが、自分にとって全日本選手権は、オリンピックの予選としか思っていないんです。」
 頭の固いえらいさんが聞いたら、卒倒するね。

 大粒の涙を流して、「ふがいない柔道をしてしまった」・・・に対しては、「あれは悔し涙ではなく、ホッとしたことで出たうれし涙ですよ。(笑)」

 大会前は、「一本を目指すより勝ちにこだわりたい」と言うような発言が目立ちました。・・・に対しては、「そう考えるのは間違いでしょうか? 勝たなければ何も残りません。自分がこだわっているのは『一本』ではなく、オリンピックです。」
 「『石井慧 掛け逃げ』とインターネットで検索すると、ものすごくヒットするんですよ。(笑)」

◎なんておもしろい人!
 自分で自分のことを笑っている。頭のいい人という印象。
 自分を冷静に分析している。この冷静さが、きっと強さの秘密やろね。
 他の柔道家を圧倒する「分析力」(自己に対しても対戦相手に対しても)。その分析力にさらに磨きをかけ、北京オリンピックを思い切り楽しんできてほしい。
 こちらは、石井選手がどう分析したかを分析して、楽しまさせてもらいます。

 そして、最後の最後に力強い言葉。

 「勝負に徹して、死に物狂いで金メダルを獲りににいきます。内容は後からついてくるものですので、結果にこだわって優勝したいと思います。」

◎うちのヨメさんの予想では、「慧君、絶対に金メダル取る。私には見えてきた。」
 私は、「もちろん、金メダルを取ってほしい。でもそれ以上に、見せ場を作って欲しい。いいとこ見せてくれたら、もうそれで充分。」
 今までほとんど関心なかったのに、柔道を真剣に見るきっかけを作ってくれた。それどころか、北京まで応援に行く気にさせてくれた。それだけで、もううれしくてうれしくて。ええ冥土のみやげができた。っていうのは、ちょっと早かったかな?

(注)インタビュー記事はもっともっと内容豊富でした。もう少し紹介したかったんですが・・・。新聞記事の引用は抵抗がないのですが、雑誌からは少し気が引けます。著作権の問題もあるし。
 柔道しろうとの私でも、このインタビュー記事は読んでいておもしろかった。興味のある方は、ぜひ買って読んでみてください。800円です。

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2008年05月16日(金)

石井慧応援掲示板 [石井慧選手関連]

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中日スポーツより

 今日、ヨメさんから「石井慧応援掲示板」があると聞いた。「誹謗中傷は削除することがある」と書いてあったのに、結構ひどい事が書いてある。
 そのほとんどが、先日の全日本選手権の決勝の試合についてのことだった。「がっかり」とか、「最低の試合」とか「あきれる」とか。すべて匿名で。これって、応援ですか?これは、誹謗中傷ではないのでしょうか。
 私も、柔道は高校の体育でちょっとやっただけでまったくのしろうとです。でも、あの決勝は見ごたえがあった。 
 一番すごかったのは、鈴木桂治選手が石井選手の寝技を残り2秒で返したところ。
 「あんた、もうオリンピック代表決まってるんやから、そこまで必死にならんでも・・・」と、テレビに向かって言ってしまった。当たり前の事かもしれないけれど、両方真剣勝負。一切の手抜きなし。あこで鈴木選手が返したことで、一挙に試合が盛り上がった。
 去年の決勝を見ていても、石井選手は鈴木選手に大して苦手意識があるようだ。それでも、最後まで冷静に頭脳的な戦いができていたと思う。
 いろいろなルール改正に、日本で一番柔軟に対応できているのが石井選手ではないだろうか。それにいちゃもんをつけるのは、どこかおかしい。それも、匿名なんて。
 私・藤井廣司は、実名で応援させてもらいます。
 「雑音を気にするな。自分の信ずる道を最後まで貫いて。石井慧選手らしい、頭を使った柔道を見せてください。」

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2008年05月15日(木)

石井慧選手の応援に行くぞ! [石井慧選手関連]

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 今日の朝10時、石井慧選手のお母さん・美智子さんに電話した。
 「北京オリンピックの石井慧君の応援に行きたいんですけど、後援会の方のツアーに便乗させてもらえないでしょうか。」
 「後援会と言っても、みんなうちの主人の教え子なんです。連絡とってみます。」

 そして、夕方5時。美智子さんから、電話があった。
 「後援会のツアーに一人付け加えてもらいました。とりあえず、パスポートをとって、そのコピーをうちに送ってください。」
 ありがとうございます。おいそがしいでしょうに、手をわずらわせてしまった。
 私が中学生のころ、同級生の妹だった美智子さん(4歳下)。あのころは、えらそうに呼び捨てだったけど、今は美智子様様です。
 仕事が早い。信頼できる。この母にしてこの子ありですね。

 費用は、お盆休みでもありかなりかかる。でも、自分に少しでもかかわりのある人がオリンピックに出場することなど、一生で一度のことかもしれない。
 これで応援に行かないでどうする。この費用は、生きたお金だ。柔道100kg超級が行われる8月15日が、待ち遠しい。

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2008年04月30日(水)

石井慧選手 [石井慧選手関連]

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優勝を決めた石井慧は人目もはばからず男泣き

 スポーツ報知>スポーツ
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石井、大逆転切符…柔道全日本選手権

 ◆柔道全日本選手権(29日、日本武道館) 体重無差別の日本一を狙う決勝は、3年連続で同じ顔合わせになり石井慧(21)=国士大=が、アテネ五輪100キロ超級金メダリストで北京五輪100キロ級代表の鈴木桂治(27)=平成管財=に優勢勝ちし、2年ぶり2度目の優勝を飾った。直前の故障で五輪代表争いから“脱落”しかけたが、瀬戸際で踏みとどまり、大逆転で日本の重量級最年少代表となった。一歩リードしていた昨年の世界選手権無差別級王者・棟田康幸(27)=警視庁=は準決勝で石井に敗れ、落選した。

 若い石井が、勝負に徹して五輪キップをもぎ取った。決勝戦、序盤にポイントを大きくリードすると、あとの約4分半は、指導をもらおうが、警告を受けようが、とにかく守りに守って、逃げ切った。終了のブザーが鳴ると、顔をクシャクシャにして、涙を流した。

 「ホッとした気持ちと悔しい気持ちと2つある。握力も続かないし、足が動かなかった。練習が足らなかった」不本意な勝ち方だが、なりふりかまっていられなかった。3月25日の練習中に左大殿筋を断裂し、代表選考会の5、6日の全日本選抜体重別を欠場。代表争い脱落寸前のがけっぷちから逆転するには、勝つしかなかった。

 ライバルを研究した。全日本男子の斉藤仁監督が「勝つにはあの戦い方しかない」と評した準決勝。小さな棟田から間合いを取り、懐にもぐり込ませず、焦りを誘った。決勝戦の大内刈りは、大外刈りと見せかけ同じように技に入る鈴木桂治用の秘策。そこからの崩れ上四方固めでは、講道館ルールの今回は惜しくも2秒足りなかったが、国際ルールなら一本に相当する28秒間も抑え込んだ。「心が半分折れてたけど、最後まであきらめないでよかった」最激戦区の階級で、勝利への執念でライバル全員を上回った。

 昨秋に100キロ超級に転向して以来、国内外で負けなし。選考委員会でも、この“全勝”が大きく評価された。量は人の2倍といわれる練習の虫だが、国士大の山内直人監督は「最近は休むこともおぼえた」という。ガムシャラなだけではなく、勝つためにするべきことを身につけてきた石井。「もう一回りも二回りも強くなって、金を取って来たい」細い目を決意でさらに細めて、きっぱりと宣言した。

 ◆石井 慧(いしい・さとし)1986年12月19日、大阪・茨木市生まれ。21歳。国士大。06年の全日本選手権で19歳4か月の史上最年少優勝。07年夏に100キロ超級へ転向、嘉納杯東京国際、オーストリア国際などを制した。181センチ、110キロ。

 ◆最高の親孝行 ○…会場で観戦した石井の父・義彦さん(49)が「これ以上の親孝行はありません」と喜んだ。義彦さんは大阪・島本高教諭で、大阪高体連の柔道普及強化部にも所属。京都・鳥羽高教諭の母・美智子さん(48)はハンドボールを教え、東女体大2年の妹・愛さん(19)は水球部というバリバリの体育会一家。日の丸を背負う息子を家族一丸で応援する。


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2008.4.29 柔道全日本選手権優勝、北京へ

◎石井慧さん、北京オリンピック出場おめでとうございます。
 私は、あなたのお母さんと同郷(京都市左京区花背別所町)の藤井廣司というものです。お母さんの兄(あなたのおじさん、藤井修平君)と小中で同級生でした。
 あなたのお母さんに聞いたところ、あなたの小さい頃、よく別所に遊びに来ていたとか。私たちのふるさと別所に少しでも関係のある人がオリンピックに出場なんて、こんなうれしいことはありません。
 直接応援はできないかもしれないけれど、遠くからあなたのことを応援します。
 北京では、まわりの雑音に惑わされず、自分の持ち味を十分に発揮してきてください。そしてなによりも、オリンピックを楽しんで来てください。
 うれし涙が見られることを願っています。

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2006.4.29 柔道全日本選手権初優勝

☆石井慧選手のお母さん・石井美智子さん(旧姓・藤井)に、昨年2月、母校である別所小・花一中PTAだよりの原稿をお願いしました。その中で、息子さん・慧君について書かれている所を紹介します。

 別所の皆さんご無沙汰しています。私は平治の益蔵の娘の美智子です。今回の別所小・花背第一中の統廃合の話を聞き、ただ残念に思うとともにさまざまな思い出を創ってくれたあの校舎やグランド、小中学校の先生方に感謝したいと思います。
 (略)
 父亡き後、女手一つで私達三人を育てるために自分を犠牲にし働き続けた母が昨年3月に亡くなった時には、一番大切な宝物がなくなった様な気持ちになり無気力状態になってしまいました。人間として女性として母として尊敬できる人がこの世にいないのは淋しい限りです。
 今回の母の死から立ち直るきっかけを創ってくれたのは、息子の頑張る姿でした。息子も20才(大学2年生)なりましたが、小さい頃は休みになると花背のひーばあちゃんの所に行くのが楽しみで、一人で出町柳から京都バスに乗って行く程大好きな場所でした。田んぼ、畑、お宮さん、花背の山、花背の川で息子がいきいきと遊んでいる姿が今も思い出されます。そのたびに上ノ町の皆さんにはご迷惑をかけましたが暖かく見守っていただいたと感謝しています。
 柔道の試合が間近だったため、母の告別式にも参列できず、私や姉にあやまっていましたが、母の死から一ヵ月後の全日本柔道選手権で優勝してくれた時には、今まで落ち込んでいた気持ちをふるい立たせ頑張れと言っている様に感じました。
 死のまぎわまで孫である私の息子の事を気にかけ、「親として精一杯のことをしたらなあかん」と言ってくれた事・・・母が生きていれば一番によろこんでくれたことと思います。
 (略)


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