2019年05月30日(木)
ひこちゃんのおみやげ [私の好きな人]
東京のひこちゃんが神戸へ。
スケジュールが合えば、「神戸マラソンのコースの一部を試走しましょうか」という話になっていた。ところが、諸般の事情で実現せず。残念!
ひこちゃんは昨日戻られたのだが、「渡すつもりだったおみやげを送ります」とのメールをいただいていた。
そして今日、そのおみやげが届いた。
あー、びっくり。
「こんなにたくさんかいなー。」
「なんか、ええもんばっかりやでー。めっちゃ高くついてんでー。」
夜にさっそく二人でいただいた。
「こんなおいしいお茶は久しぶりやなあ。」
「たまにはええお茶も飲まんとなあ。」
「自分らではなかなか買えへんしなあ。」
「かわいらしい東京ばななやなあ。」
「どれ食べよう。」
「悩むなあ。」
「うっ、『お父さんありがとう』って書いてあるで!」
「ははは、アンタはお父さんみたいな存在なんやわ。」
「なんでやねん、計算合わんやろう。」
なんやかんや言いながら、おいしくおいしくいただきました。このおみやげのおかげで、この先もだいぶ楽しめそう。
ひこさんとダンナさん(お茶はダンナさんから)、たくさんのおみやげ、本当にありがとうございました。
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<以下、実話に基づいたフィクションです>
ヨメ「でも、なんでこんなにたくさんのおみやげくれはったんやろう。」
パオ「ヒヒヒヒヒ・・・。」
ヨメ「一回会っただけなんやろう。」
パオ「そうや。下山さんの伴走に行ったときにな。」
ヨメ「それだけ?」
パオ「あっ、ひょっとしてボクの財産を狙われてる?」
ヨメ「何が『ボクの財産』やねん! どこにそんなもんあんねん!」
パオ「ますみちゃんかて、ボクの財産に目がくらんで結婚したんやろう。」
ヨメ「たしかに・・・。いやいやいや、あると思ってた財産はすべてウソやったー。」
パオ「ああやっぱり財産目当てやったんかー。」
ヨメ「そうに決まってるやろう。こんな気持ち悪いおっさん。」
パオ「あああ・・・。」
フィクションですよ、みなさん。
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【RUN】
最近体調が芳しくなく、ほとんど走れていない。
となると、すぐに体重増。今月は4回も65kgを超えてしまった。
去年の今ごろは58kgだったのに・・・。
夕方、いつもの十王堂橋往復5kmコースへ。
キロ5分半ペースで27分35秒。
次の日曜は「たたらぎ5km」。キロ4分半ペースで行けますかねえ。
今日も町内をダウンジョグ。
屋根の上で、気持ちよさそうに寝ているネコちゃん発見。
おー、ここにも。
今日は町内会の会合で「猫問題」の話し合いがあるらしい。
ヨメさんが出席してくれるのだが、このネコちゃんたちが楽しく暮らしていけるような話し合いになってほしい。
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【今日のきく】
夕方7時すぎ、お散歩へ。
近くの田は、やっと田植えが終わったようだ。
5時台6時台は、よく散歩中のワンちゃんに出くわす。でも、7時をすぎるとほとんど会うことはない。
これからどんどん暑くなっていくので、夕方のお散歩はできるだけ遅い方がいいですね。
今日の一人晩ごはん。
ヨメさん曰く「キムチだけでも食べられるやろう」。
「いや、それだけでは・・・。」
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2019年05月21日(火)
ひこちゃん [私の好きな人]
以前私のこのブログにコメントを入れてくださったひこさん。
「ひこ」と言えば「輝彦」「晴彦」「和彦」「義彦」など、私の世代の名前ではポピュラーなもの。そのため、最初は私と同世代のオッサンかと思っていました。
ところがどっこい、今年3月の「かつしかふれあいランフェスタ」でお会いすると、なんてかわいい小顔の美人ランナーなこと。
そんなひこさん(いやひこちゃんですね)からメールがきた。
5月19日の「柴又100K」、完璧な日よけ対策をして臨まれたのに、残念ながら24分オーバ―だったそうだ。
最終関門を通過したのに、ゴール関門には間に合わなかったみたいですね。悔しいね。
でも、これで「99の会」(あと一歩でウルトラマラソン制限時間内完走を逃したランナーの会)の入会資格ゲットです。
私が長らく会長を務めていたのですが、2017年の「沖縄100K」を13時間58分で完走して勇退。今、会長職は空き状態です。
副会長の「傘美人」さん(広島)はどうしてるんかなあ。知らん間に完走してしまってるんかなあ。
まっ、そんな会自体がうそぴょんなんですけど・・・。
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【RUN】
今日は歯医者さん。
駐車場の近くの団地で、かわいいネコちゃん発見。
でも、このネコちゃんも避妊手術はしていないみたい。
ちゃんと生きて行けるんかなあ・・・。
歯医者さんが遠いので、帰ってきてボーっとしていたらもう夕方。
練習不足で体重増加。ちょっとだけでも走らにゃ。
たったの3kmだけ。16分11秒。
うちの町内のかわいいネコちゃん。
歯医者さんの近くで見たのとそっくり。
なんか、お腹が大きいように見えたけど・・・。
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2019年04月19日(金)
ショーケン [私の好きな人]
◎朝日新聞2019年4月11日31面
寂聴 残された日々 46 ショーケンとの再会
切れぬ悪縁 次はあの世で
ショーケンこと萩原健一さんが三月二十六日に亡くなって、早くも二週間が過ぎた。その間、私はショーケンの追悼文を書きかけては胸に迫ってきて、涙があふれ書けなくなってしまう。仕方がないので、彼と一緒に仕事をした雑誌を繰り返し読んで気をまぎらわせている。
ショーケンは生前、私とつきっている間、いつも私のことを「おかあさん」と呼んでいた。毎朝早く電話がかかり、疳高い声で「おかあさん、お早よう」と呼びかける。「うるさいなあ、まだ寝てるよ」「もう六時すぎたよ。年寄りのくせにいつまで眠るの。あんまり眠ると、早く呆けるってよ」
そういうショーケンは毎朝五時から一時間半も歩きつづけている。自慢のスタイルを保つためだそうだが、毎朝の電話で彼が私に伝えたいのは、二人の女性の噂話をしたいためであった。二人ともショーケンの熱烈なファンで、ひたすらショーケンと一緒に歩きたいために、毎朝やってくるという。一緒に歩くのは他にも男女十人くらいがいるらしい。
ショーケンが私に話したのは、その中の二人の女性のことだけで、一人は人妻だが、自分はそっちの方が好きだけれど、夫と別れてこないと相手にはできない話を早朝から聞かされても、腹も立てないのだから、私もいい加減阿呆になっている。
◇ ◇ ◇
そもそものつきあいの始めは、ショーケンが大麻事件で逮捕された後、世間で騒がれて居場所がなくなった時、ふとした縁で、京都の私の寂庵へ頼ってきて、かくまったのが縁であった。新幹線の三時間、トイレに身をひそめてやってきたという。おどおどして、目を伏せたきりで見るも哀れな姿だった。夕方だったので先ず夕食をすすめたら、すき焼きの前で泣きだしてしまった。
「いただきてもいいのでしょうか」「どうぞ、とにかくたくさん食べて精をつけなきゃ」泣きながらすき焼きを食べていたショーケンの姿を、ありありと想いだす。あの世では、誰とすき焼きを食べていることか!
長いつきあいの中で、彼の恋人とか、妻と呼ばれた女性に巡り逢ったが、ほとんどの人は、私に「早くショーケンと縁をお切りなさい。ろくなことありませんよ」という。縁を切るも何も私とショーケンとは、あかあさんと息子の関係を一度もふみ誤ったことがないので、別れようもない。ただ長い歳月に、気まぐれなショーケンは、何度も私との音信を断ち、全くつきあいのとだえたことも幾度となくあった。
◇ ◇ ◇
寂庵は尼寺なので、ショーケンのような危険な男を置くわけにはいかず、私の判断で、近くの禅寺の天龍寺へ預けることにした。平田精耕管長が雲水と共に預かってやると言って下さったので、法衣一切を買い整え、寂庵え頭を剃って、天龍寺へ私が送りこんだ。法衣を身につけたとたん、ショーケンは一見見事な雲水になりきるのは、さすがの役者だった。
ところが天龍寺で、ショーケンは、ありとあらゆる悪いことをしてくれたが、寺では一旦預かった以上は一切寺の責任だといって一事も私に伝えなかった。以来、私は天龍寺に頭が上がらない。
不貞で不良のショーケンとの悪縁は、現在の夫人との結婚までつづいいたが、突然の死で、この世の縁は一旦切れた。しかし、すでに九十七歳を目の前にした私は程なくあの世の入り口で「おかあさん!おそかったね!」と手を振って迎えてくれるショーケンに再会することだろう。
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◎大人のミュージックカレンダー 2015年7月26日
テンプターズ、傷だらけの天使、ショーケン! 執筆者:小野善太郎
私は「萩原健一」とは言わないな〜。「ショーケン」一辺倒。
ショーケンがザ・テンプターズの一員として世に出たのは1967年10 月25日、17歳の時。
グループ・サウンズ(GS)の2本柱はザ・タイガースのジュリー(沢田研二)とショーケンだったが、ジュリーより2歳(も)若い。
デビューはタイガースから8か月あまりも遅れたとはいえ、優等生的な印象のジュリーでは満足し得ない女性ファンの渇望は、その間にデビューした幾多のグループをスルーした後、ついにショーケンと出逢ったことで一気に満たされて、翌1968年にこそGSブームは爆発的に全開。
1968年1月に発足した『オリジナル・コンフィデンス(オリコン)』のチャートで、以降1位を獲得したGSの曲は、タイガースの「花の首飾り」と「シー・シー・シー」、そしてテンプターズの「エメラルドの伝説」の3曲のみというのも象徴的で、かのビートルズに対峙するローリング・ストーンズの感があったが、ストーンズのミック・ジャガーとショーケンは、あらま、同じ7月26日生まれ!
ところが、翌1969年3月にタイガースから加橋かつみが脱退したあたりを境に、GSブームは下り坂に転じる。
そして、タイガースもテンプターズも解散を余儀なくされた1971年初頭、一時代を築いた超人気者だったからこそ、これからの道のりは厳しそうと思えたように、最後の裏技的にジュリーとショーケンが組んだ新バンドPYGが直ぐに立ち行かなくなったのも当然と納得したものだ。
しかし、むしろストーリーはそこから始まったのだった。
ジュリーはPYGの音楽的母体の井上(堯之)バンドを伴ったソロ歌手として1972年には「許されない愛」のヒットで初めてNHK『紅白歌合戦』にも出演、翌1973年には「危険なふたり」で日本歌謡大賞も受賞して、タイガース時代を大きく乗り超えて行く。
一方、ショーケンは役者の道へと進み、1972年にスタートしたTVドラマ『太陽にほえろ!』でブレイク。
石原裕次郎やベテランの芸達者たちに囲まれて、時に浮きまくりながらも、既存の役者では絶対に表現出来なかった同時代的感覚をヴィヴィッドに発散し続け、新たな人気が高まる中、あっけなくカッコ悪く死ぬという、通常あり得ないドラマの幕切れも衝撃的。
だが、ジュリーが太陽ならば、ショーケンは暗闇で月のように光源を反射する映画のスクリーンでこそ私には輝いて見えた。
特に1974年、従来の若者像とは真逆の、明るい将来など信じられない心象を演じ切った神代辰巳監督の『青春の蹉跌』で、定評ある老舗の『キネマ旬報』主演男優賞を、前年の深作欣二監督作品『仁義なき戦い』での菅原文太に続いて受賞。
そして、神代や深作らを監督として招いた、映画みたいなTVドラマ『傷だらけの天使』では、相棒役の水谷豊とのコンビで、カッコ良いんだかカッコ悪いんだか分からんカッコ良さ、というようなシラケの1970年代を体現する存在として、その水谷豊や松田優作らの、孤高の先駆となった。
もはや歌手ではないように見えたが、ジュリーが井上バンドの演奏で唄っていたのと同じく、実はショーケンもまた、出演するTVドラマや映画を担当することになった井上バンドの音楽を背に受けながら、全身で唄っていたと思えてならない。
演技する歌手ではなく、唄う役者でもなく、演技を唄う。それがショーケンなのだ。
ともあれ、ショーケンも今日で65歳かあ。今そこにいる(だけで)奇蹟、てな気もする。
ま、暴力的行為はアカンがのう、今や日本映画界絶滅種の’危ない’大物役者として、ヌルい世間に映画で物申していただきたいと思うのは見果てぬ夢なのか。
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ショーケンが好きやった。
グループサウンズ時代のショーケンが。
「グループサウンズ」ってゆっても、今の若い人にはチンプンカンプンやろね。
「だいたい5人くらいでガチャガチャやるやつ・・・」
これで分かってもらえますかね。
私が中1の時(1968年)、グループサウンズが絶頂期。
夜8時からの歌番組が週に3つもあった時代。そのどれもがグルーブサウンズをガンガンやっていた。
テンプターズが解散して、ショーケンは俳優としても成功した。でも、私はそのあたりをほとんど知らない。
テンプターズの時のショーケンが一番かっこよかった。あとの俳優時代はおまけかな。
最後の仕事は、NHKの夜のドラマではないだろうか。初老のオッサンたちがラグビーをし始めるやつ。
ちょっと見かけたけど、ショーケンの危うさが活かされていない内容だったので見るのをやめた。最後の仕事があれでは、気の毒やねえ。
ショーケンには、ショーケンにしかできない「かっこよくて危うい役」を、やってほしかったなあ・・・。
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2019年03月02日(土)
約束のてるてる坊主 [私の好きな人]
約束通りつくりましたよー、てるてる坊主。
下山さんからのコメントで、「お願いしたいことがあります」と書かれていた時はビビりました。
でも、「昨年道路が濡れてて車椅子をこぐのに大変苦労いたしましたので、大会当日も道路が濡れない天気であるように1週間前からてるてる坊主を飾ってください。(笑) 」と続きましたね。
お安い御用!
古いTシャツを切って、顔は一般的な丸ではなく、下山さんのように四角。メガネをかけて笑っているところなんか、下山さんそっくりじゃないですか。
「いつかは 東京マラソン 下山利博」の願掛け入り。
うちの庭の梅の木にぶら下げてみました。
いいですねえ。でも、てるてる坊主に見えませんねえ。
「パオパオさんと葛飾の河川敷を一緒に走ることができる喜びを今年も実感できると思うと、とても嬉しく思っております」という言葉は、本当にうれしかったです。
私も3月10日の「かつしかハーフ」を楽しみにしています。下山さんの横から、ビシビシと厳しい声をかけさせてもらいますからね。
明日は、「篠山マラソン」に出張販売。週間予報では雨確実だったのに、どんどんずれて来て、大会が終わるまで天気が持つかもしれません。
下山さんのおかげかな。
てるてる坊主のおかげかな。
今日もヨメさんは鍼灸施術で忙しく、一人晩ごはん。
明日暗いうちに出て行かんなんのに、ヨメさんはたいへんやわ。
たくさん売れたらいいやんけどね・・・。
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【RUN】
昨日とまったく同じ練習。
ちがうところはウエアとシューズ。暖かかったのでウインドフレーカー上下を脱いで。シューズも軽いアディゼロ・ジャパンで。
3kmウォーミングアップをしたあと、1000mタイムトライアル。
いつものように、地球研前バス停の北にあるマンホールのふたからスタート。
今日は昨日よりずっと調子がいい。
北稜高校前のバス停でちょうど1000m。
タイムは・・・、なんと4分01秒。昨日より1秒速いだけ。ガックリ。
3分58秒くらいは出ていると思ってたのに・・・。
昨日と同じく、ここから2kmダウンジョグ。
昨日も今日も6km。
次は1000m×3本とかにしようかなあ。
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2019年02月02日(土)
ニイヤになりたい [私の好きな人]
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◎毎日新聞1月25日夕刊
陸上・新谷復帰 個性と才能健在
4年ぶりの現役復帰だったが、力強い走りと個性の強さは変わらなかった。
13日に京都市で開かれた全国都道府県対抗女子駅伝に東京のアンカーとして出場した新谷(にいや)仁美(30)=ナイキTOKYOTC。16位でタスキを受けると、7人を抜いて9位でフィニッシュ。10キロを31分6秒のタイムで区間賞を獲得した。「走るのは嫌い。普段なら10キロ走るのはストレスの塊」と本音を語る。だが、その一方で「必要とされるのはありがたい。『お帰り』と言ってもらえてうれしかった」と笑顔を見せた。
岡山県出身。女子1万メートルで2012年ロンドン五輪9位、13年世界選手権5位入賞と長距離界で活躍した。
実力はもちろん、奔放な言動でも注目を集めたが、14年1月に引退を発表。会社の事務職員として働いたが、「同僚から『新谷さん落ち着いて』と言われていた」というようにデスクワークは性に合わなかった。現在の所属会社から復帰の要請を受けて、4年ぶりに本格的にシューズを履いた。会社員時代は「夏にビキニを着たいから」という理由で毎日腹筋を300回していたが、走ることはなかった。
それでも、昨年12月には豪州であった競技会で、1万メートルで世界選手権の参加標準記録(31分50秒00)を突破する31分32秒50をマークし、ブランクを感じさせなかった。
「1円でももらっている以上、やることはやる。でも、東京五輪も世界陸上も視野にはない」と言い切るが、「駅伝のレース後のインタビューでは「2020年に向けていい弾みがついた」と充実した様子で語った。今後は1万メートルで競技を続けていく方針だ。「頑張ることとか努力することとか大嫌い。才能で押し切っていくタイプ」という新谷。個性も才能も豊かなその走りに注目だ。 【長田舞子】
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ニイヤが好き。
でもそれは今のニイヤではない。
1枚目の写真と2枚目の写真の間に、超地味なニイヤがいた。
前にも書いたと思うのだが、たぶん豊田自動織機女子陸上部所属の時の奄美合宿。どこかのテレビ局のインタビューに答えていた。
あの「ガウガウ系」の興譲館高時代からは考えられないような静かな女性。一つ一つの質問に、深く考えながら静かに答えていた。
それを見て、「めっちゃ、かっこええやん」と思ってしまった。その時以来のニイヤファン。
髪を茶髪にし、化粧をして競技会に出てきたニイヤにはビックラゲーション。でもそれでさらに速くなってんにゃから、もう何も言うことはなかった。過去をスパッと捨てて変身できる人は、尊敬するに値する。
「ニイヤさま〜」の世界やね。
「頑張ることとか努力することとか大嫌い。才能で押し切っていくタイプ」って、私といっしょやん(レベルがちがいすぎるか?)。
ああ、ニイヤになりたいなあ・・・。
みんな思ってはるやろねえ、「1万じゃなくて、マラソンに出えよ。」
今停滞している女子マラソン界を活気づけるのは、ニイヤしかおらんやろ。
「ニイヤ―、東京五輪にマラソンで出られることになったら、東京まで応援に行くでー。」
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2019年01月30日(水)
じんしろうさんは山田哲人に似ている [私の好きな人]
前から思っていたのだが、「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎さんは、ヤクルトスワローズの山田哲人選手に似ている。
体がでかく、顔もでかく、目がちょっとトロンとしていて親しみがわく。
山田哲人が大好きな私なので、じんしろうさんも応援したくなったのかもしれん。
今日の毎日新聞に、論点――「辺野古」県民投票――という記事があった。
元山さんは「日本全体で基地負担考えて」、元防衛相の中谷元さんは「安全の観点含め移設理解を」、元在沖縄米海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂさんは「政府は説明責任果たせ」という観点から意見を述べておられた。
どっかからコピーでけへんかと探してみたが、どこにもない。ケチやわ。せめて、じんしろうさんの分だけでもパチパチ打ち込もう。
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日本全体で基地負担考えて
元山仁士郎
「辺野古の碧(あお)く美しい海」に米軍基地を建設するための埋め立てが進められている。国は普天間飛行場の危険性を除去するための「唯一の解決策」だと主張しているが、県民の多くは強い疑問を抱いている。沖縄には米軍専用施設の約7割が集中する。新たな米軍基地が必要なら、本土を含めた日本全体で負担すべきではないだろうか。
県民投票には「現在進行する辺野古埋め立てについて県民が意思を明確に表明する」という意味がある。埋め立てに関する権限は沖縄県知事にある。埋め立てを承認した仲井真弘多元知事は「県外(移設)」を掲げた自らの公約に反しており、2014年の知事選では、承認取り消し・撤回を公約した翁長雄志前知事に敗れた。翁長氏は公約を実行し、玉城デニー知事は翁長氏の遺志を継いでいる。
県民投票の会では、県民がこれから基地問題とどう向き合っていくかを離島も含めて議論し、考えを深める機会にしたいと、条例請制定請求の署名集めに取り組み、41市町村全てで請求に必要な有権者の2%以上の署名が集まった。1996年の県民投票は当時の太田昌秀知事の支持組織・連合の主導だったが、今回旗振り役となったのは既存の政党や団体に所属していない20代中心の人たちだった。
宜野湾など5市長が、県民投票実施に必要な予算が否決されたことを受け、投票事務執行への協力を拒否した。民主主義国家の日本で市長が全市民からの投票権を奪うことがあっていいのか。抗議の意思表示として宜野湾市役所前でハンガーストライキ(ハンスト)を5日間行い、ワジワジーしている(はらわたが煮えくり返る思いをしている) 人がこんなにいるのかと実感した。「沖縄の現状はおかしい」と学校帰りの高校生が話してくれた。「すぐに賛否を決める必要はない。私もずっと悩んで考え続けている」と答えた。
ハンストは5市長の態度は変えられなかったが、県議会と県当局の尽力で、選択肢に「どちらでもない」を加えて3択にして全県実施の道筋が見えてきた。賛否の2択で10万人超から署名を集めたことを考えると複雑な心境だが、全有権者に投票権を保障するための与野党の歩み寄りは歓迎したい。私自身、宜野湾市民として投票できると信じている。
私は普天間飛行場のフェンスから約300メートルの所にある場所で生まれ育った。危険性は実感している。普天間の危険性除去は県民の総意であり、新基地建設は別の問題だ。「普天間返還のために辺野古新基地を受け入れるか」「新基地に反対して普天間は返還されないのか」の二者択一を沖縄県民だけが迫られるのは理不尽だ。
日本政府の強権的なあり方に屈して付き従うのか、沖縄の誇りを持って声を上げるのか。沖縄は分岐点にある。将来、子どもに「お父さんはあの時、何をしていたの」と聞かれた時にきちんと答えたいという思いも県民投票には込められている。「反対」の投票結果が出て、それでも国が「日米同盟の抑止力を維持するためには辺野古移設が必要だ」と考えるあれば、「普天間飛行場をどうするか」を全国で考えてほしい。
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【今日のきく】
今日もお決まりの、バイト帰りの深夜お散歩。
いつものコースをちょっと変えてみました。
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