2017年04月10日(月)
ことちゃん [私の好きな人]
「こうちゃん?」
「えっ、ことちゃん。こんなとこで・・・。」
神さん、いますね。いや、仏さんか。
昨日の京都駅からの帰り、関空リムジンバスが少し早く着き、思っていたより1本早い地下鉄に乗れた。電車が到着した時、なぜか並んでいたところをずれて、一つ前の車両に乗り込んだ。
座席はすぐに埋まり、仕方なく出入り口付近に立っていた。
そこに、つかつかと近寄る女性あり。
ありゃ、なんか悪いことしたんか知らんと思った瞬間、・・・「こうちゃん?」
ことちゃんは、私の小中時代の同級生。あっ、もちろん保育園も。
幼なじみで会いたい人と言えば、もちろん「ことちゃん」。なんてったって、ことちゃんは私の初恋の人やから。
ことちゃんはふだん車で行動しているのに、なぜか今日は地下鉄。それも滋賀県人やから、京都にそうしょっちゅう来ているわけではない。
「奇遇ですなあ。」
いや、やっぱり神さんか仏さんが私に使者を送ってくれてはんにゃわ。刺客の反対ね。なんちゅうにゃろ。(「刺客の反意語」で検索しても出てこんかった。)
京都駅から鞍馬口駅までの10数分。いっぱいいっぱいしゃべったわ。また、どうしても病気の話になってしもたけど。
ことちゃんのダンナさん、3年前に亡くならはったんやて。59歳の若さで。知らんかった。
今は、胃がんや肺がんなどポピュラーな病気ではすぐには死なん。ことちゃんのダンナさんも、めずらしい病気やったみたい。
「ボクもめずらしい病気やし、ヒビッてんねん。」
ことちゃん自身も、ダンナさんの亡くなられた直後に入院手術。みんなみんな大変やわ。
「ことちゃん、ボクのブログにな、初恋の人はことちゃんて書いてるし。もうかわいいてかわいいて。」
「なんでやな。ゆうこちゃんのほうがかわいかったやろな。」
「いやいや、もう絶対にことちゃん。うちのヨメさんにもゆうてあるし。前にことちゃんの写真見てな、『別所出身にしてはシューとしてはるやん』ゆうて感心しとったし。」
「またー、うまいことゆうて。」
「ほんまやて。」
名残惜しい鞍馬口駅。
ことちゃんは降り際に振り返り、「だいじょうぶやって」とにっこり。
ほんまかなー、ほんまにだいじょうぶなんかなー。
こんなにいいことばっかり続くと、かえってこわいわー。
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2017年01月09日(月)
山下けいきさんの応援 [私の好きな人]
1月15日告示、22日投票で茨木市議選が行われる。
私が所属する「ランナーズ9の会」の仲間、山下けいきさんが引き続き立候補される。
メールでお知らせがあり、お手紙もいただき、先日は直接お電話もいただいた。政治には全くの素人の私なのに、こうして頼りにしてくださると放っておくわけにはいかない。
本来は1月15日の告示日に「走って出陣」と言うのがあるので、それに参加したかった。しかしその日は京都走ろう会の例会があるし、午後には都道府県対抗女子駅伝もあるし。
今日は9日。毎月私が「9の日平和ラン」をする日。
「そうや、今日行こう!」
ちょうどよかった。自前の「平和・憲法九条」ののぼりをもって、茨木市内を練り歩きましょう。
私は今まで特定の候補を応援したことはほとんどない。
例外は3人だけ。
一人は、2010年4月の京都府知事選挙に立候補された門祐輔さん。理由は単純、憲法をまもるウルトラランナーだったから。
二人目は、2011年1月の長岡京市長選挙に立候補された小原明大さん。理由は単純、綾部の「カフェ・じょんのび」の息子さんで、憲法をまもる候補者だったから。
そして、2012年4月の茨木市長選に立候補された山下けいきさん。理由は単純、「ランナーズ9の会」の仲間であり、憲法をまもる候補者だったから。
6、7年前は、私もけっこういろんなところに首を突っ込んでいたんですね。
今回の山下けいきさんの応援は、約5年ぶりの選挙応援カムバック(?)
事務所に応援に来られていたメンバーは、いかにも常連さんという感じの方が多かった。
「私は若造で何も分かりませんので・・・」とあいさつしようと思ったが、見かけだけは十分ベテラン系なので大きな顔をして待機させていただいた。
午後1時半から「大宣伝行動」。
と言われても何をしていいか分からなかったが、3グループに分かれ、2組は練り歩き、1組は自転車でアピール。
事務所を出たときは10数名で、途中から6・6くらいに分かれた。
私は、練り歩き隊の東方面担当グループに入れてもらった。
先頭の方が山下さんの政策を吹き込んだテープを流され、その後ろをのぼりを持った者や、政策ビラを配る者が続く。
山下けいきさんの議会報告ビラの表紙には、「チェックから改革へ」へのキャッチフレーズ。
1.維新前市長と対決してゴミ委託改革
2.市議選ポスター水増し請求疑惑追及
3.くらしの110番 障がい者支援からトイレ様式化まで
「社会の主人公は、カジノ賭博や水道民営化出で組む自民、維新ではなく、私たちです」
テープの内容もだいたい上記と同じような感じ。
私は裏表紙に書かれていた「平和憲法が私の原点です」を入れてほしかったんですけど・・・。市議選の争点にはふさわしくないんでしょうね。
今日は成人の日なので、あちこちで晴れ姿の若者を見た。
こんないい日にアピールウォークができてよかった。
時折雨がパラついたが、昨日の大雨に比べるとかわいいもんだった。
ウインドウにうつった私の姿をパチリ。
一人毛並みの変わったんが混じってますけど、今はやりの「多様性」と言うことで・・・。本人けっこう楽しく歩いています。
今日は祝日だったので、商店街もお客様が多かった。
茨城戎神社前も通過。
カードマンさんが立っておられると、「私も早う復帰せな」と焦ってしまう。
すごくかわいい地蔵さん発見。
もちろん、みんなの幸せを願っておきました。
「あっ、山下さん当選のお願いすんのん忘れたー。」
阪急・茨木市駅前を通り事務所へ。
1回目のアピールウォークは約3.6km、1時間10分ほど。かなりゆっくり歩いたことになる。
事務所で休けい。
戻ってこられたみなさんがいろいろなお話をされていた。
「茨木はどちらかとうといなかになるんですかねえ。」
「・・・。(みなさんどういう意味か計り知れず、返答なし。)」
「いや、ビラを配っていても抵抗なしに受け取ってくださる方が多くて。都会の真ん中なら、ほとんど無視されるでしょう。『ごくろうさん』と言ってくださる方も多くて・・・。」
「確かにいなかのいいところも残ってますが、それよりも山下さんの日ごろの活動をよーく見ている方が多いんだと思いますよ。」
「成人式の振袖の袖が変になっている子がいてねえ、呼び止めてきちんとなるようになおしたけげたわ。これから式に行くみたいやったんで、ビラは邪魔になるし、よう渡さんかった。もうちょっとせんでんしたらよかったなあ・・・。」
「雨がパラパラ来た時に、小さな子とお母さんが上を見上げてはって、なにやろうと思って見上げたらきれいな虹。山下さんの虹色ののぼりとピッタリシンクロしてよかったわー。」
(◎毎日新聞 2012年4月2日より
◇茨木市長選・山下慶喜候補
山下氏は平和と個人の多様性を尊重する公約「レインボープロジェクト」を掲げ、教育現場への競争原理の導入に反対した。東日本大震災への対応では「市民の生命を守る立場から、放射能に汚染されたがれきを持ってこない」と約束した。)
みなさん、いろいろと楽しんでおられる。私はそのきれいな虹に気付かず、残念!
3時20分すぎに、2回目のアピールウォーク。
用事のある方もあり、残ったメンバーでもう一度。
「今日は1万歩行けたから満足! 何グラム体重へったかなー」と言いながら帰って行かれた女性もあり。楽しんでますねー。そうでないと、続きませんよねー。
2回目は、東コースをショートカットして約2.9km、43分ほど。
2回行くだけの人たちだけあって、1回目よりスピードアップ。
2回合わせて約6.5kmウォーク。
私は個人的には、前日の雨中のハーフレースのダメージ回復に役立った。
知らない町を一人でアピールウォークとなると心細いが、5、6人もおれば心強い。これがウオークじゃなくてランだともっとうれしいんですが、人混みを走るのはムリですね。
それはまたの機会に。
私はこれでもう応援には来れないと思いますが、山下さんしっかり!
まあ大阪ふうに言わせてもらえば、「バチもんに負けるな!」ちゅうとこですか。山下さんが今まで取り組んでこられたことを多くの方に訴えて行けば、絶対にだいじょうぶ。
せめて投票率が50パーセントを超えてほしいところですね(前回41.79、前々回45.23)。
駅までの帰り道に、沖縄料理「しーさ」さん。
沖縄の方がやっておられるんでしょうか。
また、沖縄にいる真樹のことを思い出した。
「京都に帰ってこんかなあ・・・。」
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2017年01月04日(水)
「遠くの存在に感じない」 [私の好きな人]
今日は、寮の管理代行の2017年の初仕事。寮1(二条)17時間。
この時期、心身ともに変調をきたす者が出てくる。今まで真剣に生きてこなかった私には、そんな若者らにアドバイスできることは何もない。ただ一つだけ言いたいのは「思い詰めないで」ということ。まだまだ先は長いのだから。
今日の休けい時間に、今年来た年賀状の整理をした。
うちには住所が4つあり、それが全部生きているからややこしい。一つは市原の自宅(借家)。次に京産大前の店舗。そして柊野の旧事務所。この3つはみな近所なので、車で回ればすぐ年賀状が回収できる。
問題なのは花背別所町のいなかの家。もうそこを離れて10年になるのだが、いまだにそちらに年賀状が届く。これはなかなか回収に行けない。あて名を印刷している人は、相手の住所が変わっていてもあんまり気にならないようです。
一応前記3か所に1月3日までに届いた年賀状は130枚ほど。出したのが200枚ほどで、いなかに届いている分と今日以降に届く分を合わせれば、かなりの回収率ということになる。ありがたい、ありがたい。
2年前まで「年賀状大賞」というのを選んでいたのだが、けっきょく自分の好きな人から来たものばっかり選んでしまうのでやめた。
でも、今年は秀逸なものが多かった。みなさんひと言コメントを書いてくださっているのだが、今年は私の病気を心配してくださっているコメントが多かった。「パオパオだより」をしっかり読んでくださってるんですね。ありがたい、ありがたい。
その中でも、この人からのひと言は「うっ」と来た。
「ブログ、拝見しています。あまり遠くの存在に感じません。」
やられました。まいりました。
ずいぶん前の「北軽井沢マラソン」で、乳母車に娘さんを乗せて走っておられたみったんさん。その時、娘さんは眠ってしまったようで、手に持っていたアイスキャンディーが溶けていた。それがすごく印象的で、思わず声をかけさせてもらった。
ただそれだけの関係なのに、なぜかいつの間にか私のブログにコメントを入れてくださるという関係になった。
「病気に負けないで」という直接的な応援もうれしいが、「遠くの存在に感じません」という言葉はそれ以上にうれしい。「遠く離れていて、会って話すわけでもないけれど、いつもすぐ近くにいるように感じてますよー」と言われたら、何か胸の奥のほうから熱いものがこみ上げてくる。
ヨメさんに話すとき「みったん」では通じないので、「乳母車の子のアイスキャンディーが溶けていた・・・」というと話が早い。
人間て不思議です。ちょっとした一つの出来事で、そのあとずーっとその人のことを忘れない。私とみったんさんはそういう関係なんでしょうね。
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2016年12月29日(木)
ジンパチッ! [私の好きな人]
◎デイリースポーツ 12/29(木) 20:37配信
根津甚八さん死去 うつ病、死亡事故、目の病気で手術…孤独とも闘った晩年
2010年に俳優を引退した根津甚八=本名・根津透=さんが29日、都内の病院で亡くなった。69歳。かねて病気療養中だった。所属事務所は報道各社にあてたFAXで、死因が深部静脈血栓症及び肺塞栓症による肺炎のためと説明した。葬儀については、故人の遺志により近親者のみの密葬を執り行うという。
根津さんは1978年、大河ドラマ「黄金の日日」で脚光を浴び、82年の映画「さらば愛しき大地」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞。ほかに「吉原炎上」などでも存在感が光った。黒澤明監督の映画「影武者」や「乱」などにも出演。憂いのある色気は男女問わず、多くのファンを魅了した。演技同様に寡黙な人柄だった。
根津さんは01年秋ごろからうつ病を患っていた。04年7月には、自宅近くの交差点で交通事故を起こし、被害者が死亡。心に深い傷を負い、俳優活動をしばらく休止した。晩年は持病のヘルニアや目の病気など、けがや病気との闘いの連続だった。
94年3月に15歳年下の仁香さん(54)と結婚。96年には長男が誕生。順風満帆に思われた家庭生活だったが、01年に右目下直筋肥大という病気を患った。右目の下まぶたが垂れ下がり、物が二重に見える「複視」という症状が出て、日常生活が不自由となったため、下まぶたを整形する手術を受けた。
視界は改善されたが、顔の左右のバランスが崩れてしまい、その後何度も整形手術を受けた。しかし、元の顔に戻らず、「これではテレビには出られない」と大きなショックを受けたという。
妻・仁香さんによると、同じころに最愛の母をなくし、金銭トラブルにも見舞われ、心身ともにダメージを負った。10年9月。俳優引退を発表した。
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今年亡くなった方のいっちゃんは、吉本のタツジーかジョージかと思っていたが、最後の最後にえらい人が・・・。
根津甚八。
実は、私が一番好きな俳優なんです。
もし私が女なら、根津甚八に迫られたらたぶん体が溶けてしまう。
根津甚八の映画もテレビドラマもほとんど見たことがない。でも、中島みゆきの「ピエロ」を歌う根津甚八は最高。
◇ ◇ ◇
思い出の部屋に 住んでちゃいけない
古くなるほど 酒は甘くなる
えらそうに俺が 言うことでもないけど
出て来いよさあ 飲みに行こうぜ
かまれた傷には 麻酔が必要
俺でも少しは 抱いててやれるぜ
思い出の船を お前は降りない
肩にかくれて 誰のために泣く
まるで時計か ゆりかごみたいに
ひとりで俺は さわぎ続ける
飲んでりゃおまえも 嘘だと思うか
指から鍵を奪って 海に放り投げても
飲んでりゃおまえも 嘘だと思うか
指から鍵を奪って 海に放り投げても
◇ ◇ ◇
仲代達矢、根津甚八、水谷豊、このライン好きですねえ。
共通するのは狂気の匂いかな。
最近、おっとこまえの阿部寛に凝っていた。でも、私の本質はやっぱり狂気の匂いがする根津甚八でしたね。
(注)もうちょっと、続きます。
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2016年12月25日(日)
サンタ襲来 [私の好きな人]
まさかまさかのサンタ襲来。
「サンタさん、来てください」って、ゆうてみるもんですねえ。
今日から、「京都キャロット」の店内セール。
出張販売用としてキャラバンに乗せていた商品を、全部おろして整理。ふだんは店の在庫がかなり少なくなっているが、今ならいろいろと選べます。
今日は高校駅伝の日。
最近はずっと沖縄・今帰仁村の北山高校の応援をしていたのだが、今年は男女とも県大会で敗れてしまった。男子はコザ、女子は那覇西が出場している。今年はテレビ観戦です。
午後2時半すぎ、サンタクロースがプレゼントをいっぱい持って登場。味噌やら米やら塩やらもちむぎ麺やら大麻やら・・・。どうもありがとうございました。さっそく吸わせていただきました・・・、ってウソウソ。
私が兵庫・ゆめさき舎を突然訪問したことへの「仕返し」。きっと松本さんも突然訪問してびっくりさせたかったと思うが、私はいつどこにおるかよう分からんやつやから困ったでしょう。ちゃんと予告ありの訪問でした。
ヨメさんも追試から帰ってきて、サンタさんを挟んで3ショット。
サンタさんから後光がさしていて、撮影に難儀した。
短い時間だったが、いろんな話をした。
高校駅伝の話。
「兵庫の1区の田中のぞみちゃん、ラストがしゅしゅしゅーでしたね。」
「去年より悪かったみたいですね。」
「最後のスパートに食らいついていくんかと思ってたのに・・・。」
「大阪の2区の高松ムセンビ妹は、『やったんで系』やね。あんなちっこいのに、前にいた9人全員抜きましたやん。」
「ほんま、すごい。ところで姉ちゃんはどこの大学に行ったん?」
「それがね、このごろ話題に上らへんしおかしいなあと思って調べてみたんですよ。そしたら、今オレゴンですわ。サラザールがやってるナイキなんとかクラブ。あそこで大迫君やらといっしょに練習してるみたいですよ。」
田中希美選手ともムセンビ姉妹とも知り合いではないが、関西のオッサンの乗りで、「ちょっとでもかすったら、みな応援」ちゅうやつです。
「かりいほ」の話。
「昨日、4チャンの報道特集で『かりいほ』っていう障害者施設のことやってましたわ。栃木県の大田原市にあるんですけど、知ってはります?」
「聞いたことはるけど、よくは知りません。」
「一番印象的やったんは大好きな職員さんを、興奮したら噛んでしまう子。大好きで大好きでごはん食べるときもいつも横に来て食べるような子やのに、ほかの子からからかわれてカッとしたら、その職員さんを嚙んでしまうって・・・。なんでなんやろうね。」
◇ ◇ ◇
12/24 18:15 TBSテレビ 【報道特集】
<特集>異色の施設「かりいほ」の挑戦
栃木・大田原市・知的障害者視線施設「かりいほ」。
民間の社会福祉法人が運営。
男女約30人が入所。
周囲を山に囲われているが、塀もフェンスもない。
職員と農作業を中心とした生活を送っている。
かりいほ・石川恒施設長が言い続けているのは「本人の本当の姿を知ろう」。
銀杏をイチョウの実から取り出す作業を行っていた男性は、東京の親元からかりいほに来て9年。
軽度の知的障害とADHD・注意欠陥多動性障害と診断されている。
かりいほに来た理由は自転車泥棒、万引き、置き引きなど衝動的な盗みが抑えられないため。
男性は小学3年生くらいから両親や友達の家から財布を盗む行動が始まった。
東京に戻るために都内の作業所で短期間の実習を行ったが、職員の目が届かない時に小銭入れを見つけ盗み、自転車も盗んでしまった。
問題行動を変えることは簡単ではない。
暮らし続けられる場所を作るのが福祉の本来の場所を作るのが福祉の本来の役割だと石川施設長は考えている。
Google earth提供
父親のコメント。
グループホームについて言及あり。
◇ ◇ ◇
「藤井さん、お客さんにいろいろと言いたくなりませんか。」
「全然ありませんね。自分の興味のない商品は、よう勧めません。」
シューズに関して言うと、今興味のあるのは、アディゼロタクミ・レンとセン、ターサージールTSとターサージャパンくらい。あとはふだん履きならいいけれど、とてもレース用には使いたくない。こんなことでは、店員としては失格ですね。
病気のことも聞いてくださったのだが、自分自身でよく分かっていない。うまくは説明できなかったが、とりあえずはもうちょっとは生きられるらしいと言っておいた。
また「仕返し」の「仕返し」に行かなあかんなあ。
次はどっかから走って行こう。「平和・憲法九条」ののぼりを背負って。
クリスマスというのにクリスマスケーキなし。さびしー。
その代わりでもないが、オードブルセットが半額になっていたので買ってきた。
ブリとカキのお鍋とこのオードブルで、ちょっとだけクリスマス気分。
でも、ケーキ食べたかったなあ・・・。
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【今日のきく】
ストーブの前に入り浸っているきく。
そんな近くで暑ないんかいな。
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2016年12月21日(水)
ゆりやん [私の好きな人]
◎毎日新聞12月19日朝刊・学校と私
受け入れてくれた友達=お笑い芸人・ゆりやんレトリィバァさん
1学年12人。先生が一人一人の良いところを伸ばしてくれるような田舎の小学校に通いました。中学に進むと、生徒は増えました。「イケてる子」「おとなしい子」のグループがあり、私はイケてるほうに入りたくて背伸びをしていました。元々太い眉毛を親に内緒で細くそったりして。
それが突然、中学3年で自分がいじめられることになったのです。女子には悪口を言われ、仲間外れにされ、男子には机の中の物を窓から投げられたりもしました。当時の私には中学しか世界がなく、いじめられたら終わり。本当に毎日が嫌でした。
でも、いじめる子たちに人生を変えられたくはなかった。芸人になるのが夢だったので「絶対に芸人になって『あの時、友達やったよな?』と近づいてきても無視してやろう」と思っていました。家では毎晩、父の食事の時にその日の出来事を話す習慣があり、相談に乗ってもらったことも助けになりました。
実は、自分がいじめられるまで私もいじめっ子の側で、一緒におとなしい子たちの悪口を言ったりしていたのです。居場所がなくなり、私はその子たちに仲間に入れてほしいと頼みました。すると本当にいい子たちで「いいよ」と受け入れてくれたのです。
それまでは悪口で笑っていたけれど変わった。「銀座」が仲間内の流行語になると、田舎で誰も銀座に行ったことすらないのに「その可愛い筆箱どこで買ったん?」「銀座」「うそやん」と何かにつけて口にしては笑いました。そんな面白さを知り、高校では背伸びせず自分が一緒にいたい人といようと決めました。
高校で仲の良かった友達は、一緒にいると自然と面白いことを言え、突っ込みを入れてくれたり。かつては苦手なタイプの子をライバル視したのですが、無理に対抗せず冷静に接するようにもなりました。私をいじめたようなタイプの子を一歩引いて見る感覚も養われた気がします。
そうやって出会った友達をまねすることで、ネタをやれています。いじめられた経験から、いい友達に巡り合う方法を知ることもできた。だから、もっと違う中学時代だったらなとは全然思いません。【聞き手・念佛明奈、写真・梅田麻衣子】
■人物略歴
1990年、奈良県吉野町生まれ。2013年に吉本総合芸能学院(NSC)大阪校を首席で卒業。ピン芸人日本一決定戦の「R−1ぐらんぷり」では、2年連続で決勝に進出した。
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今日は寮2(二条)17時間。
沖縄に行っている間にたまっていた新聞を寮に持っていき全部読んだ。
今日はやわらかい話題を。
私のお笑い芸人一押し、「ゆりやんレトリィバァ」。
複雑なもの(コンプレックスの本来の意味)を秘めた、ちょっとぽっちゃり女性。
これはやられてしまいます。とても他人とは思えない。
どこかで見たような・・・。うちのヨメさんの短大時代の写真がこんな感じだったような・・・。(バシッ、ボコッ、ドスッ! びしゃたたき!)
NSC主席と言われてもねえ。「それがどしてん!」レベルです。
そんで、なんでレトリィバァなん?
なんかやっぱり、うちのヨメさんと似たようなにおいがしますにゃわ。
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